ロキ・ファミリアのホーム【黄昏の館】。そこの一室で一人の少女が、物思いに耽りながら窓の外で自由に飛び回る鳥達をベッドの上で眺めていた。
少女の名前はアイネ・ヴァレンシュタイン。
世界最速でLV.2へと至った現在LV.3の冒険者、【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインの双子の妹であり、ロキ・ファミリアに所属する冒険者志望の一人だ。
「お姉ちゃん達は今頃ダンジョンで戦っているのでしょうか……」
アイネはアイズと同じ金髪金眼、容姿も非常に似通っているのだが、その中身はまるで違う。
才能溢れる姉と違い、アイネは冒険者としての才能が皆無だった。
いや、そもそも才能云々の話以前の問題かもしれない。
アイネは生まれつき非常に身体が病弱なのである。
食事も中々喉を通らず、体調も崩しがちで直ぐに寝込む。特に酷い日は、ろくに立ち上がることさえできない。
最近になって病状が悪化し吐血までするようになったものだから、他のファミリアのメンバー、特にアイズとリヴェリアから、絶対安静を言い渡され、今は暇を持て余し惰性にボーッとしている。
「やはり、私もファミリアの為に、何か貢献しなくては……暇ですし」
フィン達はダンジョンに出向いており、自分の相手をしてくれる人は、皆最近は忙しそうにしている。
だというのに、自分だけ寝ているというのはどこか居心地が悪かった。
……という理由も勿論あるが、アイネはロキ・ファミリアに来てからの約二年、殆どの時間を寝て過ごしているので、暇で仕方がないのだ。
まだ、病状が悪化する前は外にもたまに出られていたのだが、吐血してからは外に出る機会も極端に喪失している。
アイネとしては、もう少し外に出たく、どうせなら皆とかけっこでもした方が治る気がすると主張し、勝手に外に出てホームの周りを歩き回った挙げ句高熱をだして、治った後にリヴェリアからこっぴどく説教を食らったという過去がある。自業自得とは正にこのことだ。
それでもアイネは、懲りずに外に出ようとしていたが、姉から情緒不安定気味に『独りにしないで』と言われ、諦めざるを得なくなった。
そして、アイネから目を離してはいけないという共通認識だけが心に刻まれ、必ず一人はアイネの近くにいてくれるようになったのであった。……この前までは。
……一体なにがあったのか、ここ数ヶ月は皆忙しそうにしている。常に慌ただしくて、心身ともに疲労しているように思える。危ないことがオラリオで起こっているのではないだろうか。その始末に皆奔走しているのではとアイネは予想した。
なので、流石にその上自分の面倒まで見させるのは良心が痛み、アイネから『一人で大丈夫です』とロキ達に打診した。
向こうも向こうで、アイネのことが心配なのか見張り役を外そうとはしなかったが、アイネの説得による話し合いの結果、数時間おきに様子を見にくるという結論に落ち着いた。
別に、部屋の近くには不測の自体に備え人がいるみたいなので、そんなにも状況が変わったようには思えないが。
けれど、それでも一人は一人。結果的にアイネは退屈になった。
一人の時間は嫌いではないけど、ありすぎると些かばかり暇になる。……と言っても、『一緒に遊んでください』というのは、一生懸命頑張っている人達に対して、無礼かもしれないとアイネは尻込みしていた。
しかし、アイネは知らないが遊ぶと言っても話し相手になってもらう程度のことなので、実は見張っている側は喜んで引き受けてくれたりする。
もしこれが、『外で一緒に鬼ごっこしましょう!』とかなら、全力で止められただろうが、アイネとのお話は寧ろ向こうからお願いしたいほどである。
理由は簡単。アイネが無知で、どんな些細な出来事も本当に楽しそうに聴いてくれるからだ。
アイネは叶うことはほぼないだろうが、冒険者志望。なので冒険者の話が大好きだ。
それは、どれだけ壮大なドラマ性のある話や、本当にどうでもいいようなダンジョンの裏話だとしても、だ。
アイネからすればどちらも立派な冒険譚、憧れの世界の話。瞳を輝かせながら聞かずにはいられない。
内容の優劣はアイネの中には存在しなかった。
