「ジョセンド」知らぬ電力消費地 東京と福島、二つの顔で生きる葛藤 #知り続ける
東京電力福島第一原発事故の後、放射線量を下げるため、福島県内の各地では汚染された表土をはぎ取る除染が行われた。集められた大量の土は「除染土」と呼ばれ、原発周辺で保管されているが、法律により県外で最終処分されることが決まっている。環境省は処分量を減らすため、放射性物質が一定基準以下の土を東京・新宿御苑に持ち込んで花壇に使えるか試そうとした。だが、かつて原発の電気を使ってきた首都圏の人たちは、こうした動きをほとんど知らない。そんな新宿で、原発被災地と電力消費地の温度差を感じながら、一人の男性が生きている。(波多野陽) 【写真】娘との同居を決めた14年前 「地震だー!」娘は叫び、いなくなった
新宿御苑でくつろぐ人たち「ジョセンド?」
2月初旬の休日、高層ビル群を見渡す新宿御苑でくつろぐ人たちに尋ねた。「除染土を知っていますか」。10人ほどに声を掛けたが、誰も知らない。こんな答えも返ってきた。 「ジョセンド? どんな字を書くの」 日が暮れると、周囲の街は明かりやネオンに包まれる。電力消費地の首都圏と、かつて電力を送っていた原発の事故で生じた除染土の関わりは深い。しかし、東京ドーム11杯分の除染土が福島県内で保管され、20年後に国内のどこかに運び込まれ、処分されることになっているのを知る人は少ない。
地元で原発建設、出稼ぎの必要なくなった父
新宿御苑のそばに住む門馬好春さん(67)は昨年11月、北東に200キロ以上離れた東京電力福島第一原発の近くの実家を解体した。その時のことを、「『つらい』とも違う、何とも言い表せない気持ちだった。あとから憎しみや不条理がわいてきて……」と振り返る。 1957年、農家の3人きょうだいの末っ子として、福島県大熊町で生まれた。地元に産業は少なく、冬には男たちが東京へ出稼ぎに行った。転機は福島第一原発の建設工事だった。父は67年4月から始まった工事に携わり、出稼ぎの必要はなくなった。家族が一緒に暮らす冬。みるみる豊かになる町。門馬少年は思った。 「やっぱり原発は未来のエネルギーなんだ」
「安全神話はうそだったか」 家族と連絡付かずに不安に
高卒後に上京し、都内の不動産会社に長年勤めた。同僚女性と25歳で結婚し、娘も生まれた。 そんな暮らしを一変させたのは、2011年3月の東日本大震災だった。生まれ故郷の原発はメルトダウンを起こし、大熊町を含む周辺の12市町村の住民に避難指示が出て、県内の避難者は16万5千人に上った。 「安全神話はうそだったのか」 姉や兄ら故郷に住む家族と連絡が付かず、不安が続いた。数日後、内陸部に避難したと分かり、すぐに会いに行った。 事故の後、大量に放出された放射性物質の影響で、原発から遠く離れた土地でさえも、通常よりも高い放射線量が確認された。放射線量を下げるため、セシウムに汚染された宅地や農地の表土をはぎ取り、枝葉を取り除く除染が各地で行われた。作業で出た土は黒いフレコンバッグに詰められ、仮置き場に積まれた。 政府は当初、除染土を福島県内で最終処分しようとしたが、地元は反発した。菅直人首相は同年、県内に一時的に保管するための「中間貯蔵施設」の建設を提案。途中、難航する施設の建設をめぐり、石原伸晃環境相(当時)が「最後は金目でしょ」と発言し、地元の感情を逆なですることもあった。 2014年9月、地元は「2045年まで」との条件で受け入れ、15年3月から土の運び込みが始まった。建設予定地の地権者は2千人を超え、父から引き継いだ農地を持つ門馬さんもその一人。政府は当初、用地を全て買い取る方針を示したが、「事故を起こした国と東電の責任で事故前の姿に戻すのが当然なのに、国有地にして戻すつもりがないのでは」と不信感が募り、憤った。