幸せとは飢えていること。
新潟在住の女性A様から「連絡をする前はすごい緊張した。緊張した理由がわかった。会いたい人に会いに行くとか、近くにいたら捕まえるとかはやってきたけど、会いたい人に会いたいと言うことが、自分にとってははじめてだったからだ」とご連絡をいただいた。私の正しい使い方である。私に連絡をすることが、それだけで一つの大きなチャレンジであり、結果がどのようなものになるかはさておき、自分の願いを放ったことだけで、大きな仕事を成し遂げた気分だとA様は言った。
A様は言った。いまの自分には抱えているものは特になく、悩みもない。なんとなく坂爪さんを呼んでもいいものなのかと思ったが、なんとなくでも会いたいなら会おう、呼びたいなら呼ぼうと思って連絡した。一緒にお酒を飲みたかった。坂爪さんに会ってみてわかった。私は、信じていなかったのだと思う。呼べば来てくれる人がいるということは知っていたけれど、どこかおとぎ話を読むような気持ちで、遠くからそれを眺めていた。だけど、いま、実際に坂爪さんが目の前にいる。遠くから眺めているだけではなく、おとぎ話の中に、自分がいる。自分にとって、すごいことだ。
A様は言った。私は恵まれた人間で、食べるものや寝る場所に困ったことはなく、幸せであることに後ろめたさを感じることがある。こんなことを言ったらぶん殴られるかもしれないが、困った時は渡りに船で、必ず誰かがなんとかしてくれた。そのことに感謝はしているし、みんなのことは大好きなのだけれど、昨日、友達と会った時に「私はこの人の遺伝子を残したいと思った」と彼女は言っていて、私はまだその感覚になったことがないと思って、なんだかとても打たれてしまった。人類愛とか、博愛みたいな気持ちはあるのだけれど、友達は恋に落ちていた。愛するのは簡単で、恋をするのは難しい。だから、みんな恋に憧れるのだと思う。A様は、そのようなことを言った。
私は言った。理由があるから会うのは簡単だけれど、理由がないのに会うのは難しい。幸せとは、満ち足りたイメージが強いけれど、本当は飢えていることなんじゃないのかなと思った。何かがあるから会うのではなく、何もないけど会いたいと思う、その部分に飢えていたのではないか。切実さがあったから会うのではなく、切実さに飢えていたから、それを見つけて幸せを感じたのではないか。渡りに船は、確かに助かる。だけど、自分が本当に乗りたかった船を、自分で選ぶことができない。本当は、自分で選びたかったのではないか。自分の切実さに気付き、それを満たそうと手を伸ばすこともまた、幸せと言うのではないか。
A様は言った。坂爪さんに会ってわかった。自分は、家に人を招いて料理やお酒を振る舞うことが好きだったのだ。だけど、結婚してこどももできて、人を家に招いて料理やお酒を振る舞うことなんて、発想することさえもできなかった。諦めた訳ではなくて、考えることさえもできなかった。だけど、会いたい人に会いたいと言ったことで、自分の中にある扉が開いた。会えそうな人に会いたいと言うのではなくて、会えないかもしれないけど会いたいと言ったことで、自分から求めてもいいのだと思った。会いたいと言ったら、五時間かけて会いに来てくれる人がいるんだ。だから、今日は、会いたいと言わせてくれてありがとうございました。A様は、そのようなことを言った。
おおまかな予定
3月12日(水)新潟県新潟市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
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