―――私は悪くない。
使い込まれた血の滲んだフード付きの外套に身を包んだ
「あぐっ、ぅ」
体が悲鳴を上げていた。
先程まで、暴力の雨に晒され続けていたせいだ。腹を蹴られ、蹲ったところに、上から抵抗出来ない様に押さえ込まれ顔に向けて降り注ぐ拳の数々。
外套の裾に隠した
「……良かった、割れてなかった」
容器を持った手先が痛みで震える。
ゆっくりと回復薬の蓋を空けて、中身の半分を傷口に振り掛けて残りを口に含んで嚥下した。
少なからずマシになった痛みに、熱を持った息を吐いた。
「そうです、私は悪くない」
誰かに言い訳するように、リリルカは呟く。
恐怖に震え、壁際に体重をかけて座り込み膝に顔を埋めた。
リリルカ・アーデの所属するソーマファミリア。
この世に生を受けて、物心付いた頃には世界はなんと不平等な事かと、幼心に思った。
酒作りにおいてその横に並び立つ神なし。
娯楽の全ては、究極の酒を作り出す事。
ファミリアの主神はそんな
ファミリアの名前であり、その神の名前であるその手ずから生み出された酒の名を、
娯楽に飢えた神々が、その神酒を呑んだ時にその美味さに口々に声を上げた。
天界にある数々の美酒に勝るとも劣らないその逸品。酒精こそ強いが、だからといって悪酔いする訳ではなく。
度数が高ければ高いほど、喉を灼く様な熱さがあるが、この神酒に至ってはするりと水の様に呑めてしまう。
最初は神々が、その次は器を昇華させその身を少しばかり神に近づけ始めた高位冒険者が。
最後に、失敗作となり廃棄するだけだった神酒が残り、それらをファミリアの人間が享受した。
その結果、神酒に溺れたのだ。
失敗作といえど、力ない人間には過ぎた
眷属その全てが、その魔力に取り憑かれた。
リリルカの親もそうだった、いつしかファミリアに一番貢献した人間に渡すという規則が生まれた。
たった一度呑んだだけだ。ほんの一滴、雀の涙にも似た雫を嚥下しただけ。
ただそれほどまでに、酒作りの神が産み出した美酒の魔力に
天にも昇る様な酩酊感。
この世の全てがどうでもよくなり、その酒の事しか頭に浮かばなくなり、神酒を第一に考えてしまうが故に、それ以外の事態に目を向けれなくなってしまったのだ。
神酒を得る為には、
過程はどうでもいい。
商いをしようが、冒険者所以のダンジョンに駆り出してモンスターを討伐し、魔石を集めて売り払ってもいい。
はたまた、
要は、結果が全てなのだ。
「私は、私は、」
憔悴した様に呟く。
冒険者になるしか生きる術が無かったにも関わらず、この世界で最も非力な
装備を買い整える余裕もなく、その日に生きていくだけの日銭が稼げるかどうかの孤独な世界の中で。
リリルカは暴力に塗れて、恐喝を恐れた。
力のないリリルカは、サポーターとして日々ダンジョンに足を踏み入れていた。
モンスターとの戦闘は冒険者の仕事、サポーターはその傍らで落ちた魔石やドロップアイテムを拾い、冒険者達の稼ぎ幅を増やし、時に傷ついた時はポーションを使いその身を癒してきた。
しかし、サポーターの待遇は決して良くなかった。
寄生、能無しなどと云われない言葉を吐かれ、まともに報酬を分配された事などなかった。良くて二割、報酬が無い日の方が多かった。
生きる為に絞った知恵で、リリルカが魔石を交換して稼ぎをちょろまかし、少しずつファミリアからの脱退資金を集めていた。
そんなある日の事だった。
いつも通りの昼下がり、煌々と照りつける陽光。
毎度お馴染みの冒険者が集うギルドの前で、見慣れた光景に鬱屈する。
