『転生したらフルフルベビーでした』in ダンジョン


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第10話 : 騒乱の余波


 

 やっぱ『師匠(マスター)』はかっこいいなぁ。

 

 

 


 

 

 

 迷宮都市を統括するギルド。

 その一角にある個室は、静寂に包まれていた。

 

 机の上には、一つの紫紺色の魔石。

 揺らめく燭台の明かりが、その艶やかな表面を鈍く照らしている。

 それを無言で見下ろすのは、ギルド職員のレーメル。

 

(……まったく、あの駆け出しが持ち込んだ情報が、ここまで厄介なものだったとはな)

 

 重いため息とともに、背もたれに寄りかかる。

 扉が静かに閉まり、木と木がぶつかる鈍い音が、微かに室内に響いた。

 先ほどまでこの部屋にいた冒険者が退出していった音だ。

 

(………………)

 

 彼の視線が、机上のそれ(・・)へと戻る。

 

 ──それは、ただの魔石ではなかった。

 

『強化種』の結晶。

 怪物達の逸脱者。

 理の外に存在する異形の証。

 

 紫紺の輝きが、微かに脈動しているように見えた。

 まるで、今もなお、生者の意思を宿しているかのように。

 

 冷たく、無機質なはずの結晶が、『怒り』や『執念』、あるいは『無念』を湛えているように思える。

 

 その瞬間、背筋を走る戦慄。

 まるで、魔石自体が彼を見返しているような錯覚。

 

 だが、次の瞬間、

 

 ──すべてが霧散する。

 

 そこにあるのは、ただの石。

 脈動も、感情も、すべて錯覚だったかのように消えてなくなった。

 

(……気のせいか)

 

 彼は、そう自らに言い聞かせる。

 しかし、どこか拭えない違和感だけが、静かに胸に残った。

 

 レーメルは、わずかに頭を振り、思考を切り替えようとする。

 しかし、精神を苛む問題は、そう簡単には消えてくれない。

 

 先ほど聞き取った話──それは、冗談にしては出来が悪すぎる内容だった。

 

 駆け出しの冒険者は、ダンジョン『上層』で迷っていた最中に、突如として響き渡った轟音を耳にしたという。

 それも、とてつもなく大きな、まるで空間そのものを揺るがすような異質な音。

 

 その正体を確かめようと、音のした方向へ向かうと──

 

 そこには、異様な光景(・・・・・)が広がっていた。

 

 迷いながらたどり着いたのは、広く開けた空間。

 水があり、緑があり、それはまるで『食糧庫(パントリー)』のような場所だったという。

 

 ──だが、異変は明らかだった。

 

 まず、あたりに漂う異臭。

 焦げたような、鉄のような、鼻を刺す嫌な匂い。

 そして、通常ならば青々としているはずの空間が、黒く焼け焦げていた。

 

『上層』に炎を操るモンスターなど、いない。

 だというのに、この場には確かに、何かが焼き尽くされた痕跡(・・・・・・・・・・・・)があった。

 

 さらに、中央にある湧水の池。

 その水底に沈んでいたのは──

 

 通常のゴブリンよりも、一回り大きな異形の影。

 

 死骸だった。それも『強化種』の。

 しかも、その全身が炭のように黒く焦げ、完全に焼き尽くされているというのに、魔石だけは無傷で残っていた(・・・・・・・・・・・・・)という。

 

 異常だ。

 

 討伐されたのなら、冒険者が魔石を回収しないはずがない。

 もしくは、新たな強化種が生まれるのを防ぐべく、砕き、破壊するはずだ。

 いや、それ以前に、このような戦闘跡があったのなら、それを目撃した冒険者の報告があって然るべき。

 

 なのに、そんな話は届いていない。

 この駆け出しの冒険者以外、一切。

 

 討伐者がいないのなら、一体、何がこの存在を殺した? 

