海洋を帆船が進んで一週間ほど経っただろうか。
「やっと着いたか」
慣れない船旅で思いの外疲労の溜まっている体を伸ばして、ヤギュウ・天元は大地を踏みしめた。
彼の後をついて船を降りたサンジョウノ・春姫はというと、
「て、天元様ぁ……!な、何だかフワフワしますぅ~!」
上下にゆらゆらと揺れながら自分の身体に四苦八苦していた。
振り返った天元は、顎を撫でる。
「そいつは……
「お、陸酔い、ですかぁ?」
「ああ。船乗りに多いらしいが、長い間船なんかの揺れるものに乗り続けた後にこうして陸に戻ってくる体が浮いてるような感覚に成ったり、気分が悪くなるって症状だ」
「て、天元様は、博識なのですねぇ~」
「……って、昔漁師のオッサンに聞いた」
フワフワしている春姫から視線を外し、どこかで休もうかと天元は周囲へと意識を向ける。
中々大きな港街だ。街の名は“
「とりあえず、適当な宿を取るか。準備は明日からだ」
「あっ……ま、待ってください、天元様ぁ!」
赤い羽織を翻してさっさと歩いていく天元の後を、フラフラしながら春姫が追いかける。
華湾は、坂の街だ。大通り含めて微妙な傾斜となっており、場所によっては急な階段も存在する。
そんな街だが、多いのは主に飲食店だった。
「あの、天元様」
「んー?」
「この一帯は、お食事の為のお店ばかりなのでしょうか?」
「まあ、そうだな。華湾は、極東含めた航路の重要拠点の一つだからだ。ヒトとモノが集まる場所は自然と栄える。飯屋が多いのは、船乗り含めた客人をもてなす為だな」
「ふぇー………天元様は、よくご存知なのですね」
「まあな」
軒を連ね、赤ちょうちんを揃って吊るした店からは美味しそうなニオイが漂ってくる。
実の所、天元は全てを語ってはいなかったりする。
確かに、これら飲食店は船乗り含めた客人をもてなす為の場所だが、何も持て成すのは
チラリと街並みへと視線を走らせる天元。
そして、入る店を決めた。
「――――いらっしゃい!」
「二人」
「あいよ。そっちの席に掛けな」
小柄でぎょろりとした目がカエルにも見える小男の営業する料理屋だった。
コの形をしたカウンターテーブルが壁から突き出し、その内側が男の調理スペース。ここから外側へと向けて料理を提供する形だ。
店内に客はおらず、天元は春姫を壁側へと座らせて、自分はその隣へと腰を落ち着けた。
「品書きはこいつを見てくれな」
差し出される冊子を受け取り、開けば文字の羅列とその隣に値段が書かれている。
天元に倣って一緒にメニューを覗き込んだ春姫。だが、
「あの、天元様」
「んだよ」
「その……どんな料理か分かりません………」
ションボリ、と狐耳をしおらせてて手遊びをしながら春姫が俯く。
長年のお屋敷暮らしで世間知らず。その上、外国の下町料理など知る由もない。
天元は顎を撫でた。
「んー………とりあえず、食えないものはあるか?」
「特には………」
「んじゃ、味だ。辛いのが駄目、甘いのが苦手、苦みは避けたいとか、色々あるだろ?」
「成程……お料理とは、そうやって選ぶのですね」
「まあ、大抵の場合は自分の好みか、もしくは店の名物を選べば大抵外れはねぇさ」
「ほわぁ……」
知らない事をちょっとずつ学んでいく。
それから、春姫は料理に関して幾つかの質問をして、注文を決めた。
程なくして、出される料理。
天元は、八角などのスパイスで香り付けした豚の角煮が乗った丼とニンニクスープ。春姫は、蒸し鶏に甘酸っぱいタレが掛けられたものと白いご飯。
「~~~~!美味しいですね!天元様!」
「おう」
目を輝かせて口元を押さえて感動を伝えてくる春姫に、天元はそっけない。
それでも、手に持った木製の匙が置かれないのは、つまりそういう事だ。
嬉々として食べる子供二人の前に、湯気の立つ椀が二つ置かれる。
「はっはっは。そこまで旨そうに食ってくれるなら、料理人冥利に尽きるってもんだぜ」
「むぐっ………頼んでねぇぞ?花茶だろ、コレ」
