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マトリに30日勾留された話

2月6日
家に関西マトリ(以下キンマ)と大阪税関(以下税関)が来て、ガサ入れの上新幹線で大阪へ連行すると言われた。マトリに逮捕された場合、マトリは警察と違って留置所を持たないため拘置所に直行することになることは元から知っていた。通常(警察=所轄に逮捕された場合)は逮捕時点では起訴もされておらず、犯罪者ではない。あくまで「容疑者」なのである。従って冷暖房の効いた人間的環境で人権に配慮して生活させる必要があり、警察署の「留置所」はそのような作りとなっている。私が昨年逮捕された船橋署など留置はお客様待遇で、被留置者が何様のように房ごしに千葉のヤクザ事情を熱く語っていた。しかし拘置所は私のようにマトリに逮捕された例外を除き起訴された「犯罪者」の収容施設であり、刑務所と同じ「法務省」管轄である。あくまでシャバの公務員である(警察署の)「看守」ではなく刑務所と同じ「刑務官」が管理している。当然冷暖房などないが、大阪拘置所では近年になり人権上の観点から改築が進み、多くの部屋が一人部屋かつ冷暖房付きだという。なおマトリに逮捕され起訴されるまでは拘置所にいるとは言え他の起訴された人と一緒くたにする訳にはいかないため一人部屋になるという。また私が合法と誤って輸入してしまった違法は2件あり、うち1件での逮捕だと言われた。これは遠回しに再逮あるいは釈逮があるということである。(仮に不起訴でも20日勾留でなく40日勾留ということ)そして大阪拘置所(以下大拘)とキンマの取り決めで「再逮でなく釈逮オンリー」と決められたという。すなわち釈逮、1度釈放と告げられドアを開けるとキンマの1団が待ち構えており、地検送致(逮捕後48時間以内に検事に勾留申請を出してもらい、裁判官に10日勾留を出してもらう)からやり直しということである。これはかなりメンタルにくると悪名高いため、事前に知れたのは不幸中の幸いである。6日は東京から大阪への移動もあり、また取り調べもしてとても地検送致できる時間ではなくなったため1日だけUSJ近くの此花署の留置所で寝てもらうと言われた。キンマは水が欲しいと言うたびにペットボトルを出してくれた。なお税関に関税法の犯則嫌疑者としても挙げられており、税関は逮捕権がないため事件を薬機法違反でもキンマに投げた形であるためにスマホはまず税関に押収された。税関でデータを抽出したあとキンマに回しそこで初めて色々事の経緯を証明出来るという訳である。キンマの出す飯は一般のコンビニ飯であった。此花署の留置所ではもちろん隔離された一人部屋であった。寝る時眼鏡を預かられた。私は強近視であるが、「トイレには行けるだろ?」と言われると反論できなかった。
2/7
地検送致である。千葉地検と違いなんと大阪地検では交談禁止らしい。地検送致は丸1日待たされるのに時計がないことが千葉でも悪名高かったが、千葉ではひとつの部屋に4人程度の被収容者が入れられ、そこでは自由に会話できたしトイレもあった。一方大阪地検は病院の待合室のようなところでずらっとすわって待たされる方式で、千葉同様に時計はないし、トイレも許可を取って連れていってもらう必要があるし、トドメに交談禁止なので一日が非常に長く感じられた。あげく、夜7時過ぎまでかかった。関西は京都、神戸まで含めると大きいが大阪の街単体だと東京に比べかなりコンパクトシティであり、全てが1箇所にまとまっている地方都市と、東京のちょうど中間の印象である。従ってキンマも大拘も地検も全て狭い市内にあり、むしろ千葉より全然移動は短時間であった。なおマトリは全国にわずか300人しかおらず、人口2000万人の関西圏を管轄し「キンマ」の略称で悪名高いキンマすらごく狭いオフィスであると私は人から聞いていた。その通りで、キンマのオフィスの狭さと人員の少なさには驚いた。しかし関西の人口は日本の6分の1、犯罪者は首都圏に一極集中しているため、関西には日本の犯罪者の10分の1がいるとするとキンマの人員は30人程度ということになり、零細企業さながらのオフィスにも納得である。なお私は関東が長く、言葉遣いは標準語、アクセントは3-4割関西弁という風であるため留置所でも拘置所でも「方言」を聞かれた(関西圏では標準語は"方言"である)ではなぜ関東生活が長い私が大阪税関、キンマに挙げられわざわざ新幹線を使って大阪まで連行されたかと言うと、今日日危険ドラッグ(合法ドラッグ)など川崎東(日本全国を管轄する横浜税関)を通していては商売にならず、関西の私書箱を使うとか西日本の人の住所を借りるとかして川崎東(横浜税関)以外の税関を通す必要があったからである。従って間違って違法を輸入してしまうと大阪税関で事件化され、私書箱は大阪にあるため大阪税関は大阪府警あるいはキンマに逮捕と取り調べを依頼するという訳である。
2/8
大拘は暖房付きとは言え、それ以外は法務省管轄であり刑務所に近い仕様である以上、船橋署の留置所とは比較にならない厳しさであった。寝る時は布団を顔にかけてはならないが、私は無意識のうちにこれをしてしまう。刑務官が点検とか、何か私に用事がある時には4桁の称呼番号+苗字をすぐ言わねばならない。布団のたたみ方などことある事に「拘置所のルールと違う」と注意された。また2/8、2/9は土日であるため、基本的に稼働無し、全ての説明やなんやかんやは月曜(2/10)まで待ってくれと言われた。その代わり休日ということで一日中ラジオが流れていたし、横臥(横になること)したり好きにしてて良いと言われた。ただ9時の消灯以降は便所は流すな、水汲んでそれを投入するか、朝まとめて流すかしろと言われた。便所を流すボタンも非常に分かりずらい場所にあり、私はてっきり大便時は刑務官に流してもらう精神病院方式かと思い、はじめて大便した時は刑務官を呼んだ(刑務官を呼ぶにはそれ用のボタンがある)また布団によりかかるのは休日でもダメと言われた。休日は布団とまくらを使って勝手に寝ても良いのにである。また勝手に寝る時も必ず頭を扉の側にするルールもあった。なおキンマも土日は休みのようで、事前に「次の取り調べは月曜」と伝えられていた。
留置所と違って一日の流れが普通と違い、また部屋にある「未決拘禁者の生活のしおり/心得」にもそこまで丁寧な説明はなかった。どうやら朝5時半に起床、点検と朝食があり、12時に昼飯、4時頃に夕食のようだった。朝食はパンとコーヒーが出るのみで、昼食、夕食は普通の食事が出るのに感覚が短く、夕食からの9時就寝まで延々約5時間ラジオが流れているのが特徴だった。
2/9 省略
2/10
月曜である。朝はラジオはなく、土日より厳しくルール厳守が求められた。4人で並んで風呂へ行くのであるが、例えばこれひとつ取っても部屋から出る時は身体検査があり呼称番号+苗字を言い、部屋を出ると壁を向いて立ち、そこからはひとつひとつ刑務官の指示に従って移動する刑務所スタイルであった。しかし全体的に暖房がかかっていた。暖房がかかっていないのは取り調べや弁面(弁護士面会)でフロアを移動する時くらいである。しかし全体的に暖房がかかっているためそこも2月にしては大分暖かく、貸与された服では「寒い寒い」と独り言が出てはしまうが耐え難い寒さではなかった。シャワーのあと、キンマの取り調べがあった。税関職員も同席していた。押収品の所有権放棄を求められCBDとCBGは見ての通りだしTHC濃度N/Dと付いていた、国内でメルカリで買った履歴もスマホにあるし、CBD、CBGは数十万かけて仕入れた物であったためゴネるとあっさりそれはリストから消された。おそらくCBD、CBGは綿飴のようにフワフワしているため見てそれと判別でき、危険ドラッグとは一見して区別できたからであろう。
取り調べのあと弁面、当番弁護士が拒否したからやむを得ず国選を付けたという体裁で(無料の)国選をつけてもらった。なおマトリに逮捕されてる以上当然接見禁止で、また間違って輸入した違法なのに営利目的の疑いまでかけられており、原価が高すぎること、途中で送るのを止めてもらっていることなどをもって個人使用目的のどうでも良い輸入で、普段やっている厳重なチェックを怠ったと証明する必要があった。
弁面のあとようやく昼飯にありつけ、昼飯を食った後になって午後の取り調べに呼び出され、さらに取り調べ中医務に健康診断に呼び出された。留置所と違い、事前に告げられていたがよほどでないと眠剤は出ないという。逆にキンマが拘置所、刑務所生活のために「おくすり手帳」を木曜の極めて短時間のガサ入れで探し出して医務に提出してくれていた。千葉県警にそのような配慮はなかった(幸いにも当時不起訴であったため留置20日パイで、留置は言った通りの眠剤が出るある意味シャバより緩いシステムであったが)。なおキンマが「おくすり手帳」を此花署に見せて此花署の最初の一日だけ眠剤が出た。逮捕直後は緊張や疲れからすぐ寝られたが、いよいよ眠剤なしでは眠れなくなった。官本3冊面白そうなのが与えられたが全く読む気力が湧かなかった。
2/11
建国記念日、休日であるためルールは緩く一日中ラジオがかかっていて取り調べもない日であった。月曜に「全国的システム障害のため"願箋"で注文できるのは新聞だけ」と言われたが、それと別に土曜の入所の日に便箋とペンを購入できたので本来それと、着てきた服が今日の昼支給されるはずだが、休日であるためそれが明日(2/12)になった。
2/12 水
もう何日も顔に布団をかけていることが続いていたため次は起こすかもしれないと注意された。しかしそう言われてもどうしようもなく、起こされたら起こされたでそれだけさらに睡眠不足になるしかない。なお去年逮捕された時も20日勾留の間ずっと4時間程度しか眠れなかった。留置所だからシャバと同じ眠剤が出たのにである。
シャワーではなく風呂桶に張られた風呂があった。私が髭剃りを風呂で洗うと目ざとくそれを見つけられ2人がかりで厳重注意された。