 

 疑問が疑問を呼ぶ。

 背筋をじわりと這い上がる冷たい感覚を振り払うように、レーメルは魔石を睨みつけた。

 

「……迷子の駆け出しが偶然拾ったもの。それが、まさか『中層級の強化種』とはな……」

 

 腕を組みながら、眉を寄せる。

 言葉にしても、現実味がない。

 

 本来なら、この階層でそんな存在が確認されれば、冒険者たちの間で瞬く間に噂が広がる。

 実際、同一存在と思しきゴブリンはそうなった。

 そして、それが討伐されていたとなれば、誰もがその討伐者を探し回るはずだ。

 ──なのに、何もない。

 

「その冒険者の話が真実ならば、問題は二つだな」

 

 突如、低くも澄んだ声が響いた。

 

 静寂を切り裂くその声音は、落ち着きと威厳を兼ね備え、空間を支配する。

 その主は、首元まで流れる青の美しい髪を持つ、凛とした麗人。

 

【ガネーシャ・ファミリア】団長、シャクティ・ヴァルマ。

 迷宮都市オラリオの守護者たる存在──その力強い眼差しが、一人の男へと向けられていた。

 

 レーメルは、魔石から視線を外し、静かに立ち上がる。

 そして姿勢を正し、彼女の前に向き直ると、深く腰を折った。

 

「改めて、お忙しい中、同席までしていただき、感謝します。【象神の杖(アンクーシャ)】……いえ、ヴァルマ氏」

「その名で呼ばれると、妹と区別がつかないんだが……まぁ、いい。話を戻そう」

 

 シャクティはわずかに苦笑しつつも、すぐさま表情を引き締める。

 冗談はここまで。今は、そういう場ではない。

 

 彼女がこの場にいるのは、偶然とはいえ、決して無関係ではなかった。

 迷宮の問題は、やがて都市の問題へと直結する。

 何が、どこで、どのように発展するのか──今のオラリオでは、誰にも予測がつかない。

 

 何より、最強の派閥が消え去った今、この都市は確実に変化の渦の中にある。

 不穏な影は、確実に広がっているのだ。

 

「問題は二つ。一つは、中層級の強化種が『上層』で発生していたこと」

 

 シャクティはレーメルと魔石を交互に見据えながら、静かに言葉を紡ぐ。

 

「そして、もう一つ──その強化種が、すでに討伐されていること……だな?」

 

 確認するような彼女の言葉に、レーメルは小さく頷く。

 

「ええ。通常のゴブリンならともかく、強化種ともなれば、自然死などありえません。話の状況から判断するに、何者かの手によって討伐されたのでしょう」

 

 レーメルは腕を組み、思案するように視線を落とす。

 

「そして問題は、その『何者か』が冒険者なのか、あるいは……」

怪物(モンスター)同士の争いだった場合、一大事ですね」

 

 シャクティが重く言葉を継ぐ。

 

「上層で、中層級の個体が、『何か』によって仕留められた……それ自体が異常です」

 

 レーメルの口調が、自然と険しくなる。

 

「もしこれが冒険者の手によるものであれば、まだ納得できます。だが、迷宮の『何か』によって討伐されたのなら話は別だ」

 

 彼は小さく息を吐き、机上の魔石を拾い上げた。

 

「しかも、討伐を目撃した者は誰もいない、か。ファミリアを統べる者として日々、多くの情報を耳にしているが……すまない。同じく私も報告どころか、噂すらない」

 

 シャクティの言葉が、室内の静寂に重く沈む。

 

 レーメルは指先で魔石の表面をなぞる。

 紫紺色の輝きは、どこまでも深く、どこまでも静かだった。

 眉間の皺が、さらに深く刻まれる。

 

 一体、誰がこの強化種を討伐したのか? 

