護竜、ガーディアン、造竜種。
イコールドラゴンウェポン……お前、存在したのか!?
……静寂。無音。そして、清閑。音なんてまるで聞こえない。
まぁ、俺に耳なんてものはないのだが。
目もなく、耳もなく、あるのは小さな体に不釣り合いな大きな口だけ。
不気味で、弱く、ちっぽけな存在。
今さらそんなことを思い出して、何になるというのか。
なんて、思わず自嘲する。
まるで世界が消えたかのような暗闇の中、俺は沈んでいた。
血と泥に汚れた湧水の底。
感覚は薄れ、意識は途切れがちで、まるで、自分の体が自分のものではないような感覚。
(……これが、死ぬってことか……?)
考えることすら、億劫だ。
息苦しさも感じない。
むしろ、心地良さすらある。
このまま、消えてしまうのも悪くない──
──いや、違う。
何を馬鹿な事を……!
俺は、生きたい……!!
絶対に、死ねない……!!
死んでも、生き延びる……!!
生存本能が、朧げな意識の奥底から叫ぶ。
しかし、俺の体はもう動かない。
肉体は自らの雷撃によって焦げ付き、血も流し過ぎた。
隻眼のゴブリンによって開かれた傷が、焼け焦げた際に皮膚と皮膚が溶けるように塞がったのが、不幸中の幸いか……?
そんなことを考えた刹那──
それを思い出したかのように、身体は痺れ、内臓は焼けるような痛みを発し──
それでも──。
それでもなお、『俺』は──『まだ生きたい』と願っていた。
だからだろうか。
──ズズッ……。
何かが、口の奥に流れ込んでくる。
──ズズズッッ……。
鉄の味だ、なんて。
それが何かを理解するより先に、俺の『体』は、勝手に吸い始めていた。
(……ッ!?)
意識とは関係なく、喉が勝手に脈動し、『何か』を啜る。
口の中に広がる濃厚な鉄臭い味。
──濃い。
血だ。
それも、今までの吸血とは違う。
ドロリとした、粘性のある、濃密な血。
俺の唇が押し当てられているのは、水底に沈んだゴブリンの死骸。
意識はある。
しかし、動かせないはずの俺の体が、無意識に牙を突き立てている。
(何をしてる……!? いや、違う……これは……!!)
──止められない。
俺の体は、『俺』の意思とは関係なく、本能のままに、血を貪っている。
吸うたびに、ビリビリとした感覚が体を駆け巡り。
あまりの痛みに再び意識が明滅し、消えてしまいそうになる。
だが、吸血。
その行為が行われるたびに、傷ついた肉体が内側から熱を持ち、血液が脈動し、崩壊しかけた細胞が蘇っていくのを感じ取る。
(……ああ、そうか)
そして、理解する。
『俺』は、こうやって生き延びる生物なんだ。
こうやって、命を紡ぐ生き物なんだ。
瀕死の体でなお、肉体が悲鳴を上げていようと、限界を超え、血を啜る。
吸血生物。
これが、俺の本能。
本来の、本当の姿。
それを『体』が教えてくれている。
──グジュ……ジュルル……ッ!
『体』は貪る。
貪り尽くす。
ただひたすらに、この肉体を動かすための血を吸い続ける。
──そうして、一体どれほど時間が経ったのか。
気が付くと、俺は水面に浮かび上がっていた。
呼吸が、戻っている。
意識が、はっきりしている。
肉体は焼けるように痛いが、それでも──
──生きている。
(…………ははっ……)
俺は痛みを堪えながら、ゆっくりと水から這い上がった。
そして、地獄のような戦場の光景を眺める。
炎がまだ燻り、あたりには焼け焦げた木々と、水底に沈む黒く焦げたゴブリンの死骸。
その全てを、俺は吸い尽くして生き延びた。
(……勝った、のか……?)
心の中で呟く。
勝ちかどうかはわからない。
おそらく、それで言えば負けだろう。
だが、今は何も考えられない。
ともかく俺は、生き延びた。
隻眼のゴブリンは死に、俺は生きている。
ただ、生きている。
それだけが、この世界の現実に変わりはなかった。
=====
炎は次第に収まりつつあった。
辺りに散らばる焼け焦げた木々は、燻る煙を吐き出しながら朽ちていく。
俺は、その光景を静かに見つめながら、戦いの余韻に沈む。
そして振り返る。先の激闘を。
俺は生き、隻眼のゴブリンは死んだ。
これが、この戦いの結末。
だが──
本当に、これは勝利と呼べるのか?
終始、俺は追い詰められていた。
一歩間違えれば、死んでいたのは俺だった。
ヤツの憤怒。
ヤツの執念。
そして、ヤツの進化への狂気──。
俺は、ただ運が良かっただけなのか?