風呂へ行く時も点検が面倒だからパンツ1丁になって欲しいのを、「パンツ1丁のほうが点検なくて良いよ」とまるで私のためかのように言ってきた。さすがにこの時気づいたが刑務官にもかな~り優しい/厳しいがあり、副担当だというこの刑務官はかなり厳し目の刑務官であった。刑務所や拘置所で受刑者への「さん付け」が義務化されたのもこのような刑務官で溢れているからだろう。この刑務官は昼前に平日座っている位置まで指定してきた。しかし内容はそれなり筋が通っており、また「無理してそこへ座っていなくても机をその場所へ持ってこれば良い、見回りの時そこへ居てくれると見やすいから…」等と理由まで説明してくれた。この直後おかしとコーヒーの差し入れがあった。大拘のすぐ近くで会社を経営している母親からであろうが、 留置所と違いそう言った詳細を聞ける雰囲気ではない。紙コーヒーはストローを除去されていたのでかなり飲み辛かった。おそらくこの他にも差し入れようとしたが色々入らなかった物もあるかもしれない。飯の量が少ないので差し入れのおかしをバクバク食べているとようやくラジオが鳴り出した。風呂ひとつとってもこの区画全体となるとかなり時間がかかっていたので先程あった差し入れ配布など色々一通り終わるとこの時間になってしまったのかもしれない。ラジオが始まるとすぐ昼飯の時間になってしまった。昼飯には牛肉と納豆があり私は牛肉だけで麦飯(刑務所や拘置所出る麦の混ざったご飯)を食べると、納豆だけ別で食べた。私も金銭的理由で納豆ご飯を食べることが今ではよくあるが、昭和以前の関西人は納豆を食べなかった。おそらく拘置所のメニューは全国統一されているか、大阪市は全国から人が集まるため今では納豆を食べない文化もなくなったのだろう。なお矯正施設(拘置所、刑務所、少年院など)は「でんぷん」ばかりで、「タンパク質」が少ないため数年入ると肌ツヤが悪くなり、出所すると10歳くらい老けて見えるとか、長期刑専用の刑務所に入ると周囲の人々の見た目の老け方や歯の少なさと実年齢の差に驚くとよく言う。歯が少なくなるのは医療が原因であるが、見た目の老化はシャバへ出ると数ヶ月で元へ戻るとよく言う。石鹸で体を洗うなども原因だが、ビタミン、タンパク質の不足が拘置所、刑務所の問題点としてよく言われる。しかし大拘は毎食そこらの貧乏人よりタンパク質豊富な食事であった(食事の"量"は不足していたが)。またこの手の刑事施設やら精神病院はカフェインに厳しい傾向があるが、大拘は願箋でコーヒーを頼まずとも毎朝コーヒーあるいは紅茶が出てきて、それ用のコップがあり朝食時は小窓にコップを置かねばならず、おそらくこの制度は最近暖房が入った改築以前からの制度と想像される。他にも時代がかった「ストレッチング」「室内体操」という貼り紙があり、平日は1、2度、休日は何度もこれが放送される(ストレッチをしろということ)。貼り紙や放送の雰囲気がとても21世紀のものとは思えないためこれもはるか昔からの制度と想像される。
この貼り紙2つの横に「インターホンについて」という貼り紙がある。刑務官はインターホンを昔ながらの「報知器」との呼び方で呼んでいるし、実際インターホンを押すと前のランプがピカピカ点滅するだけなので「インターホン」と言うより「報知器」と呼ぶべきシステムだが、興味深いのはこの手の貼り紙で刑務官を単に「職員」と表記していることだ。まぁ、確かに職員と言えば職員であるし、未決もいる施設で変な呼び方をするより「職員」と濁すのが施設側としても正しいのかもしれない。B級(ヤクザだらけの累犯専用)の府中刑務所では現代でも「オヤジ」呼びだと数年前に聞いた(これも矯正施設に関する最近の制度変更で禁止されたかもしれない)。
もうひとつ大拘(おそらく他の拘置所も)の制度で興味深かったのが、旧日本軍が使っていそうないかついペットボトルを支給され、食事の時に小窓にこれを空にして出しておき、茶の入った新しいものと取り替えられるという制度である。この茶を覗き込むと水と見紛うほど透明であるが飲むと茶の味がしっかりとするし、水道水とは明確に水質が違う。逆にここの水道水が水質が非常に悪く、刑務官も入所時にそのことを濁して遠回しに表現していた。しかし私は奈良育ちであり、まさに私の子供の頃の奈良の水道水がここの水道水そのものであった。また今日の午前には爪切りタイムがあった。そして洗濯があったが、洗濯物を出す時に戦前から使われていそうな番号付きの革紐?をつけて出す。そうしないと回収した後誰のものか分からなくなるからだ。この革紐?がデザインされたのは戦前かは分からないが確実に昭和であり、平成以降でないのはたしかだ。そしてズボンや靴下は革紐を付けようがないためこれを書いている現時点では洗濯の出し方が分からない。
昼三時頃、急にラジオが止まりチャイムが鳴り、「ハイー準備」とだけ流れた。洗濯物返還の「配衣」だろうか?正解は「配湯」であった。暖房がかかっていて水道水も飲めるのにコップにお湯だけ入れられた。おそらく暖房が入る前の名残りだろう。この時最初意味不明で、刑務官の言う「コップ」が文字通りコップを指していたと気づくと慌ててコップを手に取りビシャっと中にあった水道水をぶちまけてしまった。この時初めて気づいたがここは留置所のようなゴム製の畳もどきでなく本物の畳3畳であった。3畳にしては少し広く感じるのは関東間でなく京間だからかもしれない。西日本の畳屋で売っている畳や、不動産の〇〇畳表記は東日本より一回り広い京間というものである。船橋署の留置所は5-6畳(ゴム製ゴム製の)畳もどきが敷き詰められていたがここの1.5倍ほどの広さしかなかった。
お湯はかなり熱く、かなり冷ましてようやくチビチビ飲める温度であった。おそらく暖房がなかった頃の名残りで、暖房がなかった頃であれば人々は心からこれを待ち望んだはずである。
なお京間と関東間の僅かな違いが気になってきたのはここが畳3畳個室の「拘禁施設」だからだろう。私も東日本での生活が長いので関東間が標準になっており、畳3畳で個室の拘禁施設にするにはこの中途半端な広さがあるのが急に気になってきた。もしこれが関東間であれば個室の拘禁施設にピッタリであるが京間だと少し広いのである。去年入った船橋署の留置所はここの1.5倍の部屋に3人収容していたので私は特に違和感を感じる。もしかすると全国統一で「個室は畳3畳」として京間、関東間の違いを考慮せず西日本の拘禁施設を改築する時京間3畳で個室を作ってしまい、個室の拘禁施設にしては中途半端に広くなったのかもしれないし、改築する前から京間と関東間を考慮せず西日本の拘置所は広かったのかもしれない。なお厳密には3畳ではなくトイレ部分も含むと4畳であるが、船橋署の留置所も5-6畳にトイレ部分を足すと7畳程となる。
なかなかラジオが再開しないと思っていたら個人個人に何か用事があったり新入したりしているようだつた。刑務官の仕事(拘禁者への用事)を一通り終わらせてラジオ、休日は一日中ラジオが鳴っている、ということなのかもしれない。平日でも夕食後は就寝までだいたいラジオがなっているような気がする。
ここは拘置所であり交談できない上時計もないため、ラジオが鳴ってようやく船橋署の留置所と同待遇の感があり、ラジオが鳴っていないと気を揉む。この様子だとこのまま夕食で夕食あたりから鳴り始めるのかもしれない。なお月曜の取り調べでは「次の取り調べではスマホのやり取りを色々説明してもらう」と言っており、今日既にこの時間であるため今日は取り調べはない。そして金曜(2/14)午前に2度目の検事調べがありラスト3度目の検事調べもあると言っていたため、確実に明日その「スマホを見ての取り調べ」があるのだろう。2/14午前の検事調べは明後日に当たる。なお拘置所は基本的に裁判を待つ施設であり取り調べは普通ない。私はマトリに捕まったからマトリが拘置所を留置所代わりに使っているごく稀なケースである。
従って他の人は日中ヒマだから申し出て作業する制度などありそれを利用してる者も多いそうなので夕食前はそれの帰宅同伴など刑務官がやっているのかもしれない。結局夕食後しばらく経って外が薄暗くなってラジオが再開した。またその直前点検があったが、点検後厳しい副担当が「番号+苗字でなく点検時は番号だけだ」と注意してきた。
全く時間が分からないが、外がかなり暗くなってからラジオで「5時台は~~」と言っていた。従って夕食はおそらく4時半、これを書いている今はまだ5時台なのだろう。廊下の電気が消えたタイミングが5時過ぎで、刑務官達にとっての定時かもしれない。刑務官は普通に考えて17-17時30分に夜勤と交代するはずで、18時過ぎだと計算が合わない。妙に夕食が早いのはおそらく刑務官のサイクルに合わせているからで布団を敷いて良いのが17時30なのでそれは収容者たちに何らかの形で伝える必要があり、廊下の電気が消えたのが17時半だろう。
そして刑務官の交代を考えると夕食は16時半頃にすべきで、夕食関連の作業が終わると夜勤と交代、夜勤は引き継ぎなどあるから夜勤に夕食をさせるとなると夕食が18時過ぎてしまう。そうなると夕食の準備をする他の職員、あるいは被収容者の作業員の定時を18時過ぎに設定する必要が出てくるためこうなっているのだろう。これをまさに書いている時ラジオで18時の時報が鳴った。ラジオ時報はこの他正午のお知らせがある。もちろん21時の消灯、朝5時半の起床でも時間を知ることができる。特に午前は色々イベント?があるので暇しない。
そうこうしているうちにラジオで正午の時報を聞いたり、昼飯でおおよそ正午と知ることができる。時間が気になるのは昼飯から夕飯の間4時間半だけかもしれない。夕食の1時間後には廊下の消灯やラジオ時報で18時を知ることが出来、それから3時間はラジオが鳴っているし、布団を敷いて横になる権利もある。キンマは「地検送致の1日はめっちゃキツイが、拘置所は時計いらないだろ」と言っていたが、午後の4時間半を除けばそうかもしれない。