今日も今日とて、手頃な騙しやすい冒険者はいないものかと吟味をしているその時、リリルカの目に見慣れない同業者が止まった。
「すみませんっ、誰か僕をサポーターとして雇ってくれませんか」
いつからそう声を上げ続けていたのだろう。
喉は枯れ、疲弊しているハズなのに精一杯に声を上げていた。
穢れを知らない白の髪を揺らし、赤い瞳を持つどこか兎めいた少年。
少し背伸びして購入したのだろう、支給された物と比べると上等な腰の短刀。
少し古びた外套の上から背負った明らかに使い込まれ、擦り傷やこびりついた黒ずんだ血の染みのある大きなバックパック。
真新しいものを買えずに、昔サポーターしていた者のバックパックを買ったんだろう。
「誰か、サポーターを――ごほっ」
水分補給すらまともにせず声を上げ続けていた影響か、その場で咳き込み蹲る。
同じ境遇に陥った見知らぬサポーター、そんな姿に何故かリリルカの体は動いていた。
「大丈夫ですか? 水です、飲んでください」
「え、いや……そんな、受け取れ―げほっ」
「いいから!」
同じサポーターだからこその仲間意識なのか、夢半ばに
リリルカには分からない。
無理やりに水を渡すと、申し訳なさそうに水を飲んで一息ついた。
困惑気味におどおどとする少年の姿に、リリルカは兎みたいだな、と思う。
「水ありがとうございました、あの、お代はお支払いします」
「要りませんっ。そんなに声を枯らして、必死そうなあなたからお金は受け取れません。それに――」
「そ、それに?」
「――お金もあまりお持ちしてそうに見えませんし」
「うぅ、」
それが、
その日を境に、ベルとリリルカは交流し、共に冒険者パーティへ同行しサポーターとして活動した。
リリルカ一人の方がマシだと断言出来る程の拙い仕草、長年更新されてないリリルカに比べても動きが遅いステイタス。
話を聞けば、どうやらベルの主神は溺睡症に罹患したらしく。このオラリオに来たのも二月程前、ステイタスも余り伸びてないのも納得である。
主神がそんな状態であれば、今までのオラリオにおける神への処置といえば天界への送還が基本。
状況が状況だ。
ギルドへ説明すれば、新しいファミリアへの斡旋なども行えただろうに。
なんとも目の前の愚かな少年は、そんな状態の主神を見捨てず、成長期である自分の体を顧みず少ない食事を摂り、それ以外のお金を主神の治療のために注いでいるのだという。
呆れた話だ、自分を犠牲に他人に尽くすなど。
そうは思うが、本人に言うのは憚れる。
いたいけに唯一の主神を崇め、その身の為に非力にも等しい体で稼ごうというのだ、涙ぐましい努力じゃないか。
そうリリルカは思いながら、サポーターとしての仕事や役割をベルへと教え続けた。
教えるのだから、サポーターとして得られる報酬もリリルカの方が多く取って当然。
スズメの涙ほどの報酬を受け取ったベル、悪態をつき逆上してくるのは目に見えた。
なにせ、こちらは非力な
だというのに、
「こんなに頂けるんですか!? ありがとうございます、リリルカさん!」
そんな言葉を無邪気な笑顔で言ってくるのだ、呆気に取られた。
どこまでその髪の色の様に、穢れを知らないその輝きがリリルカには眩しかった。
それから一か月程経った。
ベルは要領よくサポーターとしての仕事をこなし始め、二人一緒から別々で業務を請け負い始めた。
それから、ベルの持ち前の人懐っこさと小動物感から来る保護欲からか、リリルカなんかよりも待遇が良くなり始めた頃だった。
