世界の中心と言われる【オラリオ】には様々な種族が住んでいる。
ヒューマン、獣人、ドワーフ、エルフ、小人族、アマゾネス……細分化させるならより多くの種族が混在し、その数だけ問題も起きている。
種族間だけでなく、荒くれ者の多い冒険者と一般住人の諍いやステイタスにものを言わせた犯罪行為なども起こっており、歯に衣を着せずに言うと治安が悪い。これでも暗黒期よりは遥かにマシではあるんだけどね?
そんな【オラリオ】の治安維持を一挙に担うファミリアこそが【ガネーシャ・ファミリア】である。
都市でも最大の眷属数を誇り、ダンジョンの探索ではなく治安維持に力を入れ、民衆のため都市内を奔走している。まさに民衆の味方と言えるファミリアだ。
誰に頼まれるでもなく下界に降り立ってからずっと都市の治安を維持し続けるガネーシャ様は、善神と呼ばれるにふさわしい神格者なのだ。
「そうっ!俺が、ガネーシャだ!!」
例え、象の被り物を被り奇怪なポーズを取りながら耳の痛くなる大声で突然自己紹介を始めるような存在であっても、善神ではあるのだ。
「こんにちは、ガネーシャ様」
「うむ!こんにちガネーシャだ!」
「じゃ、俺はシャクティさんに挨拶してきますね〜」
「そうか!シャクティはいつもの場所にいるぞォ!」
「ありがとうございます」
ガネーシャ様と関わってからわかったことは、こういうタイプはスルーし続ける方が楽ということだ。
被り物と声の大きさに目を瞑れば、民衆のことを真に思い、『民衆の主』として相応しい理知的な面もあるのだ。
如何せん被り物と声とテンションが酷いだけ……やっぱりそれが致命的だろ。
すれ違うファミリアの人達とも挨拶を交わし、広間に向かう。
人が入り乱れ、都市内の情報が飛び交う広間の中心には青髪を短く整えた怜悧な美貌を持った長身の女性が立っている。
【ガネーシャ・ファミリア】団長
【
治安維持を担うファミリアの団長として法や倫理観に厳格な姿は女傑と呼ぶにふさわしい、レベル5の第一級冒険者。
的確な指示に加え本人の実力もあるため部下からの信頼は厚く、治安維持という側面においては主神のガネーシャ様よりも信頼されているかもしれない。
指示を終えて一息入れた彼女に声をかける。束の間の休息とも言えない一息の間に声をかけるのは心苦しいが、そうでも無いと2、3時間待たされることもあるからな。是非もないってやつだ。
「シャクティさん」
「ん?あぁ、グリスアか。メガイラ様なら裏手の方でお前を待っている。今回は商業区で怪物祭の準備の手伝いと巡回を頼む。メガイラ様が悪事を見た時は、できるだけ近くにいるウチの者に伝えて対処してもらってくれ。勿論、必要であると判断したらお前が対処してくれて構わない。質問はないか?」
「問題ないです」
「そうか、では今回も宜しく頼む」
言い終えるやいなや、別の人の元へ向かい指示を出す。
治安維持を担うファミリアの団長としての貫禄。経験に裏づけられた的確な指示と絶対的な存在感。
前に立つと、思わず背筋が伸びちゃうよね……っと、あんまりここに長居しても邪魔になるな。
人にぶつからないよう気をつけながら裏口に駆ける。ガネーシャ様と同じような被り物をした人達とすれ違い、時に一言二言話して進めば、見慣れた三つ編みの黒髪が目に入る。
近づいてくる俺に気づいたのか、こちらを振り向いて柔らかく微笑んでくれる神様。その微笑みに心が満たされて、つい頬が緩んでしまう。
神様に今日の仕事内容を伝え、目的地である商業区に向かう。
さて、仕事を始めよう。
商業区は間近に迫った怪物祭に向けて様々な準備が進められていた。
席数を増やし、テラス席を用意する飲食店や屋台の骨組みを組みたて、設計を見直しているヒューマンの店主。
古くなった土台や部品を新しく発注し、経営に頭を悩ませる猫人の店主。その横で小人族の商人と材料費の値切り交渉が白熱する鍛冶師のドワーフ。
三者三葉、悲喜交々、祭り前特有の熱気が商業区を支配していた。
「流石は怪物祭ですねぇ……人の熱気がすごいです」
「そうね……みんな、お祭りを楽しくするために頑張っているわね」
ゆるりと笑みを浮かべながらも、一層目を光らせる神様。
己の視界において一片の悪事も許さないという、悪への復讐を司る神らしい圧と威厳があった。
「お?おーい!そこの黒い兄ちゃんと黒髪の女神様!ちょっと、こっち手伝ってくれませんかね?!」
屋台を組み立てていた肉屋の親父さんが俺達に声をかけてくる。
