「え!?」
気絶させられ、うんうんと唸りながら悪夢を見ていたヘスティアは、その感覚に飛び起きた。
今、確かに感じた。感じてしまった。
自らが刻んだ恩恵の消失を。
恩恵の消失。
すなわち、眷族の死。
「あ、ああ……!」
二人の眷族のうち、どちらが死んだかなんてわかり切っている。
レベル2に至り、力の試し打ちくらいではまず死なないだろうベルと、精神がズタボロで、蓄積した疲労に対する休息も足りていなかったスピネル。
どちらの死亡率が高いかなんて、一目瞭然だ。
「スピネル、くん……!?」
ヘスティアの初めての眷族。
愛していた。本当に、心の底から愛していた愛娘。
辛い過去を持った子だった。
信頼できる相手もおらず、幸せを感じたこともない幼少期。
そこから逃げ出してきて、ヘスティアとの暮らしで、ようやく小さな幸せを得たはずの子。
彼女の望みは、本当に細やかなものだったはずだ。
主神一柱と、レベル1の眷族が一人だけ。
零細ファミリアの中でも最底辺のヘスティア・ファミリア。
上級冒険者に比べれば雀の涙のような稼ぎで一喜一憂する毎日。
英雄なんて縁の無い、世界の命運になんて関われない、物語の主役どころか端役になれるかも怪しい、その他大勢の背景のような暮らし。
スピネルは、それだけで満足していた。
彼女はとても幸せそうに笑ってくれていた。
それが、ベル・クラネルの登場をキッカケに狂った。
いや、正確にはベルの飛躍が始まってからか。
『
急成長と言えば聞こえは良いが、急激すぎる変化は必ず『歪み』を生む。
もし、ベルが最初のようにただの凡人のままだったら、こうはならなかっただろう。
天才にしたって一般的な範疇に収まるレベルだったら、ランクアップまで最低でも1年。
それだけの時間があれば、スピネルも色々と悩んだ末に折り合いをつけられたかもしれない。
だが、冒険者になってたった一ヶ月半、飛躍を始めてから数えればたったの一ヶ月で、アビリティオールSの上にランクアップというのは、いくらなんでも早すぎるし、おかし過ぎる。
悩む暇すら与えてくれず、スピネルの気持ちを完全に置いてきぼりにして、事態は変化し続けた。
置いてきぼりにされた心が歪んで、歪みが痛みになって悲鳴を上げて、その果てがこんな救いようのない最期だ。
「ボクの、せいだ……!」
ヘスティアには
なのに、その心に寄り添うどころか、ヘスティア自身の態度がスピネルを更に追い詰めた。
急成長を始めてから一週間かそこらでステイタスを抜き去られ、ヘスティアの態度のせいで自分の今までの努力を否定されたように感じ、嫉妬と焦燥が心を支配していって。
悩む暇すら与えてもらえなかった幼い心は、ベルに勝たなければヘスティアに褒めてもらえないという、短絡的すぎる結論を出してしまった。
ヘスティアはそれを必死に否定しようとしたが、説得しようとしている間にもベルはどんどん先に進み、それがスピネルの心をどんどん追い詰めていって、どうにもならないうちにベルのランクアップという決定打が放たれてしまった。
わかっていたのに。
一ヶ月前までは安定していたとはいえ、それでもスピネルは子供だ。
ベルより遥かに幼い子供だ。
健全な成長の機会を奪われてしまった、最初から傷だらけの心を根底に抱えた、人一倍か弱い小さな子供だ。
普通の人でも飲み込むのが難しそうな、圧倒的な才能の差。
そんなものを突きつけられて歪まずにいられる強い子じゃないとわかっていたはずなのに。
ヘスティアは、可愛い娘を見殺しにしてしまった。
下界に降りて僅か半年ちょっとの、元グータラ女神。
そんな未熟極まる主神のせいで、一人の眷族が地獄に落ちてしまった。
「ただいま戻りました神様! 聞いてください! 僕……」
「うわぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
「え!?」
ちょうどベルが戻ってきたタイミングで、ヘスティアの心は決壊した。
自分のせいだ。