2/13(木)
やはり4時間程度しか寝られなかった。また朝起きてから点検までの時間が妙に長く感じられた。点検は「〇〇号室!」と1人の刑務官が言い、被収容者が称呼番号を言うと2人1組の刑務官がそれぞれ「1名!」「1名!」と叫ぶのだが、「〇〇号室」は発音が良すぎてそれと聞き取れないし、「1名!」「1名!」という叫び声も体育会系の部活そのものである。おそらく刑務官という職業上かなり体育会系にならざるを得ず、外国人も増えた被収容者への接し方はまだマシかもしれない。そもそも暖房がかかっている大拘はまだしも全国の矯正施設は冷暖房なしなので刑務官もまた極寒の中過ごしているのである。実際私は地検送致の日寒さに震えていたがキンマの中に急遽動員されたからとスーツ1枚、ネクタイなしという極めて寒そうな人がいた。
もちろんその人は「めっちゃ寒い」と実際言っていた。
これを書いて気づいたが彼はキンマのオフィスから急遽動員されてオフィスにその服しかなかったからそれを着てきたということは徹夜で何かしていたか或いは仮眠していたということである。朝食後、今日は風呂もシャワーもないため手持ち無沙汰であった。願箋の放送がされたが例のシステム障害のため新聞、雑誌のみなので何も注文するものがなく、しかし願箋やら何やら刑務官は仕事があるのでラジオもないという状況が続いた。おそらくこれが9時ー10時まで続き取り調べに呼ばれるのだろう。また洗濯もあったが、ズボンもTシャツも革紐を付けられないため上着1枚だけ出した(洗濯は3点まで可能)。
今度は一昨日洗濯に出した上着1枚コート1枚が返ってきた。すると朝9時に早くも取り調べがあった。取り調べ官は若くて可愛い女性だったが、「厳しい警官」役なのは明確で、月曜に抱いたあわよくば不起訴の希望を粉々に打ち砕いてきた。午前の取り調べが終わるとまた差し入れがあった。母親が自分で買ってきたのではなく大拘にある差し入れ屋に頼んでいるようだった。午後の取り調べも不穏な空気であった。もしかすると自分はロング(長期刑)行くのではないかという気がしてきた。
その日は取り調べの時の不穏感が原因で尚更寝られなかった。また顔に布団をかけてしまい、ついに刑務官に声をかけられ、寝ていたので深夜なのに大声で反応してしまった。次の取り調べは月曜だという(検事調べは明日)。
2/14(金)
朝一番から服の差し入れが入った。昨日の晩入れたのだろうか?また願箋の放送があった。月曜の医務申し込みもしろと言う。例のシステム障害のため新聞と雑誌しか購入できない。その後シャワーがあった。数日前厳しい副担当に指示されたようにパンツ1丁になってみると意外と寒くなかった。シャワーを浴びてしばらくすると配湯が始まった。検事調べは向こうから来てくれることもあるそうなのでそうかもしれないし、あるいは9時出発なのかもしれない。配湯に来た厳しい副担当はこの時はじめて私の副担当だと名乗り今朝医務の申し出をした件を詳しく聞いてきた。今朝はコーヒー/紅茶の代わりにレモン水のようなものが出たので特に眠気が辛かった。検事調べは私の年齢からロースクールに通い直し検事になったという大学のはるか先輩がこちらへ来てくれるという形で和やかに終わった。検事調べが終わるとコーヒーの差し入れがあった。
またおかしの差し入れがあったが、今度ははじめて母親のサインが見られた。
昼過ぎラジオを聴きながらウロウロしているとついに厳しい副担当から座っているよう言われた。刑務所や拘置所は本来用がない時は座っていなければならず、皆定期的にトイレに行くフリをしたり色々工夫しているのたが、これはADHDかつ起訴前の私にはかなり辛い。しかし寝不足で常に眠いので土日になり横になってられるようになると楽かもしれない。その後配湯の放送が流れたが当然なかなか湯は来ず、手持ち無沙汰だった。しばらくして配湯に来た副担当が「座布団の入れ方分からないの?」と煽るような言い方をしてきたが、そもそも誰の目にも明らかに座布団が座布団入れより大きいし、また座り心地を論じる以前の問題なのは明らかだった。またいつになってもラジオが再開しないのが気になってきた。また歯磨き粉も早くも底が尽きてしまったが、来てわずか1週間なのでそのことを刑務官に言うのは気が引ける。今日はもうウロウロしていられないので余計長く感じるが、ここへ来てから午前の6時間半や夕食後の4時間より明確に昼飯から夕食の間の4時間が長く感じる。夕食後、点検準備で座って待っていると厳しい副担当が目ざとくトイレの上のチリ紙を戸棚に移動しろと言ってきた。
差し入れ本数を1日3冊以下にするよう放送アナウンスがあると、ラジオがおよそ半日ぶりに再開した。しばらくするとチャイムが鳴った。これが5時半だろうか?外はまだ明るいが…。
夜になってから勾留延長(~26日)の連絡が来た。20日勾留は形式的には10日勾留×2だからである。
この日はいつもにも増して眠れなかった。
2/15(土)
休日なので点検の「1名!」「1名!」もほぼ同時に言うくらい雑で、朝からラジオも鳴っていた。9時頃になるとストレッチの音楽が流れてきた。いかにも昭和風なBGMと収録時点で70歳前後と思われるおばあさんの声がながれてくるのだが、おそらくこの録音は「ストレッチング」の貼り紙と同時に作られたはずで、1980年代かそれ以前に収録されたはずである。1985年時点で60歳としても1925年産まれである。ずっと気になっていたのだが「ストレッチング」の貼り紙の上に「室内体操」の貼り紙があり、監修者として書かれている当時大阪女子大学教授だった人物の名前が確実に戦前生まれの女性の名前で、現代ではこの名前ではこの名前が女性名と判別できない若者も多いような名前なのである。なんなら1800年代産まれの可能性もかなり高い。それが亡くなってもずっと大拘の室内体操の監修者として当時の肩書きのままずっと残って、大拘が改築されてからも全ての部屋に貼り直されているのだから歴史上の偉人と共通するところがある。おそらくこの人物が大阪女子大学の教授だったのは40年前~50年前、約半世紀前の話で、おそらく20年前には鬼籍に入っているだろうの大拘の収容者全員が毎日その名前を目にしまた同じ年代の人の声のラジオを毎日5回も6回も聞くのだ!
時間を知ることは出来ないが、ラジオで急に「10時39分です!」と流れてきた。横になったりウロウロしていたらもうすぐ昼飯らしい。昼飯の放送が流れる前に12時のチャイムが鳴った。ラジオはバラエティ中で時報はなかった。しかししばらくすると「配食準備」の放送があり時間は合っているとわかった。と思っていたら少し経って正午のニュースが始まった。その後に12時5分、12時10分のお知らせがニュース中にあった。昼飯のあと休日なので布団を敷いてゴロゴロしていると、睡眠不足のせいか時間が早く過ぎて午後の「ストレッチング」「室内体操」の放送がはじまった。またウロウロ、ゴロゴロしていると夕方の点検がはじまった。「1名!」を2人同時に言っているのでまだリラックスできる感じだった。
点検が終わると即配食準備だった。先週の土曜と同じで反対側の列からはじまり、こちらの配食が始まる前にラジオが再開した。
2/16(日)
昨年20日勾留された時もそうだったが連日4時間ほどしか寝られず不健康な目覚めだった。だが今日はまだ日曜で日中横になっていられるのでマシである。
ゴロゴロしていると「ストレッチング」の放送の時間になった。横になれる上ずっとラジオがかかっている土日は比較的楽である。
昼近くになるとさすがに腹ぺこになってきた。「腹八分目」とは言うが拘置所の食事は明らかに少ない。しかししばらくするとチャイムが鳴った。昨日チャイムの15分後から配食がはじまったので11時45分頃だろう。正午より少し前からニュースが始まったが、正午になるとチャンネルが切り替わり「正午のニュース」がはじまった。
土日もこれで終わり、取り調べや睡眠不足の中一日中座っていなければならない平日が明日になると思うと気が重い。
ウロウロしていると刑務官達の「点検行きまーす!」というかけ声が聞こえた。しばらくして放送も流れた。
とにかく眠れない、また取り調べがあると木曜のように色々勘ぐってしまうため、明日の訪れが憂鬱であった。平日が辛くて休日は楽とはまるで社会人である。社会の感覚を忘れないようにわざとそうしているのだろうか?
夕食の時は朝食でココアの出るおわんを出して、そこに汁物が注がれる。今日に限って汁物が無いという放送、そして座って待っていろという意味の「配食準備」の放送が流れ、今日は休日なので直ちに「配食」の放送が流れ、ラジオが再開した。
一日中ゴロゴロしていたせいか全く寝れない感じになった。
2/17(月)
平日なので「1名!」「1名!」と時間をズラした緊張感ある点検が行われた。しかし平日ということは厳しい副担当が出勤しているということであり、彼も影響しているかもしれない。毎日5時半起きだからか、5時20分頃に目覚めてしまい、5時25分頃に朝と勘違いしてトイレを流してしまい、5時半に電気が1つから2つ付いてそのことに気づいた。
配食中医者らしき人が来て、夜の担当がこれからあなたの睡眠時間を詳しく見ると言った。顔に布団をかけてないか見られより状況が悪くなるということである。最悪だ。
その後洗濯物を4点まで出せると放送された。1点だけ布紐をつけられるのに未洗濯の物があったのでそれを出した。
医者は既に来たためあとはスマホを指さしする取り調べである。刑務官同士で「現在員50名!」「50名!」のような確認を大声で行っていた。このエリアは差し入れがあったりなにかする事に最後まで終わってラジオ再開まで数時間かかるが、人数はたった50名らしい。見た目からしても50部屋くらいである。差し入れや手紙の多い不良が多くいるのか、それとも他エリアと同期して終わりが遅くなっているのか?
