No.584 | ||||
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Wahoo(ワフー) | Gato級 潜水艦 SS-238 | |||
艦船ステータス(初期値/最大値) | ||||
耐久 | 13 | 火力 | 2 / 12 | |
装甲 | -- / 20 | 雷装 | 36 / 75 | |
回避 | 17 / -- | 対空 | 0 | |
搭載 | 0 | 対潜 | 0 | |
速力 | 低速 | 索敵 | -- / -- | |
射程 | 短 | 運 | 13 / 60 | |
最大消費量 | ||||
燃料 | 10 | 弾薬 | 20 | |
装備 | ||||
未装備 | ||||
装備不可 | ||||
装備不可 | ||||
装備不可 | ||||
改造チャート | ||||
Wahoo → Wahoo改(Lv50) | ||||
図鑑説明 | ||||
Gato class潜水艦USS Wahoo。 Meのこと、知ってる?あ、そう。ま、いいけどさ。 警戒厳重な日本海にも侵入して戦果を何度も上げている、こう見えてエースなんだ。宗谷岬…あそこは要塞なんだな…水上機に海防艦も……油断した。 宗谷海峡に眠るUSS Wahoo、覚えてくれよ。 |
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、改造直後の値とは異なります。
最大値はLv99の時の最大値を指します。
ゲームにおいて
- 2025春イベント前段作戦『北海道防衛作戦』E2にて報酬艦として初登場。
アップデート履歴
- 2025/03/08:イベント報酬艦として実装。
キャラクター設定について
小ネタ
艦歴
1941 | 6.28 | メア・アイランド海軍造船所において起工 |
1942 | 2.14 | 進水 |
5.15 | 竣工 | |
8.23 | 真珠湾を出港。トラック島方面の偵察を開始 | |
12.10 | 海軍特設艦船「かもゐ丸」を撃沈 | |
1943 | 1.24 | 日駆「春雨」を撃破 |
1.26 | 陸軍徴用船「第二福栄丸」・同「武洋丸」を撃沈 | |
3.19 | 民間船「増減号」を撃沈 | |
3.21 | 民間船「保山丸」・同「日通丸」を撃沈 | |
3.24 | 民間船「高雄山丸」を撃沈 | |
3.25 | 民間船「皐月丸」を撃沈 | |
3.29 | 海軍特設艦船「山鳩丸」を撃沈 | |
5.9 | 民間船「高雄丸」・同「神武丸」を撃沈 | |
8.20 | サンパン3隻を撃沈 | |
9.13 | 日本海方面へ向かうのを最後に連絡が途絶える | |
9.21 | 民間船「北征丸」を撃沈 | |
9.25 | 海軍配当船「太湖丸」を撃沈 | |
9.29 | この日七尾に向け元山を出港した民間船「第二正木丸」が消息を絶ち、これを撃沈したと認定 | |
10.5 | 民間船「崑崙丸」を撃沈 | |
10.6 | 陸軍徴用船「漢江丸」*2を撃沈 | |
10.9 | 民間船「漢江丸」*3を撃沈 | |
10.11 | 日航空機の爆撃・駆潜艇の爆雷攻撃により戦没 | |
11.9 | 失踪を公表 | |
12.2 | 亡失認定 | |
12.6 | 除籍 |
- 元ネタは米海軍のガトー級潜水艦の27番艦、「ワフー」(USS Wahoo, SS-238)である。
- 艦名は当時の米海軍の慣例に基づき、カマスサワラの英名に由来する。
- 名前にカマスの名がつくことからカマス科と思われがちだが、実際はサバ科であり、もうひとつの名であるサワラの仲間。全長2m超えの記録もある大型魚である。なお、カマスの名がついているのは顔立ちがカマスに似ているため。
