ダンまち豊穣の女神篇も明日で終わりか……
洞窟の奥へと、『下』へと進む。
濃密な闇が広がる通路。
剥き出しの岩壁には、しっとりとした苔が張り付き、淡く青白い光を放っている。
その光は頼りなく、遠くへ進むにつれ、ぼやけ、霞み、やがて闇に呑まれていく。
いつもの光景。
けれど、この先は俺の知らない空間。
この足で踏みしめたことのない、未知の領域だ。
湿った地面を這うたび、鼻腔を満たすのは新たな気配。
これまで嗅ぎ慣れたゴブリンやコボルトの匂いとは異なる、異質な臭い。
生ぬるく、鉄臭さを帯び、わずかに泥と苔の香りが混じる。
(……ここから先は、今まで以上に慎重にならないとな)
慎重に。
けれど、怯えはない。
俺は這う速度を落とし、嗅覚を研ぎ澄ませる。
周囲の気配を探りながら、一歩、また一歩と確実に前へと進む。
そして、空気が変わる。
湿度がさらに増し、肌にまとわりつくような粘り気を感じる。
嗅覚は薄靄がかかったようにぼやけ、岩壁の輪郭すら曖昧になるほどだ。
その時、ふと気づいた。
音がしない。
水滴が落ちる音、微かな風の流れ、岩が崩れる小さな音──
それらが、まるで掻き消えたかのように消失していた。
(……何かいる)
経験則が警鐘を鳴らす。
いや、本能が悲鳴を上げている。
ピクリと、天井の気配が揺れた。
そして──
『それ』は、俺の上から降ってきた。
(────ッ!?)
反射的に身を捻る。
瞬間、俺がいた場所に『何か』が勢いよく叩きつけられた。
「──シュアアアアァアッッッ!!!」
鋭い威嚇音と共に、岩肌をえぐるような鈍い着地音が響く。
そこに現れたのは──ざらついた茶色の皮膚を持つ、ヤモリのような
だが、ただのヤモリではない。
そのサイズはトカゲのような形状でありながら、大型犬よりも一回り大きい。
更に四肢の先には吸盤状の器官が備わり、それを器用に使いながら壁や天井を這いずり回っているのだ。
(──なるほど、そういうことか)
普通の敵なら、俺の嗅覚や振動探知で気配を捉えられる。
だが、こいつは音をほぼ立てず、天井や壁を自在に這い回ることができるのだろう。
つまり、俺が気配を察知するよりも前に、奇襲を仕掛けることが可能な存在、というわけだ。
予想外の方向からの攻撃。
そして、無音の狩人──。
(……厄介だな……!)
「──シェアアアァァッッ!!」
ヤモリ型の生物は、鋭く『何か』を突き出す。
それは──裂けた『舌』。
二股に分かれたそれは、まるでしなる鞭のように空間を薙ぎ、獲物を絡め取るかのように素早くうねる。
(クソッ、避けるしか──!)
俺は瞬時に跳ねる。
直後、舌が地面を打ち、岩肌が抉れた。
(────こわっ!?)
今の攻撃を喰らっていれば即死とまではいかなくとも、深手は避けられなかっただろう。
ならば、先手を打つしかない。
俺は一瞬の間に思考を巡らせ、決断する。
こいつが天井や壁を自在に這い回るのなら、こっちの攻撃範囲に収めるのは難しい。
ならば──
(……まずは、試す!)
瞬時に帯電し、全身に電流を巡らせる。
青白い光が弾け、細かい火花が皮膚を走る。
次の瞬間、長く鋭く伸びた尾を地面へと突き立てた。
尾の先にある吸盤状の器官が、湿った岩肌にしっかりと張り付く。
それと同時に、俺の中で荒れ狂っていた電流が大地へと流れ込んでいく──。
これは言わば、『アース』だ。
『器官』から発生する電気を、大地に逃す為の安全装置。
だが勿論、ただ流すだけでは意味がない。
俺は喉の奥からせり上がる雷の奔流を感じながら、全身の力を込める。
そして体内に溜まった圧縮電流を制御し、口から一気に解き放った。
──閃光。
電流は地面を伝い、一直線に這い進む。
いや、正確には『這わせるように放った』のだ。
(雷撃を地を伝わせれば……!)
狙いは、地面と壁を這い回る、あのヤモリ型生物。
相手がどれだけ音もなく移動しようとも、地面に触れている限り、逃げ場はない──!