隣の部屋で「老眼鏡返して」「まずは老眼鏡ね」と刑務官が言っているのが聞こえた。他にも1人刑務官が世話に苦労している老人がいるので船橋署の留置所よりは老人率が高いことも影響していそうだ。いきなり「すぐ風呂!」と言われ前の列の人達は「お風呂20分後!」と言われた。パンツ1丁になったが緊張からか寒さは感じず、奈良南大阪のような強い関西弁のおじいさんに率いられ風呂へ向かった。そこで改めて確認すると若い不良とオーバーステイの外国人が半々の船橋署よりは平均年齢20歳高かった。シャワーと違い湯船の張られた風呂だったため10分でなく15分だった。前回の反省から使い終わった髭剃りをすぐ髭剃り置き場に返すと即目ざとく刑務官がそれを回収した。母親からの差し入れでパンパンになったゴミ箱をゴミ回収で提出した。「燃えるゴミ」に多少プラが入っていたから注意しろと言われた。
ウンコしてチリ紙を使い切ったとインターホンで言うと「う、うーん、で、何?新しいに欲しいの?」と言われた。もしかして願箋で買うシステムだっただろうか?しばらくするとタイミング良く願箋配布の放送が流れた。「お風呂20分後」「願箋は?」と各部屋を回る刑務官達の声が入り乱れた。ここは高齢化の影響か到底50名と思えないほど時間がかかるが、先程の風呂の時もホワイトボードに50名(2)と書かれているのを確認した。なおこれを書いているペンのインクももう切れそうだが次いつ買えるのか分からない。今気づいたがやる気なく廊下を拭いているのは志願作業者だ。あまりにもやる気がなさすぎ、刑務官だとあれは絶対許されない。刑務官より被収容者の作業ルールが緩いというのも変な話だが、「責任」のあるなしは大きいだろう。マトリの調べ官もかなり責任を持って真剣にやっている。
願箋の時にチリ紙と言うと何と1回分だけのチリ紙を渡された。その後願箋の人が用事ができたので台を見ると本、チリ紙と願箋用紙があった。願箋用紙の正しい使い方が分からずつい「シャーペンはいいです」と言ってしまった。放送でも月曜なのに「日用品」と言っておらず新聞雑誌、領置、宅下げとしか言っていなかったからである。いきなり刑務官が入ってきて「カメラふさぐ」と言ってきた。謎である。カメラにふたをされて刑務官は「今まで通り生活してくれたら良い」とだけ言って出ていった。入って10日までカメラで厳しく監視されているのだろうか?しかしカメラをまともに見ている様子はなかった。ここは意外と出入りが激しく、私以外のも入って10日とかの人は数人いる。直後「配湯準備」の放送が鳴った。
もう9時は過ぎているだろうが、「お風呂入りや」の声がまだ聞こえている。またカメラをふさいだ刑務官が台の上に乗る時肩の「法務省」のエンブレムが私には妙に目に残った。「職員」と言っているが法務省ということは紛うことなき刑務官だからである。またマトリはなぜ近隣の警察署ではなく拘置所を使うのだろうか?現在では警察署の取り調べ室には録音録画(ロクロク)機能がないからなどと言えるが、それらマシンが開発される以前からこうだったはずである。
「配湯」が来ると、ついでに母親が差し入れたコーヒーをもらった。差し入れは差し入れ屋を通じて決まった物から選ぶため「物品ごと」にまとめて配られる。留置所のように「個人」単位ではない。今回も母親のサインが見られた。以前は見落としていただけかもしれない。母親は大拘のごく近所で会社を経営しているため関東にいる息子が大拘で捕まっていると聞いて驚いただろう。なお最近ではそもそも拘置所に入ること自体拘置所の改築に伴う定員削減のため珍しく、起訴されても裁判あるいは保釈まで留置所とか、拘置所に移送されるのは最後1ヶ月だけとかが普通である。ましてマトリに捕まって拘置所というのは激レア中のレアである。さらにこのような日記を公開できるカタギの人間ともなれば母集団が年に数百人とかしかいないかもしれない。ということは50年間に1万人しかいないということだ。私の文才が問われるところだし、ペンがもうすぐインク切れでシャーペンもシステム障害とやらで買えないのは大きな損害である。「月曜取り調べがある」と先週木曜日はっきり言われ、金曜の検事調べで「スマホを指さしするやつまだやっていないのか」(月曜の調べ官は次回それをやると言ったが実際は厳しい女性の尋問が行われた)と言われたので今日それが行われるはずだが時刻は既に10時を回っているはずである。爪切りタイムの放送が流れた。爪切りだけ丁寧に「希望者は報知器を押してください」と付け加えられる。もしかすると午後に簡単にスマホのいくつかの画面を指さしするだけの流れ作業をするのかもしれない。マトリも午前8時に出勤するとしてメールチェックなどして9時始業までに準備を終わらせ、仮にそこから大拘に行っても10時を過ぎるため午前の取り調べはわずか1時間半となる。よって前回のような本格的な一日取り調べでなければ被疑者が昼食を終わらせたタイミングで拘置所へ入って夕方4時半までの4時間以内に終わらせるべきに思える。
ちなみに私選2人雇った前回は2人とも全くの無能で真逆のアドバイスをされたが、9時の消灯すぎてから何度も弁面(弁護士面会)があった。国選の今回は弁面は最初1回きりで「何か変化あればお知らせする」とだけ言われたので国選というのは本当に最低限家族などへの連絡と裁判などの同伴しかしないのだろう。なんなら調書もどのくらい把握しているか怪しく、私が自分で自分を弁護した方がマシに思える。
「洗濯返納」の放送が流れた。2回目の洗濯で出した1着が返却された。そしてついにラジオが流れた。平日はラジオが始まるともう11時過ぎているはずである。ラジオは11時半を始まるや否やすぐに告げた。関西弁で大阪はどうのとか言っているが、私は東京で逮捕されシャバで生活することなくキンマでの取り調べや此花署で1晩寝たり、地検一日やって大拘に直行しているため関西に帰ってきた感覚が未だない。もうすぐ昼飯だが大量のおかしが差し入れられた。おそらく平日朝イチ大拘へ寄って差し入れて、それが品目ごとに分けて届いている感じである。
パンを食べるとチャイムが鳴って「配食準備」の放送が流れた。これは11時45分で間違いない。「配食」の放送がまだ流れていないのに前の列ではそそくさと配食が進んでいた。すぐこちらの列にも昼飯が配られ、正午のニュースが流れる前に食べ終えた。飯後もなかなか呼ばれない。釈逮するならそもそも取り調べを進める必要がないため、わざと遅らせているのかもしれない。私以外にも進行中の事件は山ほどあるからだ。これを書いていると午後の「ストレッチング」の放送が始まった。午後の「ストレッチング」は2時前~2時頃の印象があったが今日は1時前~1時のようだ。「ストレッチング」「室内体操」の放送は連続して流され、それぞれ3回ほど流れる。釈逮は不可避だろうと思ってはいたが、木曜にするはずの取り調べを今週月曜にもしないのなら99%確定だろう。来週月曜の願箋でシャーペンとノートを買えたとして金曜配布までインクはもたないし、一旦日記は休止になる。
取り調べされたらされたで勘ぐるが、なかったらなかったで勘ぐってしまう。唯一のヒントが前回の厳しい女性が言っていた「マトリの取り調べ官も税関の取り調べ官も月曜は誰が来るか分からない」というセリフである。スマホの解析に時間をかけ取り調べは40日後になっても構わないから後回しという意味だろうか?
先週月曜日に「次回やる」と言われ、金曜の検事調べで「まだなのか」と言われたスマホ指さし確認を既に1週間遅らせて別件逮捕のためとしか思えない木曜の厳しい取り調べがあったということは5-60日かけてかなり重い罪で私を挙げるつもりなのかもしれない。前回釈放された理由を「なんだと思う?」と月曜しつこく聞かれたが、普通に考えて私を指定薬物所持で挙げてももったいないので泳がせていたと考えるべきである。前回所轄、今回マトリということからもそれは確認できる。そもそもたった6gの指定薬物密輸でマトリが動くのがおかしく(当事者もそう言っていた)余罪狙いなのは明らかだ。特に前回の女性は事実と異なる調書を一旦作ったし、色々カマかけてきたのでかなり悪意を感じた。しかし釈逮にしても一旦釈放する以上21日の検事調べは必ずある。その前にスマホ指さしをやれば良いので20日木曜までに検事に送るとして19日水曜までに1度やれば良いという理論も考えられ、そうすると逆に19日まで1度しか取り調べしないのが起訴、釈逮、起訴猶予いずれにしても自然という考えもありうる。3時頃急にラジオが止まってチャイムが鳴り、「配湯準備」の放送が流れた。先週の平日はこれの後刑務官が仕事を再開し夕食までラジオが再開しなかった気がする。今日も配湯だけでなくどこかでお風呂の午後組を同時にやっていた。刑務所と違って拘置所は私服okなので寒がりの私は官衣の上に私服のコートを着ているのだが、考えてみればこの服装だと暖房なくても平気なので刑務所と違って拘置所は私服さえ入れば暖房なしの東拘や千葉拘、松戸拘置所でも平気かもしれない。実際船橋署の留置の人達は真冬なのに「暖房ないけどラジオがずっと流れている拘置所の方が良い」と皆明言していた。
船橋署の留置は私服はヒモなどがないものは入ったが、めちゃくちゃ暑いので私は官衣だったし、千葉県警はキンマと違って懲役前提でおくすり手帳や私服を押収したりはしなかった。誰かに差し入れしてもらうのは簡単だが1度逮捕されると自宅に入って何か取ってきてもらうのは困難であるためキンマの行動は正しい(現代的)と言える。
キンマも税関も東京まで逮捕に行くのは異例のことらしく、移動手段も自宅から東京駅まで車、そこで現地の取締組織に車を渡して即新幹線、という金のかかったやり方であった。東京まで逮捕に来るのは珍しい、ということはそのために私服とおくすり手帳の押収が必要と事前に特別に準備していたのだろう。税関の男性(キンマから一時的に税関に研修に行っているだけ)が「東京に行ったのは初めて」と強調していてまるで産まれてはじめて観光地以外の東京の下町に行ったかのような言動だった。この税関の男性は明らかに疲れきったキンマの面々とは面構えが違い元気いっぱいでちょっと頭が悪そうであった。それにしてもこれだけ金のかかった設備なのに時計だけないのは不思議で、おそらく時計を解体して針を取り出して自殺に使う者がいるとか明確な理由があると思った。
「一般面会!次男とその奥さん」という大声が聞こえた。ここの人は船橋署より高齢なので一応子供を育て成人させた人が多いのかもしれない。同時に差し入れを刑務官が誰かの所へ届けていた。
おそらく3時半になったはずで、今日はもう取り調べはもちろん弁面もありえない時間になった。だが先程の推理によるとスマホ指さし取り調べは明日か明後日にやり釈逮にせよ起訴にせよ起訴猶予にせよ21日に今回逮捕分のラスト検事調べをやることになる。むしろ今日はスマホを徹底的に調べて余罪を確認して明日/明後日形式的にスマホ指さしやって検事に送るというのが自然という考え方もできる。もうすぐ夕食だが弁面へ行く人がいた。私も私選雇った前回は21時過ぎに来て他の房の人達に驚かれたが、私選の人もいるし拘置所のスケジュールと弁のスケジュールは違うので色々いるのだろう。配食準備と同時に放送があった。日用品の購入申し込みを近く週一で再開するという。マークシート式で、通常より1日遅れるという。また1品のみという。