余りにも楽しそうに聴くので、話す側も『また違う話をしてあげられるようにダンジョンで頑張ろう』という気分になり、やる気が向上する。アイネもまた新しい話を聴くことができるので、良い関係ではあった。
けれどそんな事とは露知らず、当の本人は今もボケッと暇そうに空を眺めている。
「……今日は体調も悪くないですし、ロキに会いに行きましょうか」
アイネの部屋への訪問率は、ロキが一番高い。他の者達は、ダンジョンに潜ったりその他の用事をしなければならない場合が多く、中々アイネの部屋へと訪問する時間がとれないのである。
そのロキも近頃は、多忙で前よりアイネの部屋へ来る機会が減少している。
はっきりと言うと、アイネは寂しいと思っているのだ。
しょうがないとは頭では分かっているものの、アイネはどこか納得できずにいた。
なので、いつも頑張ってくれている主神に恩返しをするという名目で、アイネはロキの部屋にまで行くことにした。
迷惑だと思われているのなら、即刻戻ってくるつもりではあるので、あしからず。
久しぶりに部屋から出るため、アイネは心がワクワクでいっぱいになる。
「……ふふ、ロキは驚くでしょうか。私が自分から会いに来ることに」
アイネはロキがどんな反応をしてくれるのか、ドキドキしながら自分の部屋の扉を開き、ロキの部屋へと向かおうとする。
しかし、アイネは一つ忘れていた。アイネの部屋の近くには冒険者が控えてくれていることに。
「あっどこにいくつもりっすか? アイネさん」
「あ……ラウルさん」
同じファミリアに所属する冒険者、ラウル・ノールドが部屋から出たアイネに気がつき、直ぐに近づいてきた。
「なにかあったっすか? も、もしかして体調が悪くなったんじゃ……」
「いえ、体調はすこぶる好調です。今ならダンジョンでも戦えそうです」
「そ、そんなこと絶対に止めてくださいよ!」
ラウルは慌てて制止の言葉をアイネに向けて吐き出した。
実際にその場面に出くわしたら、心臓がいくつあっても足りなくなる。
「ふふ、冗談です(半分は)。少しロキに会いたくなりまして。ロキは部屋にいるのでしょうか?」
「ロキっすか? 今は
「ありゃ。それは残念」
アイネの目的は始まる前に破綻した。早速やることがなくなり、アイネは静かに部屋へと戻ろうとする……が。
「……ラウルさんって今お時間ありますか?」
「へ? まぁ明日までは暇ですが……」
「……それなら、少しだけお時間いただけませんか?」
アイネはどうせ部屋の外に出たのなら、少し位遊ばないと勿体ないと考え、ラウルの予定を伺った上で提案を持ちかけた。
「全然問題ないですけど……とりあえず部屋に戻りましょう。身体が冷えるっすよ」
「いえ、その必要はありません」
「………え?」
「今からオラリオを探検しに行きましょう!」
「えぇええええ!?」
満面の笑みで恐ろしいことを宣うアイネに、ラウルは絶叫する。
そんなラウルをニコニコと笑顔で見つめるアイネ。
彼女は体調が良いことを理由に、街に遊びに行く気満々だった。
街に遊びに行くなんて、考えてみれば初めてかもしれず、アイネは頬の弛みが抑えられない。
ラウルはそんな彼女を見て『駄目です!』と言いづらくなった。
けれど、これは自分一人の判断でどうこうできる問題ではなく、ラウルは心を鬼にせざるを得なかった。
「だ……駄目です! 前も屋外に出て体調を崩したじゃないっすか!!」
「ラウルさん……人は成長するものです。そしてそれは、私にも当てはまります。いつまでもあの頃のままの私ではないんです」
アイネはまるで諭すかのごとく、ラウルに言葉を伝える。
「い、いや三日前にも血を吐いてたじゃないですか! あの時の騒ぎようも凄かったから滅茶苦茶覚えてるっすよ!!」
「ラウルさん……『男子、三日会わざれば刮目して見よ』という諺をご存知ですか?」
「い、いや……知らないっすけど……」
「三日も経つと人は成長するものなので、注意してしっかり見なさい……という意味です。……つまりは今の私のことです!」
「どういう意味っすか!? 絶対使い方間違えてますよ!! それに昨日も一昨日もアイネさん見ましたけどベッドの上で寝てましたよね!!??」
すっかりアイネのペースに惑わされているが、ラウルは息絶え絶えになりながらも、アイネの行動を阻止しようと必死だった。
