東日本大震災と石ノ森章太郎。
石森プロに居た時のお話です。
「仮面ライダー」「サイボーグ009」「ホテル」「おみやさん」「佐武と市捕物控」などで有名なギネス世界記録保持者の石ノ森章太郎先生の生まれは宮城県の中田町石森です。
石巻市は中学生の頃などに先生が出かけていき映画などを観ていた町です。
石ノ森章太郎先生は1990年代に石巻市からまちおこしに協力を依頼されて快諾しました。
先生は北上川の中洲に「着陸した宇宙船」というコンセプトでデザインし流麗な曲線美の石ノ森萬画館が設計されました。
残念ながら石ノ森章太郎先生は1998年1月28日にご逝去されてしまいましたが、2001年の7月23日、ついに石ノ森萬画館がオープンしました。
さて僕が石森プロにいた頃、2010年に自衛隊松島航空救難隊から50周年記念に「サイボーグ009」を使わせて欲しいというお電話がありました。
石森プロは営利企業ですからライセンス料が必要との説明をしましたところ、
「そうですか。その場合は予算が無いので隊員のポケットマネーから出します」と仰る。
僕はさすがに可哀想になって「何か弊社のメリットになる事は考えられますか?」と聞いたら
「記念式典にご招待します。そこにマスコミも来ますので、記事になると思います」との事で
ライセンス料はタダで救難機二機にサイボーグ009のペイントをするコトを快諾しました。
式典当日は確か8月で非常に暑く社長と二人で汗だくになりながら、参加しました。また、その後のパーティーにも参加させていただき、東京からいらっしゃった航空自衛隊航空救難隊総司令の方にもご挨拶出来ました。
サイボーグ009が航空救難隊に鮮やかに描かれたのが新聞やウェブ記事にもなりましたので無償提供も良かったと感じておりました。
ところが
2011年3月11日
東日本大震災
なんと
松島の航空救難隊の救難機は津波に流されてしまい、一機も離陸できなかったのです。
テレビで対応していた松島航空救難隊の広報担当者が涙を流していました。
津波は石巻市を石ノ森萬画館をも襲いました。
そして当時の石ノ森萬画館館長のご自宅も被災してご夫婦2人で2階に取り残されているという情報が入りました。
そこで前年の夏に記念式典でお会いした総司令にお電話させていただき、直接お話ししたところ、「分かりました。少しお待ちください。」との事で、すぐに部下の方から折り返しのお電話をいただき、住所などをお伝えしました。
もちろん特別扱いをお願いした訳ではなく少なくともその住所に取り残されたご夫婦がいらっしゃる事をお伝えしました。
その後、お二人のご無事を確認しましたが、それが総司令からのご指示によるものかは分かりません。
ただサイボーグ009が繋いだ不思議なご縁だったと感じております。
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さて石ノ森萬画館のある石巻市、石ノ森章太郎ふるさと記念館のある登米市も被災しました。
特に北上川の中州にある石ノ森萬画館は津波に往復で襲われました。
津波が押し寄せた時、一階の玄関エントランスなどはビルっぽい四角い形で瓦礫が突っ込みダメージを受けました。が、それより上は丸い形状が幸いして津波が逃げて建物全体の破壊は免れました。
なんと、石ノ森萬画館は石ノ森章太郎先生が生前に「中州に降り立った宇宙船のイメージで」との設計コンセプトで丸みを帯びた楕円形のフォルムだったのです。
石ノ森章太郎先生が起こした奇跡と感じました。
震災の当日、地震と津波に建物は耐えたものの、中州の橋の欄干に津波で流されかけた方々、約20名が命からがら、掴まっていました。石ノ森萬画館のOさんがこれを見つけて「萬画館の中に入ってください!」と招き入れました。
しかし北上川を上った津波が戻って来たのです。
そこで再び欄干に摑まる別の約20名の方々。またOさんが、萬画館に招き入れ、約40名の方々とOさんは、余震の中、萬画館で過ごします。
幸い、萬画館には非常用電源もあり、レストラン用の食材もあったので、石ノ森萬画館を避難所がわりに5日間過ごしたそうです。
石ノ森萬画館の職員家族の方も奇跡的に皆さんご無事でした。
以上は全て後から聞いた話ですが石巻市では有名な話となりニュースやマンガにもなりました。
東京に居た我々は心配しながら石ノ森萬画館のK役員に連絡を取り「必要なものは何ですか?」とお聞きしました。
きっと食糧、医療、衣料など不足しているものが沢山あると思ったからです。3月19日の事です。
するとKさんは「石ノ森章太郎先生の生原稿が10万枚、石ノ森萬画館に保存されています。幸い棚から一つも崩れずに浸水もせずに無事です。ただ玄関ドアが壊れてしまい、防犯的に危ないので生原稿を引き取ってくれませんか」と仰るのです。
あんなに大変な時に心配しているのは石ノ森章太郎先生の生原稿なのです。
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続く👇