浅田真央 前編「バンクーバーが最初の五輪だと思っていた」 | フィギュアスケーターのオアシス♪ KENJIの部屋
トリノ五輪出場について
KENJI:真央ちゃん自身は、トリノ五輪についてはどう感じていました? 浅田:小学6年生ぐらいの時に「トリノは年齢制限で出られないから、次のバンクーバーを目指す」って思っていました。たまたまトリノシーズンにすごく調子がよくて優勝などしちゃっいましたが、自分の中では、バンクーバーが最初の五輪だと思っていたんですよね。 KENJI:結構、周囲が騒いでいたもんね。 浅田:そうですね。ルールはルール。出られたらラッキーですけど、でも特に「出たい」という気持ちはなかったです。 KENJI:なるほど、落ち着いていたんだね。続いては2006〜07シーズンですけど、このシーズンは全日本選手権で初優勝。世界選手権も初出場で2位。思い出に残っていることは? 浅田:このシーズンは「世界選手権も何だろう」ぐらいな感じだったので、とにかく出るからには「優勝したい」っていうのがずっとありました。なので、すごく悔しかったっていうのは覚えていますね。 KENJI:そうなんや。悔しかったんだ。この時に拠点をアメリカに移したの? 気持ちの変化はあった? 浅田:このシーズンでは、海外に拠点が移っていたので、その前のシーズンぐらいからですね。ずっと日本でやっていて、振り付けだけ海外に行っていたんですけど、生活がガラリと変わって。当時はすごく楽しかったですね。やっぱり見たことのない景色だったり、いろいろな指導だったり。すごく楽しかった思い出があります。
スケート人生で初めての大きなケガ
KENJI:ここまでずっと楽しい感じ? 浅田:そうですね、ここまではですけど。2007〜08シーズンは足首にケガをしていて。スケート人生の中での大きなケガは、多分この時が最初で、それ以外はほとんどなかったんですね。試合の2週間ぐらい前に足首を痛めてしまって、ジャンプを再開したのは1週間前でした。でも、思っている以上にすごくいい状態で試合に臨めたんです。 KENJI:1週間前だと不安だと思うし、休んでいる時も気持ちは休まらないよね。 浅田:はい。片足で滑ったり、トレーニングをしたり。その前でしっかり練習はできていたのですが、やっぱり使えないとなると筋力がすぐに落ちてしまうので、足首を使わないトレーニングをして、何の問題もなくという感じでした。あの時は、アスリートでしたね。 KENJI:真央ちゃん、すごいね。いい意味で、全部が飛んでる感じというか。聞くことが、本当にすごいし「すごいな」ばっかり出ちゃう。
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