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2020.02.15 12:00

ビル・ゲイツの名言10選 「自分のことを、この世の誰とも比べてはいけない」

マイクロソフト共同創業者 ビル・ゲイツ

マイクロソフト共同創業者 ビル・ゲイツ

「マイクロソフト」共同創業者のビル・ゲイツ。フォーブスの世界長者番付では過去に18回首位を獲得した。

彼の習慣や、資産の使い道には、人生の参考にしたいものがたくさんある。ここでは、ビジネスの挑戦を目の前にした時に向き合いたい、ゲイツの10の名言を紹介する。

マイクロソフト共同創業者、ビル・ゲイツ


1955年、ワシントン州シアトル生まれの実業家、慈善活動家。マイクロソフト共同創業者、「Windows」開発者としても知られる。

幼少期から人と違うことをすることが好きで、負けず嫌いな努力家だった。中学高校はシアトルの名門私立校であるレイクサイド校に進学。ここで後にマイクロソフトをともに創業する2歳年上のポール・アレンと出会う。

高校卒業後、ハーバード大学へ進学するも中退し、アレンとマイクロソフトを設立。WindowsやInternet Explorerを世に生み出し、マイクロソフトを世界的企業へ成長させた。

2008年にはマイクロソフトの一線を退き、妻のメリンダとともに「ビル&メリンダ・ゲイツ財団」を通して慈善活動に力を注いでいる。 14年からはマイクロソフトCEOのサティア・ナデラをサポートするための技術アドバイザーを務めている。


ビル・ゲイツの名言


1. 私は物事をとことん突き詰めるのが好きなんだ。そうすれば、たいてい良い結果が出るから


諦めてしまうとそれ以上の可能性は考えられない。ゲイツは「成功の鍵は的を見失わないこと」とも述べており、自分が最も力を発揮できる範囲を見極め、そこに時間とエネルギーを集中することが大切だと考えている。

2. 毎日毎日「勝ちたい」という気持ちで出社しなければならない。切羽詰まったときにこそ、最高の能力を発揮できる


「良い仕事をするにはどうすればいいか」「出世するにはどうすればいいか」と質問された時に返した答え。生ぬるい気持ちで何となく過ごしてういるうちは、結果はついてこない。常にトップを狙う気持ちを忘れずに仕事をすることが成長に繋がるというメッセージが込められている。

3. 一心不乱に働くこと、ベストを尽くすことが嫌だというなら、ここは君のいるべき職場ではない


夢中になって取り組むことができないのであれば、その仕事を成し遂げることは難しい。不平不満ばかりを言っているようであれば、無理をせずに環境を変えたほうがいい。無理に居続けても時間の無駄ということを諭す言葉だ。

4. 成功を祝うのはいいが、もっと大切なのは失敗から学ぶことだ


失敗は物事を改善するきっかけになり、良いものを作り出すチャンスとなる。挑戦することに臆病にならず取り組むべきというゲイツの姿勢が表れている。

5. 反対があるのは健全なこと。本当に力のあるアイデアか試されるわけだから


周囲の意見に負けそうになったときに思い出したい言葉。反対や批判の声に臆せず、自分の力を信じて発信すべきというメッセージが込められている。

6. 私は起業家という言葉をいつも拒否してきた。「会社を始めよう、何の会社にしようか」では決して成功しない


ゲイツは「私は何よりもまずソフトウェアの開発者なんです」と言い続けている。起業を目的とする起業家では、事業を成功させるのは難しい。「自分がやりたいこと」のために起業することが大切だという言葉。

7. 自分のことを、この世の誰とも比べてはいけない。それは自分自身を侮辱する行為だ


人と比べると、劣等感や優越感など大して役に立たない感情に振り回されてしまいがち。自分は自分。同じ人間はいないのだから、まわりに左右されることなく、自信を持って突き進むべきだ。

8. 問題は未来だ。だから私は、過去を振り返らない


起きたことは変えられないのだから、失敗や過ちを振り返るのは時間の無駄。それよりも前を見て、歩む道をどう開拓していくかを考えることに時間を使うべきだと気づかされる言葉。

9. 人間にはものを考える時間が必要だ


ゲイツは年に2回、同僚や家族とも連絡をとらずに、ひとりで過ごす時間を設けている。その期間には、多忙な毎日の中では見失いがちな自分の目標やビジョンを思い返すとともに、クリエイティブなアイデアも生まれてくると述べている。

10. 変わることがなければ成長することもない。成長することがなければ真に生きていない


行動を起こさずして成長することはできない。変わることを恐れずにチャレンジすることが、未来への可能性を広げることに繋がる。

・柳井正の名言7選 「10回新しいことを始めれば9回は失敗する」
・ジェフ・ベゾスの名言10選 「変わらないものを軸に戦略を立てよ」
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文=池原裕美 写真=gettyimages

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2023.06.10 17:00

リリー・フランキーの人生哲学 一番大変なのは、若くして成功すること

リリー・フランキー(Photo by Carlos Alvarez/Getty Images)

リリー・フランキー(Photo by Carlos Alvarez/Getty Images)

