第十七話 死の大嵐
2027年9月10日、午後7時33分。
神奈川県横浜市。
鈴木一家は現在、自宅にいた。自宅は鉄筋コンクリート造りであるし、やや高地にあるから、避難せず自宅にいたほうが安全である、と母が主張したためである。
今のところ停電は起きておらず、水道もふつうに通っている。リビングに据えられたテレビが、台風関連のニュースをずっと報道し続けている。
どのチャンネルに変えても、台風のことばかり言っている。東京テレビはいつもどおりアニメを放送しているが、L字型の情報欄は居座っている状態である。
父は「仕事だ仕事」と言って自室に籠もったきり出てこない。
「つまんねえ」と兄の海徒が不満そうに漏らす。それとは対照的に、弟の剛朗は真剣な顔をして画面に見入っている。「おいおい、そんなもん肩肘張って見るもんじゃねえぞ、剛朗」という兄の言葉も、彼の耳を通り抜けるばかりである。
「引き続き台風の情報です。超大型で猛烈な台風16号は、勢力を保ちながら時速60km程度で東へと進行しており、今日の午後11時ごろには大阪市に最接近する見込みです」
スーツ姿のアナウンサーが原稿を読み上げる。画面の右下には、上海から本州までのほぼ全てを覆い尽くす16号の強風域及び暴風域が映し出され、右上には「厳重警戒:台風16号 本州に接近」というテロップが踊る。
「では、現場に繋ぎます。若田さん、よろしくお願いします」
アナウンサーの声から5秒と経たないうちに、画面は切り替わった。
映し出されたのは、平塚駅前。商業ビルが道沿いに並ぶ、市の中心部である。
「えー、現在午後7時半くらいですが、風が凄まじいです! 気をつけないと倒れてしまいそうなくらいです!」
黒っぽいカッパを着て、ヘルメットをかぶった男性アナウンサーが、風に掻き消されまいと大声を張り上げて状況を伝える。彼の言のとおり、駅前のフェスタロードには秒速25m以上の暴風が吹いており、木の枝や紙くずなどの物体が高速で転がっている。
「アナウンサー大丈夫かな?」
明らかに危険な状態で行われる現場中継を見て、剛朗が不安がってつぶやく。
「テレビが危ないことわざわざするわけないだろ、このご時世」
「大丈夫よ。放送事故を起こすようなマネなんて……」
が、海徒と母が真っ向から反論。思わず彼も「そっか……」と言ってわずかに安堵した。
「見てください。大きな枝です。あそこの木のが折れたのでしょうか」
アナウンサーが地面を走る枝を拾い上げながら告げる。彼が手に持つ枝は、冗談ではなく彼の身長近くの長さがあるのが、画面越しでもはっきりとわかった。
テレビ局にいるアナウンサーも、多少驚いているように見える。
「テレビの中継は安全を確保した状態で行われる。」その言葉は、決して嘘ではない。
だが、安全の確保における安全の基準は、常識であった。
基準が間違っている場合の判断は人を危機に晒すことを、彼は――否、中継を見る全ての人間は、まもなく知ることとなる。
「風もとても強いですが、雨もすごいです! 向こうが霞んで――」
アナウンサーがそう言いかけた瞬間、風がほんの3秒程度、二倍以上に強まったのである。
そしてそれが、命取りとなった。
職務に忠実なアナウンサーを、烈風が引き倒す。不意打ちの襲撃に彼は対応できなかった。
「うわぁっ!?」と悲鳴を上げながら、彼の身体は頭から煉瓦張りの固い地面に叩き付けられた。ガン、という鈍い音がかすかに聞こえる。
「大丈夫ですか! 若山さん、若山さん!?」と局のアナウンサーが声を張るが、現場からの応答はない。
彼が飛ばされた直後、中継現場にいたカメラマンも風の煽りを受けて飛んでいったためである。
地に落ちたカメラが一瞬だけ、気を失って地面に倒れている若山アナウンサーの姿を地上波に流した。彼の体は、二度目のさらなる暴風によって煉瓦から剝がされ、おもちゃのようにぶらぶらと地面を転がっていった。
「えっ…………?」
いきなりの惨状に、鈴木家の誰もまともな声を出すことができない。剛朗がすがりつくような目で兄を見つめる。
「嘘だろ」
一番目に言語を取り戻した海徒の声は、尋常ならざる震えに包まれていた。いつもの冷たさは、どこにも見当たらない。
「……大変、お見苦しい、映像が流れてしまいました。深くお詫び、申し上げます……」
途切れながらもお詫びの言葉を話すアナウンサーの声は、もはや彼らの耳に入ることはなかった。
この甚大な放送事故は、直ちにインターネットを介して電気が通じている世界の全地域に伝わることとなった。
「これ気絶? 死んでないよね?」
「【悲報】中継中にレポーター死亡」
“Breaking news─A Japanese news reporter injuried during broadcast”
「視聴率のためなら自社の社員も殺すんだな」
「クソテレビが」
「終わってんなあマスゴミ」
事態は、怒りに火がついた人々がテレビ局に対する誹謗中傷の言葉を書き連ねるところにまで発展した。
尤も、その憤激が続くのは、もってあと半日である。命がなくなれば、怒ることはもうできないのだから。
場所は西に移る。
兵庫県神戸市。