「おっ、知ってるのかい?華湾名物の花茶」
「はなちゃ?」
「茶葉の代わりに、乾燥させた花を使ったお茶だ。極東の煎茶と違って味よりも香りを楽しむもんだな」
「はえ~……」
しげしげと椀を見つめる春姫。ニオイを嗅いでみれば、まるで鼻の中に花畑が出来たかのような芳醇な香りが広がった。
「!いい香りですね!」
「だろう?」
素直に喜ぶ春姫の反応に、店主もまた嬉しそうにその相貌を緩めた。
客が他に入って来ない事もあって、店主もその場から動く様子が無い。天元は気になった事を聞いてみる事にする。
「なあ、店主」
「おっ、どうした?」
「この街は、何かあったのか?どうも妙な気配がするけどよ」
「あー……それかぁ」
天元の問いに、店主はうんざりしたようにため息を零すと肩を落とした。
「坊ちゃんたちは、この街に何しに来たんだ?」
「俺達は、極東の方から来たんだ。ここは、ちょうど船の寄港先だっただけだな」
「そうか……なら、悪い事は言わねぇ、早めに離れな」
「ど、どうしてでしょうか?」
「うーむ…………余り声を大にして言えねぇんだがな」
そう呟くと、店主は店の外をチラリを見てからカウンターに乗る様にして体を乗り出してくる。
「実はな。半年ぐらい前だったが、この街に
「破落戸?」
「ああ。何でも、オラリオから出てきたとか何とか。とにかく、そいつらが居ついてから色々と、な?」
店主は濁したが、明らかに良くない事。
現に、今の華湾には良くない空気が蔓延している。余り長居するには向かない状況である事は確かだ。
だが、事はそう上手く行かない。
赤い羽織と金色の毛並みは、よぉーく目立つのだから。
@
華湾最高級湯殿“
畏まった店名だが、その実態はとあるファミリアの本拠地であり欲望の坩堝であった。
赤い柱と漆喰の壁が特徴的な、城塞にも屋敷にも見える七階建ての建物は一般人に関してはまず近付かない場所だ。
その六階。ワンフロア丸々団長の部屋となっているそこでは、一人の大柄な男が
「ボス!ご報告が!」
「ああ?」
厳めしい顔に眉間に皺を寄せて、男は駆けこんできた部下を見やる。
「何の用だ」
「へい!実は、港の方に行ってた下っ端があるものを見たって駆け込んできたんでさァ」
「あるもの?」
「へい。何でも、金髪の
「ほう」
甕から口を離して、男は凶悪な笑みを浮かべた。
「続けろ」
「へい。まだガキみたいなんですが、将来有望そうな見た目らしくてですね。今は、港近くに宿を取ったらしいです」
「成程な。そのガキだけか?」
「へい。連れが一人居るそうでさぁ。そっちもガキですが刀を差してるみたいで、実力のほどは何とも」
「ガキか……」
男は顎を撫でる。
彼は元々、迷宮都市オラリオに置いて、第二級の冒険者として籍を置いていた実力者だった。
もっとも、その立場は
時勢を見極めてオラリオを抜け出し、そのまま流れ着いたのがこの華湾。そして、この地に根差していたとある神の下でファミリアの団長に収まった。
ハッキリ言えば、オラリオの外で高レベルの冒険者が暴れた場合、止める手段は殆ど無い。だからこそ、わずか半年ほどで華湾はこのファミリアの手に半ば落ちたも同然のような状態となった。
「面白ぇ。そのガキをオレの前に連れて来い。どんな手を使ってもだ」
「へい!」
ばたばたと駆け出していく部下を見送って、男は凶悪な笑みを浮かべる。
この街は、彼の天下だ。欲しいものは何でも手に入る。完全な暴政を敷かないのは、まだその時ではないから、としか言えない。
「――――駒は揃ったか?バイツ」
「
やって来たのは白い蓬髪に筋骨隆々とした上半身を惜しげもなく晒した偉丈夫であった。
その異形感を強めるのは、白黒反転した眼球だ。
彼こそ、この華湾を混沌に染めようとする武神。
名を、シユウ。このシユウ・ファミリアの主神である。
そして、同時にこのシユウ・ファミリアの団長を務めるのが、先の老酒を呑む男。
Lv4“牙獣”バイツ・レッドハウンドだった。