「スピネルくん!?」
ダンジョンから帰る頃にはすっかり夜になっていて、落ち着かない様子でスピネルを待っていたヘスティアに飛びつかれた。
相当心配させてしまったらしい。
そのことに胸が苦しくなるが……必要なことだったのだ。
「こんな時間まで帰ってこないなんて!? すっごい心配したんだぞ!?」
「……ごめんなさい」
スピネルは小さな声でそれだけ言った。
超越存在である神に嘘は通じない。
だから、下手なことは言えない。
この胸の中のドロドロをヘスティアに悟られたくなくて、スピネルは口をつぐんだ。
けれど、ヘスティアだってバカじゃない。
ここ最近、愛しい娘が悩んでいたことは察している。
「……ずっとダンジョンにいたんだろう? 強さを求めて」
「…………」
スピネルの顔が歪んだ。
ヘスティアの全てを見通しているような目を見ていられなくて、視線を逸してしまう。
「……スピネルくん、ベルくんのことは気にしなくていい。
あの子はその、なんというか、ちょっとおかしいだけなんだ。
無理にベルくんと張り合わなくていい。君は君のままで……」
「やだ」
どうにか宥めようとして捻り出したヘスティアの言葉を、スピネルは反射的に否定した。
ベル・クラネルはおかしい。
ああ、その通りだろう。
あんな反則野郎と張り合うなんて、イカサマしてる奴に真っ向勝負で挑むくらいバカらしいことだろう。
それでも、スピネルはやるしかなかった。
「だって、ヘスティア様、ベルがああなってから褒めてくれなくなった」
「!? い、いや、そんなことは……」
「あるもん! 前は『凄い』って言ってくれたのに、今は『偉いぞ』とか『頑張ったね』としか言ってくれなくなった!」
「ッ!?」
子供は想像以上に親のことをよく見ている。
……確かに、思い返してみれば、スピネルの言う通りだった。
どうしてもベルのアホみたいな成長速度が脳裏にチラついてしまい、スピネルの成長を頑張ってる、偉いとは思えても、凄いとは思えなくなっていた。
ヘスティア自身ですら気づいていなかった無自覚の態度の変化が、スピネルには耐え難かったのだ。
「私はヘスティア様の一の眷族なのに! 今日だってそう! ヘスティア様はベルばっかり褒める! あんな奴、ただズルしてるだけなのに!!」
「スピネルくん……!」
スピネルは涙を流しながら叫ぶ。
ヘスティアは、そんな娘に何も言えなかった。
自分の態度が彼女をここまで傷つけてしまったのだと気づいて、何も言えなくなってしまった。
「か、神様、どうしたんですか!? なんか凄い声が!?」
「ベ、ベルくん!?」
「ッ!!」
そして、最悪のタイミングで地下室からベルが出てきてしまった。
シルバーバック戦の疲労もあって寝ていたのだが、今の大声で起きてしまったらしい。
「って、スピネルさん! 帰ってたんですね! 中々帰ってこないから心配しましたよ!」
……どうやら、今の会話の内容までは聞こえていなかったらしい。
鈍感もここまでくると罪だ。
スピネルは、そんなベルのことを一瞬凄い目で睨みつけ、
「……なんでもない。今からステイタスの更新するから、どっか行ってて」
「あ、は、はい!」
醜い感情を押し殺してそう言った。
あんまり醜い姿をヘスティアに見せたくない。
ただ、それだけの理由で。
ステイタスは仲間内でも秘密にするようなものであり、何より更新する時は背中に刻まれた恩恵を神にさらけ出す、つまり上半身裸にならなければならないため、ベルは言われた通りにどこかへと去った。
「スピネルくん……」
「ヘスティア様。ステイタスの更新をしてください。大丈夫。私は絶対、ベルより強くなりますから」
「ッ!?」
大丈夫じゃない。
それは全然大丈夫じゃない。
けれど、激情の炎に身を焼かれてる様子のスピネルを宥める方法が、ヘスティアにはわからなかった。
「……お願いだ。無茶だけはしないでくれ」
「…………無茶しなきゃ、勝てませんよ」
どこまでも、
生じた亀裂が、どんどん大きく広がっていく。
「……なら、せめてこれを持っていってくれ」
「これは……?」
スピネルと共に地下室ヘ戻ったヘスティアは、一つの木箱を彼女に差し出した。
開けてみれば、そこに入っていたのは軽鎧一式。
鍛冶の神ヘファイストスに土下座して造ってもらった、下級冒険者には見合わないほどの一品。
恐ろしいほど軽く、されど凄まじく頑強な、
「スピネルくん、これだけは覚えておいてくれ。ボクは君に死んでほしくない。君が天寿を全うするまで、ずっと一緒に生きていたい」
愛しい娘の手をギュッと握りながら、慈愛の女神はそう言った。
「その鎧は君を守るためのものだ。お守りだ。
帰ってきてくれ。無茶をしても、死にかけても、最後はボクのところに帰ってきてくれ。お願いだ」
「……はい。わかりました」
ヘスティアに心配してもらえる。
それは嬉しい。
嬉しいのだけれど……。
「ヘスティア様、その……」
「なんだい?」
言いたいことがあった。
けれど、言葉が詰まる。
だって、これが言っていい言葉だとは思えなかったから。
(前に戻りたい)
稼ぎは少なかったけど、二人で笑っていられて、ほんの少しずつの成長でもちゃんと褒めてくれた、あの頃に。
過剰な強さなんて求めることのない、安全第一でヘスティアのところに必ず帰れていた、この
あの小さな幸せの世界に、ベル・クラネルのいない日常に戻りたい。
だから、ベルをどこかにやってほしい。
そんなこと、言えるはずがなかった。
「……いえ、なんでもありません。ステイタスの更新をお願いします」
結局、スピネルはその言葉を飲み込んで、ステイタスの更新を行った。
メイン武器も予備武器も失い、モンスターの使っていた武器を奪って使い潰しながら戦い続けたのに、彼女の成長はベルに比べれば微々たるものだった。