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変調のはなし(3)

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前回は 802.11a/g 以降で使われている直交周波数分割多重変調方式 OFDM について解説しましたが、今回は OFDM と対極をなす(概念でありながらよく混同されている)「周波数拡散方式」について簡単に解説します。

周波数拡散のメリット
以前にも何度か述べてきましたが、周波数拡散というのは「通信中に搬送周波数が(かなり広い範囲で、しかも頻繁に)変化する」通信方式です。TV に例えるなら、ある番組が最初の5分は2チャンネルで放映されていたのに、5分経つと突然8チャンネルに切り替わり、更にその5分後には4チャンネルに切り替わるような状態です。実際の周波数拡散通信では、これが数ミリ秒~数マイクロ秒という短い時間で切り替わります。
そんなにパカパカせわしなくチャンネルを変えることに一体どんなメリットがあるかというと、

(1) 周波数選択性の妨害に対して強くなる
(2) 乱反射条件下のシンボル間干渉に対して強くなる
(3) 盗聴が難しくなる

というメリットがあります。

(1) はもっともわかりやすいメリットでしょう。拡散を行わない固定搬送周波数方式の場合、使用する周波数に妨害電波が出されると通信が成立しなくなります。しかし拡散方式では常に周波数が動きまわっているので、ある瞬間には妨害を受けたとしても次の瞬間には妨害から逃れることができます。ここで「妨害」というのは必ずしも恣意的な電波妨害だけでなく、半波長遅延した通信波の干渉による電波強度の低下(周波数選択性フェージング)や、同じ通信方式を使う他局との衝突(帯域内干渉)も含まれます。後者のメリットは特に、同じ周波数帯域に多数の通信局を収容できる CDMA 方式のメリットとして語られることが多いです。
 

(2) についてはここで説明したことがあります。乱反射の多い環境で遅延した電波が重なって届くと(マルチパス干渉)、たとえフェージングが起きなくても時間軸のズレた情報が重なり合い、TV のゴースト画像のようになって情報が正しく読み取れなります(シンボル間干渉)。

 

単一周波数におけるマルチパス干渉波形からは原信号の再生は困難

単一周波数におけるマルチパス干渉波形からは原信号の再生は困難

 

しかし拡散方式にすると時間がズレれば周波数もズレるので、ある時間に送信された情報「A」が反射によって遅延し、その数マイクロ秒後に送信された情報 「B」に重なったとしても、両者の搬送周波数は(高い確率で)異なるので潰し合いません。むしろ逆に、情報「A」の周波数から「それは本来どの時間に送ら れたものが遅延して届いたのか」を逆算して推定し、改めてそれを合成することで受信精度を上げることすら可能です。これをレイク(Rake)処理と呼んで います。Rake とは「熊手」のことで、遅延素子を何段にも組み合わせて信号を再合成する回路が熊手に似ていることから命名されたもので、遅延素子の数を「フィンガー」と呼び、4-Finger Rake のように呼びます。

周波数拡散するとマルチパス干渉後の波形からも原信号が再生できる

周波数拡散するとマルチパス干渉後の波形からも原信号が再生できる


(3) も比較的わかりやすいメリットです。シングルキャリア方式では周波数さえ合わせれば信号そのものは受信し放題(その信号が暗号化されているか否かは別として)ですが、周波数の飛びまわる拡散方式ではそもそも「信号を受信する」ことじたい容易ではありません。結果として盗聴しにくく、セキュリティに優れた性質が自動的に実現されることになります。
もっともこの性質は、正規のノード同士が通信するときにも問題になります。通信開始前にお互いの使用する周波数遷移パターンを一致(同期捕捉)させなければならないので、例えば Bluetooth では切断状態~通信可能になるまでの遅延が他方式より若干長いものになっています。


