第十四話 世界の前兆
最近ずっと破壊描写が続いているので、今話は箸休め回です。
台風第16号は、まさに人智を超えた異常気象だ。最大瞬間風速が200mを超える台風など、前代未聞である。
しかし、そうであるからといって人類は対策と解析を諦めるわけではない。むしろ刺激されたかのように原因の究明を始めた。
半年以上前から、気象には明らかな異常が見え始めていた。
まず、気流の軌道である。気流が弱いはずのフィリピン付近での、台風の驀進。突然逆転した季節風の向き。気流の蛇行によって、世界中で異常気象が発生した。
例えば、ジェット気流の蛇行により、2月のロンドンで50cmの積雪が記録された。その他、7月にはアメリカ東南のカンザス州にて大規模な積乱雲が生まれ、そこから形成された竜巻などにより134人が死亡、1288人が負傷した。
次に、海水温の高騰。例年、9月のフィリピン海の海水温は33℃程度である。
しかし、今年のフィリピン海の海水温は36.1℃。ヒトの平熱に等しい高温だ。
それと連動して、日本海や瀬戸内海、太平洋の海水温も観測史上最高温を記録した。普段なら28℃を保つ日本海の海水温が30℃を超えたというニュースは、日本中で話題になった。
当然ながら、日本は凄絶な猛暑となってしまった。冷帯に属する札幌市ですら、最高気温40℃を記録。8月12日には、静岡県浜松市で最高気温46.8℃が観測された。日本における、観測史上の最高気温であった。
市井の人々は皆出来るだけ内に籠ろうとし、それができない人は、体中から滝のような汗を流しながら猛暑の中を行軍する羽目になった。
騒々しい声で鳴く蟬は、もういない。耳障りな高音を立てて飛び、肌を刺して痒い目に合わせてくる蚊も。
……かと思えば、西ヨーロッパでは並外れた低温が記録された。冷夏である。幸いにも、地中海の水温はそれほど下がらなかったためにオリーブやオレンジの栽培にはあまり影響しなかったが、ポルトガルでは冷害が起こった。首都リスボンでは、7月28日に最低気温7.3℃が観測され、数日間話題となった。
この冷夏の反動からか、大西洋西部の海水温は例年より3℃以上高くなり、ジェット気流の蛇行と合わさって大気を不安定にし、アメリカやブラジルで風水害を引き起こすこととなった。
気温の変化も、今年の異常気象に数えられよう。
2021年にも山火事を経験したギリシャやトルコ、オーストラリアなどでは、最高気温が40℃を超える日が続出。乾燥した空気に熱が加われば、当然山火事が起きる。8月3日から二十日間に渡って燃え続けたトルコ及びギリシャ、イタリアなどでの山火事では、実にポルトガル一つ分の森林が失われた。
逆に、冷帯に属するロシア連邦のイルクーツクでは、7月18日になんと最低気温-21℃が記録された。凍った洗濯物を笑いながら叩く現地の人々の映像は、人々の記憶にはっきり焼き付いたことだろう。
これらの異常気象に対し、世界中で波紋が広がったことは言うまでもない。
市井で、ネット上で、卓上で──様々な場所で人々は意見を述べた。
「今年ヤバいよね」
「それな」
「高橋さん、今日も暑いですね。子供の頃はこんなことなかったのに」
「ええ、全くですよ。なんとかならんもんですかな」
教室で、路上で、会話を交わす人々。
「環境破壊反対! 気候変動を止めるため、ご協力をお願いします!」と街中で声を上げる環境保護活動家。
「自分勝手なことをする人類に対して、地球が怒っている」
「地球が泣いているから、こんなことが起きたんだと思う。みんな、命として繋がってるんだ」
「環境が人の手で変わっている。地球や生き物が苦しんでる。やっぱり人類の罪は深いね」
SNSで自分の意見を呟く人々もいる。
「あなたの勝手な思いを、地球に代弁させないでください」
「地球が泣いてるって、それあなたの感想ですよね。何かデータとかあるんですか?」
「地球はこんぐらいじゃなんとも思わんわ」
彼らに対して反論する人もいた。
「夜郎自大な人類を見て、神がお怒りになっている」と独言する信徒。
「これは、気象兵器WMEの、仕業だ!秘密結社蠍の牙が、人口減少計画を、実施するために、故意、にやった、ことである!!『真実』に、目覚めろ!」
「オーロラ観測するとかカバーストーリーかけてますけど、OAARP。そんな嘘通用しませんよ」
陰謀論を撒き散らす者。
こういった極めて多くの意見が色々な場所を飛び交ったが、ほとんどは生産のあるものではなかった。
一方で気象学者は、今まで積み上げてきた知識と経験を駆使してどうにか理論的な説明を作ろうと努めた。
「海流の変化と気流の蛇行で、なんとか説明できませんかね」
「いいや、無理がある。あれだけの海水温や気温の変動は、これじゃ説明がつかない。もっと別の原因を探る必要がある。それに、なぜ海流が変わったかも解明できなければ、理論的とは言い難いしな」