勿論一番の理由はアイネの身体が心配だからだが、ここでアイネを止められなかった場合、自分とアイネ、どちらも五時間以上お説教コースなのは目に見えているからだ。
いや、アイネをちゃんと見れてなかったとして、自分には罰がいくつか追加されてもおかしくない。
そして、万が一にも
どちらにしろ、アイネを外に出すのは得策じゃない。
必死すぎるラウルの形相と態度に、アイネも少し狼狽えた。
普段病弱とはいえ、ここまで全力で行動を抑制されるとは、思っても見なかったからだ。
「むぅ……当の本人が大丈夫だと言っているのに……少しは信用してくれても良いじゃないですか」
「自分もなんとかしてあげたいっすけどっ……こればっかりは団長達に許可を貰ってください」
「…………」
「そ、そんな目で見てきても駄目なものは駄目です!!」
見捨てられた子犬のような目でラウルを見つめるアイネ。
もしこれが、アイズに繰り出されたのだとしたら、一撃で没落させる程の破壊力を秘めていただろう。
「……仕方ありませんね。今夜、リヴェリアに許可を貰います」
「が、頑張ってください……」
◇◇◇
夕刻に差し掛かり、ダンジョンに出ていたロキ・ファミリアの主力陣と、神会に赴いていた主神ロキが帰って来た。
アイネは出迎えをする為、ホームの入り口まで足を運び、笑顔で皆を迎え入れた。
「おかえりなさい。皆さん」
「……! ただいま、アイネ。体調は大丈夫? 無理はしてない?」
アイネがいることにいち早く気が付き、目にも止まらぬ早さでアイネの元までアイズが移動する。そんなアイズに、アイネは思わず苦笑を溢した。
「おかえりなさい、お姉ちゃん。体調は大丈夫だよ。明日も良ければ、私もお姉ちゃんと一緒にダンジョンに行くからね!」
「絶対にダメ!!!!」
「じ、冗談です……」
八割以上は本気だったが、姉の剣幕に気圧され、アイネは直ぐに話題を切り捨てた。
「……アイネ。体調が良いとしても、無理して出迎えをしなくともいいんだぞ?」
「おかえりなさい、リヴェリア。私がやりたくてやっていることですから。家族を出迎える位はさせてください」
体調を気遣うリヴェリアに、姉に抱き締められながらもアイネは笑顔で応えた。
しかし、リヴェリアの内心は穏やかではない。
アイネとアイズ、二人の面倒を見てきたのはリヴェリアだ。
アイネの脆く、吹かれれば消えてしまいそうな独特な雰囲気に、リヴェリアはどこか不安を感じていた。
アイネの今にもいなくなるような儚い気配は、いつか、突拍子もなく実現してしまいそうであり、それを自分は簡単に受け入れるのではいかと、考えれば考えるほど思考が暗い方向へと進んだ。
「リヴェリア、今日の夜少し話がしたいのですが、大丈夫でしょうか?」
「む。此処では……いや、わかった。私は自室にいるから無理をせず、ゆっくり来い」
「ふふ、ありがとうございます、後で伺いますね!」
アイネはリヴェリアの心遣いに感謝しながら、笑みを溢す。──その瞬間、アイネの視界には自分のモノよりも、ずっと澄んでいる美しい金色の瞳が全体に広がった。
「……アイネ、わたしの方もちゃんと見て」
自らの額と額をつき合わせ、互いの吐息がかかるところにまで、アイズが距離を潰していたのだ。
自分が目の前にいるにも関わらず、リヴェリアに笑みを向ける最愛の妹を見て、アイズは嫉妬の感情を沸々と沸き上がらせたのである。けれど、その嫉妬も一時のこと。妹の生の証でもある温かさによって、呆気なくアイズの嫉妬の炎は鎮まっていった。
「あ、あの、お姉ちゃん……近すぎ──」
「近くない……ふふ」
「………」
あまりにも距離の近すぎる姉にそれを伝えようとしたアイネであったが、食い気味に言葉を被せられ押し黙った。……幸福を噛み潰すかのような儚い笑みを零す姉を見て、どうにかしなければいけないという気持ちを内側で募らせながら。
元々姉に弱く、少しでもアイズの笑っている顔を見たいと思っているアイネは、姉のやることなすこと大体を受け入れる。
【ロキ・ファミリア】に来てからエスカレートするスキンシップにも、「お姉ちゃんが笑ってくれるから。安心してくれるから」という理由で、その全てをアイネは余さず抱擁していた。
しかし、波はあれど酷いときは本当に死にそうになるほど体調を崩すアイネは、ふとした瞬間に悟りを拓いたかのように思い至ることになる。