個性派俳優として数々の映画やドラマに出演。日本アカデミー賞の優秀主演男優賞(「万引き家族」)や最優秀助演男優賞(「そして父になる」)など多数の受賞歴を持つのが、リリー・フランキーさんです。

その一方で、文筆家としても活躍。脚本、エッセイの他、初の長編小説「東京タワー〜オカンとボクと、時々、オトン」は200万部を突破するベストセラーとなり、映画化もされました。

また美術大学を卒業した画家、イラストレーター、デザイナーでもあり、ラジオのナビゲーターやナレーター、フォトグラファー、構成・演出家など多種多彩な顔を持つ、まさにマルチタレントです。

5年も続いたプータロー生活

そんなリリーさん、実は20代は極貧のプータロー生活を送っていたといいます。

「大学を卒業した後、就職したくないからプータローになったんですが、とんでもない生活でした。もちろん金はない。時には腐ったものにも手を出す。下痢してるのに水道は止まっているから、自分の家でウンコもできない。友達にタカりまくって愛想を尽かされ、軽蔑され、消費者金融に金を借りまくって、そんな毎日でした(笑)」

アルバイトをしようとはしたそうで、当時は紙媒体だった求人アルバイトの情報誌は買っていました。

「これ、いいじゃんとページを折る。ところが、それだけでもうバイトしたような気分になっちゃって。このままじゃヤバいという思考すらも、だんだんできなくなっていきました」

将来のことを考えるなんて、とんでもなかったといいます。それよりも、今日の食事をどうするか。それが何よりの心配事でした。

「そもそもプータローになるとき、オヤジに言ったら、『何でも5年はやらないとわからない』と言われましてね。それでやったんですが、さすがに5年もプータローをやってるとつらくなってきて(笑)。それで働こうかなと。すでに20代も後半になっていました」

大変な20代を送っていたのです。しかし、リリーさんは若い人に、こんなアドバイスをします。

「20代は苦労したほうがいいんですよ。何でも後に楽しいことがあるほうがいいじゃない。いちばん大変なのは、若くして成功しちゃうことです。金もあって、人も集まってきて、いいところに住んで。ところが30代になって、そこから落ちていったらしんどいです。それよりも、ちょっとずつでもいいから、去年よりマシになっていると思えるほうがはるかに楽です」
次ページ > 仕事は何でも引き受けた

文=上阪徹

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2023.03.13 18:00

俳優・佐藤浩市の仕事論──なくならないものを大事にせよ

佐藤浩市(Getty Images)

佐藤浩市(Getty Images)

日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞を2度受賞した佐藤浩市さんはまさに日本を代表する俳優の1人です。最近では、昨年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」での怪演ぶりも大きな話題となりました。
 
かつてインタビューした際に知りたかったのは、政治家や官僚、凶悪犯や新聞記者から漁師まで、あらゆる役柄を、なぜ驚くほどリアルに演じられるのかということでした。
 
そのときの佐藤さんの言葉から感じたのは、世の中を極めて冷静に見つめていることでした。
 
「人間というものがきちんと出ている役は面白いですね。人が生きていくのって、大変じゃないですか。それこそ、誰もが本音で生きたら社会は崩壊してしまう。だから、人はいろいろなところで耐え、苦しみ、もがいているわけですよね。
 
上っ面なんかじゃ、とても生きてはいけない。僕はそういう苦しさや弱さに興味があるし、そこをしっかり見つめないといけないと思っているんです。“人間のようなもの”じゃない。人間を演じたいんです」

父親である三國連太郎との確執

佐藤さんは役をもらうと、台本の表面に出ている部分だけではなく、その演じる人物の内面をもえぐろうとするのだそうです。表面をカモフラージュしようとしている裏の心まで踏み込んで考えるというのです。
 
「見ている10人中、8人は気づかなくていいと思っています。2人が気づいてくれればいい。そのくらいの表現ができれば、といつも考えています。10人が気づいたら裏の顔にならないし、10人とも気づかなかったら表現にならないですから、難しいですけどね。でも、気づいてくれる人は、気づいてくれる。そういうときは、本当にうれしい」
 
早くから、人の持つ「心の闇」を演じられる数少ない俳優と評されてきました。男の色気と危うさが漂う独特の雰囲気。それは、佐藤さんの人生が培ってきたものでした。
 
父親は、名優と呼ばれた三國連太郎。しかし、幼い頃、両親は離婚してしまいます。以来、母のもとで育てられ、自らは中学で家を出て、アパート暮らしを始めました。
 
母と自分を捨てた父親への不信は長く尾を引き、確執や反抗を公の場で口にしたこともありました。
 
1980年、19歳で俳優としてデビュー。翌年、映画「青春の門」でいきなりブルーリボン賞新人賞を獲得した頃は、まわりが声をかけるのを躊躇するほどの尖った青年だったそうです。
 
後に、父親とは共演も果たし、良好な関係を築きます。しかし、それまでの佐藤さんを動かしていたのは、恨み辛みといった、負のエネルギーでした。
次ページ > 「いちばん苦しかったのは、20代」

文=上阪徹

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