択捉島
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択捉島(えとろふとう)またはクリル島は、ロシアと日本が所有権をめぐって争っている、かつての独立国である、かつての首都はエトロフ、かつての国家元首はツツミ・フサフサ。
概要[編集 | hide all | hide | ソースを編集]
クリル諸島は、紀元前に神が適当に作った島である、中世前期にアイヌに占領された後、芝人に占領されて、徳川家康が芝人を追い払った後、幕府領になる予定だったが島をパクられてロシア帝国領になってしまう、明治維新の後に大日本帝国がロシア帝国と交渉した結果日本領になった。
そしてついに…1910年に
3人のロシアジジイが「択捉島は独立させたほうがいい」と言って、独立するために大日本帝国の大臣やお偉いさんに対して迷惑電話を何件もかけた結果、参った大日本帝国政府は択捉島を独立させた、そして一番の功労者のロシアジジイことロシア爺は国家元首に就任、でも独立と言っても普通に日本の領土で、ロシアジジイ達が勝手に「独立したぞ!」とほざいてるだけだった、1914年に独立した択捉島の指導者ロシア爺は第一次世界大戦が開戦したという事を聞いて、中央同盟国側として参戦してロシア帝国に宣戦布告した結果、1日で占領された、そして日本に返還された、この時ロシア爺は死去する、ロシア爺の息子のツツミ・ロシア太郎は「共産主義を学びソビエト連邦政府と仲良くして独立すればいいんじゃね?」と考えて早速行動した結果、スターリンから「無名とは会談しない」と言われて、共産主義を学ぶ学校の試験も不合格で終わってしまった、何もできなかったツツミ・ロシア太郎はアメリカに引っ越した、ツツミ・ロシア太郎の息子のツツミ・フサフサは昭和の大恐慌期に国内が混乱してる際にエトロフを独立させた、そしてツツミ・フサフサが国家元首となった、でも4年後に第二次世界大戦が開戦、国民投票で択捉島は併合されてしまった。
国民投票後[編集 | hide | ソースを編集]
ツツミ・ロシア太郎はアメリカのコインランドリーで服を洗濯をしてる時に、背後から急にしゃっくりで驚かされて死去、ツツミ・フサフサも政治犯として逮捕されていたけど戦後に解放される、大日本帝国が敗戦して、その後は北方領土全部がロシアに取り上げられる、吉田茂は北方領土の返還要求を本格的にしなかった、吉田茂が総理大臣を辞任した後ハトが総理になる、ハトはソビエト連邦に対して「北方領土返せよ」と言っていたがソビエト連邦は絶対に認めなかったけど、ソビエト連邦は「日本を国際連盟に入れることとシベリアにいる日本人を帰国させることとロシア沿岸部の漁猟を認めることならできる」と言ってハトは「シベリアにいる日本人を優先した方がいい」というふうに考えてシベリアにいる日本人を帰国させた、ハトが辞任した後は、知らん。