DSSS 方式について
さて、周波数拡散にはホッピング方式(Frequency Hopping Spectrum Spreading:FHSS)直接方式(Direct Sequence Spectrum Spreading:DSSS)の2方式があります。FH については何度か言及してきて直観的にも判りやすいので、今回は DS 方式について少し詳しく解説します。

DS 方式においてはデータを載せた変調波形(ベースバンド)に対し、その何倍もの高い周波数の搬送波を乗算論理(XOR)で合成します。そして DS で使う搬送波はふつうの定常周波数波ではなく、疑似乱数系列から生成されたノイズに近い波形(PN系列:Pseudo-random Noise)が用いられます。
搬送波を方形波で表現すると、定常周波数では 0 と 1 が常に一定間隔で現れますが、疑似乱数波形では一見すると出鱈目な間隔で 0 と 1 が出現します。このため、搬送波の周波数...すなわち「0 と 1 が現れる間隔」」も一定ではなく広い範囲に分散することになり、すなわち「周波数が拡散」します。
この「一見出鱈目」な搬送波をベースバンドに XOR 合成した波形も当然ながら「広い範囲に拡散した」スペクトラムを持つ「一見出鱈目」な波形になりますが、もう一度同じ搬送波情報を XOR 合成することによって元のベースバンド波形が再生できます。簡単に言ってしまえば、これが DS 拡散方式の動作原理です。
 

DSSS方式の変調原理

DSSS方式の変調原理(表示)


DSSS 方式のベースバンド波形と変調波形の相互変換は、画像に例えるとわかりやすいかも知れません。0 と 1 がランダムに出現する PN 系列を二次元にプロットすると、まさにノイズのような砂嵐画像になります。ここにベースバンド画像を排他論理合成(XOR)すれば、合成後の画像もやっぱりノイズのような画像になります。合成後の画像「だけ」から原画像を推定することは極めて困難でしょうが、合成に用いた PN 系列をもう一度 XOR 合成すれば原画像が再生できます。疑似乱数系列と XOR 合成は暗号処理の基本でもあり、DS 方式は生まれながらにして暗号的な素質を持った方式だとも言えます。

DS 方式における PN 合成と分離のイメージ

DS 方式における PN 合成と分離のイメージ


DS 方式におけるPN系列の搬送波はチップ波形(chip stream)とも呼び、チップ波形とベースバンドの比率を「拡散比」あるいは「チップレシオ」と表現します。例えば元祖 IEEE802.11 ではベースバンドの変調周期 1M シンボル/秒に対してチッピング周期 22Mcps で、拡散比は 1:22 になります。
DS における周波数スペクトラムは(前回 OFDM のときにも解説した) sinc 分布に従いますが、非拡散方式のスペクトラムがデータの変調周期...すなわちベースバンドのシンボル間隔に従うのに対し、DS 方式ではベースバンドではなく搬送波のチップ間隔に従います。 そして OFDM がシンボル変調周期をあえて長くしてサブキャリア1本あたりの占有帯域を狭めようとしているのに対し、DS 方式はベースバンドよりも短い間隔で信号を「ひっかき回す」ことで逆に帯域を広げています(※註)。OFDM と周波数拡散は「似ているようで実は正反対を向いた技術である」ということを、この辺りからも感じて頂ければと思います。

(※註)ただし、OFDM が狭帯域のサブキャリアをびっしり横に並べることによって長時間(数百μ秒~数ミリ秒)にわたり一定の帯域を占有するのに対し、周波数拡散による帯域拡大は「確率が広がる」だけで、ある瞬間に占有する周波数は(ベースバンドによって定まる)狭帯域幅だけです。前回から何度も同じことを繰り返していますが、ここは OFDM 方式と周波数拡散方式が決定的に異なるポイントなのでぜひ理解しておいてください。