夕食は具入りの辛みそとラーメンが出た。ラーメンを汁に入れても食後汁も具もほとんど残るので麦めしにそれをかけて、食後麦めしの箱を洗って出した。刑務所だとこれはアウトだろう。そもそも刑務所は立ってウロウロできない(ここも原則的にはそう)。
夕方の点検は「番号!」「(小さく)1名…」という他と違った言い方だった。
弁面から帰って来た人が夕飯まだか聞かれていた。またマークシートによる日用品購入を近く再開するアナウンスがあった。このアナウンスでも刑務官を「職員」と言っていた。アナウンスの直後ラジオが再開した。
しばらくウロウロしているとラジオが5時45分を告げた。布団を敷ける。
2/18(火)
朝起きて布団を畳んでいると、刑務官が何かをガチャっとする音が聞こえた。何かのマークを付けられていたようだ。
今日は分かりやすく厳しい副担当が点検していたが、起床から配食までのスピードが非常に早かった。
洗濯3点までと戸外運動が寒冷のため中止と放送が流れた。スーツケースの中を入念に調べてもヘンプ(革紐)をつけられそうな物は見つからなかったので支給された服を出そうと思い私服に着替えていると間に合わず慌ててシャツ1枚だけ出して、次の洗濯のために上着にヘンプをつけて畳んでおいた。
願箋交付の放送が流れた。2/20付の新聞の他2/21付で日用品を願箋取るらしい。21付だと土日祝挟んで25(火)に来るらしい。
1点しか頼めないためシャーペンを頼んでもシャー芯がないため「ボールペン替芯」という矯正施設でしか頼まないものをチェックした。官衣から私服に着替えるとコートを着なくても全く寒くないのに驚いた。よほど官衣は質が悪いようだ。逆にどうやって作っているのだろうか?願箋をいつ提出するか分からないまま「配湯準備」の放送が流れた。配湯の時間聞くと「願箋を提出するのは今」と言われた。しかし日付を(~付)の日にちにするとか個数のマークの仕方が間違っているとか指摘された。前の列を配湯の刑務官が帰ってくるときに見ると配湯の時に願箋の台を使っていた。今しかないと思い報知器を鳴らすと願箋を回収された。これで替芯は25日に届くが(それでも1週間後!)、ノートの方がこの日記は便箋に書いているのでもうすぐ枯渇する。朝早くから取り調べに呼ばれた。この間の若い女性が出てきて衝撃的に7g程度だと思っていた物が26g届いていると伝えられた。若い女性は前回と変わらずネチネチ突いてきたが、私もまた前回事実と異なる調書を作られたことを伝え前回よりずっと冷たく返すようにした。部屋に戻ると母親からコーヒーが差し入れられており、副担当が布団や枕のカバーを替えると言っていた。カバーを替え、おやつも差し入れられた。部屋の中に洗濯済のシャツが落ちていた。インターホンでボールペンの替芯でなくボールペンの番号がマークされていると言われた。謝るとあっさり替芯に変えてくれた。昼飯を食い終わると昨日と同じ1時前に「ストレッチング/室内体操」の放送が流れた。スマホ指さしをやらない理由を聞き、「午後も取り調べする」と言われたが1時を回ってもまだ呼ばれない。なお午前の取り調べは9時5分スタートだった。弁面に呼ばれた。インクはもうなくなる。弁面で再逮もしくは釈逮はあると言われた。午後の取り調べで1件目不起訴だと釈逮、1件目起訴だが2件目を検事が逮捕しろと言ったら再逮だという。また22gは私書箱を解約してから税関に届いたという。明日も取り調べはあり明後日か明明後日検事調べだという。
2/19(水)
今日も5時間程度の睡眠だった。起きると腹ペコで朝食をまたずポッキーを貪った。食事中態度を厳しい副担当に指摘された。食後洗濯があった。官衣の服はパンツもさすがにヘンプをつけられるようになっていたが、ステテコはついにヘンプをつけられる場所がなかった。しかし3点までなので今日はステテコは出せない。家では廃人状態なので気にならなかったが私服のズボンに履き替えると匂いが非常に気になった。シャワーがあり、終わるとすぐ願箋配布時間になった。チリ紙をもらう必要がある。50人から46人にホワイトボードの表が書き換えられていた。
ここでインクが切れたため(2/24月・祝)まで思い出した雑な日記である。
この日は取り調べがあり、「22gの件で再逮する」とはっきり言われた。検事調べで22gについては仮に通関しても私が譲り受けたり入手することは不可能だとちゃんと説明する必要があると痛感した。午後の取り調べは3時前に切り上げられたが、キンマの若い女性(28)は「"今日は"ここまでにします」と"今日は"を強調して再逮を匂わせた。実際は明日もいつもの若い女性による取り調べがあるのだが検事調べは明日か明後日か分からないと伝えられていたため私に再逮を確信させるために"今日は"を強調したのは明白である。
2/20(木)
早くも爪が伸びてきたのが気になった。大拘に入ってすぐ爪を切ったのに。この日もいつもの若い女性による取り調べがあり、例のごとく嫌な感じであった。しかしこの女は時折わざとぶりっ子しており、マトリから職員交流で税関に来たという税関の男は「回数を重ねるごとに仲良くなってる」と女に言っていた。若い女性であること、時折のぶりっ子には何かの意図があるということだ。
この女はサイコナウトウィキという薬物に関するwikiの存在をポロッと私が供述したのを大量にコピーしてきた。全く捜査の参考にならないため「会計課に怒られる」と本人も言っていた。また個人の携帯で私のXアカウントにログインしたら自分のXのタイムラインにも合法ドラッグの情報が流れるようになったと言っていた。船橋署の刑事とは比にならない熱意である。
あるいは、実際はそのようなことしていなくてもこの発言をすることで私の反応を見たのかもしれない。反射的に嫌そうな反応をすれば私は違法に故意に手を出し、今後営利目的で違法を転売する予定があることになる。もちろん私は涼しい顔をして「そうなんですか」と流した。取り調べは昼飯を挟んで夕方4時半ギリギリまであった。
2/21(金)
朝10時過ぎから検事調べがあり、昼飯ギリギリまで淡々と調書作成が行われた。再逮するという22gについて私が譲り受けたり入手することは不可能と立証できているとキチンとその詳細を説明したが検事は立場上「考慮する」とそっけない対応であった。
昼飯時間ギリギリまで押して、一旦刑務官からNGが出たが12時までに終わるならOKと急に意見が変わり、12時ギリギリで調書作成が終わって検事調べ終わりとなった。前回(去年)逮捕された時は20日勾留ラストの検事調べで遠回しに起訴猶予と伝えられたが今回は再逮のネタが一応あるためか何も言われなかった。
シャバで大飯食らいで80kgになって大拘に入ったため胃が膨らみ常に腹が減ってしまう。これから三連休おかしなしと思うと気が重かったが、チリ紙は刑務官が気を利かせて4枚くれた。母親が差し入れたコーヒーはひと袋だったが刑務官は一旦間違えて4袋出し、3袋回収した。ここへ入っている不良などは周囲が訳知りであるため金曜は3袋、三連休だと金曜4袋差し入れるのだろう。
2/22(土)
ペンがインク切れのため休日は精神病院にいたときのように一日中ウロウロしていた。平日だと絶対に刑務官に指摘されるが何も言われなかった。
2/23(日)
ペンがあった先週は休日が待ち遠しかったが、ペンがないため水を飲んだり房中でウロウロするしかなく、火曜に弁面がありそこで起訴、再逮か不起訴、釈逮かあるいは釈放か伝えられるのとペンの替芯が来るのが非常に待ち遠しかった。
2/24(月)
本来は今日爪切りやらシャワーやらあるがおそらくそれが明日まとめて行われるため明日は多忙であると予想した。明日今後の処遇が伝えられるため普段にもまして眠れなかった。
2/25(火)
朝飯の「配食準備」のあと座って本を読んでいると平日なので出勤してきた厳しい副担当が「本読むな」と指摘してきた。点検の言い方からして休日とは違うが、これは平日だからなのか副担当が厳しいからなのかどちらだろうか?
朝飯までコートを着ていても寒さで震えていたが朝飯を食うと身体から熱が出てきた。シャワーでパンツ一丁になっても平気だった。今日まで寒波があり昨日は大阪市内なのに拘置所の房からも雪が見えた。驚くべきことに明日で20日なのに9時半にキンマのいつもの女性に呼ばれた。いつもの女性はいろいろカマをかけてきて、私が否認を変えなかったので午前中で調書取らず調べを終えた。再逮か釈逮をしてあと21日3/18までこの禅問答を続けると明言された。再逮は必ずしも起訴ではなく処分保留で再逮もあるという。
取り調べを11時半に終えて房に戻ると厳しい副担当に新聞の願箋要るかと聞かれ、日用品(ノート)は明日だと言われ、チリ紙はシカトされた。しばらくして母親からの差し入れが入った。もし弁面があれば金曜はコーヒー3袋頼むのと、少なくともあと20日あるならズボンなどヘンプをつけられないないものの洗濯の仕方を厳しい副担当に聞く必要がある。(他の刑務官に聞くと"担当に聞け"と言われる)また房に入るとすぐラジオが鳴りだした。三連休官食のみだったので差し入れはリンゴを除いてすぐ食べきった。なお今日取り調べがあるとは思わなかったので刑務官に思わず聞き返すと、「いつものキンマ」と言われた。これは関東ではない言い回しである。他にも取り調べ室が突き当たりにあるのを「どんつき」と言われたことがあるがこれも関東ではしない言い回しである。税関の男(職員交流で税関に来たマトリ)は今日も「段々仲良くなってる。これも〇〇さん(キンマの女)の力量かな」と言っていた。私の否認を変えさせようと毎日取り調べしているが、それと別に仲良くなる意図もあるようだ。また私から他の合法屋の悪事を聞き出そうとしていた。いわゆるチンコロは確かに狙っているようだ。また逮捕時には私の経歴から関西人の印象があり、「なぜ東京に住んでいるのか」などと税関の男は聞いてきたが、私の物言いは関西の者には標準語に聞こえるし、雑談の内容が東京ローカルな話ばかりなので税関の男は私を東京の人間と認識するようになった。調書には現住所と本籍が記載されるが私の本籍は埼玉の住宅地にあり、これは関西では珍しい。
なお関東の不良(ヤクザ・半グレ)と違って関西のヤクザはよほど貧乏らしく、私を「儲けている」「いくら隠し持っているのか」とことある事に聞いてきて、私の知人の神戸山口組のフロント企業の社長宅も「そんな豪邸に住んでいる訳ない」と断じていた。「一国民として疑問なのですが、〇〇さん(私)は税金を払わないのでしょうか?」のような嫌味な質問をこれまで何度もされ、私が「税金など払いきれない」と言うとキンマの女は嬉しそうにクスクス笑っていた。私の程度の収入がある者も関西の不良にはよほど珍しいらしい。