今の俺たちは二の腕に『ガネーシャだ象!!』とデカデカと書かれた腕章をつけて歩き回っている。これを付けていれば、【ガネーシャ・ファミリア】の協力者としての扱いを受け、民衆から困り事や手伝いを頼まれやすいという今回の仕事をする上での必需品だ。
肉屋の親父さんは屋台を作る上で柱を支えてくれる人を探していたらしい。俺が柱を支え、神様は周囲に乱雑に置かれた工具などを一纏めにして取りやすいよう整理していた。
「いやぁ、助かったぜ!おかげで今日中に骨組みは終わりそうだ!女神様も、整理してくださってありがとうございました!」
「いや、助けになれたら良かったです」
「気にしないで。お祭りの準備、頑張ってね」
頭を下げる親父さんから離れ、巡回を続ける。商業区のあちこちから指示を出す店主の声や下っ端を叱る怒号。普段の商業区では聞き慣れない釘を打ち付け、木を組む音が響いていた。
「おーい!黒い坊主〜!こっちを手伝ってくれないか!?」
「ごめんなさーい!その後、こっちもお願いしていいですか〜?」
「分かりましたー!」
「ふふ、ズィーヤは人気者ね」
神様に微笑まれながら手伝いに奔走する。
柱の組み立てや材料の運搬作業、工具の手入れや整理など冒険者のステイタスをフル活用して数を捌いていく。
そして、全ての手伝いを終えた頃には、夕焼けが都市を茜色に染めていた。
撤収の始まる商業区のベンチで神様と並んで座る。戦闘とは違った筋肉と精神の使い方をしたせいで、慣れない疲労感が体に重くのしかかってくる。多少行儀が悪いが、ベンチの背もたれに首までもたれかかって空を見上げる。
「あ〜……疲れた」
「お疲れ様。大活躍だったわね」
隣から俺の頭を撫でてくる神様。子供扱いのようで照れくさいが、神様から見たら間違いなく子供であるわけなので拒否するつもりも抵抗するつもりもない。
というか、それだけの気力と体力がわかない。できるなら、このまま家に帰って布団へ飛び込みたい。柔らかい布団の中で眠りたい……
太陽が隠れ、空が紫の夜闇に犯され始めた頃、酒場は稼ぎ時とばかりに賑やかになり、大通りは家に戻る親子や冒険者が増えてきた。
ようやく体力も回復してきたし、シャクティさんに報告するため『アイアム・ガネーシャ』に戻るか。
「ズィーヤ」
「何処ですか?」
神様が鋭く俺の名を呼ぶ。
普段見せない鋭い目つきに低い声、髪が意志を持つようにゆらりと揺れる。
神様が悪事を目にした時、こういう風に俺を呼ぶ。
神様は悪事を見逃さない。神としての力ではなく、悪事への復讐を司る神メガイラという個神として持ち得る技術だ。
「目の前の雑貨店、万引きね。黒いポンチョを着た無精髭の男。店主の見えない場所でポケットに一つ袖口に一つポンチョの内側にひとつ。盗んだのはポーションの類いね。近くにガネーシャの
「分かりました」
店から一歩でも出た瞬間に捕えられるように準備する。
一般人に比べてガタイがいい事や腰にナイフらしきものを携えている。そして神様がポーションの類と判断したことから冒険者と仮定。
必要なのはステイタスに関わらない妨害と格上でも昏倒させられる武器。
「『深く望むは我が理想 未だ見えぬ羨望の果て 嫉妬に汚れた泥の理想 変われ、変われ、変われ 嫉妬を満たせ 羨望の道を駆けろ
盗人は店主の元に向かうことなく店の外に足を踏み出した。
その瞬間、足元が泥沼に変わる。
「うぉっ!な、なんだ!?!」
踏み出した先が石畳ではなく底なしの泥沼だった為に動揺した男。体勢は一気に崩れ、前のめりに倒れ込んでいく。
底なしの泥沼とはいえそれほど広くはなく、前に倒れ混んでしまえば普通の石畳が待っている。
男は咄嗟に腕を突き出し地面との顔面衝突を避けようとする。だが、それを許してやるほど俺は悪人に優しくは無い。
タイミングを調整しながら走り、男の倒れる力と身につけた速度の全て組み合わせて、手にした泥色の槌を全力で振るう。
「ぶっぼら!?」
まともに防御することの出来なかった男は鼻から盛大に血を流しながら吹き飛ぶが、片足の大半が泥沼にハマっていたせいで後頭部を地面に打ち付け、白目を向いて気絶した。
一時騒然となる周囲を無視しながら、男の懐を漁るとポケットのポーションと袖口のマナポーション、ポンチョの裏に含まれたポーションと神様の発言通りの場所に宣言通りの盗品があった。
思いっきり吹っ飛ばしたから割れているかもしれないと危惧していたんだが、泥沼と入っていた場所が幸いしたな。
「な、なんだアンタ!」
「失礼。こちらの商品は貴店の商品で間違いないでしょうか?」
俺が盗品のポーション類を見せると店主は驚愕に口を開きながらコクコクと首肯する。