 

 冒険者であれば、まだいい。

 未報告のまま、事が過ぎることなど、迷宮都市では珍しくもない。

 

 問題は、その『何者か』の正体だった。

 

 単独で中層級を屠るだけの力を持ち、尚且つ、他の冒険者たちの知覚の外にいる存在。

 それが第二級冒険者、あるいはそれ以上の実力者ならば──上層強化種程度、赤子の手をひねるように仕留めることも可能だろう。

 

 気まぐれにそれを討伐し、その死骸をそのまま放置して去った。

 そう言われれば、それまでの話だ。

 

 だが──

 

「もし、それが新たな怪物(モンスター)だった場合……ギルドとしては無視はできない」

 

 レーメルの言葉が、じわりと重みを増す。

 

 上層に『何か』いる。

 

 それも、姿形すら分からない存在が──

 

 強化種すら殺す未知の力を持ち、僅かな痕跡だけを残し、闇に溶けるように姿を消した。

 想像するだけで、背筋に冷たいものが這い上がる。

 

「…………」

 

 今のオラリオは不安定だ。

闇派閥(イヴィルス)】が暗躍し、ダンジョン内でも血の気の多い連中が争いを繰り返している。

 敵は、怪物(モンスター)だけではない。

 人と人が争い合い、殺し合っている。

 なんと、意味のないことを。

 

 レーメルは静かに息を吐き、沈黙を守っていたもう一人の人物……否、『神物(じんぶつ)』に視線を向けた。

 

 シャクティのすぐそば、腕を組み、黙然と佇む存在──

 

「神ガネーシャ。先ほどの駆け出し冒険者の供述、間違いなく『真実』でしたか?」

 

 視線と声が向けられたその人物は、常に顔の上半分を覆う象の仮面をつけ、鍛え抜かれた上半身を惜しげもなく晒す黒髪の男。

 

 その男は、唐突に立ち上がり──叫んだ。

 

「──俺がっっっ、ガネーシャだぁぁぁぁっっ!!!!」

 

 轟音。

 

 いや、もはや衝撃波。

 

 部屋全体が震え、空気すら揺らいだ錯覚を覚える。

 耳をつんざく大音声。

 そして、目の前で繰り広げられるマッスルポーズ。

 

 その威力たるや、至近距離で食らったレーメルは眼鏡がずり落ち、思わずのけぞりかけた。

 

「……静かにしろ、ガネーシャ。ここはギルド本部だ」

 

 対して、隣で聞いていたシャクティは、額に手を当てながらも、冷静にそれを嗜める。

 

「はい、ごめんなさい」

 

 即、謝罪。

 しかも、しょんぼりしている。

 

 思わず、レーメルの口元がわずかに緩んだ。

 

 これが、【ガネーシャ・ファミリア】だ。

 その暑苦しさ、空気の読めなさ、そして、眷族のみならず他の神々にすら雑に扱われるこの奔放さ。

 

 これこそが、ガネーシャ。

 これこそが、『超越存在(デウスデア)』。

 

 人の真偽を見抜き、そして──迷宮都市オラリオの秩序を守る『群衆の主』。

 だからこそ、その口から発せられる言葉に、嘘偽りはない。

 

 ガネーシャは、静かに仮面の下からレーメルを見つめた。

 彼がこの場にシャクティと共に居合わせたのは、果たして神の気まぐれか、それとも運命か。

 

 そして、次に発せられた声は、先ほどまでの豪快なものとは一変していた。

 

 低く、静かで、神秘的な響きを持つ声。

 

「嘘は、なかった」

 

 その一言が、空気を張り詰めさせる。

 

「あの子供は本当に偶然それを拾ったのだ。そして、自らの手で討伐したわけではない……それだけは確かだ」

 

 神の言葉は、絶対である。

 都市を守護する憲兵の主であるなら、猶更。

 そこに、誤魔化しは存在しない。

 

 ──だからこそ。

 

 沈黙が落ちた。

 冷たく、重苦しい沈黙が。

 

「……ということは、やはり……」

 

 レーメルの胸中で、確信と共に新たな疑念が膨らんでいく。

 未知の脅威。

 ダンジョンに潜む、正体不明の存在。

 

 それは、強化種を葬った『何か』。

 

 通常、上層に現れる個体ではない。

 そして、ギルドとしては、その正体を突き止めなければならない。

 

 ── 一体、どうすれば……

 

 レーメルが思考を巡らせる中、シャクティが静かに口を開いた。

 