それとも、俺が生き延びるべき存在だったのか?
いつぞやの蛙型生物の時と同じだ。
強くなったと錯覚していたが、結局、何も変わっていない。
ただの天任せ、天の気まぐれで命を拾ったに過ぎない。
弱い。弱すぎる。
嗤えるほどに、惨めなほどに。
何が、『この付近なら敵などいない』だ。
何が、『ここには餌しかいない』だ。
俺のほうが、ちっぽけで、貧弱で、取るに足らない『餌』じゃないか。
(……………………)
俺は、ゆっくりと息を吸い込む。
血と煙と、鉄の臭いが入り混じる、淀んだ空気を。
傷つき、焼け焦げ、それでも、俺はまだ生きている。
ならば、やることは一つ。
──休息を。
肉体も、精神も、そのどちらも。
今は、ただ生き延びるために。
俺は、周囲を慎重に嗅ぎ分けながら、安全な場所を探す。
このままここに留まるのは危険だ。
火の勢いが落ち着いたとはいえ、炭化した残骸がまだ熱を孕み、燻る煙が漂っている。
その異臭は、遠くの獣共を呼び寄せるだろう。
(この匂いに引き寄せられてくる奴がいるかもしれない……)
俺は、焼けつく皮膚の痛みに耐えながら、慎重に這い進む。
動くたびに、焦げた皮膚が剥がれ落ち、鈍い痛みが神経を苛む。
(……っ。……くそ、全快ってわけじゃない……か)
当たり前だが。
吸血で回復したとはいえ、完全回復にはほど遠い。
しばらく休める場所を──
そう考えた俺は、『隠れ家』へと這い進む。
この洞窟で生きるために必要なのは、狩りだけではない。
休息を取れる場所。身を隠せる場所。確実に安全を確保できる拠点。
それがなければ、生存は長くは続かない。
そして俺は、それを偶然見つけていた。
逃げ場を探しながら壁面を這い進んでいたときのことだ。
ある岩壁の一部が、砂のように脆く、崩れやすいことに気づいた。
ほんの少し触れただけで、さらさらと崩れ落ちる。
最初は驚いた。こんな地盤の緩い場所が、この洞窟内にあるのか、と。
しかし、その脆弱さこそが俺にとっての『隠れ家』になると直感した。
入り口は、俺しか入れないほどの狭さ。
その先の空間は決して広くはないが、俺が身を潜めるには十分な広さ。
そして、何より奇妙だったのは、気づけば入り口が自然と塞がっていることだった。
本当に偶然なのか? それとも、この場所には何かしらの法則があるのか?
俺には分からない。
だが、一つだけ確かなことがある。
ここは敵に見つかる心配のない、俺だけの『隠れ家』だ。
今まで何度もここに戻り、身を休めてきた。
狩りの合間に、疲れた体を癒やし、傷を癒し、次の戦いに備えるために。
この場所があったからこそ、俺は生き延びることができた。
そして、今も──
俺は傷だらけの体を引きずりながら、辿り着く。
岩壁と似た材質の土塊に触れ、慎重にその壁面を崩した。
すると、じわりと砂が流れ、小さな空洞が開く。
俺は慎重にその中へと這い込み、岩肌に身を寄せた。
ひんやりとした感触が、焼けた皮膚に心地よい。
深く息を吐く。
全身が、重い。
戦いの緊張から解放された途端、体の限界を改めて実感する。
(……これで、少しは休める……か?)
しかし、ただ休むだけでは足りない。
俺は考えなければならない。
なぜ、俺は生き延びた?
なぜ、ヤツはここまで俺を執拗に狙った?
あの『結晶』とは、一体何だったのか……?
ヤツは、明らかに普通のゴブリンとは違っていた。
常軌を逸する異様な『強さ』──。
(……まさか、アイツ……『結晶』を喰らって、強くなっていたのか……?)
いや、そうなのだろう。
そうだとしか思えない。
だとすれば──
ヤツが、同族であるモンスターを喰らい続けていた理由。
そして、俺を喰らおうとしていた理由。
すべてが、一本の線で繋がる。
──つまり、『結晶を喰らうことで、進化できる』ということなのか?
(……もし、それが本当なら、俺も……?)
ちらりと、隣に口を向ける。
そこには、積み上げられた『結晶』の山があった。
これまで、ただの硬い異物だと思い、『体』も興味を示さなかったため、特に意識することもなかった。
だが、捨てておくのももったいないと感じた俺は、ここに集めていたのだ。
これを全て喰らうことができるなら、さらなる境地が見えるのではないか──?