「こちらの男が盗人だったので、店前での無礼とは思いながらも対処させていただきました。騒ぎを起こしてしまい申し訳ありません」
「あ、あぁ……いや、こちらこそ盗人を捕まえて……捕まえ、捕ま……?ま、まぁ、盗まれる前に対処してくれてありがとう」
「いえ、お礼なら悪事を早期に発見した我が主神に下されば……」
俺の後ろから歩いてくる神様に道をあけ、店主や野次馬達に見えるよう膝をつく。
「どうやら、うちの
店主と野次馬達へ視線を向けながら、微かに神威を顕にする神様。
冒険者でない店主や一部の民衆は神威によって首を縦に振る人形となり、冒険者であっても滲み出す悪を許さぬ圧から目を逸らしつつ頭を下げた。
その後、騒ぎを聞きつけた【ガネーシャ・ファミリア】の団員が駆けつけて事態は終息していった。
で、この事件の立役者である俺といえば……
「さて、言い訳を聞こうか?」
『アイアム・ガネーシャ』にてシャクティさんにお説教されそうになっております。硬い地面に正座させられながら。
「いやぁ、ちょっと、やり過ぎましたかねぇ……?」
「ちょっと……?」
シャクティさんの顔に青筋が一本増える。
たったそれだけで思わず喉がヒュっとなるほどの圧が放たれる。レベル5の圧をレベル1の初心者に向けないでください死んでしまいます。
「いいいやぁ!やり過ぎましたね!大分!もうホント!信じられないくらい!!」
「そうだな。前歯を4本砕き、鼻の骨を粉々し、首が少し曲がったらしい。更に後頭部を強く打ちすぎたのか未だに意識不明の重体だ……」
「へ、へぇ……」
や、やばい……一つ一つ列挙していく事にシャクティさんの圧が強くなっていく……い、息が苦しくなってきた気がするよ〜……。
俺が格上の圧に体を震わせていると、突然ふっと空気を吐き出したシャクティさん。疲れて額に手を当てる仕草が妙に様になっていて、気苦労が伺える。一体誰が原因なんだろうなぁ……
「ズィーヤ、罪というものにはそれに相応しい罰があるべきだ。だが、お前の罰はあまりに過剰だ。それでは、罰ではない。ただの八つ当たりになってしまう」
叱るとも説教とも違う。子供に諭すような言い方だ。
悪事という罪に対する罰……相応しい、適切な、罪の大きさと釣り合った罰。
なるほど、実に正論だ。法律というもので悪が定義され、裁きという罰が天秤で釣り合っている。
だが……
「そもそもの前提が違うんですよ」
「……何?」
俺の言葉に不可解そうな目を向けるシャクティさん。
「俺の……俺達のこれは罰なんて綺麗なものじゃない。法の下での裁きなんて公平なものでもない。もっと個人的でエゴとも言える……そういう類のものなんです。これに名前をつけるなら、
悪事を許さない。悪人を許せない。そんな俺の感情を解消するための手段。法の下の罰では無いし、当然正義とも呼べない……それこそシャクティさんの言っていた八つ当たりというのも間違ってはいない。
「だから、前提が違うんです。シャクティ達が法の下で罰を与えるのが仕事なら、俺と神様は悪を許さない復讐をするのが仕事なんです」
「それは……」
苦い顔で言葉につまるシャクティさん。
俺としても、治安維持、秩序を保つことを仕事にして民衆を守ることを目的とした【ガネーシャ・ファミリア】の団長に対して言うことでは無い自覚はある。
だが、これが俺のあり方なんだ。
だから、この話は平行線で、俺かシャクティさんが変わらない限り結末の変わることの無い話なんだ。
「それじゃ、俺は帰りますね。神様も待たせてますし」
「待て」
出口に向けて踏み出しかけた足を無理やり止めたため少しつんのめる。
まだ何かあるのか?正直今ので終わるのが1番いい流れじゃなかったですかね?ほら、平行線な話をしても無駄な訳ですし?後、足が辛いので帰っちゃダメですか?
「お前が盗人を倒した際に作った穴と泥沼。それらの処理についてだ」
「はい」
思わず正座に戻っちゃったよ。
だって俺のやらかしたことに関してだし、事と次第によっては無償奉仕も辞さないというかそれでも温情というか……
結局、泥沼は俺の魔法で埋め立てる事になり、修繕費は今回の報酬と報奨金から差し引かれることになった。ついでに周囲の損壊についてもお説教もあった。何も言い返せませんでした。はい。すみません……
あ、神様すみません迎えに来てもらっちゃって、え?足ですか?全然ダメです。痺れてまともに立てません。あれ?神様?なんでそんなにいい笑顔なんですか?そのワキワキした指の動きは一体……?あの、やめ、や、やめろォォ!!
