「深夜の騒音」「迷惑駐車」「ゴミのポイ捨て」を注意するとパキスタン人は「俺の土地だ」と威嚇してきた…富山を悩ませてきた24年「対立から共生まで」《ルポ2・イミズスタン》
異国の人々との共存、異文化との共生――。令和の今、こうした言葉は、遠い未来の課題ではなく身近な日常になってきた。外国人との共存・共生の最前線では、どんな異変と摩擦が起きているのか。「イミズスタン」と呼ばれる、在日パキスタン人を中心としたコミュニティが形成されている富山県射水市を訪ね、その実状を探った。
前編記事『「イスラム教徒の抗議の執拗さに驚きました」...かつて富山の田舎町を揺るがした「コーラン破棄事件」と「混乱の始まり」《ルポ・イミズスタン》』から続く。
やりたい放題のパキスタン人業者
2001年5月、パキスタン人が経営する中古車販売店の前にイスラム教の聖典であるコーランが破り捨てられているのが見つかった。パキスタン人をはじめイスラム教徒の怒りはすさまじく、外務省にまで訴える騒動になったが、20代の日本人女性が宗教的な理由ではなく、家族トラブルの末に起こした犯行だったことが判明。静かな田舎町を揺るがした宗教をめぐる大騒動は、一応の収束を迎えた。
一方、地域住民はパキスタン人への不信感や怒りを募らせていた。原因は彼らのやりたい放題だった。のどかな田園地帯の住宅街に突如現れた中古車販売店。フェンスで囲まれた敷地には中古車がぎっしり並び、車を積み下ろしする音が深夜まで続く。中古車を運ぶキャリアカーは狭い農道に違法駐車し、その周囲には空き缶やタバコの吸い殻などゴミが散乱していた。
思い悩んだ住民が注意をすると、パキスタン人の業者が「俺の買った土地だ。文句を言われる筋合いはない」と威嚇してくることもあったという。
こうした事態を受け、地域住民は対策に乗り出した。「射水地区防犯協会セーフティゾーンパトロール隊」の隊長を務める串田伸男さんは、市や警察らと合同で巡回を行うほか、在日パキスタン人との融和に努めてきた。串田さんが振り返る。
「トラブルは数々ありました。やはり生活習慣や文化の違いは大きかった。だが、やがて日本人とパキスタン人の橋渡し役をするリーダーが現れ、交流を重ねることで互いの理解を深めていきました。警察や行政に相談しても解決しない問題もあります。蛇の道は蛇ではないが、彼らをよく知る人間に解決してもらったほうが早いこともありました」
日本語のあいさつからスタートした
1997年に来日し、中古車販売店を営むベーラム・ナワブ・アリさんはパキスタン人コミュニティのリーダーの一人だ。
「パキスタン人はゴミの分別の意識がなく、母国ではあたりかまわずゴミを捨ててしまいました。しかし、私たちが暮らすのは日本です。当然、日本のルールを覚えなければいけないし、守らなければいけません。
そこで、トラブルが起きれば現場に出向き、ゴミの出し方を細かく説明しました。自宅にパキスタン人を集めて説明会もしましたし、ゴミ出しのルールについてウルドゥー語のパンフレットも作成しました。
私自身も日本について学びました。来日してすぐある程度日本語を話せるようになりましたが、それだけでは足りません。コミュニティのみんなに正確に伝えられるように、日本語教室に通い、法律や風習、文化に関する難しい日本語も理解しようとしました。
パキスタン人の男性は長いヒゲを生やしているでしょう。多くの日本人は怖がります。それが現実です。だからこそ、コミュニケーションが大切です。その一歩はあいさつです。『地域の方には日本語であいさつをしましょう』と伝えてきました。また、地域の安心安全を目指し、串田さんのパトロール活動にも参加しました」
長年融和に努めてきた串田さんはナワブさんの話に頷きながらこう話した。
「彼とは15年くらいの付き合いになります。じつは、これから一緒にカラオケに行く。彼が言うように、共生するうえで何より大事なことはコミュニケーションです」
友好の懸け橋になりたい
2024年1月、能登半島地震の被災地では災害ボランティアに従事するパキスタン人の姿があった。射水市内のパキスタン料理店「アルバラカ」のオーナーであるミスバ・ウル・イスラムさんはその一人だ。