これは、隻眼ゴブリン戦以前から考えていたことだ。
どうすれば、俺も遠距離攻撃を手に入れられるか。
どうすれば、直接相手に触れずに安全圏から攻撃できるか。
その答えが、これだ。
地を走る電流──雷の力を帯びた
俺には、電撃を空間に直接放つ能力はない。
だが、相手が触れている地面がある限り、それを媒介にして雷を走らせることは可能だ。
いや、可能にさせた。
だが、当然リスクもある。
地面を伝わせる以上、放った瞬間に電撃の力は弱まる。
帯電したまま体当たりするよりも威力が落ちるのは必然。
さらに、電流は地面に吸われていくため、射程は限られる。
せいぜい、俺の嗅覚が届く範囲──約6~7メートルが限界だ。
しかし、それで十分。
痺れさせ、相手の動きを止めれば──いくらでもやりようがある。
(届け……!!)
電撃が地を這い、一直線に走る。
だが、ヤモリ型の生物は驚愕に身を震わせつつも、壁を蹴るようにして素早く回避した。
(……速い!)
四肢の吸盤を駆使し、天井や壁を縦横無尽に駆け回る。
その動きはまるで、獲物を弄ぶ狩人。
雷撃を回避したことで、さらにその自信を深めたのか、蛇のように舌をチロチロと動かし、俺を見据えていた。
だが──
(なら、逃げ道を……潰す!)
俺も素早く、洞窟の地形を利用する。
ただ闇雲に放電するのではなく、ヤモリ型生物の動きを先読みし、行き先に電撃を這わせる。
俺自身も移動しながら、尾を地や壁に貼り付け、機敏に放電。
相手が逃げる方向を読み、そこへ先回りするように雷撃を走らせるのだ。
ただの力押しでは通用しない相手なら、こちらも知恵を絞るまで──!
天井に向けて、放電。
壁面に向けて、放電。
蒼白い稲妻が通路全体を駆け巡り、洞窟の暗がりを瞬間的に切り裂いていく。
だが、ヤモリ型の生物はまるで嘲笑うかのように、吸盤のついた四肢を活かし、壁や天井を縦横無尽に駆けまわる。
俺の電撃がどれほど閃こうとも、その機敏な動きに追いすがることは叶わない。
それどころか──
ヤモリ型生物の口元が、不敵に歪む。
自らの敏捷性に、確信を持ったかのような表情。
まるで「貴様の攻撃など、決して届かない」とでも言わんばかりに。
だが──
(油断したな、お前)
ほんの一瞬でも、俺から目を逸らしたのが、お前の致命的なミスだ。
「────シェッッッ!!?」
ヤモリ型の生物が俺のいた場所を捉えた、その瞬間──。
そこに、俺の姿はなかった。
代わりに俺は、天井に
四方に伸びた棘──それは、俺にとっての四肢。
意のままに操ることができる、まるで獣の爪のような器官。
天井の岩壁に生えた僅かな突起へと、棘を絡めるように固定することで、俺はまるで獲物を待ち構える『天井の狩人』へと化していた。
もちろん、これは偶然でも奇策でもない。
俺が先ほどまで、 無駄に電撃を放ちまくっていたのは、俺の動きを悟らせないためだ。
獲物の目を電光の乱舞で攪乱し、俺の動きを見失わせる──
それが、ここまでの布石。
そして、今。
俺の位置は、ヤモリ型の生物の真上。
俺が『上』に、獲物は『下』に。
(──今度は逆になったな、おい!)
俺は、一気に天井を蹴る。
否──天井から落下する。
全身に帯電。
電流が肌を這い、肉体の奥底で雷の力が蠢く。
この状態で落下し、ぶつかるということは、つまり──
(──名付けて、『帯電タックル』だ、おらぁ!!)
直撃。
「────ジェアアアアアアァァッッッッ!!!??」
洞窟内に、絶叫が木霊する。
俺の全身に纏わりつく雷撃が、獲物の体表を貫き、皮膚を焼き焦がし、肉を炭化させる。
四肢の吸盤が引き剥がされ、その場から逃走しようとしていたヤモリ型生物は、その手段を失った。
そして、全身から黒煙が噴き上がる。
──だが、それだけでは終わらせない。
痙攣しながらも蠢く相手の首筋に、俺は喰らいついた。
電流の余波で動きを奪われたヤモリ型生物の首筋を穿ち、牙を突き立てる。
粘性のある液体が喉を伝い、体内へと流れ込んでくる。
それは、血。
力を、活力を、そして急速な回復を、俺に与えるもの。
「──ジュァ……ジュ……ァ………………」
やがて、獲物の断末魔は掠れた息へと変わり、完全に沈黙した。
その瞬間、俺の体は戦いの興奮に震えた。
新たな敵を屠った。
この洞窟の、未知なる領域へと踏み込み、俺はまた一歩強くなったのだと。
だが──安堵は、刹那。
ズダンッ!!