「ありがとう、興味深い話を聞かせてもらった……して、ギルドは、この件をどう扱う?」

「……ギルド単独での調査は難しい。できれば、『都市の憲兵』たる貴方がたとも連携したい……そう、考えています」

 

 レーメルの言葉に、シャクティは考え込むように軽く目を伏せ、やがて静かに頷いた。

 

「承知した。私からも団員たちへ話を通そう。ガネーシャの前で交わされた証言が嘘でないのなら、それは都市の安全にも関わる問題だ」

「……助かります」

 

 レーメルは、深く息を吐き出す。

 それから、彼は静かにガネーシャへと向き直り、深く頭を下げた。

 

「神ガネーシャ。貴方の協力に、深く感謝します」

 

 レーメルが改めて礼を述べると、ガネーシャは自信満々に胸を張り、朗々と笑い声を響かせた。

 

「フハハハハ!! 俺はガネーシャ!! 子供たちの未来を守るのも、俺の務めだゾウ!!!」

 

 その声は、まるで都市の端から端まで轟きそうな勢いだった。

 本来ならば、ただの騒々しい神の一言で片付くところだが──今は、違う。

 

 レーメルは目を伏せ、静かに机上の魔石へと視線を戻した。

 紫紺色の結晶。

 その表面に映る自らの顔が、どこか歪んで見えた。

 

(……この魔石の主が、何に殺されたのか。それを突き止めなければ、都市の……ひいては、迷宮の安全は保証できない)

 

 ただの事故ではない。

 ただの偶然でもない。

 

 これは『未知』だ。

 ダンジョンの法則すら捻じ曲げる『何か』が、確かに動いている。

 

 そして、それを成した者の目的が分からない以上、これは単なる事件ではなく──新たな脅威の幕開けかもしれない。

 

 彼は、静かに確信した。

 

 ダンジョンの奥底で、

 まだ誰も知らぬ『何か』が目覚めようとしているのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 =====

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──どう思う? ガネーシャ」

 

 ギルド職員の男が去った後の個室に、静寂が満ちる。

 残されたのは二人。

 

 女が、対面する神に向けて静かに問いを投げた。

 

 対して、男神は腕を組んだまま、しばし沈黙する。

 迷い──いや、考えを巡らせているのだろうか。

 

「……まだ、俺には分からない、が」

「──やはり、『異端児(かれら)』か?」

 

 その言葉が、場の空気をさらに重くする。

 沈黙が落ちる。

 

 都市の憲兵(ガネーシャ・ファミリア)の中でも、ごく限られた者しか知らぬ情報。

 それは、ギルドの頂点に立つとある神から直接もたらされる極秘事項だ。

 オラリオの誰もが知ることのない、迷宮の『異常事態』。

 そして、それを知るが故に、彼らはその存在に縛られている。

 

「新たに『上層』で産まれたのならば、保護するべきか……?」

 

 シャクティの言葉に、ガネーシャはきっぱりと答えた。

 

「それはウラノスの『私兵』の仕事だ。俺は、お前たちを危険な目に遭わせたくない」

「……ガネーシャ」

 

 その答えに、彼女は眉を寄せる。

 

「だが──」

 

 男神の声色が少し低くなる。

 

「やはり、調査はするべきだろう。新たに産まれた存在が、私たち人間にどのような感情を抱いているのかを」

「…………」

 

 シャクティは沈黙する。

 彼女自身、それが必要だと分かっていた。

 

「……カイン達に頼み、原因を追究する」

 

 それを聞いて、ガネーシャはゆっくりと頷いた。

 

「……シャクティ。深追いはするな」

 

 一瞬、彼の言葉に躊躇いが滲んだように思えた。

 だが、それは錯覚だったのかもしれない。

 すぐに、いつものように堂々とした声音に戻る。

 

「俺も、ウラノスに話を通しておこう」

「……分かった」

 

 それだけを言い残し、二人は個室を後にする。

 

 静かになった部屋には、

 

 紫紺色の魔石だけが、不気味な沈黙を湛えていた。

 

 

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