「私は2010年に群馬から富山に移って来ました。中古車ビジネスを手掛けながらレストランを始めたのは2019年のこと。友人から『料理が上手だ』と褒められ、その気になってしまいました(笑)。
うちの料理はおいしいでしょう。これがパキスタンの本物の味です。ありがたいことに、日本のお客さんもたくさん来てくれるようになりました。射水といえば『中古車のまち』といわれましたが、今では『カレーの街』として有名になっています」
当初、パキスタン人が経営するレストランは市内に2軒だけだったが、いまでは14軒もの店舗があるという。
「困った人がいたら助ける。これがイスラムの教えです。2011年の東日本大震災のときも被災地に駆けつけました。避難所の皆さんが炊き出しのカレーを食べて喜んでくれた。『また来てほしい』と言ってくれたことが本当にうれしかった。
レストランは地元の住民との交流の場でもあります。日本とパキスタンでは宗教はもちろん、文化や生活スタイルも違います。でも、この土地に長く住み、いまでは考え方などが日本人っぽくなってきたと感じます。日本とパキスタンの友好の懸け橋になりたいと思っています」
パキスタン人である前にイスラム教徒
地域に根付いたパキスタン人たちは「見た目は外国人だが、心は日本人です」と口を揃える。その一方で、「パキスタン人である前にイスラムの人間です」とも話していたことも印象的であった。
「じつは、イスラム教徒も宗教を忘れています。お祈りをするだけであり、周囲の人を助ける、困っている人がいれば助けるというイスラムの教えを忘れてしまっています。日本にいるイスラム教徒の70%が忘れているのが現実です。
今は親が家でイスラムの話をしないので、とりわけ若い世代は深刻です。日本に長く暮らすパキスタン人の子供は日本のルールや法律の中で育ち、外見はパキスタン人ですが、中身は日本人です。親の話は15、6歳から聞かない。親の面倒も見ない。18歳になったら家から出てしまう。これは本来のイスラム教徒ではありません。
そこで、礼拝以外にも夕方6時から8時までモスクを開放し、お祈りに欠かせないアラビア語やイスラムの教えに関する授業を開催しています。私たちにとってイスラムの教えは何よりも大切なことです」(モスクの代表を務めるカーン・ナディームさん)
根っこでは日本人を信用していない
彼らの話を聞く限り、共生への道を歩んでいるようにみえるが、パキスタン人と日本人、双方は真に理解し合えているのか。パキスタン人と公私で付き合いがあるという男性は言う。
「パキスタン人は言語能力が高く、それこそ数ヵ月でカタコトの日本語を覚えてしまう。なぜこんなに早く覚えられるのか。彼らは日本のエロ動画が大好きなんです。彼らのケータイを見ると、エロ動画のアプリばかりです(笑)。イスラム教徒と聞くと、とっつきにくい気がするかもしれませんが、付き合ってみると、人間味があり、面白いところもあります。
ただし、心から打ち解けているかというと、そうとは言えません。富山の県民性の特徴として、よそから来た人を受け入れないことが挙げられます。ある程度仲良くなっても、一線を引いてしまうのです。これはパキスタン人も同じ。表面的には仲良くしていますが、根っこでは日本人を信用していないのではないか。コーランが破り捨てられた事件は尾を引いていると思います。
宗教の問題は難しい。たとえばパキスタン人は時間にルーズですが、約束に遅れたとしても、絶対に謝りません。彼らの言い分は『すべては神様のなさること。私が約束を忘れたのも神がなさったこと。時間に遅れたのも神様がなさったこと。約束通り、私に会えてよかったですね』となります。文化や風習の違いは歩み寄れる部分もありますが、宗教的なことが前面に出てくると、こちらも受け入れられなくなってしまいます」
後編記事『「国土が侵略される」と危機感を募らせる日本人と「土葬のために山を購入」するパキスタン人《在日イスラム教徒の墓地問題 ルポ3・イミズスタン》』では、在日イスラム教徒が切望する「土葬墓地問題」について紹介する。