(────ッ!?)
突如、別方向から衝撃が走る。
振動が遅れて伝わる。
『何か』が凄まじい勢いで迫ってくるのを、俺の触覚が捉えた。
咄嗟に身を捩る。
刹那、ヤモリ型生物の喉元が、勢いよく抉られた。
(なんつー貫通力だよ!?)
驚愕が脳を駆け巡る。
俺は反射的にそちらへ口を向けた。
果たして、そこにいたのは、一本の巨大な角を持つ獣。
(……兎?)
否、違う。
シルエットこそ兎のようだが、異質すぎる。
額には鋭利な一本角がそびえ立ち、血の滴る先端が、たった今、獲物を貫いた証拠を示していた。
それは、俺の疑問など意に介さず──跳んだ。
否、弾け飛んだ。
閃光のような跳躍。
その動きは、もはや跳躍の域を超えている。
天井にぶつかりそうなほどの高さまで跳ね上がり、そのまま重力を味方につけ、角を前に突き出しながら急降下──!
(こいつも奇襲タイプか!!)
即座に判断を下す。
そして、周囲の振動の数から察するに──
この兎型生物、恐らく『一匹じゃない』。
(つまり……こいつの他に!)
その確信と同時に、周囲にさらに影が躍る。
跳躍の気配。
それは一つではない。
既に、俺は複数の気配に囲まれていた。
(……なるほど、群れで行動するヤツらか)
思わず、背筋に緊張が走る。
今までの敵とは違う。
ゴブリンやコボルトのような個々の力に依存した存在ではない。
こいつらは……群れの力で獲物を狩る生物だ。
個体の戦闘能力こそ、そこまで高くはないのだろう。
だが、その素早さと数の暴力が何よりの脅威。
囲まれた状態で戦うのは──最悪の展開だ。
跳躍音が絶え間なく響く。
どこから飛びかかってくるかわからない。
それに対して、俺も這い、跳ね、壁に張り付くことで、迫り来る死の突進をギリギリで回避する。
雷の息吹。
地を這う電流の弾を放つ。
だが──
速すぎる。
ヤモリ型生物の比ではない。
嗅覚で追う間もなく、影が跳ね、狙いを定める隙すら与えない。
(……ちょこまかと……!)
これでは、新たに得た遠距離攻撃が意味を成さない。
いや、それだけではない。
こちらの攻撃範囲の外にいる。
これが、集団戦の強みか──
だが、俺も以前の俺とは違う。
俺は、ピタリと壁から降り、地に伏す。
完全な静止。
その瞬間、周囲の獣共が、一瞬だけ動きを止めた。
困惑の気配。
なぜ逃げない?
なぜ動かない?
だが、それすら一瞬で飲み込まれ、殺意によって上書きされる。
──獣が、一斉に飛びかかってくる。
狙い通りだ。
(──かかったなぁ!!)
瞬間、尾を地面に突き刺し、帯電する。
体内の雷が、爆ぜる。
そして、俺の体を囲むように覆う円形──
全方位に電撃を解き放つ。
「────ッッ!!?」
息を飲む音が聞こえたが、もう遅い。
既に跳躍している兎型生物たちの軌道は、俺へと一直線に固定されている。
つまり──
空中にいる限り、避ける術はない。
「「「────キュイイィアァァッッ!!!?」」」
青白い閃光が炸裂する。
洞窟内が一瞬、再び蒼く染まった。
空中にいた獣たちは、電流に捕らわれ、痙攣しながら地面へと叩きつけられる。
それはまるで、降りしきる雷雨のように。
そして──
獣たちは、二度と跳ねることはなかった。
戦いは、終わった。
(……ふぅ)
俺は、ゆっくりと息を吐く。
焦げた獣の匂いが、鼻腔を満たした。
ヤモリ型の
強敵だった。
だが、勝った。
安堵というよりも、ほっとする感覚。
俺はまだ、生きている。
(……やっぱり『アイツ』だけ、異常すぎたよな)
そんな独り言が、胸の奥に染みる。
隻眼のゴブリン。
ヤツとの戦いは、俺の中で一つの基準になりつつある。
今回の戦いも厄介ではあったが、比べればまだ『手が届く強さ』だった。
焦げた兎型生物の亡骸を見下ろしながら、俺は口を開く。
そして──喰らう。
生存のために。
さらなる力を求めて。
肉を喰らいながら、俺は次に進むべき道を静かに眺めていた。
フルフルの1番強いモーションってなんだと思う?
私は『その場で二度刺す放電』。
それで何度も死にました。