(……………………)
口先に力を込める。
だが、今はそれを試す余裕はない。
今はただ、生き延びることが最優先だ。
この洞窟で生き続けるために。
より強くなるために。
もう一度、深く息を吸い、目を閉じる。
(あぁ……眠い…………)
──今は、少しだけ。
──ただ、生きるために。
=====
迷宮都市『オラリオ』の朝は、いつだって騒がしい。
北西のメインストリート、通称『冒険者通り』。
その一角に堂々とそびえる、荘厳なる建築物。
まるで神々が集う
そして、今日もその空間は、例外なく喧騒に包まれていた。
冒険者たちの怒号、換金所の受付嬢たちのやりとり、依頼を確認する者たちの足音。
それらが混ざり合い、絶え間なく空間を満たしている。
「……また何かあったのか?」
喧騒の中、ギルド職員のレーメルは、カウンター越しに立つ受付嬢へと問いかけた。
受付嬢である女性──ローズは忙しそうに書類を整理しながら、ちらりとレーメルに視線を向ける。
「ああ、あんたね……ちょっと妙なことがあったのよ……」
ローズは小さくため息をつきながら、視線をとある方向へ向けた。
「換金所か?」
「そ。さっき、駆け出しの冒険者が『魔石』を持ち込んだんだけど……それがどうにもきな臭いのよね」
レーメルは眉をひそめ、彼女の言葉を待つ。
「何が妙だった?」
「単純な話よ。身の丈に合わない魔石を持ってきたのよ」
「……
「ええ。換金されたモノを見てみたけど、一緒に持ち込まれた小粒の魔石と比べれば、一目瞭然。大きさも質も違いすぎるの」
ローズは肩をすくめながら、目の前の紙をペンで示した。
「駆け出しの冒険者が持ち込む魔石なんて、大抵が『ゴブリン』とか『コボルト』とか、あとは『フロッグ・シューター』とか、上層の雑魚モンスターのもの。でも、今回のは、明らかにそれとは別物だったわ」
その言葉に、レーメルは嫌な予感を覚えながらも、聞かざるを得ない。
「……どれほどのものだった?」
「『上層』最下層級、あるいは『中層』のものじゃないかって話よ」
その言葉に、彼は小さく息を呑んだ。
「……駆け出しの冒険者が、『中層』の魔石を?」
「そういうこと。あり得ない話でしょう?」
ローズは、紙を軽くトントンと机に打ち付けながら続ける。
「理由はいくつか考えられるわ」
彼女は指を一本立てて言った。
「どこかから盗んだ」
もう一本。
「同業者を殺して奪った」
さらにもう一本。
「あるいは、本当に自力で手に入れた」
最後の選択肢に、レーメルは苦笑する。
「それなら、それで問題だな。駆け出しが中層に飛び込むなんて、自殺行為以外の何物でもない。それに、そもそも辿りつけすらしないだろう」
「ええ。換金所の連中も、誰かが事情を聞くべきだって話になってるわ」
一瞬の空白。
喧噪に包まれたギルド本部。
その片隅、まるで世界から切り離されたかのように、そこだけが静寂に沈む。
「……そいつの身元は確認したのか?」
「当然。駆け出しも駆け出し。超が付くド新人だったわ。ダンジョンに潜ったばかりの……ね」
喧騒が遠のき、時間が一瞬だけ凍りついたかのような感覚。
だが、それは束の間のこと。
次の瞬間、現実が押し寄せ、騒がしさが再び耳を満たした。
ローズは紙に書かれた名前を指でなぞる。
「何者なのかしらね。登録履歴も特に目立つものはなかったけど……」
「……監視対象にしたほうがいいかもしれないな」
レーメルは腕を組み、静かに目を細める。
「……確かに。ギルドとしても、こういう異例の事態は看過できないしね」
彼はちらりと換金所の方を見やる。
冒険者たちが、魔石を換金するための長蛇の列を作っている。
その中に、その駆け出しの冒険者がいるのか、それとも既に立ち去ったのか──。
それに、最近どうも妙な噂が立っている。
『上層』のゴブリンが生息する区域で、異様に素早いゴブリンが目撃されたという話だ。
通常の個体とは異なり、獲物を狩ることに執着し、明確な知性を示すこともあるとか──。
それが本当なら恐らく『強化種』。
確定的な情報が無いため、ギルドとしても依頼を出すまでには至っていない。
だが、もし今回の魔石と関連があるのだとしたら……?
「……さて、どうしたものか」
レーメルは、騒がしい広間の片隅で、静かに思案するのだった。
ギルド職員、レーメル、茶髪に眼鏡、種族『
受付嬢、ローズ、赤の長髪に美しい女性、種族『