私は去年の夏にはシノギでバンコクに3日いたが、去年の冬には純粋に旅行でバンコクに1週間、ベトナムのハノイに一日いた。これも大変珍しいことらしく一体あの旅行は何なのかしつこく聞かれた。英語で日常会話ができることも珍しいようでメールなど翻訳アプリを使わず空で読んで返信しているのかと何度も聞かれた。
わりと私は英語で長文を書くので英語ができない関西の貧乏な不良とばかり接しているとギャップが大きいかもしれない。
三連休は休日なので午後3時に「ストレッチング」の放送が流れたが今日は平日なので午後2時である。また一日のスケジュールも「未決拘禁者のしおり」を読むと正しい情報が書いてあり、起床は5時半でなく7時半であった。これで午前が短く感じる理由に納得した。朝食から朝9時までそもそも1時間しかなく、昼飯まで4時間しかなかった訳だ。また夕食も4時半ではなく4時だった。4時半に取り調べを終えると夕食が必ずあり食った後回収に来ないことがあるのに説明がついた。休日は夕食前に3時50分から点検、平日は5時に点検とある。
今日は昨日の分があるから忙しいかと思いきや、昼飯後もラジオは鳴りっぱなしであった。
願箋の時取り調べだったためチリ紙は永遠に来ないままである。
取り調べの若い女は「起訴されたら検事が変わる」と起訴前提でいきなり言ってきた。これは私が否認しているからで、起訴されるのなら否認ではなく犯行を認め(違法であったと認識していたと述べる)執行猶予を狙った方が良いと思わせる目的だろう。執行猶予は私のように「違法との認識がなかった」で通してしまうと付かず、一発実刑となる。従って私のような合法屋は(本当に違法の認識なくミスでやっているから)違法の認識なかったとして裁判で初めて違法と認識していたと供述して可能性は下がるが執行猶予を狙うやり方を取るが、不良(ヤクザ・半グレ)はそもそも「違法との認識なかった」で突き通すことができないため、あっさり全て認めるか完黙し、喋る人であれば検事どころかキンマのこの小娘相手に「もう薬物はもちろん"タバコ"もやめます」と供述するという。私は否認なので何でもかんでも滔々と自説を述べてタバコ吸いたい、飯食いたいと言うし、金のために合法屋やってるためシャブ中特有の少食もなく拘置所の飯は少なすぎて苦しんでいるため「飯の少なさを訴える人は初めて見た」「タバコ辞める気はないのか」と必ず指摘される。
インターホンでヘンプの靴下への付け方を聞くと教えてくれたが何とも腑に落ちなかった。三連休で髭が伸びたのが今日のシャワーで4日ぶりに髭をそれたのでずっと気になっていたのが剃れてスッキリした他、ここに入ってから歯が汚いのが気になってしつこく歯磨きしている。官物の歯磨き粉はすぐ使い果たし母親の差し入れでもたせている。シャバでは洗濯も歯磨きも髭剃りもロクにしていなかったが、スマホもなく部屋に一日中閉じ込められ、その癖刑務官や取り調べで目上?の人と頻繁に接するから清潔感を非常に気にするようになった。これは去年20日留置された時もそうだったかもしれない。50人しか入らないエリアであるが人の出入りが激しく、今日刺青の男ともう1人若い男性が入った。また房の扉に「受刑者」と貼られている人がいた。判決が出て刑務所移送前か、あるいは死刑囚か。3時になるとチャイムが鳴ってラジオが終わり、「配湯」の放送が流れた。厳しい副担当であるが、湯呑みを小窓に置く置き方は非常に丁寧でこれを流れ作業でできるのなら社長秘書もできそうだと思った。自分にも厳しいのかもしれない。そもそも体育会系でこの手のことを刑務官は厳しく教え込まれるのかもしれない。ストレスから大量の毛が抜けており釈逮であれば房が変わるためチョコチョコ掃き掃除をした。釈逮がなくとも判決が出ると釈放あるいは懲役であるためタオルが体をふいて汚くなったとか色々気になる。タオルはシャワー/風呂のあと3分洗って良いとされているが、水が冷たくろくに洗えなかった。他の房の人が勾留延長を告知されていたが私の所には来なかった。10日延長は日曜だったから金曜に告知されたのであったのであって延長にせよ釈放(釈逮)にせよ告知は当日なのかもしれない。弁面は夕食前というルールはないため夜9時まではいつ来るか分からない。むしろ夕方5時前に検事に聞いてきて5時過ぎに来るのが普通の気もする。ラジオが止まったため夕食までの1時間が非常に長く感じられた。いつもこの1時間が長く感じられ夕食後には短く感じられるためてっきり夕食は4時半と思っていた。平日は実際4時ジャストではなく10分15分は過ぎていそうだ。まだ「配食準備」の放送はないが刑務官達が夕食の準備を始めたのでやっとかという思いである。尚ペンが切れたと思ったら次は日記を書いている便箋がもうすぐ終わりである。明日ノートを注文出来るが来るのは来週月曜日である。てっきり今日弁面かと思っていた。再逮か釈放か起訴か告げに来ない弁がいるだろうかと思ったが、わざわざ告げずとも明日になれば結果が出るのだからわざわざ前日に告げる意味はないということかもしれない。キンマの女の口ぶりだと起訴保留で釈逮のようであった。3/18まで禅問答をするのかと言うと何度も「そうだ」と言っていたので余罪はなさそうである。今日は前の列から配食されたのでこちらまで回るのに時間がかかった。このような時はたいていラジオが再開してすぐ私の房の番が来る。ガラガラとこちらの列へ移動する音がした。夕食後しばらくすると5時の点検準備の放送があった。やはり平日の夕食は4時ではなく4時20分くらいのはずである。やおら今週の爪切りを取り調べで逸してしまい、いつ爪切りできるか不安になってきた。シャバでの私はうつ状態から爪切りも当然不精で、ここに入所してから1度切っているのに妙に爪が早く伸びている気がする。5時点検は朝7時半同様厳しい副担当なのでここのシフトは朝7時~夕方6時という感じなのかもしれない。また取り調べ官にちょっと化粧が濃いと話の流れから言ってしまったことがやおら気になってきた。東京周辺が局地的に化粧が薄いのであって他地方では彼女の化粧は標準だと今更気づいたからだ。私はいきなり東京からここへ連行されたので実感がないがここは大阪のど真ん中であるため見当違いな指摘をしてしまったことが非常に恥ずかしく思え、再逮された時のショックを緩和してくれた(再逮されると必然的に取り調べがありその事を弁解できるから)狭い部屋に隔離されている癖に刑務官に監視されて人の目があるため爪と服の臭いだけでなく髪の毛が伸びすぎなのも先週から気になって気になって仕方ない。シャバでは人と会う時コンタクトを付けるからその時爪を切る、髪の毛など下手すれば半年近く切らないこともあったがここに入ると色々気になって仕方がない。シャバではほとんど風呂に入らない癖に石鹸のせいで肌が老けることまで気になってくる。これまで新聞はタダで前日分の夕刊をつけられていたがインフレによって3月から朝刊のみになると放送された。
チャイムが鳴った。5時半の就寝準備(布団を敷いて寝ていい)である。
2/26(木)
朝起きると刑務官が私の房の小窓をガチャガチャいじった。そして例によって寒くコートを慌てて着た。シャバでは合法ドラッグの卸しをしていたので好きな時に寝て好きな時に起き、部屋は暖房28度入れっぱなしだったが、勤め人をしていた時や実家にいた頃、親戚宅にいた頃は規則正しく生活していると冬朝起きると猛烈に寒く、子供の頃は寒さに悶え苦しみ、大人になってから手術のため親戚宅にやっかいになっていた時は寒さに耐えきれずこっそり体温の上がるタバコを外で吸っていたことを思い出した。ただここの起床は少し遅い。サラリーマンでも9時始業で8時20分に会社に着いて準備として7時半に家を出るから男性で6時50分、化粧のある女性だと6時半には普通起きているだろう。グウタラの私でも8時ー20時の勤務を船橋在住六本木勤務でやった時は10時帰宅で6時起床だった。私は1日8時間睡眠は絶対取りたい派であるがその時は楽な仕事だから12時間拘束はおかしなことではないと思って週末に寝だめして平日は6時間睡眠で仕事終わりに六本木をぶらぶらするのだけを楽しみにしていた。9時消灯で10時間半後に起床というのは精神病院やその他の刑事施設と比べても明らかに長い。精神病院すら9時ー9時半消灯、6時半起床で、刑務所もこれと同じだろう。8時間睡眠に1時間猶予を設けて9時間とするのが普通である。ここへ入った当初私は4時間睡眠のつもりであったが、最近は12時には意識が落ちているはずで7時間は寝ているはずである。日中の不快感もなくなった。まだ20日目であるが季節の変わり目なので入った時は起床時は暗くそれも5時半かと勘違いした理由であるが今は朝食を終えると外は日中と同じ水色の空をしている。今日再逮か何か分かるので居てもたってもいられず奇妙な動きをしていると厳しい副担当が目ざとくみつけ「用がないなら座っときや」と指摘された。洗濯回収の放送が流れた。釈放あるいは釈逮に備えて官衣でこれまで洗濯の仕方が分からなかった靴下とステテコだけを出した。
気づくと朝の異常な寒気が収まっていた。朝食を食うことで内臓が起きて体温が上がったようだ。洗濯回収では何も言われなかった。私のヘンプの付け方は正しかったようだ。同時に「勾留更新。あと1ヶ月」と言って回っている刑務官の声が聞こえてきた。私の再逮とかの告知もそろそろだろうか?勾留更新を告げる刑務官は私の房を通り過ぎた。続いて自弁の新聞を配って回っていた。刑務官に志願作業者1人ついており、志願作業者はテンポよく「サンスポ、1点!」のように高い声で叫んでいた。昨日シャワーの時間にこの志願作業者2-3人がこの訓練を受けているのを見た。今になって前の弁面で母親に言付けていたノートとペン(ノートは入らなかったので便箋が来た)が入った。ペンは芯を変えたし便箋は裏側を使ってあと20日書けそうだが、起訴されて裁判までここにいるならこのペンと便箋は使えそうである。父親と1週間2週間同居しても良いことないしむしろタバコ吸ってニコチン中毒が再来するので保釈金を出してもらう必要はない。思えばキンマが私の隠し資金を聞きたがったり密かな収入が多額に登ると疑ってかかったのも保釈金を吊り上げる目的かもしれない。保釈金200万とかでもしそれが私にとっては小銭で、英語のできる私があっさり保釈中に途上国へ逃亡、という事態を恐れているのだろう。マトリの目には私は200万の保釈金ではマニラ(フィリピン)へ逃げて終わりに見えるはずである。何も告げられないまま風呂だと言われた。風呂は連続する4つの房の者がいっぺんに4つの風呂場へ送られるのだが、今日は最初の1人以外ランダムな房であった。ここは50人いるわりに釈逮で出入りが激しいため私を含む3人は今日釈放あるいは釈逮と思えた。2分早く上がると私1人早く房に戻されたのでこの確信は深まったが、既に釈逮に備えて部屋の掃除などしていたため特に準備はなかった。新人の志願作業者と刑務官が一緒に願箋を配っていた。教育上志願作業者とは会話する必要があるからか、「せやな~」「確かに」などと2人は少し雑談もしていた。釈逮だと丸1日地検なので念の為水を数杯飲んだ。私は12時釈放と思っていたが風呂から急ぐということは10時とか11時なのだろうか?それは拘置所の都合があるだろう。