「最近、冒険者の人たちから頑張ってるからと報酬を多く分けてくれることがあるんです。そのお陰で、神様を治療する為に必要な資金も貯めれる様になって――」
そう語るベルの横顔が、リリルカにはとても輝いて見えて、とても苦しかった。
―――なんで、この人は私と違うんだろう。
どろりとした暗い感情だった。
ベルは、そんなお世話になっている冒険者達にお返しをしたいと次はどういう事をすれば役に立つかを聞いてきたが、そのどうしようもない無垢な声音に腹が立った。
―――どうして、私も
少し、八つ当たりしてやろうと思った。
薄汚いホームへと帰還し、いつもと同じ様にリリルカから報酬を巻き上げようと近寄ってきた冒険者達。
「おい、リリぃ。稼いできたんだろぉ? 早く寄越せよ、また殴られてぇのか?」
いつもなら反抗し、暴力を振るわれて、お金を巻き上げられて、下卑た嘲笑を受けて眠りにつく。
だが、その日は違った。
「私なんか虐めて奪うより、もっといい案がありますよ」
「……ぁあ?」
内側から来る感情のまま、何に対しての憤りかわからないままにリリルカは吐き出した。
ベルの所有する財産のことを。
リリルカの言葉を聞いて、呆気に取られた様にした後、大きく嗤い声を上げて冒険者。
「ぎゃははっ! おぉい、お前も染まってきたなぁ俺たちによぉ!?」
「当然です、私も同じファミリアの一人なんですから」
そう返して、下卑た冒険者と同じ様に笑う。
その時、自分が上手く笑えているか分からなかった。
あれから、冒険者主導のもと、計画が練られた。
今日はその計画実行日。
前もってベルと予定を合わせて、急遽体調が悪くなったから一人で行って欲しいとお願いして、ソーマファミリアの冒険者数人とベルは迷宮へと潜って行った。
その背中を手を振り見送って、すぐに吐き気を催して路地裏に逃げる様に駆け込んだ。
胃液をたちまち吐き出して、苦渋に顔を顰めて。
汚れるのも厭わずに、リリルカはその場に蹲った。
「
言葉を吐けば、ずくりと傷んだ。
この鈍痛は、体の痛みなのかそれとも良心の阿責なのか。
リリルカにはわからなかった。
◇◆◇◆
「――ァァァああああああっ!!!」
咆哮する。
悲鳴にも似たそれは、不条理に対しての憤りと、この様な事態を招き入れた運命への怨嗟が入り混じっていた。
叫んだ所でどうしようもない、ただそうしないと臆病な自分が折れて砕けてしまいそうだから。
腰から引き抜いた短刀。
上等な武器では決してないが、主神が一緒に選んでくれた数少ない戦場を一緒に渡り歩いた相棒を握りしめる。
しかし、そんな相棒もたったの一度、目の前の標的が持つ
先程まで此方を追い詰めて嘲笑ってきた冒険者達も恐怖し戦う者、逃げ惑う者それぞれかのモンスターに抵抗したが、虚しくその膂力によって叩き潰されていた。
撒き散らされた臓腑でぬかるんだ地面を踏み締めて、たった一人逃げた先は壁一面の逃げ場のない一角。
もう既に、退路は無い。
「くそっ、くそっ、くそッ!」
今、こうしてる間にも
他の冒険者に攻撃してる隙に、震える足を無理やりに動かしてここまで来たというのに!
逃げ場もなければ、勝利に至る道もない。
唯一太刀打ち出来る己の肉体、しかし最期に更新したステイタスはもう一カ月も前のもの。
「なんで、五階層にあんなバケモノがいるんだよっ」
従来出現するモンスターであれば、少なからず太刀打ちも出来たであろう。死ぬまではいかずとも、必死にあがけば希望を掴めたかもしれない。
なのに、なのになのになのに――――ッ!