今や台風の中心から500kmと離れていないこの港湾都市は、死の間際にある。
神戸市は、1995年1月17日にも一度壊滅の危機──阪神淡路大震災──を経験しているが、今回の台風災害はその比ではない。
かの地震のときには、行政はいくらか生きていたし、他地域からの救援活動も容易に行えた。産業の基盤が完全に破壊されたわけでもなかった。よって、甚大な被害を受けながらも、復興することができたのである。
だが、今回は違う。
外からの救援は来ない。西日本は既に悲劇的なまでの損害を被っており、まだ死していない東日本もこれから国家・都市としての機能を失うからだ。
行政は支援できない。連絡が寸断されているからだ。
産業は復活しない。復活させるための資材も人材も、これから無くなるからだ。
行政・人間・産業の全てを失った都市が辿る末路は、死のみである。
ただ雨を降らせ、風を吹かすだけで壊れていく都市は、悲惨極まりない。
死の恐怖に震える人々は、とうとう非科学的な神頼みにすがり始めた。
神様、どうか、この雨と風を止ませてください。
これからはたくさん善行を積むので、命をお救いください。
どこの神様でも仏様でもいいから、とにかく助けて……。
普段、宗教を無意識のうちにさげすみ、「神は存在しない」などと自慢げに語っていた者でさえ、今際の時には神に祈るのである。安心の支柱にしていた避難所などの物理的要素が消滅したとき、頼れるのはもはや精神的なもの、すなわち神や仏くらいしかなくなってしまうのだろう。
そして、これらの悲願が叶えられることは、決してありえない。台風、ひいては地球の気候というものは、人間の精神によって動かされはしない。祈っている時間で生存するための何らかの策を打ったほうが、よっぽど生き残る確率を上げるに違いないのである。
それにもかかわらず、人々はそうしなかった。既に、合理的に行動できる精神状態ではなくなっていた。
台風が直接手を下す前に、人々は自ら終わりへ続く道を選び始めたのである。
時は少々遡る。
午後6時30分、東京都。
「東京都に大雨・暴風・高潮・波浪特別警報が発表されました。速やかに避難してください。避難できない場合は、建物内の最も安全な場所に移動してください」
「東京都に大雨・暴風・高潮・波浪特別警報が発表された」
「台風16号は速度を速めながら北東へ進行中 気象庁発表」
東京のビルの壁に貼り付けられたビジョンが、日常の終わりを告げる。皮肉なことに、そのビジョンの前に人はほとんどいない。
──鉄道駅の前を除いて。
「ホームはあちらです! 次の臨時避難列車は18時34分ごろに到着いたします! いつ運休になるか分からない状況です、お急ぎください!」
東京メトロ渋谷駅では、駅員がキャリーケースを引きながら歩く避難民に呼びかけていた。避難民はみな、体中を雨水に濡らし、ぼさぼさの髪の毛を直そうともせず足を動かす。
災害対策基本法に基づき、東京都は広域避難の一環として、鉄道会社に北方への避難列車を出すように要請を出したのである。JR東日本、その他東京の鉄道はそれに応じ、おとといから避難列車として全線を活用し、埼玉・茨城方面へのピストン輸送を行っていた。
東京都民1400万人を全員収容できる避難所は存在しない。ならば、台風の威力が弱まるだろう北へ北へ、都民を逃すほかないのである。
そして東京やその他関東の施設は可能な限りの受け入れを表明した。例えばさいたまスーパーアリーナは安全収容人数の限界まで避難民を受け入れることとしたし、東京各地の超高層ビルを擁する企業のいくらかは、廊下や窓に面していない部屋を都民へ開放した。
しかし、それでも収容できる人々の数は少なすぎた。関東の施設をすべて合わせても高々240万人程度で、3000万人にも達する首都圏の人口に対して一割程度しかないのが現状であった。
現在、東京の風速は25m近くに達し、歩くことすら難しい状態である。それでも賢明な一部の東京都民は、危険を賭して広域避難を行うことを決意した。
渋谷駅のプラットホーム近くの階段に集まった人々の総数は、ざっと100人ほど。
湿度94%という極めて湿った空気に、30℃を超える季節外れの高温が追い討ちをかける。冷房もうまく効いていない。人々はびしょ濡れの状態であるというのに、汗をとめどなく流している。
その中には、体温調節がうまくできない乳幼児や老人の姿もあった。
まもなく、心臓の鼓動激しい乗客らの前に、眩しい灯火を備えた通勤列車が走り込んできた。けたたましい走行音が風洞に反射してホームによく響いた。
「渋谷、渋谷です」
身体に水をまとった人で既に埋まりかかっている車輌に、生きた屍体のような乗客が乗り込んでいく。彼らに濡れることや他の乗客を気にする心の余裕は、もうほとんどなかった。
新宿、渋谷、銀座、新橋、秋葉原、上野、浅草、六本木、代々木、原宿…………。
普段ならば嫌というほどの人間でごった返しているはずの繁華街に、人はいない。道中に転がっている空き缶や煙草の吸い殻、落ちた葉が地面を転がっているのみである。
本来人間が出すべき騒音を作っているのは、雨と風であった。
――日本の死までに残された時間は、あと僅か。