釣り人の間ではカマスサワラのことを「オキサワラ」とも呼んでおり、淡白な白身は刺身、フライ、味噌漬け等で食され、小笠原諸島では郷土料理の島寿司の材料として珍重されている。
海外の生息域でもスポーツフィッシングの対象となっており、釣り好きでも知られたアメリカの作家アーネスト・ヘミングウェイはカマスサワラを「食べて最高、最も速く、最も難しい釣魚」と評した。
ちなみに、カマスサワラと同じく全長2mほどに成長し、スポーツフィッシングの対象にもなっているカマス科のオニカマス(英名:バラクーダ)に似ているが、背中の縦縞の有無で見分けることができる。なお、オニカマスは食べるとシガテラ(特定の植物プランクトンに起因する食中毒の一種)になることがあるため日本では食用としての販売が禁止されている。
- 名前にカマスの名がつくことからカマス科と思われがちだが、実際はサバ科であり、もうひとつの名であるサワラの仲間。全長2m超えの記録もある大型魚である。なお、カマスの名がついているのは顔立ちがカマスに似ているため。
- 1941年2月14日にメア・アイランド海軍造船所にて進水、同年5月15日就役。訓練の後真珠湾に回航され、8月23日にトラック島方面の戦闘哨戒に出発した。
- 12月14日、ブーゲンビル島沖で浮上航行中の潜水艦を発見して魚雷3本を発射。魚雷は命中して潜水艦は撃沈したと判断したが、この時雷撃されたのは後に板倉光馬少佐が艦長として赴任することになる「伊2」で、当時ショートランドからラバウルに向けて航海中だった。「伊2」の記録によれば魚雷は全て外れ、外れた魚雷の爆発音で攻撃を受けたと気づいたが、航空機からのものであろうと判断していた。
- 12月31日、2回目の戦闘哨戒を終えてオーストラリアのブリスベンに帰還していた「ワフー」の艦長が交代し、ダドリー・W・モートン少佐が着任。後にアメリカ海軍有数の名潜水艦艦長として有名になるモートン艦長と共に、ワフーは戦果を挙げていくこととなる。
- 1943年1月16日、3回目の戦闘哨戒でブリスベンを出港し、ウェワク他ニューギニア方面の哨戒に向かった。ウェワク周辺の地図がなかったものの乗員が持っていた安物の学習地図帳のおかげでなんとか哨戒海域に到着するというハプニングはあったが、1月24日、ウェワクを出てきた「春雨」を発見し、13時45分頃に魚雷を3本発射したが「春雨」はこれを回避した。「春雨」は反転し対潜戦闘を行うが、これに対し「ワフー」は「春雨」をできるだけひきつけて魚雷を1本発射したがこれも外れた。「ワフー」はさらに追加で魚雷2本を発射し、うち1本が「春雨」の一番砲直下付近に命中した。「春雨」は大破し、「ワフー」はそれを潜望鏡越しに写真撮影した。モートン艦長は「春雨」を撃沈したと判断しており、「日本の駆逐艦は船体が二つに折れた」と発言していたという。実際「春雨」は曳航中に艦首が垂下し曳航困難となったため艦橋前方部分で切断しているが、無事本土に帰還している。しかし前線復帰は1943年の年末と1年近い修理を受けている。
- 翌日パラオに移動した「ワフー」は、26日朝にアンボンからラバウルへ向かう3隻の輸送船からなる輸送船団を発見。10時41分、陸軍輸送船「ぱしふぃっく丸」、同「第二福栄丸」に対し魚雷2本ずつを発射し、うち「第二福栄丸」に魚雷が命中し同船は船尾から沈没した。10時47分、陸軍輸送船「武洋丸」に魚雷3本を発射。うち2本が命中し、同船は停止した。11時35分、停止した「武洋丸」にとどめの魚雷を発射し、これが船体中央部に命中した「武洋丸」は総員退去となり沈没した。残る「ぱしふぃっく丸」を潜航したまま6ノットで追跡したが追いつけず、やがて別のタンカーがやってきたがこれに近づくこともできなかった。バッテリーの損耗により、「ワフー」は「ぱしふぃっく丸」とタンカーが水平線の向こうに消えていくのを見送った。