「ぶるるっ」
凶悪な吐息と共に、ベルが逃げ込んだ路地に通じる曲がり角の外壁を左手で掴み、体を支える様にして奴は此方側を覗いた。
壁越しに見えたそれは、徐々に全貌を現して。
全身を染める赤銅色の毛並み。
餌食となった冒険者のであろう血肉が付着し、斑点模様の様にその肉体を彩っていた。
尖った双角を頭部につけた、獰猛な呼気を漏らす凶悪な面。
右手に握りしめた
その巨大な体躯を支える全身の筋肉は、興奮からか獲物に一度逃げられた怒りからか、それとも別の感情かは不明だが、蒸気を発するほどに熱を持ち隆起していた。
そんな凶悪なまでに暴力を体現したモンスターの名は――ミノタウロス。
本来であれば中層域に棲息するモンスターである。
「来るなっ、嫌だ! 死にたくない!」
ベルの絶叫の耳心地が良いのか、ミノタウロスの醜悪な面がにたりと歪む。
舌舐めずりした口元から、ぼたりと粘着質な液体が地面に垂れた。
「ブモォォオオオ――――ッッ!!」
「ひぐぅっ!?」
ミノタウロスが雄叫びを上げる。
たったそれだけだが、ステイタスの暴力は肺活量にまで至る。ふんだんに取り込んだ酸素を、大声と共に吐き出せばまるで荒波の様にベルの痩躯を打ちつける。
その衝撃と先程の冒険者達から向けられた
味わい慣れないその殺気は、まるで下層域のモンスターの持つ
その微かばかりの硬直。
ベルが余りの恐怖に瞼を閉じたその一瞬。
まるで瞬間移動の様にして、強固なダンジョンの床がひび割れるほどに、爆発的な推進力を持ってベルの目の前にミノタウロスが出現した。
「っぐ、ゥあああ!!?」
成人男性程の大きさの棍棒をまるで、枝を振るかの様にして振るわれた。
はち切れそうな程に蓄えられた筋力を充分と棍棒に伝わせて、獲物に食いつくかの様にベルの横腹を強襲。
咄嗟に左腕を差し込んだのが功を奏したのか、その一撃で即死に至らず。
ただ、ベルの左腕を起点に臓腑を突き揺らす程の衝撃が突き抜けて、同時にいくつかの内臓が損傷し、逃げ場を求めた衝撃と共に喉から血反吐がせりあがり、ごぽりとその端正な口膣から溢れ出た。
轟ッ、と唸る風切り音。
ベルの体は、まるで花びらの様にして舞い上がり圧倒的なまでの膂力により、10
「っご!? ぽ、っぉえ」
ダンジョンの内壁に衝突して、ようやくその勢いは死んだが代わりに叩きつけれた衝撃がベルの内部で反復して、骨を砕いて破裂した臓腑を更に掻き乱した。
口だけに飽き足らず、鼻に目からも血を流して、ずるりと地面にへばりつく様に倒れ込む。
「っ
言葉を発せど、臓器が破裂した影響からか思った発音で出ない。所々血液を混じえ、唯一、今の肉体の状態で無事といえる右手が離さなかった短刀を霞む目で見やる。
ギルドから支給される物に比べると多少背伸びをして、ヘスティアと共に購入した短刀がベルの顔を反射する。
夢と希望を映していた紅玉の瞳は、今や昏く染まり、どろりと一際昏い赤が溢れる。
憧憬を音色に載せて、ヘスティアと共に語り合った口元は呼吸すら上手くいかないほどに痙攣し血を吐いていた。