しかし考えてみれば釈放者の多くはその場で再逮なので48時間以内に地検と勾留許可を裁判官から取らなくてはならないが、12時釈放だとその日にはとても間に合わず次の日になり、無駄に1日適当な警察署の留置所で寝かせることになる。ギリギリ当日勾留許可を取るにはせめて10時に釈放する必要があるはずだ。そしてここは50人しかいない癖に1日2-3人出入りしている事には前から気づいていたが今思えばそのための事務作業があるので午前は忙しくラジオが昼飯前から始まるのに得心した。そして私は去年留置所でも同様の日記を書いていたが留置所に小机はなかったはずで、あの時は地べたに貼り付いて書いていたのだろうか?よく思い出せない。留置は狭い部屋に2-3人放り込まれ1日中喋っており、とても1人用に小机を用意できる環境ではなかった。法務省管轄(刑務所、拘置所)は管理は厳格で大拘以外冷暖房などないが、長期滞在を前提としているため娯楽品の購入とか日中の作業とか広い部屋、一人一つの小机、刑務所であればテレビもあり、ある見方では留置所より人間性がある(あくまで"ある見方"でであるが)釈逮か、あわよくば釈放…!?と浮き足立って逮捕直後のように喉が渇いて仕方なくなった。通常マトリに逮捕されて20日パイなどありえないが、私は合法屋で違法行為は全て無自覚のミスであるため裁判までは完全否認(違法の自覚はなかった)で、理論上常に釈放の可能性はあるからだ。その代わり否認であるため起訴されたあと裁判ギリギリまで保釈は認められず、裁判でいきなり執行猶予を狙って違法と認識していたと主張を180度変えても裁判官の心象は悪く執行猶予の可能性はチンピラより低く、つまり起訴されれば実刑の可能性がチンピラより高い。前の列の人が風呂準備しているのを見ると、やはり普段通り連続する4つの房であった。否認であるし、それは嘘でないため黙秘する理由もなく検事はともかくマトリや所轄の調べなど反省の色ゼロで滔々と自論を述べるだけなのである。それでも何もかも喋れば良いというものでもなく黙秘すべき事柄もある。つまり頭脳ゲームであり、このような些細な犯罪のためキンマの女がやっきになったのも頭を使って私を転ばせば有罪になるからだろう。関西、東海のヤクザは完黙が近年のルールであるが、私は逆で喋ることは喋って違法の認識はなかったと立証する必要があるためキンマの女は実力を試されている訳である。残念なことに願箋を聞かれ、チリ紙だけもらうと「これだけで良いのか?」と聞き返された。この刑務官は釈逮あるいは釈放の認識はないようで、朝の風呂は偶然あるいは釈逮のあと同じ房に戻されるのかもしれない。この刑務官は実質私の担当である副担当(厳しい人)であるため担当がその認識がないなら再逮の気がしてきた。再逮の場合起訴時に最初の4gも合わせて26gで起訴されるか、22gは仮に通関しても入手不可能と立証できたとして最初の4gだけで起訴されることになり、かなり身が危ない。
いきなり副担当(おそらくこれは最初の聞き間違いで実際は担当なので以下"担当")からレンゲと箸およびその他の荷物をまとめろと言われた。既に大方釈放あるいは釈逮に備えて整理していたのでやることはほぼなく私物をキャリーバッグに詰めてその上にレンゲと歯ブラシを置いた。その後歯ブラシでなく「ハシ」であったことを思い出して官物の歯ブラシを捨ててハシを持ってきた。かなり待たされたあと別の刑務官について来るよう言われた。釈放準備室を彼は開けたが使用中だったので出廷準備室という拘置所備え付きの裁判所に出る待機室で荷物の確認をされ、他の荷物はキンマが保管している事を告げてその場にゴザを敷かれそこで待機となった。ここでもかなり時間がかかり、刑務官はずっと電話をしていた。その内容から私は「勾留不必要」という処分だと分かった。紙袋をもらって荷物を紙袋にまとめている時宣告係が来て「勾留不必要」と正式に告げたので「勾留不必要って在宅捜査とかですかね?」と聞くと、「まぁ、勾留はいりませんということやな」と濁された。寒空の下外に出された。外がこんなに寒いとは思わず、釈逮でも構わない気になった。ゲートに小さなドアがありそこから出るように言われ、出ると予想通りキンマの面々が2列を作って待ち構えていた。中に「〇〇工業」という偽装のジャケットを着ている人がいたのが特徴的だった。取り調べの女もいたし、逮捕された時に印象的だったオレンジ色の顔のおじさん、あと色の白いおばさんがいた。刑務官が出廷準備室で電話している時言っていた「〇〇という女性」とはこのおばさんの名前だろうと思った。キンマの車に乗せられ、大拘のゲートを出ると逮捕状を見せられた。取り調べの女に予告されていた通り22gの件であった。色の白いおばさんに逮捕事実を認めるか聞かれたため1箇所1箇所認められない部分を改めて説明し直した。キンマの事務所に連行すると言われ手錠をはめられた。釈放か釈逮するには遅いと思ったが、あらためてキンマで弁解録取をとって適当な近隣の警察署の留置所で1泊させるということらしい。キンマの事務所は最初の逮捕時はテンパってやけに狭いという印象しかなかったが、改めて見ると人員相応の広さはあった。しかしちょっとした警察署よりは遥かに小さいため、初めてここへ連行されると「狭いな」という印象を受けるのは誰もがそうだろう。いつもの女性が弁解録取を一通り切り上げたいから昼飯時間を押したいと言っていて、彼女の上司が怒って途中で切り上げさせた。キンマのコンビニ飯を食べると女は別の用事があるためオレンジ顔の上司と交代し、彼は私の担当ではないためワハハと笑って談笑しながら弁解録取を終え警察署は18時に来てくれと言うから17時半まで待機となった。待機時間もオレンジ顔のおじさん、のちにいつも女性が取調室にいるが、取調していない証明としてロクロク(録音録画)を回していた。いつも取り調べしている税関の男がキンマから職員交流で来た男で、彼が「圧が強い男がキンマにおり、そのため仕事のキツさは税関も変わらないが税関の方が楽しい」と言っていてオレンジ顔の男が調官の女にキツく当たっていたからもしやと思いその話をするとやはり「圧が強い」とよくオレンジ顔の男は言われる、確実に自分の事だと言い、その後交代した調官の女もオレンジ顔の男のことを税関の男は言っていると思ったとオレンジ顔の上司に語っていた。この時オレンジ顔の上司は税関の男に電話して怒ると言っており、私は冗談と思ったがその明後日取り調べで税関の男はオレンジ顔の男に怒られたとワーワー言ってきた。私はあくまでそのようなクレームがあるとチクっただけで、よもや悪口の対象の当の本人とは思わなかったと言い張った。調官の若い女性はマスクを付けていると美人かのように見えるが、調官と毎日長時間いるというだけで猛烈なストレスを感じ、なんと20日で5kg痩せ、20日ぶりに会ったオレンジ顔には私の激ヤセぶりをしつこく指摘された。その日は枚方署に泊まり、20日勾留と同じめんどうな新入があったあとゴム製のタタミもどきがある「女性室」という隔離された部屋に閉じ込められた(私は男)。
他の房では大音量でラジオを聞いているのが聞こえてきた。ラジオがないため9時までの2時間だけでも手持ち無沙汰で仕方なく、看守が本を貸してくれたのが救いだった。眠剤は「病院行くか」と再逮の時キンマに聞かれたが拘置所ででないのに1日だけ眠剤もらっても仕方ないと断った。朝は7時起床であった。布団は首も見えるようにかぶれと言われた。また歯磨きは房を出てすぐの隔離エリア内にあり、房中に水を汲む施設はなく看守が定期的に茶を小さなコップ1杯だけ出してくれた。思えば船橋署も看守に言うと小さなコップ1杯だけ出るシステムで、好きなだけ水を飲んで気を紛らわしていた精神病院をなつかしく思ったものだった。
2/27(木)
朝起きると房の外のまだ隔離されているエリアに布団を直したり顔を洗ったり歯を磨いたりした。朝食はキンマが用意したコンビニめしで、朝9時にはキンマが迎えに来るというシステムであった。署を出て逮捕や再逮の時と同じバンに乗ると地検に連行され、私語禁止の病院の待合室のようなところで丸1日待たされる弁解録取+裁判官による勾留許可をまたやり直す。マトリは予算が潤沢なのか北大阪の狭いエリアを行き来しているだけなのにチョコチョコ高速に乗るのが印象的だった。また麻薬取締官はみな私服のような装いで、特に課長のダンディぶりが印象的だった。潜入捜査があるからであろう。また常に調官の若い女が私にくっついており、このため強烈なストレスを感じ20日で5kg痩せる原因になったことも気づいた。そのような心理効果を狙った一種の脱法的な手法である。今回の地検は前回の半分の人数であるため8時すぎた前回よりは早く終わる、しかし集中(警察に逮捕された人達)優先であるためキンマは毎回遅くなると教えられた。また調官の若い女が高い声で「近畿麻薬です」と言っているのが印象的だった。マトリの正しい呼び方は「麻薬取締部」だからだ。実際、「近畿麻薬」と言わず「麻薬取締部」と取締官が名乗ることも多い。年寄りの取締官に聞くと大昔は「キンマじゃあ~!」と言って突入していたが、「キンマ」がかつてのようなブランドでなくなり通じなくなったため「近畿麻薬」と言うようになったという。このベテラン取締官は他にも昔のキンマがどうであったか、かつての大拘は取調室にも暖房がなく地獄であった、冷房はあったが壊れており扇風機があった、木の机であったとか色々教えてくれた。裁判官による勾留許可が15時に降りて15時半には地検に戻ったので早くも夕食をコンビニ飯で食べた。例の定年間際の取締官が17時前についてまだ飯を食ってないと言えばこの飯と別に大拘の飯も食えると言ってくれたため、調官の女に電話で大拘に飯食ったと伝えないように言ってもらった。地検の決済は16時20分に降り、16時45分には大拘に着くと言われた。ずっと運転している色の白いおばさんも仕手株が好きだと分かった。大拘に着くと最初逮捕された時と同じ身体検査があり、持ち物について便箋とボールペン、歯磨き粉は入らないと言われて便箋とボールペンを買い直した。3/3(月)に届くため週末は日記の書けない状態で過ごすことになる。夕食食べてないと言うと拘置所のちゃんとした飯が出たためかなり得した気になった。新入のお爺さん刑務官達はみな私が釈逮で入り直したと知っていた。房は前と同じで、布団はたたみ直されレンゲと歯ブラシ、歯磨き粉、官衣、タオル、石鹸は新しいのを持たされたが以前使っていたものがそのまま放置されていた。従っておそらく私物をキンマが持ったまま釈放となった時点で、釈放でなく釈逮だと気づきこの状態で部屋を残したのだろうと思った。ゴミ箱も私のゴミが入ったままであった。しかし「新入2/27」のテープが貼られているため私を新入と思った刑務官もいた。ラジオの音量が0になっており隣の房だけ鳴っていることに気づいたため音量を4に戻した。
2/28(金)