- 13時15分、「武洋丸」の沈没現場に戻ったワフーは周囲に何もないことを確認してから浮上。周辺には「武洋丸」の沈没により発生した漂流物や救命ボートが海上を漂っており、海上や救命ボートの中には生存者がいた。「ワフー」は救命ボートの中の人員に向けて使える砲や機銃で攻撃した。この虐殺劇は、約1時間程度続いた。
- 帰投後、この銃撃事件が虐殺や戦争犯罪ではないかとアメリカ海軍内で問題となり、モートン艦長は数々の武勲を立てながら名誉勲章が授与されなかった、とされている。
- また、「武洋丸」にはイギリス軍に参加して日本軍の捕虜となっていたインド兵269名も乗船しており、そのうち195名のインド兵捕虜が死亡している。
- この攻撃で魚雷を使い果たしたため、翌27日にも輸送船団を発見したが見逃さざるを得なかった。28日にはリン鉱石精錬所への艦砲射撃を目論んだが、途中でQシップらしい艦船を見つけたので、用心のため艦砲射撃を断念した。
- 2月7日、真珠湾に帰投。この際レーダーマストに旭日旗2つと日章旗6つ、白地に赤で書いた"SHOOT THE SUN ZA BITCHES"と書かれたペナントを翻し、敵を「一掃」したという意味を示す箒を潜望鏡架台に掲げていた。以降、大戦果を収めた潜水艦艦長がモートン艦長の真似をして箒を掲げるようになったという。
- その次の4回目の戦闘哨戒では、3月21日に民間貨物船「日通丸」に魚雷を3本発射して2本を命中させて撃沈し、沈んでいく「日通丸」を潜望鏡越しに写真撮影したり、25日に民間小型貨物船「皐月丸」に対し魚雷2本を発射したが命中せず、浮上砲戦に切り替えて20mm機銃による機銃射撃の後、4インチ砲弾90発を発射して「皐月丸」を炎上させて撃沈する等輸送船6隻を撃沈して黄海を暴れまわり、当時1回の哨戒における戦果の新記録を打ち立ててミッドウェーに帰還。レポートの末尾に「日本人は今後、黄海での潜水艦の行動に頭を悩ますだろう」と書かれた。
- 5回目の戦闘哨戒を終えて真珠湾に帰還した翌日の5月22日、アメリカ太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ大将が来艦している。その後オーバーホールのためメア・アイランド海軍造船所に回航されているが、この時の7月に副長が交代している。
- 6回目の戦闘哨戒は日本海での活動だったが、魚雷の不調に悩まされた。目標に向かって正常に航走する魚雷が外れて命中しないことは仕方ないことではあるのだが、この時の「ワフー」の魚雷はそれだけでなく、変な方向に航走してしまったり、命中したものの起爆せずに不発となったり、航走中に突然海底に向けて潜っていったり、発射後23秒で突然爆発したりと散々であった。哨戒を開始してから合計で魚雷10本を発射しながらも不発の1本を除きすべて命中しなかった有様を報告したところ、司令部から作戦を打ち切って帰投するよう命じられた。帰途に腹いせとして3隻のサンパンを撃沈し、ミッドウェー島を経由して8月29日に真珠湾に帰還。
- 帰還後、モートン艦長はあまりにも使い物にならなかった魚雷に激怒して兵器局に怒鳴り込み、司令部に対しては名誉挽回とばかりに再び日本海へ行かせてくれるよう懇願した。その結果、元々搭載していたMk14型魚雷をすべて降ろし、代わりに新型のMk18型電池魚雷を搭載することを許され、「ワフー」にも再度の日本海侵入が許可されることとなった。この際、モートン艦長は関釜連絡船に関しての情報収集を徹底的に行っていた。
- そして9月23日、「ワフー」は7回目の、そして最後の戦闘哨戒に出撃した。道中輸送船3隻を撃沈した「ワフー」は日本海を南下して対馬海峡近海に到達。そして10月5日未明、沖ノ島沖で下関から釜山に向け航行中の関釜連絡船「崑崙丸」を発見し、午前1時15分頃に魚雷を発射。魚雷は「崑崙丸」の左舷後部に命中し、同船は左舷に傾斜し、被雷から約5分で船尾から沈没した。深夜で就寝していた乗客が多かったこと、雷撃で船内が停電したこと、約5分という短時間で沈んだことが重なり、乗客と乗組員合計655名中、死者・行方不明者583名を出す大惨事となった。