魔石灯の薄明かりが照らす執務室。
部屋の主である【ガネーシャ・ファミリア】の団長であるシャクティ・ヴェルマは書類仕事に一区切りを付け、背もたれに体を預けた。
処理を終えた書類の山。その一番に置かれていた報告書を手に取る。
「ズィーヤ・グリスア、か……」
できて間もない弱小ファミリアである【メガイラ・ファミリア】唯一の眷属であり、冒険者歴3ヶ月の
しかし、今回の騒動で見せた行動力と戦略は、ただの初心者にしては異質だった。
魔法の特性である泥と沼の特性を利用した妨害に速度を威力に乗せやすい槌を選ぶ判断力。何より、油断していたとはいえ、同じレベル1でも確実に格上だった男を一撃で無力化してしまう戦闘力。
天才
シャクティの脳裏に過ぎる単語。だが、同時に思い出されるのはズィーヤ自身の言葉。
『悪事への復讐』
法ではなく自我に従って下されるソレは、あまりにも重い。
今は明確な犯罪者にのみ振るわれるその力が、法律ではなく彼らの価値観の中で悪となった者に振るわれれば……
「全く……頭の痛い話だ……」
これまでは近くに部下がいたため表面化しなかった彼の考え方の危険性。そして、その価値観を肯定し、あまつさえ推奨するかのような主神の存在。
下手な犯罪者よりも厄介な時限爆弾のようなメガイラとズィーヤ。そんな彼らと外部の協力者として仕事をする【ガネーシャ・ファミリア】
団長としての責任と懸念、年長者としての心配、様々な立場と普段は目立たないお節介さが顔を出し、彼女をより苦悩させていた。
暗黒期が終わり、束の間とはいえ平穏を取り戻した日々の中でもシャクティの胃痛は止まない。
「アーディ……お前なら、彼をどう導くだろうな……」
今は居ない、唯一の妹にそう零す。
当然、答えは返ってこなかった。
「そう、それでいいのよ……悪事を許さないあり方も、復讐を許容する考えも、全部貴方の大切にするべきものなの……後は、魂の内に眠るモノを自覚してくれれば……」
女神は独りごちる。
暗闇で剣を振るい、槌を薙ぎ、槍を突き出し、拳をうちつける眷属を眺めながら。
月は未だ頂点に届かない。
しかし、月光は確かに強まっていた。
ダンジョン上層
「うぉぉぉ!!」
白髪の少年が迷宮を駆ける。
軽装。鎧どころか急所を守るための防具すらない無謀な行進。
ダンジョンを跋扈する怪物達からすれば餌以外の何物でもなく、一挙の元で振り払われて命を散らす脆弱な存在。
しかし、何体もの魔物が、怪物が、彼の道を塞ごうとも、言葉にならない激情を叫びながら、手にした低質なナイフ一本で突き進む。
倒して倒して倒し続けて、それでも彼の行進は止まらない。
目の前に映る全てを切り払い、打ち払いながら突き進む中であろうとも、少年の憤慨は収まらない。
「やらなければ……何もかもやらなければ……そこに立つことすら許されない!!」
脳裏に焦げ付いた
少年は憤慨する。何も言い返せなかった無力な己を、俯くことしか許されなかった臆病な己を。何も成さず、何かを期待していた自分自身を。
憤慨も悔しさも羞恥も憧れも、前へと突き進む力に変えて、少年は駆ける。
「っウォーシャドウ!」
人の影が実態を得たような不気味な姿をした魔物。6階層から出現する『新米殺し』の別名を持つモンスター。
長い腕と三本の鋭利な爪は軽鎧さえ切り裂き、冒険者の肉を断つ。腕のリーチと鋭い爪が幾人もの冒険者の命を絶ってきた。
軽鎧すら身につけず、冒険者となって半月しか経っていない少年にとって圧倒的な格上。
今朝までの少年ならば、足が竦み、何も成せず無力感と絶望感に包まれながら死を待つだけだった。
しかし、今の少年は違う。
「やるんだ……」
「やるんだ……!」
「やるんだ!」
「やるんだ!やるんだ!やるんだっ!やるんだっ!!」
叫び、構える。
不格好、不細工、所詮真似事。
しかし、真に迫るだけの気迫があった。
「そこに、辿り着きたいのなら!!」
ダンジョン6階層の広間。
憧憬へ至る為、地の底で吠える少年──ベル・クラネル
誰にも知られることの無い長い長い死闘が幕を開ける。
本の1ページ目を開く音が、確かに響いた。