実用化されている拡散方式
さて、こんな良いとこづくめのような周波数拡散方式ですが、今日コンピュータ周辺の通信技術としてあまり多く使われてはいません。その主な理由は(またしても)伝送速度を上げにくいことです。元祖 IEEE802 では 1M シンボル/秒×2bit/シンボルで最大 2Mbps、改良された 802.11b では CCK という巧妙なテクニックを採用し(※註)チップ周波数も若干上げることによって 1.375M シンボル/秒×8bit/シンボルの最大 11Mbps まで上げました。しかし DS 方式による速度向上はそこで頭打ちとなり、より高速を求めて 802.11a/g で OFDM を採用したことは御存知の通りです。

(※註)CCKはベースバンド波形ではなくチップ波形に情報を乗せます。CCK-64であれば周波数遷移パターンを64種類用意しておき、1シンボル毎に6bit=64種類の中から1つのチップ波形を選択して送信します。受信側では1シンボル毎に「どのパターンで同期捕捉したか」という情報からlog2(64)=6bitを得ます。ベースバンドに乗せる QPSK の 2bit/シンボルにチップ波形の 6bit/シンボルが加わることで8bit/シンボルとなります。なお、CCK のような方式が成立するのは1シンボル期間内に多くのチップ波形が乗る場合、すなわち拡散比が高い場合に限られます。

802.11 無線 LAN 以外のメジャーな通信方式では Bluetooth が FH 方式、802.15.4 が DS 方式の周波数拡散を採用しています。Bluetooth は FH システムとしてはホッピング周期が短い(625μsec 単位)ことが特徴で、これによって対妨害性能などは上がったものの同期捕捉遅延や消費電力などの点ではデメリットも多く、Bluetooth LE では 40 本中 37 本のデータチャネルをセッション毎に選択して使うという、FH 拡散というよりも FTDMA(周波数時分割) に近い方式に変更されています。

802.15.4(Zigbee) は DS 方式としては比較的低いチップ周波数(2Mcps)を使っていることが特徴で、 2.4GHz ISM 帯 80MHz を 5MHz 幅×16 本のチャネルに分割することを可能としています。シンボルレートは 62.5KHz なので拡散比は 1:32 と高く、チップパターン 16 種類から1つを選択する CCK と似た変調方式(16-ary O-QPSK)によって 4bit / シンボルで 250Kbps のデータレートを実現しています。
しかしチップ周波数が低いということは「周波数選択性妨害に強い」という DS の特長を薄めるものなので、例えば同じ ISM バンドで 22MHz 幅を占有する WiFi (OFDM) と衝突すると 4 チャンネルがまとめて使用不能になってしまいます。このため DUST Networks 社の製品のように、802.15.4 を用いながらもチャネル間をホッピングさせることで周波数選択性妨害への耐性を上げる工夫がなされたシステムもあります。

砂上の楼閣に終わった IEEE802.15.3a 標準の地位を MB-OFDM と争った DS-UWB については以前にも紹介しました。DS-UWB は非常に高い(1.3GHz)チップ周波数を使うことで 3.1~4.4GHz の広い範囲に拡散させて通信するという、DS 方式の理想を具現化したような仕様です。ただし製品化されたXS110は一次変調がシンプルな BPSK(1bit/シンボル)で、シンボルあたり情報量が少ないのを高いシンボルレート(220MHz)で補う設計のため拡散比は 1:6 と高くはなく、更にレート 1/2 の FEC が適用されるためデータレートは 110Mbps と低めの値になっていました。

DS 拡散の「収容台数が多い」「乱反射に強い」といった特長は携帯電話の通信方式として高く評価され、いわゆる 2G 携帯の CDMA 方式として一時代を築きました。しかし音声通話よりデータ通信への需要が高まるにつれ、いわゆる 3G 携帯の CDMA2000 (※註) では帯域3本をまとめて使う x3 MC モードや一次変調に 16QAM を使う HDR モードによって高速化が図られましたがそれでも需要に追い付かず、LTE ではけっきょく無線 LAN と同じ原理の OFDM 方式が採用されました。しかし電波(=周波数)を仲良く分けあって使う DSSS/CDMA に対し OFDM は周波数をがっぽり占有して使うため、キャリア業者にはサービスエリアをフェムトセル化して基地局を増設しなければ LTE 本来の性能が出せない(加入者が増えた途端に速度が激減しかねない)課題が残されています。