- 犠牲者の中には衆議院議員や三重県議会副議長といった政界の人々もいたこと、利用者の多い関釜航路での大惨事であったことからその影響は大きく、その被害に関係者は衝撃を受けた。新聞でも大々的に報じられ、アメリカ側でも日本の通信社発表の情報を傍受した。
また、「崑崙丸」撃沈により関釜連絡船の夜間航行は中止となり、護衛を伴う日中の航行に限定された他、旅客・貨物ともに制限がかけられた。
- 犠牲者の中には衆議院議員や三重県議会副議長といった政界の人々もいたこと、利用者の多い関釜航路での大惨事であったことからその影響は大きく、その被害に関係者は衝撃を受けた。新聞でも大々的に報じられ、アメリカ側でも日本の通信社発表の情報を傍受した。
- 関釜連絡船を撃沈して名誉挽回を果たし、大戦果を挙げた「ワフー」は再度日本海を北上。道中にはさらに輸送船2隻を血祭りにあげている。
- もちろん、そんな「ワフー」を日本海軍が黙って見ているはずがなかった。それも当然で、日本海へアメリカ潜水艦が侵入したこと、しかも「崑崙丸」が撃沈されて国会議員の殉職など政治的にも大きい被害が出たという事態は、日本沿岸の防衛を担う日本海軍の顔に泥を塗ったといっていい事態であったためである。
- 当然日本海軍はブチギレて津軽海峡・宗谷海峡の対潜警戒を強化し、陸軍にも協力を依頼した。ただでさえ「崑崙丸」を撃沈されているというのに、その下手人である「ワフー」を取り逃がしたとなれば日本海軍の面目丸潰れになるためである。
- そして10月11日朝、「ワフー」が宗谷海峡を浮上して突破しようとしていたところを宗谷臨時要塞が発見し、陸上砲台の15cm砲が砲撃を行い、「ワフー」は潜航してこれをやりすごした。しかし、発見された「ワフー」に対し日本海軍は「崑崙丸」の敵とばかりに空と海上から執拗な攻撃を行った。さらには支援として、陸軍の偵察機も現場に派遣された。
- 9時41分、水上偵察機の爆撃により「ワフー」は損傷し、気泡と重油が海面に湧き上がる。10時34分には再度航空機による爆撃が行われ、その後航空機の誘導によりやってきた駆潜艇による爆雷攻撃も実施された。12時21分の第43号駆潜艇による爆雷攻撃の結果、「ワフー」は航行を停止したと報告があった。こうして、日本陸海軍の5時間にわたる対潜攻撃の末撃沈され、モートン艦長以下乗員80名は全員戦死した。
- 日本側の対潜攻撃は16時過ぎまで実施され、合計で63発の爆雷と爆弾40発が消費されたという。
- 「ワフー」の撃沈に日本側は歓喜した。撃沈当日の21時には大湊警備府司令長官の井上保雄中将から「ワフー」撃沈に対する祝電が送られた他、北海道庁長官から道民の感謝の気持ちとして慰問品の贈呈がされ、稚内市内では戦闘後に市内を訪れた兵士達は市民から盛大な歓待を受けた。
- 一方、アメリカ海軍は帰投予定日を過ぎても戻ってこない「ワフー」に対し、11月9日に失踪が公表された後12月2日に喪失と判断され12月6日に除籍された。当初、機雷もしくは魚雷の事故により喪失したと考えられていたが、日本側の報道発表を傍受し「ワフー」の撃沈を確認した。
- 「ワフー」による「崑崙丸」撃沈は日本で大きな影響を及ぼしたことは上述の通りだが、アメリカ側も「ワフー」の戦没およびモートン艦長の戦死はアメリカ海軍に大きな衝撃を与え、戦争末期のバーニー作戦で潜水艦9隻を侵入させるまで、アメリカ潜水艦が日本海に侵入することはなかった。