このまま私が死ねば、お姉ちゃんは笑えなくなってしまうのではないか──と。
唯でさえ、アイズが笑みを浮かべる刹那というのは限られている。そして、その殆どはアイネと関わっているときだ。少なくとも、それ以外でアイズが微笑を浮かべている姿をアイネは見たことがなかった。
最初は、それでもお姉ちゃんが笑っていてくれる瞬間があるのなら、その機会を大切にしたいとアイネは考えていた。
私の体調のことで返すことが出来ない負担を背負わせているのだから、その分を僅かだろうと返せるのなら、何を賭けてもいいと思っていたのだ。
けれど、こうして自分の終わりを僅かながらに身体で感じてきてからは、更に未来のことに思いを馳せるようになった。
「私の居ない未来について」──彼女は知恵を絞るようになったのである。
そして、体調を考慮しない刹那主義ともいえるくらい楽観的思考が目立つアイネは、初めて未来の為に行動を移すことにした。
それは、今の姉に私以外の人間と接してもらうこと。違う世界を知ってもらうことである。
ロキ・ファミリアは優しい人達ばかりだ。こんなどうしようもないお荷物の私にも、
実体験から基づく、そんなフンワリとした思考による解決策をアイネは抱いていた。
故に、今の自分に出来ることは姉にさり気なく皆の方面へと目を向けさせるように誘導すること。皆とアイズが接する機会を増やし、彼女達をもっと仲良しにすること。アイネはそれが最善で、自分が居なくなっても姉が笑顔で生活できる、一番の幸福な結末だと信じて疑わなかった。
……そう思うからこそ、今の己にしか目を映そうとしない姉の現状はあまり宜しくない。これではアイズはこれより先の未来において、幸せな結末に至れない。姉が笑えない世界──それだけは決して許容出来るものではなかった。
しかし、だからといって今の笑顔の姉に、「離れてほしい。私のことよりも、もっと皆との生活を大事にして」とはとてもじゃないがアイネは口に出せなかった。
どうにかしたい。けれど、どうやってするかが上手く解らない。そんな、ぐるぐると回る思考にアイネは悶々としていた。
そして、そうやってアイネが困っているときに決まって助け舟を出してくれるのが、リヴェリアという頼りになる人物だった。
「アイズ、アイネが困っているだろう。離してやれ」
「……む」
「リ、リヴェリア!」
目を輝かせながら、アイネはリヴェリアのことを見つめる。
こうした瞬間のリヴェリアの頼もしさは、神よりも神をしている神々しさを纏っているようにアイネには感じられた。
「アイズ、お前も疲れが残っている筈だ。今日のところは身体を労ってやれ。アイネを抱き締めるのは明日でも出来ることだろう」
「疲れてなんかない。労いも、いらない。わたしは……アイネと一緒にいる」
「例えお前が疲れてなくとも、アイネの方がお前に付き合っていては体調を崩すかもしれんだろう。そうなれば、お前は自分を許せるのか?」
「………」
リヴェリアの物言いに思うところがあったのか、アイズは不満気な表情を隠すことなく、渋々といった感じでアイネから身を引いた。
あの状態のお姉ちゃんを納得させるなんて、やはりリヴェリアは凄い。
自分では出来ない高難易度なこともあっさりと熟すその在り方に感謝と敬意の意を込めて、アイネはニッコリと眩しい笑みを見せた。
「ありがとう、リヴェリア」
「──……いや、礼を云われるほどのことではない。……それに私は、お前を──」
「えへへ、私、あなたのことが大好きです!」
「なっ───んん゙。…………。はぁ……では、また後でな」
「はい! また後で!」
純粋な好意をぶつけられ、美しい白い肌を紅く染めて怯むリヴェリア。その明らかに動揺している彼女の様子に気が付くことなく、アイネは疲れも厭わず去っていく背中に向けて、手をブンブンと振った。偉大なその背中が見えなくなるまで、ずっと。
そして、そんな自分といるときよりも嬉しそうな妹を間近で見ていた少女は。
「…………むぅッ」
「ムギュッ!? ……お、お姉ちゃん? なんでほっぺを揉んでくるの?」
「………む〜〜〜!」
「や、やめへおねえひゃん!」
当然、心中が穏やかである筈もなく。
嫉妬が再発し頬を膨らました姉に、アイネは夜まで構われ続けるのだった。