第2話 リュート
「氷柱矢!!」
少年の手に握られた小さな杖が、青白い光をまとい始めた。光はゆらめきながら次第に一点へと収束し、その輝きは見る間に強さを増していく。直後、空中には一抱えほどの氷柱がふわりと浮かび上がった。
氷柱は、静寂を破るように鋭い音を伴いながら空を裂き、目標に向かって一直線に飛び出していく。
「ドゴォ!!」
腹に響く轟音が鳴り響き、氷柱は人型の石像を正確に射抜いた。一拍の静寂のあと、石像の首がゴトリと音を立てて崩れ落ちる。役目を終えた氷柱は、「キラン☆」という満足げな音を残し、静かに谷間へ消えていった。
魔術を放った少年の名前はリュート。
華奢な身体に茶色いローブを纏った魔術士で、年は12歳と幼い。透明感のある不思議な黒目をしているが見た目には、それ以上の特徴はない。一般人にしか見えないが、実は彼は誰よりも魔術に愛されていた。
そんな彼が今、何をしていたかというと、
「――マズイ……やってしまった……」
リュートの脳内に危険警報が鳴り響く。
先ほどまで気取ったポーズで空を仰いでいた石像が、今は地面に頬を擦りつけている。台座には「英雄盗賊 ヴァルーズ」と矛盾した名が刻まれているが、倒れた姿のせいで、ただの間抜けにしか見えない。
「そもそも英雄なのに盗賊って……。こんなことなら、泥人形相手の模擬戦闘にしておけばよかった……」
リュートはぼやきながら、深いため息をつく。
「はぁ、どうすれば……そうだ、いいことを思いついた!」
ドヤ顔で手を叩きながら、分かりやすいフラグを立てると、
――――
「――マズイ……また、やってしまった……」
やはり、フラグは直ぐに回収された。
先ほどまでのドヤ顔はすっかり消え、既に半泣き状態だ。それもそのはず、石像はもはや人物像の面影すらなく、元の姿を想像することもできないほど、砂礫へと変わり果てていた。
「盗賊ならワンチャン内部にお宝があるかと思って、土魔法で削ったら粉々に……。
――うーん。もういっそ埋めるか……いや、確実に時空の狭間に送った方が……」
リュートはうんうん唸り、あれこれと次のフラグを立て始める。そのとき、背後からハウリングがかかったような、不思議に心地よい声が響いた。
「――すまない。道を教えてくれないか?」
驚いて振り向くと黄色い大きな嘴を持つ、二足歩行の巨大な鳥と目が合った。その鳥はダチョウほど厳つくはないが、かといって某チョ〇ボのような可愛らしさもない。むしろ「太々しい」という表現がぴったりの風貌だった。
「――鳥がしゃべった!!」
いや、よく見ると声の主は鳥ではない。声はその背に乗った人物から発せられたものだった。
「少年、イーノ村へはこの道か? 地図ではこの辺りに像があるはずだが……」
鳥の背からふわりと降り立ったのは、一人の美剣士だった。
長い金髪が風になびき、空を切り取った様なキトンブルーの瞳がリュートを見据える。白磁のような透明感を持つビキニアーマーが豊かな胸を包んでいた。そんな美しさとは対処的に、背中には、殺意の塊の様な大剣が背負われていた。
「――すまないが、道を教えてほしい」
「す、すみません! 見惚れてました」
「……?」
美剣士の問いにリュートの返答が噛みあわず、沈黙が訪れた。背後の梢からバサッと大きな鳥が飛び立つ音が響き、リュートは両頬を軽く叩いて気を取り直すと、慌てて口を開く。
「――失礼しました。イーノ村ならこの道で合っています。お探しの像なら、多分通り過ぎたんじゃないかな……きっと……」
「そうか、ありがとう、少年。私はサラ。サラ・ヘンドリクス。こいつは相棒のパトリシアだ」
サラが鳥の喉元を優しく撫でると、パトリシアは喉をグルグルと鳴らした。
「僕はリュートといいます」
「私は冒険者ギルドの依頼で、しばらく村に滞在する予定だ。リュートよろしくな」
サラは挨拶をすませると鞍に手をかけ、一瞬で背に飛び乗る……かに見えたが、そのまま背を飛び越えて反対側に着地してしまう。
「――コホン。それでは、また」
気まずそうに立ち去ろうとするサラを見送りながら、リュートはふと彼女の胸元に目を留めた。胸元には手刀で貫かれたかのような深い傷跡があり、興味本位で尋ねるにはあまりに非礼でためらわれるものだった。
「――この胸の傷跡が気になるか?」
リュートは、言い訳を考えるも、サラの胸元を覆う鎧がわずかに発光していることに気づいた。
「――その鎧、ひょっとして魔道具ですか?」
「ああ、そっちか。分かるのか?」
「魔力の流れが何となく見えるので。――効果までは分かりませんが」
「……凄いな。当たりだ。身体強化と微回復の効果がある。それと蚊も寄せ付けないから快適だぞ」
リュートは一瞬目を見開き、少し瞑目してからパンと手を叩いた。
「それは凄い! まさに銘品ですね!……でも、サラさんに言い寄る悪い虫も多そうですね」
「ハハ。いや、最近はそうでもない。私に声を掛ける物好きはだいぶ減ったぞ。――ん?」
二人の他愛ない談笑は、唐突に途切れた。サラのキトンブルーの瞳が大きく見開かれ、林の奥を鋭く睨みつけたのだ。
一気に空気が張り詰め、リュートは無意識に息を飲み込む。
――トトッ。
微かな空気の振動が二人の肌に触れた。
――ドド。
ビリビリと張り詰めた空気が全身を包み込む。
――ドド、ドドド!!
次第に強まる振動と共に音は地鳴りに変わり、林縁の草間から突如、大型のフォレストボアが飛び出してきた。
「――危ない! 氷柱矢!!」
リュートは短い詠唱を紡ぎ、氷の矢を放つ。しかし――
―― 一閃!!――
氷柱が着弾するよりも早く、サラは大剣を引き抜き、鋭い一閃を放った。次の瞬間、フォレストボアは脳天から真っ二つに裂け、血しぶきと臓物をまき散らしながら地面に崩れ落ちた。
「怪我はないか? 少年」
サラは逆手に握り直した大剣を肩口からくるりと回し、音を立てて血振りをすると、穏やかな声でリュートに尋ねた。
「ええ。ありがとうございます。おかげ様で無事です」
唖然とするリュートに、サラが疑問を投げかけた。
「――君はその年で魔術が使えるのか?」
サラの問いに、リュートは背筋を伸ばして答えた。
「出過ぎた真似をしました。ただの初級魔術です」
「そう謙遜するな大したものだ。討伐部位はいるか?」
「いや、僕は役に立ってないので」
リュートは申し出を辞退し、サラが討伐部位を切り取るためにフォレストボアへ歩み寄った――その瞬間。
メリメリメリ、バギィィィー! ズド――ン!!
轟音と共に爆風が林を駆け抜け、倒れるシラビソの大木が視界に入る。直後、肌を刺すような冷たい圧力が空気を満たした。その圧は殺意や悪意ではない。純粋で圧倒的な暴力の気配だった。
「何だ!? この圧力は!」
サラが目を走らせた先に現れたのは、紅黒い隻眼をギラつかせた巨大な熊の魔物。その異様な冷気は周囲を凍らせ、足元の草葉は次々に砕け散る。不気味なほどの冷たさがその威圧感をさらに際立たせていた。
「――まさか、本当にいるとは……」
そう小さく呟き、ごくりと喉を鳴らすサラの頬を、一筋の汗が流れた。