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資本主義からの逃げ場所を恋愛に求めている私が、性の商品化が許せない理由

好きな男が風俗に行くのが許せない。許せないというか、混乱してしまう。許す道もあると思うがそれは限りなく難しい課題をクリアしなくてはいけない。どれくらい難しいかというと、彼と私の関係が明らかに資本主義的な価値観から脱却できればクリアできるくらいだ。

私と彼は対等にセックスをする。ラブホテル代は割り勘で、どちらかの部屋があればそこでする。そこに金銭のやり取りはない。けれど、彼は他の女性たち(風俗店勤務)には3〜8万円払ってセックスをする。性を売る女性が悪いと単純に思っているわけではない。ただ、混乱するのだ。彼は風俗店勤務の女性たちより私のことを大切に思っているはずなのに、なぜ彼女らには3万円払ってセックスするのに、私とはタダでセックスするのか?私に3万円払って欲しいわけではない。むしろ払ってほしくない。私と彼の関係を資本主義的なものに巻き込みたくないからだ。かといって、他の女性とのセックスには3万円払うのに私とのセックスはタダでするのは、私が彼女らよりも下に扱われているような気持ちにどうしてもなってしまう。加えて、本来は女性性というもので得られた経済的利益が私にあったのかもしれないのに、売らなかったことで損してしまったのではないかという無意識が底から湧いてくる感じがする。つまり、どちらにしても、彼が風俗に行くことで私と彼との関係性が資本主義的な病理に取り憑かれてしまう。

彼が風俗に行くことで機会損失をしたと感じてしまうのは私がケチ、というか自分の損に敏感だからかもしれない。だから自分に惚れている男性に対しては、自分の女性性の価値によって得られる経済的利益を損失したくないと思ってしまい、テイカー気質になってしまう。損をなんとも思っていない友達を見ると、その友達にイライラしてしまうくらいには損に敏感だ。それはつまり資本主義社会に適合していると言い換えることもできるが……。資本主義っぽくない場所、家族や女友達には心から見返りを求めずにギブできるしギブするのが気持ちいい場面も多いのだが、資本主義に取り込まれた場所、すなわち恋愛市場では基本的にテイクする側に無意識に回ってしまっている。

しかし、資本主義に適合して生きている私もどこかで抜け出したいという気持ちがある。資本主義から脱却するための一つの可能性が基礎研究だったわけだが、いろいろあって頓挫した(他記事参照)。そして、もう一つの可能性が、恋愛だ。

周りの友達から「男の趣味が悪い」とこれまで何百回も言われてきた。父親からは「もっとまともな人と付き合ってほしい」、妹達からは「お願いだから、かっこよくて優しいお兄さんがいいんだけど」、母親からは「ま、いいんじゃない?桜の人生だし」と言われ続けてきた。

そんなことは知らない。私は、かっこいいとか収入が高いとか身長が高いとか常識的かとか、本当にどうでもいい。そんなもので恋愛相手を選ぶというのは、ただ資本主義に従って生きているだけだ。それでよしとする人がいることは別にいいと思うけれど、私にはそうすることにこれから生き続けていくことの価値をどうしても見出せない。基礎研究による資本主義からの脱却が失敗した今、次にその可能性の高さを感じられるのは恋愛しかないのだ。それが無理なら本当に死ぬしかないと考えている。

私は好きな男に読んで欲しいと思う気持ちだけで、文章を書くことができる。今もそうだ。資本主義的な原動力によって書くこともできるけれど、好きな男に読んで欲しいという気持ちだけで文章を書いている時は資本主義から脱却していると感じられ、それは私にとっては救いである。救いとは、今死ななくて済んでいるということである。

私の好きな男は、好きな女ができるとその人で小説を書く。それもとても資本主義から脱却していると感じる。私は彼のその部分に可能性を感じて好きになった。けれど、彼は私で小説を書いてくれたことはない。6年前から書いて欲しいと言っているけれど、一回も書いてくれたことはない。彼は、私が今大学内で一番仲良くしている女友達のことを6年前から好きで、2ヶ月前にも彼女を想って小説を書いた。彼は、「彼女のことはもう好きではない」と言っているが、私にとっては、彼の「恋愛的に好き」というのは「その人で小説を書いてしまうこと」と同義だと捉えているので彼の「もう好きではない」という言葉は信じられない。私は、恋愛に資本主義からの脱却の可能性を求め、その文脈で「恋愛」というものを理想化して解釈しているのだ。