―――あぁ、神様。
地面を踏みしめ、愉しそうに嬉しそうにその面を歪めて鼻息を鳴らす。
ベルの霞む視界の先で、ミノタウロスがただただゆっくりとこちらが生にしがみつきもがく姿を一秒でも長く楽しもうと歩みを進めてくる。
強烈な痛みが体を走り抜ける。
衝撃で骨が皮膚を突き破った足の爪先、捻り曲がった左腕の指先、先端から熱が奪われていくのがわかる。
死神の鎌がその首元に掛かる、そんな幻覚すら感じ取れる。
駆け巡る14年の記憶。
ゆったりと心地よく語られる英雄の詩。
忠告を無視して森へ入り、はぐれゴブリンに襲われた際に牧草を掻き分ける為の農具を雷鳴の如く突き刺して救い出してくれた、どんな英雄譚よりも鮮烈に魅せられた祖父の勇姿。
路銀も尽き、一人孤独に飢えて冷たくなる事さえ考えていたベルを掬い上げ、そのその神性由縁たる灯をベルの心に点けてくれたヘスティアの姿。
そして、溺睡症にかかり安らかに眠りにつくヘスティアの下で宣言した誓いを。
その全てを思い出した瞬間、動かそうとも激痛で動かせなかった右手に力が戻る。
―――そうだ、神様にもう一度会うんだ。
その目に意思を宿して、その瞳は高潔たる主神の炎の煌めきを。
―――何の為に、
右手を強く握りしめて全身に力を込めれば、卒倒しそうな程の激痛に神経がスパークする。
「――ぁぁアアアッ!!」
血が溢れ、滲んだ声で咆哮する。
元より困難な道なのだ、気弱な
弱音を吐くな、自分の憧れた人物達は弱音を吐かなかったのだから。
―――なるんだ、物語の様な。あの時、僕を守ってくれたおじいちゃんの様な英雄にッ。
虚勢でも何でもいい。
今、生にしがみつけ。
活路を見出せ。
最初から勝利を確信し、楽な冒険を超えてきた英雄はいない。
押し寄せてくる津波の様な困難を、そのどれもが超えてきたじゃないか。
「ぉぉォォオオオ!!」
痛みに神経がショートする。
背中がまるで燃えるかの様に熱を持っていた。しかし、それは灼熱する地獄の業火の様にこの身を灼くものではない。
その身に灯す炎の如き熱を表すなら――
―――僕は、英雄になるんだ。
折れ曲がった両脚で立てば、なんとも不恰好な立ち姿。
されど、先ほどまで追い詰められていたベルの姿よりも、その姿は雄々しく。
純然たる憧憬を燃料にして、ベルの魂が燃え輝いた。
刹那、ベルの眼前に映し出された謎の表記。それと、どこか
『 お知らせ
シークレットクエスト
[英雄へ至る道]の条件をすべてクリアしました 』
時が止まる。
―――な、んだ。これは、
シークレットクエスト?
見に覚えのない表記、それに、
「……英雄へ、至る道――っ? 条件、クリア?」
『 プレイヤーになりますか? 』
続く声。
「ぷれ、いやー?」
聞き馴染みの無い単語の羅列に困惑する。
ふと視界をずらせば、ミノタウロスの歩みが止まり全体が静寂の帳を下ろしていた。
『 プレイヤーになりますか? 』
何の事かは分からない。
『 選ばなければ、0.05秒後に英雄の資格を失います 』
―――英雄の資格を……失う――っ?!