スピネルの前で、ベルのスキルに気を取られた自分を迂闊に見せたから。
説得できずに、ダンジョンに行かせてしまったから。
ステイタスの更新を拒んででも、スピネルを止めるべきだった。
無理に止めたら、努力することを否定したら、ベルには絶対に勝てないなんて事実を突きつけてしまったら、彼女の心が壊れてしまうんじゃないかと日和って、中途半端なことをした自分が一番悪い。
「ごめん……!」
そもそも、スピネルが冒険者になろうとするのを止めれば良かったのだ。
ヘスティアの役に立ちたいと言い出したスピネルを否定したら、僅かでも『今のお前は役に立たない』なんて意味の含まれた言葉を言ってしまったら、当時まだ安定すらしていなかったスピネルの心を更に歪めてしまうかもと思った。
ここでもヘスティアは日和って、スピネルを冒険者にしてしまった。
許可を出した時の、稼ぎを持ち帰った時の、スピネルのキラキラとした顔を見て。
アドバイザーのエイナからも、想像以上に頑張ってるし、無茶をした様子も無いと聞いて、安心してしまっていた。
「ごめんよ……!」
あとは、そうだ。
何故、自分はベルを勧誘なんてしたのだろう。
スピネルが男にトラウマがあることなんてわかり切っていただろうに。
彼女は大分安定してきていたから、油断した。
路頭に迷ったようにトボトボとオラリオを歩くベルが何度も何度も視界に入って、すぐ近くで絶望に満ちた泣き顔を見せられたりして、全ての孤児の救済を司る女神として見ていられなかった。
ベルの顔立ちが女の子みたいで、素朴で内気そうな様子は彼女と相性が良いんじゃないかと、行けるんじゃないかと、むしろ男慣れの練習になるんじゃないかと思ってしまった。
けど、今にして思えば、その時の自分の思考はあまりにも楽観的すぎる。
いくらベルがこんな爆弾だったなんて、当時は知る由もなかったとはいえ。
「か、神様!? どうしたんですか!?」
「ベ、ベルくん……」
真っ青な顔で泣き喚くヘスティアを、滅茶苦茶アタフタしながら心配してくれる少年。
……彼は別に悪くない。
ベルはただ、真っ当に努力していただけだ。
その結果が反則にしか見えなくとも、それが恩恵が彼に与えた力である以上、反則でもズルでも不正でもない。
自分の才能を活かして頑張ることは、何も間違っていない。
ただ、彼にスピネルの現状を伝えなかったのも、逆にスピネルに彼のスキルの存在を伝えなかったのも、間違いだったかもしれない。
ベルにスピネルの心境を伝えて、スピネルにベルのスキルのことを伝えて、二人が話し合う機会を設けていれば、あるいは。
……どう言えば良かったのだろうか。
先輩が君の才能に嫉妬してるから、もうちょっと手加減してとでも言えば良かったのか?
君は恋したら強くなるなんてふざけたスキルに絶対勝てないから諦めろと言えば良かったのか?
火に油を注ぐ結果にしかならないだろう、それは。
(言えない……!)
スピネルが死んでしまった今でも、彼女の考えていたことをベルには言えない。
言えば、彼の心に大きな傷をつけてしまう。
心の傷はスピネルの死因だ。
それがベルにまで刻まれたら、彼まで失ってしまうかもしれない。
スピネルに続いて、ベルまで失いたくない。
彼女を追い詰めた元凶であろうとも、ヘスティアにとっては、二人とも大切な子供達なのだから。
「君は……! せめて、君だけはいなくならないでくれ……!」
「え? あの、えっと……!?」
主語が無いため、なんの話かわからず、ただヘスティアを心配して混乱するばかりのベル。
……結局、彼にはスピネルがダンジョンで死んだとだけ伝えた。
サポーターのリリやアドバイザーのエイナに慰められ、最後にはこれが冒険者という仕事の厳しさなんだということを学び、乗り越えた。
スピネルの死は、英雄の成長のための礎の一つとなったのだ。
そんな結末に、まるでベル・クラネルを成長させるために誰かが書いた、神ですらどうにもできない悪趣味なシナリオを見たような気がして。
ヘスティアはそんな嫌な想像を、強引に振り払った。