私はその女友達に、「彼はあなたのことがまだ好きらしいね」と言ったら、「それはあなたの解釈でしょ。言い方が良くない、「らしい」じゃなくて「っぽい」ならいいと思うけど」と返された。それを側で聞いていた男がいた。その男は、彼女のことを「すごい面白いし、今まで自分が人生で考えてきたことと同じことを彼女も考えて生きてきたと思う」と公言するくらいには彼女のことが好きだ。彼は、私と彼女のやりとりを聞いていて、私をキツく責めてきた。「あなたの書く言葉(彼は私のnoteやweb記事を全部読んでいる)も言う言葉も全てあなたの解釈ばかりで、事実をそのまま言うことをしない。そのことは、あなたの価値を著しく下げている」「これはあくまで事実として言っていることです」「少なくとも今あなたは彼女に嘘をつきました。あなたの価値は著しく低いですよ」と言ってきた。時間は測っていないけれど、体感で30分ほどそのことについて討論した。彼女は何も言わずにずっと黙っていた。私は耐えきれなくて、家に帰ることにした。本当はその日は彼女と2人でおしゃべりするつもりだったけれど、もう彼女とは喋ることはないだろう。彼は途中から自分が相当ひどいことを私に言っていることに気がついたのか、途中からは討論というより謝ってきた。私は謝罪を受け入れたくないので、討論という形を取ることでギリギリを保っていた。トイレに行くと言って嘘をつき、家に帰ることにした。彼はそのことに気がついて私の後ろにずっとそっと付いてきた。もう私は言葉を発することができないくらいに限界に来ていたので、付いてくる彼のことを無視し続けた。結局、その場から電車で50分かかる家まで彼はついてきた。家を知られたくないので、仕方なく、少し手前で「家を知られたくないのでもうついて来ないでください」といった。一方で、私の好きな男が好きな女は私を追いかけて来なかったし、彼女からはその後も連絡はなかった。

私の好きな男はその場にいなかったから、彼は何も知らないし、自分には関係のないことだと思うかもしれない。彼に、「彼女で小説を書いて、私で小説を書いてくれないのは、私にとっては耐えられないことだ」と言ってみたけれど、「どうして今のままだと大切にしてないと思うの?」と言われた。

彼は風俗に行って、初めて会うどうでもいい女に3〜8万円を渡してセックスすることを、もう50回以上も繰り返している。そのことは私のことを混乱させた。私はどう混乱を収めたらいいのか考えた。私とのセックスに3万円払ってもほしくないし、このままタダというわけにもいかない。私が導き出す一つの解決法は、性まで資本主義に明け渡した売春女と同じ土俵には並ばないこと。言い換えると、彼が資本主義から脱却した次元の違うやり方で私のことを好きだと示してくれること。それは、例えば、私で小説を書いてくれることだったのに、と思ったのだ。


追記:FFさんがかなり分かりやすい解説記事を書いてくれました。これを読まないと私のこの文章を理解できない人も多いみたいです。


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時田桜
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コメント

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湯井
湯井

好きな男のことは左右できなくても、あなた側が3万円払われたとして(きっと)他の任意の男とはセックスをしないことに資本主義からの逃走が詰まっているのではと思いました。3万だから、もっというと市場的に価値があるから、彼とセックスをするのではなく、彼にあなたなりの価値を見出しているからセックスをしたいと思うということかな、それって1番資本主義のルールから遠ざかる尊いことだな!と読みました。
ただ、「小説を書いてもらうこと」をあなたの中での愛の尺度に定義して愛の大きさを測ろうとする行為の方が結果的に等価交換(≒資本主義)のルールに囚われてしまっていると言えるのではないかと思いました。読み違えていたらごめんなさい。(私には「あなたが好きな彼女に小説を書いたように、私にも小説を書くのなら、あなたは私は好きだと認識できる」としているように読みました)
どうしようもなくそれが愛の尺度だと感じてしまうなら仕方ないことだと思うのですが、彼があなただけに見せるものや伝えることの中に愛の尺度を感じられることはないのかな、なんて野暮なことを考えました。(としても次は大きさの違いが気になってくるのかもですが…)

のどか
のどか

人を大切にできない男にわざわざ好かれようとする女も、鈍感で人の気持ちを察せない(仮に気付いていても、見て見ない振りをして誤魔化す)男にも吐き気がする。
後半の太字で書かれていないやり取りを読んで、まともな人間が誰ひとりいないことに愕然とする。
喧嘩の後で、家まで着いてこようとする男が本当に気持ち悪い。道端で誰にも助けられずに無様に倒れてほしい。
不毛な男女が交尾するのはそれだけで社会の損失だと思う。同じ空気を吸いたくない。

詠み人知らず
詠み人知らず

老婆心ながら…資本主義うんぬんは実は無関係であり、自己愛か利他愛かの話ではないのでしょうか?

シャロ坊
シャロ坊

こちらも改めて読ませて頂きました。『それが無理なら本当に死ぬしかないと考えている。』私はこれで納得行きました。私の理解が及ばず、お手数と心労をお掛けして申し訳ありませんでした。

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資本主義からの逃げ場所を恋愛に求めている私が、性の商品化が許せない理由|時田桜
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