選んでる余裕も暇もない。
何が何だか分からないが、この選択が英雄へ至る一歩となるのなら、
「僕は、英雄になりたいッ」
『 お知らせ
プレイヤーになりました。
スキル[
最もメジャーな英雄譚のタイトルの一つ。
そのスキルの恩恵は、能動的行動に対するチャージ権。溜めた時間に応じて、攻撃力を増す。
『 プレイヤー初回報酬、ステータスポイントの獲得 』
『 ステータス画面
名前:ベル・クラネル
レベル:1
職業:なし
疲労度:97
称号:なし
HP: 20/100
MP:10
筋力:10
体力:10
速度:10
知能:10
感覚:10
割り振り可能ポイント:10 』
そう表記された文字の羅列に、戸惑いながらもベルはステータスを割り振っていく。
直感で選ばれたそのステータスは、
『 ステータス画面
名前:ベル・クラネル
レベル:1
職業:なし
疲労度:97
称号:なし
HP: 20/100
MP:10
筋力:10
体力:13
速度:14
知能:10
感覚:13
割り振り可能ポイント:0 』
速度に1ポイント多く振り分けた。この文字が、実際効果を示すならベルの行動力に大きな差を出すに違いない。
これが今後の戦闘にどう影響を齎すかは不明だが、先ほどより少しばかり気持ちが楽になった。
瞬間、世界に色が戻る。
こちらを睥睨しているミノタウロスが動き出す、先ほどまで逃げるしかなかったベルに生気が戻ったのが気に触ったのか、不機嫌そうに不細工な面を歪め息を吐いた。
「ブモオオオオオッ!」
盛大な雄叫びと共にミノタウロスが、急速にベルへ向けて近寄る。
ステータスを割り振ったからといって、先ほどまで受けていたダメージが0に戻るわけじゃない。
絶望的状況は変わらない。
しかし、ベルの強固になった意思が傷付いた体を無理やりに動かした。
「ぉ、おおっ!」
右側に体重をかけて、折れた足の激痛をよそに力をいれてサイドステップ。
ベルが元いた場所に棍棒が振り下ろされ、ダンジョンの床が陥没する。
破砕した礫が、ベルの体を打ち付け、全身にビリビリとした痛みが奔る。
「っぐ、」
しかし、先程と違う。
満身創痍の体が、振り分けたステータスの恩恵を無理やりに理解させられる。
―――いける、動けるっ。
痛み、緊張、恐怖、興奮が最高潮に達して、アドレナリンが分泌する。
痛みで無駄な力みが取れた。
サイドステップ後、前に倒れるようにして前傾姿勢を取り、勢いよく踏み抜く。
―――早いっ、これがプレイヤーになった恩恵!?
驚愕しながらも、未だ棍棒を振り下ろした姿勢で隙だらけのミノタウロスの背後を取る様にして加速する。
神の恩恵を得た時も、自身の能力の向上に驚いたが今回の驚きはその時以上だ。
「はぁっ!」
鋭い呼気を一つ。
右手に握りしめた短刀の柄がぎちりと音を鳴らして、ミノタウロスの機動力を奪う為に後ろ足の腱へ振るった。
しかし、
「硬っ!?」
ステータスがあがろうと、その差は多少縮めど今のベルと比べてミノタウロスは上位存在。
強固な牛皮に、かすかばかりの血を走らせるだけに終わる。
鋭敏になった感覚がベルの脳内に警鐘を鳴らす。
反射的にバックステップを踏んで、後方へ回避。
刹那、鼻先を掠める棍棒の一撃。
「フーッ、フーッ」
満身創痍の獲物が目の前から逃げだし、あまつさえ擦り傷みたいなものだが抵抗されたことに対しての憤怒。
瞳孔を開いて、鼻息を荒げ、ミノタウロスは咆哮する。
「ヴモオオオオ――ッ!」
咆哮、同時、突進。
ダンっ! と、強く踏み抜いた地面が爆砕する。先程のベルと凡そ似た前傾姿勢、しかしそれは二足歩行になる以前の牛としての本能の戦闘スタイル。
凶悪な角を前方へ掲げ、魔石光に照らされたその先端。
「っ痛、ぁあああああ!」
間一髪、サイドステップで華奢な胴体を紙切れの様に突き破られる事は防げたが、力の入らない左腕が回避行動に間に合わず中にぶら下がる様にその身についてきていたが、二の腕に角が掠めて肉を剥ぎ千切る。
血が弾け、骨は剥き出しに。辛うじてつながっているかの様な重傷。
