思い出したこと(雑感)
昨年末、友人が自殺で亡くなりました。長い付き合いだったこと、直近も会っていたこと、その時に(私のメンタルが別件で終わっていたこともあって)軽い口論になっていたことがあり、かなりショックだったのを覚えています。
なぜ今このことを話すのかというと、単純にちょっと思い出したからというだけです。単純にちょっと、というと語弊があるかも。忘れていたんですね。昨年末にあったことなのに。ああ、そんなことがあったな、と、このことを少し話していた別の友人との会話の中で思い出しました。変な話かもしれませんが、あれだけショックだったはずなのに、まだ数ヶ月しか経っていないのに、忘れていたんです。
何と言うか、私は自分の加害者性に向き合ってこなかったのだなと今更ながら思いました。
次回の文フリ@東京ではDVの被害に遭われた方の取材をとりあげる予定ですが、話を聞いていて、自分もここまでではきっとないと思うけれど、でも精神として似たところはあって、自分も明確な加害者だったのかもしれない、あるいはそうであったのだ、と感じています。
自分の親密な相手に、こうして欲しいという願望をぶつけることは多分それほど珍しいことではないと思います。ただ、それは親密であればあるほど行き過ぎて、距離感を間違えて、依存と暴力に転じるのだなと。暴力の形は様々ですが、相手に強制して何かをさせること自体が暴力的だと思えば、私の生き方、特に19歳以降については、まさに暴力的で、加害性に溢れたものに違いないと認めざるを得ない気がします。
その親密な相手というのは友人、恋人、家族といろいろあると思いますが、私の場合は特に前者2つでしょうか。何かを求めすぎた結果、何かを当たり前と思いすぎた結果、失いたくないものを沢山失いました。逆に、求められた結果として自分から離れ、相手を酷く追い込んだこともあります。何れにせよ、自分は加害者性を多分に含んでいて、その時被害に遭った人たちとは(当然ですが)二度と元に戻れない関係になっています。
その最たる例が、亡くなった友人です。恐らく、最後のトリガーは私が引いたのだと思います。既に撃鉄が起きていることを理解した上で、私は彼を突き放し、文句を言い、自分が如何に正当であるかを説きました。最悪以外の何者でもありません。自分は常々被害者側だと思って過ごしてきた分(少なくとも、幼少期/少年期は間違いなくそうだったと思いますが)、自分が加害者側となったことに耐えられませんでした。そして、20代の自分が「被害に遭った」と思ってきた事象についても、「自分が加害者だった」と反転して見るようになり、その逆流に私の心はついて来れませんでした。
そこから先のことについては、先日文フリ@広島で出した『「死にたい」と思うとき』の通りです(文フリ@東京でも出すので、良ければお手に取ってみてください)。
こうやって友人の死を人に見えるところで話題にするのはどうなの、と思い話すのを避けてきましたし、今でも話すべきではないと思うのですが、ごめんなさい。どこかに書かないと耐えきれませんでした。
その亡くなった友人を思い浮かべて書いた作品が、文フリ@広島で出した『過酷な世界で生きていく』の《紅茶問答》です。《紅茶問答》は「一緒にお茶をして、自分の罪を告白しあった友人が自殺する」という導入から始まるお話ですが、上述のことがベースになっています。
今日は、ずっと彼のことが頭から離れませんでした。永遠に赦されないという感覚です。死はずっと私の傍にいて、絶望はずっと私の中に居座り続けていて、罪は今や私の魂そのものですらありますが、彼らと共存して生きていくことを決めた以上、永遠の償いを覚悟しているつもりです。
最早私は私の罪と絶望以外の寄る辺を殆ど失っていて、今週は恥ずかしながら仕事どころではない精神状態でしたが、こうして苦しんだ先に一体何が生まれるのか、私の学業の才は何のためにあったのか(運命論的で気持ち悪いですが)、それを確かめるために、また書きます。
文フリ@東京では再度小説1つと研究1つを新作として出す予定です。広島で出したものも在庫ありますので、よければ。


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