- 「ワフー」の就役当時の副長にはリチャード・オカーン中尉が着任していた。彼は大尉となった後上述のとおり1943年7月に「ワフー」を退艦し、建造中のバラオ級、「タング」の艦長となった。オカーン大尉は後に「タング」艦長として24隻(隻数2位)、93,824トン(トン数4位)を沈める大戦果を挙げた他、「タング」の3回目の戦闘哨戒では10隻の日本船舶を撃沈しており、ワフーの持っていた一度の哨戒における敵船舶の撃沈総数におけるトップ記録を更新した。
- そんな「タング」の最期は上述の「ワフー」が泣かされた不調の魚雷によるもので、魚雷のジャイロの故障で、発射した魚雷が一周してから自艦に命中する事故で「タング」は爆沈し、甲板上にいたオカーン艦長は部下8人とともに爆発で海に放り出されて辛くも生き延びたが、乗員78名が死亡した。
- 救助されたオカーン艦長は国際法上の捕虜の権利を盾に尋問を拒否したが、救助された船には同じく救助されたタングが沈めた船の生き残りもいたため、タング乗員は彼らによるリンチに遭ってしまった。
オカーン艦長自身もリンチに遭ったとされる場合もあり、そうなるとかつて戦争犯罪に加担したオカーン艦長が今度は自分が戦争犯罪の被害に遭うという形で因果が廻ったと言えなくもない。
- 救助されたオカーン艦長は国際法上の捕虜の権利を盾に尋問を拒否したが、救助された船には同じく救助されたタングが沈めた船の生き残りもいたため、タング乗員は彼らによるリンチに遭ってしまった。
- そんな「タング」の最期は上述の「ワフー」が泣かされた不調の魚雷によるもので、魚雷のジャイロの故障で、発射した魚雷が一周してから自艦に命中する事故で「タング」は爆沈し、甲板上にいたオカーン艦長は部下8人とともに爆発で海に放り出されて辛くも生き延びたが、乗員78名が死亡した。
- 沈没後60年以上が経過した2006年8月、「ワフー」の船体の発見を目指す「ワフープロジェクトグループ」のチームが水深65mの海底に横たわる「ワフー」を発見した。周辺海域では1945年に留萌沖で引揚船に攻撃を加えた、いわゆる三船殉難事件に参加したソ連海軍の潜水艦「L-19」も沈没しており、当初は米ソどちらのものか確定されていなかったが、同年10月31日、アメリカ海軍は8月に発見された潜水艦が「ワフー」であると確認したと発表した。「ワフー」の甲板中央付近には航空機からの爆弾によるものと思われる損傷があり、これが致命傷であろうと推測された。
- 戦没後、「ワフー」の艦名は3隻に引き継がれたが、うち就役したのは「タング級潜水艦」の一隻だけであり、それも現在は退役している。
- 2代目「ワフー(USS Wahoo, SS-518)」はテンチ潜水艦として建造が計画されたが、日本の敗北が決定的となりつつあった1944年8月29日に建造契約が取り消された。
- 3代目「ワフー(USS Wahoo, SS-516)」は2代目と同じテンチ潜水艦で、1944年5月15日に初代と同じメア・アイランド海軍造船所で起工されており、2代目の建造契約取り消しに伴いその艦名を引き継いだ。しかし、建造中の1945年8月15日に日本が無条件降伏したため建造を続ける理由がなくなり、結局1946年1月7日に建造中止となった。
- 4代目「ワフー(USS Wahoo, SS-565)」は1952年に就役し、真珠湾を母港に活動。1983年に除籍され、1984年にスクラップとして売却された。元副長のオカーン大尉が艦長を務めた「タング」の名を引き継いだ艦の同型艦で、モートン艦長が艦長を務めた「ワフー」の名を引き継いだ艦であるというのは何か運命的なものを感じる。
- そして、現在調達中のヴァージニア級原子力潜水艦のブロックVの1隻として、5代目となる「ワフー」(USS Wahoo, SSN-806)の建造が予定されている。起工時期はまだ不明。なお、同ブロックVでは他にも「バーブ」「タング」「シルバーサイズ」ら太平洋戦争で武勲を挙げた潜水艦の艦名が継承される予定である。
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