『 ステータス画面
名前:ベル・クラネル
レベル:1
職業:なし
疲労度:97
称号:なし
HP: 8/100
MP:10
筋力:10
体力:13
速度:14
知能:10
感覚:13
割り振り可能ポイント:0 』
激痛に視界が明滅する。
ステータス画面の数値が目減りし、直感的にその数値が自身の命のリミットだとベルは理解する。
血を失いすぎた、最早気力だけで立っているようなものだ。
だが、倒れるわけにはいかない。自分には、夢も希望もある。
どうしようもない自分を拾ってくれた神様が待っている。
憧憬を掲げろ、背に火を灯せ。
近接は厳しい、取っ組み合いも無理だ。
膂力の差がある、刃を突き立ててもすぐに引き剥がされて叩きつけられてしまう。
ならば、遠距離しかない。
ミノタウロスに勝つのが目的じゃない、生還だけが唯一のベルの勝利条件である。
―――生き残りさえすれば。
ゴゥンゴゥンと、小さく響いてたそれは徐々に大きく音を奏でて。
ベルの右手が淡く白く発光する。
「ヴモオオオオ!」
危険を察知したミノタウロスが、怒鳴り声を上げてベルへと接近する。
大きく振り上げた棍棒、身を捩る様にしてなんとか振り切った先、振り下ろした棍棒が地面を破砕。
礫がベルへと当たる。
「っぐ、ぁああ!」
『 ステータス画面
名前:ベル・クラネル
レベル:1
職業:なし
疲労度:97
称号:なし
HP: 3/100
MP:10
筋力:10
体力:13
速度:14
知能:10
感覚:13
割り振り可能ポイント:0 』
額に破片があたり、流血し左目に入り視界が赤く染まる。
ボロボロの体、思い出したかの様に足がもつれそうになる所を、砕けた左手で太腿を殴り自分自身を叱咤する。
まるで玩具を振り回してるかの様に、ミノタウロスがその手に握った武器を辛うじて避けながらゆっくりと後退する。
―――こいつ、明確に隙がある瞬間がある。
今際の際で冴えた思考、澄み渡る感覚が明確にその隙を感知する。
このミノタウロス、自分の膂力を一番に発揮しようとする際大振りに構えて振り下ろす事が多い。
今回のベルに対してもそうだが、逃げる前に他の冒険者を轢き潰した一撃もそうだ。
―――狙うならそこしかないっ。
白い輝きが今か今かと明滅する。
右手に込められた力が溢れて、握りしめた短刀の柄が悲鳴を奏でる。
「ヴモォ――――ォォオオオッッ!!」
ベルの背が壁に着いた、その瞬間。
ミノタウロスが上段に大きく棍棒を振り翳したその一瞬の隙間。
「今だっ!」
逆手から順手に持ち替えて、そのまま思い切り短刀を一息に投げつける。
一拍にも満たぬ瞬間、空間を割く様に短刀が空を駆ける。
眩いほどの白の閃光は、さながら流星の如く。
一条の軌跡を描いて、ベルが見出したその一瞬の隙を突くようにミノタウロスの棍棒を握りしめる両手を穿つ。
「っっォォオオオ!!?」
穿った瞬間に、収束したエネルギーに耐えきれず短刀が爆散。
強固な皮膚が食い破られ、棍棒をその衝撃で地面に落とすミノタウロス。
ベルの決死の一撃は、そのスキルによって有り余る程の強化を経てミノタウロスに重傷を負わせた。
しかし、今の状態でそんな一撃を繰り出したベルの体も限界を迎える。
視界を確保できていた右目がゆっくりと塞がっていく、体が力を失い重力に導かれ地面に膝をつく。
―――ここまで、なのか。僕は、僕は……
格好の餌食でしかなかったベルの予測不可能な一撃を喰らい、悶絶するミノタウロス。
やがてそれは激情へと塗り替えられる。
両の手を失い、そこから血を垂れ流しながら右足を振り上げた。
目の前の木端に等しい存在、吹けばその命の灯が消えそうな程の小さい存在を踏み潰し陵辱しようと。
抗いたくても抗えぬ程の脱力感。
瞼が落ちて意識が消えゆくその瞬間、ベルの視界に金色の閃光が奔った。
「―――大丈夫っ?!」
透明無垢のその声色に、焦燥の声を乗せて。
ベルの視界に朧気に映るその姿は、まるで物語に現れる精霊の様に綺麗だった。