「温暖化による熱塩循環のストップ……というのはどうでしょう、先生。某映画じみてますが」
「その説だと低気温は説明できるが、異常な海水温の高騰の原因ができん。ついでに言うと、これくらいの温暖化じゃ熱塩循環は止まらない。あーあ……本当に頭を困らせる異常気象だな」
「まったくですね」
しかし、このあまりにも異常な気象を完璧に説明できる理論は、現代の気象学にはなかった。地域ごとの現象については結論を出すことができるにもかかわらず、世界全体で適用すると矛盾してしまうのである。
とはいえ、彼らの努力が全くの無駄であったというわけではない。世界中の環境保護団体は、国家に持続可能な開発を進展させるように要求した。結果、アメリカをはじめとする計15カ国が将来的な二酸化炭素の排出削減の強化を約束することとなった。
……そうしているところに生まれたのが、台風16号──海神なのである。
2027年9月10日、正午(日本標準時)。
東亜の遥か上空を廻る国際宇宙ステーションからは、彼の雄姿がはっきりと見える。
数兆トンの水を含み、対流圏いっぱいに広がる積乱雲の塊が、中央から渦を巻いて展開している。その色は、息を呑むほどに美しく、壮麗で、そしてどうしようもなく冷徹な白。地面など、見えるよしもない。
100万人近くを死に至らしめた諸悪の根源がこれほどに綺麗な色をしているのは、何の皮肉であろうか。
雲の幅は、ざっと見積もって東北からフィリピン北部まで。直径2580kmの強風域は伊達ではない。外側へ反時計回りに広がる螺旋雲も合わせると、フィリピンのほぼ全土を覆い尽くしている。積乱雲の凹凸ははっきりしており、渦という形も相まってどこか芸術的、数学的な印象を与える。
台風16号は、果てしなく巨大であった。
中心に向かうにつれ、雲は著しく緻密になり白さを増していく。しかし中心部には、そこだけぽっかりと穴が空いている。
台風の目。この壊滅の大雲の中にある、唯一の安寧の場所。
その大きさも尋常ではなく、直径はおよそ120kmに及ぶ。
「とんでもない大きさだ」
国際宇宙ステーション内でそう呟いたのは、アメリカの宇宙飛行士、ケヴィン=バンカーヒルである。
「ええ。本当に大きい」
相槌を打つのは、日本出身の宇宙飛行士である野山幸英。小柄ながら、優秀な飛行士だ。
「君の故郷はジャパンだろう。家族が心配だな」
「帰る時にまだ日本があることを祈っておくよ」
心配するケヴィンに対して野山は即席のジョークで応えたが、ケヴィンが笑うことはなかった。
ただ眉間にしわを寄せ、うなずくだけであった。
場所は地上へ戻る。
九州市大竜町。
桐田益也の気力は、もはやすっかり失われていた。顔には明らかな疲労が現れており、目元は黒く、瞳の輝きも消えつつある。
彼が台風との「格闘」を始めてから、早や8時間以上が過ぎた。しかし一向に雨風が弱まる兆しはなく、むしろどんどん強くなっている。
彼を取り巻く状況は、まさに惨憺たるものであった。
学校中の全ての窓ガラスが破損。毎時120mmを超える豪雨によって、二階までが浸水。風は毎秒100mを超え、倒壊した鉄筋造や木造の建造物、フェンスなどが校舎に激突。
鹿児島沿岸の電柱は例外なく倒れ、発電所は浸水と暴風によって破壊され、市内全域が停電している。基地局も倒壊しているため、電波も当然通じない。よしんば通じたとしても、アンテナが二本も立つことはないだろう。
たとえ校舎内に居たとしても、決して安全ではない。毎秒100mを超える烈風を以てすれば、人間はおろか、車すら容易に飛ばされてしまうからだ。桐田は風がいっそう強くなるたびに、近くにあるものに必死でしがみついて耐えてきた。しかし、彼はその限界が近いことを知覚していた。
桐田が持ってきたリュックの中身の一部は屋外に投げ出され、また大部分は廊下内の壁に叩きつけられた。
友人の一義も、同様である。彼がトイレに避難しようと提案する頃には、既に避難民が押しかけていた。その避難民たちの多くは、屋内へ疾駆してくる暴風に体を叩きつけられ、意識不明となっている。
精魂尽き果てようとしている彼らを嘲けるかのように、台風16号は超高音の咆哮を上げる。
桐田はその声を聞きながら、自らの人生を自然と回想した。
両親に厳しく育てられた、幼少期から小学生時代。その反動から不良となり、幾度となく非行を働いた中学生時代。高校2年の終わりくらいに、更生して勉強に勤しみ始めたこと。
大学に入る時に独り立ちして、あのボロアパートに住み始めたこと。友達とつるんで、いっぱい遊んで、ときどき勉強して────。
背後から、今までとは違う音が聞こえる。物が滅茶苦茶に引き裂かれて空を飛ぶ音。
「竜……巻……か」
彼は独り呟いた。
音は、段々と大きくなっていく。
桐田は、自分がここが人生の終わりであると悟った。
「……チッ」
彼が舌打ちの音を響かせた七秒後、烈風の暴虐が学校を呑み込んだ。