今日、都市の憲兵たるガネーシャ・ファミリアはやけに忙しかった。人目のつかない朝だというのに十数名を超える眷属、しかも全員が第一級冒険者が彼らのホームでもある【アイアム・ガネーシャ】の前で待機している。その様子も緊張感のあるもので全員がピリピリとした様子で待機をしている。
やがて、男が来た。
いや、男か女かはわからない。それ程に瀟酒な人物であった。おおよそ冒険者らしくない落ち着いた人物である。しかしその風貌を見ればまともではないのがわかる。
まず、仮面を付けている。顔が一切判らない状態である。耳は普通である為エルフではないこと、絹糸のようにサラサラとした長い白髪が扇状を煽る。ゴクリと、誰かは知らないがガネーシャの眷属の喉が鳴った。
そして手が拘束されている。魔封じの呪詛を持つ錠を腕に嵌められ簡素な服装を着た人物。アブノーマルな格好がどこかいけない魅力を引き立てている。
「もう二度と此処には戻ってくるなよ」
「ごめん、それはわからないや。主神の影響でまた迷惑をかけるかもしれないし」
団長のシャクティが男に話しかけるが男は穏やかな様子で対応する。男はもう十年以上拘置所で捕まっていた重大犯罪者であった。だというのにその物腰は人を安心させ目を引く妖しさに溢れている。魔性、それは彼のためにある言葉だと思わさせられる。
「それにしても本当によくボクを解放したね?ロイマンだってバカじゃない。ボクを解放することのリスクくらいわかっているはずだろうに」
「……悔しいが正直、今のオラリオにお前をずっと放置しておけるほどの余裕などない。というかお前がいるだけで戦力が削られるのが辛い。どれ程警戒にリソースを割かなくてはいけないか」
「あはは、ボクがいうのもなんだけどごめんね?ボクだって嫌だよ?毎日毎日、大声でガネーシャだガネーシャだって聴かされるのは本当にウンザリ……」
「もう全て消してやりたくなってきちゃうじゃん?」
一瞬、男はゾッとするほどの存在感を放った。迷宮の階層主もかくやと思うほどの圧力は第一級冒険者の群をして心の臓に負担を与える。決して言葉だけの安っぽいものではないということを証明するには充分だった。魔封じをしているのに、男は魔法詠唱者であるというのにそれでも尚混沌に落とし入れることなど今からでも簡単なのだと思わせる。
「……貴様ッ!」
「もう、冗談だよ?そんなに怒っていたら疲れちゃう。リラックスリラックス」
「五月蝿い、早く何処へなりとでも行け!」
「この安っぽい服だけ持って外に追い出すのも畜生のすることだよね…」
「……おい、早くコイツの錠を外せ」
シャクティは知っている。目の前のこの人物は怪物なのだと。そしてなんだかんだ性格は善ではあるが性質は善ではないことも。この力が今一度悪に転べばもう英雄の都は終わりかもしれない。そう思わされるほどの人物であると。
「シャクティさん、本当にいいんすか?コイツの錠を外して……?」
「いいから早くしろ、そして観察処分としてデメテル・ファミリアに預けてこい」
「マジですか?」
「いいからやれ!」
そうして怪物は五体無事に解放される。魔封じは解けて魔性の顔は顕になる。周囲から息が消えた。その様子に男は少し歓喜した。誰もが自分に見惚れているからではない。周囲から音が消えたから。それだけの理由で。男は音が嫌いだ。なんなら自分の綺麗な声も嫌いだ。皆が皆自分を見ると叫び狂い、熱を出す。気持ちが悪い。だから音が嫌いだ。
「ありがとう」
「………はい!デメテル・ファミリアまでお送りします」
「……お願いね?そして出来れば声を落として欲しい」
また一人、彼に虜になる人が一人増えた。少し浮ついた様子で彼の顔を見て話せなくなっている。声もやけに張り上げるように出していた。うるさい。何度も何度も喋ったストレスが溜まりつつあった。暴走させないように大人しくしていないと。
そして、彼は案内に連れられてホームから姿を消した。
「…………やっと、いったか」
シャクティは歓喜する。正直、アレは直視するだけでも辛すぎるものだったので。憲兵であるが世を乱す存在との関わりは辛くないわけがない。周りのまだ立ち直れていない眷属に声をかけて元の配置に戻るように指示を出す。そうしてまた日常が始まるのだ。
そして、シャクティは不安視する。
アレは怪物だ。ただ立っているだけで周りを見出す要注意人物。なんなら過去に虐殺までやってのけている犯罪者。彼が今も尚生きているのはその余りにも珍しい性質と魔性さからである。神が、超常存在が消すことを勿体無いと拒むからという管理する自分たちからすれば最悪の理由である。
ゼウスとヘラの時代、その時代に見出され生き続ける異分子。
オシリス・ファミリア。副団長、【鎮魂】の二つ名の持ち主。
名をルイン・カプィチェ。
レベル7。【猛者】に匹敵する都市最強である。