浅田真央 前編「バンクーバーが最初の五輪だと思っていた」 | フィギュアスケーターのオアシス♪ KENJIの部屋
浅田:ショートがすごくうまくいっていただけに、フリーもすごく自信はあったんですけど……本当に取り返しのつかないあの一瞬の出来事は、今思えば自分の技術不足だったんだなっていうのも正直あるんです。でも、バンクーバー五輪という舞台で銀メダルが取れたことは、本当にすべてをかけてやってきて良かったって思います。 KENJI:いや、それが聞けて良かったです。みんなも気になることとかいっぱいあると思うけど、真央ちゃん本人がそう言うんだったら、ね。 浅田:競技が終わってすぐインタビューで。自分の気持ちの整理がつかないままだったんですよね。もちろん金メダルを目指していたので、悔しい気持ちもあって。ただ、表彰台に乗った時に、みんなから「おめでとう」「ありがとう」「銀メダルでもすごいんだよ」って言ってもらえて、そこでちょっと納得できたかなっていう気持ちでした。
ソチのためにゼロからジャンプを見直したい
KENJI:続いて2010〜2011シーズンは東日本大震災もあってメンタル的にもいろいろ苦しんだと聞いたよ。 浅田:この時はフリーが「愛の夢」でした。バンクーバーの時にジャンプですごく苦労していたので、ソチのためにもう1回、ゼロからジャンプを見直したいという思いで、スタートしたシーズン。ジャンプを見直すのは、右手から左手に変えるぐらいの作業ではあったので、「このシーズンはうまくいったらいいよね」ぐらいの気持ちでした。精神的にはすごく辛いシーズンではあったんですけど、ソチに向けてのシーズンだと割り切ってやっていたんです。 KENJI:中京で練習していたんだよね、あの時。僕もそこにいて、真央ちゃんが本当にシングルジャンプを何十回とやっていて。「すごく頑張っているな。大変だろうな」と思いながら練習を見ていたんだよね。修正するのは大変だよね。 浅田:大変でした。1年じゃ終わらなかったので。 KENJI:続いて2011〜2012シーズンは全日本選手権こそ優勝したけども、他がちょっと難しいシーズンだった。 浅田:そうですね。この時も「愛の夢」だったのかな。確か2年連続「愛の夢」で。ただ、このシーズン辺りからジャンプの修正がだいぶ固まってきたなという思いがあります。 KENJI:次のシーズンはグランプリファイナル、四大陸選手権、全日本選手でも優勝。合わせて5大会で優勝でした。この時はどうでした? 浅田:自分のベストではなかったので修正して、修正したものがいよいよ形になってきた形でした。ここからさらに難しいものにレベルアップしたいなと思っている段階なので「あきらめない」という想いで、ずっとやっていました。 KENJI:なるほど。いや、本当に強いね。
文:J SPORTS編集部
J SPORTS 編集部
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