(※註) 3G 携帯ネットワークには複雑怪奇な標準化戦争の歴史があります。3G 標準(IMT-2000)には米 Qualcomm 社の提案した CDMA2000 と NTT ドコモを中心に提案された W-CDMA の(直接互換性のない)2方式がありました。CDMA2000 陣営には EV-DO Rev.A に続く発展型として DS 方式の限界まで高速化を図った EV-DO Rev.B(不発)、OFDM を採用した EV-DO Rev.C (のちに UMB:Ultra Mobile Broadband と改称、LTE との競合に負け終息)などがあり、一方 W-CDMA 陣営の高速化技術には HSPA, HSPA+, DS-HSPA などがありました。これら過渡的な高速化技術は 3.5G とか 3.75G などの中途半端な呼称で呼ばれ、各キャリア毎に異なる商品名でマーケティングされたことも事態をわかりにくくしています。
 

方式 一次変調 シンボルレート 最大データレート 拡散方式
802.11 (DS) BPSK/QPSK 1MHz 2Mbps DSSS(22Mcps)
802.11 (FH) 2-GFSK/4-GFSK 1MHz 2Mbps FHSS(100msec/hop)
802.11b QPSK + CCK-4/CCK-64 1.375MHz 11Mbps DSSS(22Mcps)
Bluetooth +EDR 2-GFSK/QPSK/8PSK 1MHz 3Mbps FHSS(625usec/hop)
802.15.4 (Zigbee) 16-ary O-QPSK 62.5KHz 250Kbps DSSS(2Mcps)
XS110 DS-UWB BPSK 220MHz 110Mbps(1/2 FEC) DSSS(1320Mcps)
CDMA/One QPSK (down)
O-QPSK (up)
19.2KHz(down)
28.8KHz(up)
9600bps(down, 1/2 FEC)
9600bps(up, 1/3 FEC)
DSSS(1.2288Mcps)


まとめ
以上、簡単ですが周波数拡散について解説してみました。昨今の無線通信技術トレンドは LTE やら 802.11ac/ad やら、より広い帯域をガメることでより高速なデータ通信を実現する技術の話題が盛んで、周波数拡散は「そういや昔そんなの流行ったよねー」と言われるような雰囲気があります。携帯電話業界ですら OFDM を使う LTE の布教に熱心で、レガシーな音声回線なんか止めてデータ回線の LTE に一本化してしまおうという VoLTE が推進されているほどですから...。
しかし DSSS 方式の持つ CDMA 特性や Rake 処理による高い受信性能は OFDM に無い特長であり、両者は用途・特性に応じて住み分けるものだと私は考えています。なんでもかんでも OFDM にして高速化すれば良いというものではなく、特に IOT/M2M (Internet of Things / Machine To Machine) やセンサネットワークにおいては、低消費電力・高信頼性の DS 拡散やインパルス無線が再評価されて然るべきだと個人的には思っています。
ただ世の中は往々にして、理論的に美しくスマートな動作原理の技術よりも、泥臭くとも現物合わせだろうとも「今そこにあってとりあえず使える」技術が生き残って標準になってきた歴史があります。既存の 3G 携帯ネットワークを強引に OFDM 化した LTE が、新方式に基づくネットワーク再構築を前提とした WiMax や AXGP を押しのけて「事実上の 4G」として一世を風靡している現状はその典型的な例かもしれません。携帯ネットワークの世界はとうぶん LTE のサービスエリア拡大競争に終始する模様ですが、果たして混戦模様の IOT/M2M 市場がどうなってゆくのかここ2~3年が勝負どころで、予断を許しません。


 

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