弁から連絡がいっていたのか、早速母親からの差し入れが入った。再逮された初日なのに朝9時40分からいつものごとく調官の女と税関の男による取り調べがあったが、午前だけで終わった。官本の支給があるか期待したがそれはなかった。明日から土日で腹が減る腹が減るし、日記も書けないのに手持ち無沙汰で差し入れをすぐ飲み食いしてしまった。しかし幸いなことに日用品に加えて飲料(コーヒー)も購入できるようになると放送された。母親の差し入れは普段と違いコーヒーのところが野菜ジュースになっていた。大音量でラジオ、音楽が流れているのを聴くと無性に東京のチームラボへ行きたくなった。
3/1(土)
朝ウロウロしていると私を新入と勘違いした刑務官に「今日は布団敷いて寝ていいんやで」と言われた。今日、明日は検査のため停電があり、今日は10分ほど2回、明日は午前に1時間停電しその間トイレも流せない水も汲めない、報知器も使えないため用のある者は「生活の心得」を窓に立てかけておくよう放送された。またそのために昼飯と夕飯が遅れると放送された。実際昼飯は大幅に遅れ、日曜は朝食が麦めし、昼飯は麦めしの部分が本来朝食のパンと入れ替えられ、バター袋がおかずの場所に入れられていた。日中ゴロゴロしていられるため日記を書けなくとも久々の休息という感じがした。一日中大音量でラジオが流れるから留置所の苦痛とは段違いだった。
3/2(日)
明日また取り調べがあるため非常に憂鬱であった。平日は日中座っていなければならないのも未決でADHDの私にはキツい。
3/3(月)
朝食を食って歯を磨いていると風呂と言われ、また木曜の再入所時注文した便箋とペンが8時には担当に渡された。服を脱ぎ終えないうちに風呂へ連れ出され、刑務官を待たせてしまった。今回も不思議にバラバラな房の者4人が選ばれていた。午前に取り調べがある者と釈放の者が合わせられているのかもしれない。体重を入浴後測ると言われた。先週はジョン・ウィックのような髭面を剃りあげたため髭剃りが汚れていたが1605番から1741番に変わり髭剃りも新しくなっていたため金曜日シャワーで使ったとは思えないピカピカぶりであった。体重はシャバにいた頃毎日ドカ食いして80kgを超えていたのにわずか20日で75.3kgに落ちていた。三食+差し入れを食べているのに衝撃である。風呂から帰り26日以降の日記を少し書き始めるとすぐ取り調べに呼ばれた。連日の取り調べにさすがに刑務官にも調官にも愚痴ると、マトリの取り調べは基本毎日であり、被疑者のうちは仕方ないという。今日は調書を巻かず午後もあると言われた。調官も税関も私の英語力が全く想定外であるようで、取り調べ中何度も笑われた(こんな英語力があるのに売人をしているのが面白いという意味)取り調べから戻ると今日は母親からの差し入れがなく、釈逮が伝わっていないのか不安になった。昼飯後しばらくして差し入れと医務があった。医務は1回目と違い向こうから房に来て、医務中は座っているよう言われた。いつものように私は足の障害を話すと医務は「それは大変だ」と言った。書くのを忘れたが今日の午前よくやくそれまで洗濯の出し方が分からなかったズボンと靴下を洗濯に出した。これで超絶臭いズボンが臭くなくなる。また4着までと言われたので事前にヘンプを付けていた4つを出した。今回からはしばらくヘンプのある限り限度量まで出し続け、一通り綺麗にすることが出来ると思った。1時半になっても午後の調べに呼ばれないため、今回もまた私が下手な発言をすると調書を巻き、しなければ調書なしで終わる「カマシ」の調べだったのかもしれない。しかしもしかすると呼ばれるかもしれず、呼ばれると茶を捨てて夕食の時の交換のために空のボトルを小窓に置いて調べに行くため茶は急いで飲み干した。前の房の人が釈放だか釈逮だかされて出ていったので掃除が入り房が開け放しになっていた。掃除は志願作業者がやっていた。平日とは言え午後はずっと大音量のラジオが流れている。留置所と違って喋れないのに留置所よりずっと楽に感じるのはこの大音量のラジオのためだとようやく気づいた。釈逮の時枚方署の隔離された房に入る時、たった1晩なのに大音量のラジオを流している房が非常に羨ましく感じたからだ。また午前に調べに行く時に願箋はいるかインターホンで聞かれ、飲料(コーヒー)はあると言われたので帰ってくるとコーヒー8袋マークして小窓の上に立てかけたが担当は回収してくれなかった。そこでインターホンで「願箋書き終えました」と言うとしばらくして回収された。2時になって取り調べに呼ばれた。午前の取り調べを調書にしたから遅くなったようだ。今日は明日検事調べがあるから多く調書を巻くという。後半かなり不穏な内容を持ち出された。マトリの調べは本当にキツい。また今更になって思い出したが金曜の朝持ち物の調べがあり、その待機中に刑務官を「おやっさん」「オヤジ」と連呼している新入がいた。以前の刑務所での刑務官に対する呼び方である。4時半ギリギリまで去年の事件を蒸し返されたので夕食は既に回収された後で、食ったら小窓に置いておけと言われた。調べで去年の事件を蒸し返されたので色々勘ぐって食欲が失せ、おかずをおかずだけで食べてしまい麦めしを時間をかけて食った。放送でパン以外は購入を再開すると改めて流された。会計課のこの声の主はとてもイケボである。今日の昼は丁度風呂の後出るのを待っていて放送が聞こえず、担当に聞き直したことを思い出した。これも書くのを忘れていたが天井の監視カメラも隠したままであった。
3/4(火)
朝起きると暗かったがすぐ明るくなり起床時間となった。7時半になると刑務官がなぜか「発信~~」と言いながら歩いていた。何かの聞き間違いかもしれない。なお今日検事調べというのは異例である。建前20日勾留は10日×2なのではじめの地検、10日前、20日前の3回あるからだ。よってふつうなら2回目は今週の木か金である(3/8土曜が10日目であるため)朝飯の時担当が点検の時もう一歩下がれと言ってきた。注文の多い刑務官である。今日の検事調べが早すぎるというのはまず再逮されて弁解録取をとって2回しか取り調べをしていないというのもあるが、今日の検事調べは2回目の取り調べの前から決まっていたことであり、前々回の取り調べはこれと言った内容はなかったので実質弁解録取をしてすぐこのスケジュールを入れたことになるからだ。ありえるとすれば水木金忙しいから金曜の検事調べを火曜まで前倒ししたのだろうか?昨日開け放しだった前の房は昨晩からドアが閉まり「空室」「未検査」のシールが貼られている。朝食のゴミ回収の時に食器消毒をすると放送されたが、コップも含めて出せと放送していたのでやめておいた。食器消毒や配食は緑の服の人がやっているがこれは志願作業者であり、刑務官は配食の時小窓を開けるだけの制服の人である。配食の志願作業者は食事に唾など入らないようフルフェイスであり大変そうに見えた。動きもなめらかである。ゴミ回収および食器回収が終わると、志願作業者の「新聞2部。月曜は休刊日なんで」という声が聞こえてきた。土曜と今日の2部を配るということであろう。なおここは大阪なので産経新聞、サンケイスポーツの影響力が強く、留置所で1晩寝た時読んだ産経新聞には維新に関する記事が3つも載っていた。拘置所でもなぜか産経新聞だけ値段が安く、放送で大拘の新聞人気ランキングのアンケートが産経、読売、毎日であったからこの3紙を2025年度取り扱う、スポーツ紙はサンケイスポーツとニッカンスポーツだと言ってもいた。
10年ぶりに大阪に帰ってくると人によって話し方が違うのに気がついた。今房のドアのネジを締め直した刑務官は私の子供の頃の周囲の人のような関西弁を話していたが、取り調べの女と税関の男は生まれてこの方大阪なのに丁寧語であることもあり特に違和感を感じない。一方私は関東ではなまりがないと言われることもあればアクセントが関西弁だと言われることがあり、釈逮されて1日枚方署で寝た時も方言を聞かれ標準語に区分された。私が子供の頃も大阪市とその隣接市町村は明らかに標準語のような話し方だと認識していた。歴史を調べると1923年関東大震災で(当時の)大阪市民100万人が東京横浜からの流入者100万人が加わりいきなり人口200万人になり、この時大阪市は標準語に近い言語島になったようだ。私の母親も私と話すとつられて標準語のような言い回しをするので調官は丁寧語であることもあり私の喋り方に影響を受けるのかもしれない。子供の頃は自分の周りが標準でそれ以外は標準語アクセントも含めて全て「なまり」と認識していたが、10年ぶりに大阪市へ来ると標準語に近い人と子供の頃の郊外の人(私立中高だったので兵庫、奈良、南大阪などいろんなベッドタウンの人がいた)と同じ喋り方、そして私の子供の頃の奈良の田舎のおじさんおばさんのようなコテコテの河内弁の人の3種類に分けられることに気づいた。
ラジオは2種類目であるが、若い女性が出ると1種類目に聞こえる。驚いたのは「東京は美人が多い」と事実と真逆のことを皆言うことだ。なぜそう思われているのか謎であるが東京は美人が多い、標準語は可愛いと思っている人が近年現れたようである。東京の女は大阪へ行けばモテるかもしれない。
斜め前に新入があり官本を貸与されていた。新入官本は取り替えのサービスなどないため私はもうもらえない。メガネをかけた中高年のおじさんであった。願箋が配られたので日用品願箋とちり紙をもらった。日用品の願箋にはもちろんボールペン替芯をマークした。平日日中はずっと壁に寄りかかって座っていなければならないため起訴されて調べがなくなるとかなり辛い。もちろん調べも辛いがこれからどうなるかという辛さとただ一日中座らされる辛さは別物である。
志願作業者が全員死刑囚とは思えないため、起訴されると日中作業できるのだろうか?それはそれでキツそうだがわずかなお金がもらえる。コーヒー1つ分くらいだろうか?税関の男は「土日は長く感じるだろう」と言っていたが真逆で土日はウロウロしたり横になれるし大音量ラジオが一日中流れているためここでは土日と夕食後が「休み」の感覚で、平日日中がキツい社会人のようである。他の被疑者はまるで留置所や精神病院のように「土日がキツイ」と言うのだろうか?マトリに捕まった者は皆私と同じ単独室であるはずだが。しばらくして実質願箋回収である「配湯」の放送が流れた。なお接見禁止は所轄だと薬物事件でつくのは珍しいがマトリでは必ずつくという。事件の大小もあるだろうが、マトリは基本毎日起訴まで調べするためこのことが必ず接禁つける理由だと思った。検事調べに10時半ー11時呼ばれ、10日延長となった。どうなるか分からないと検事自身言っており、前回と同じく今後合法屋をやめるかしつこく念押ししてきた。検事調べから帰ると前々回の洗濯と釈逮される前に洗濯に出した靴下2点が帰ってきていた。今回検事調べ室に同行した刑務官は「1時間あるかないか」と言ってきたので10日延長の検事調べと知っていたようだ。ようやくズボンを洗うことができ、ブカブカかつ寒い官衣のズボンから履き替えた。昼飯前に母からの差し入れが入った。検事調べで前回は「自分はどうなるか分からないと思うけど」という言い方だったのに今回は「処分はどうなるか分からない」という言い方になったので不穏に感じ、差し入れを即ムシャムシャ食べた。向かいの房が開け放しになっていたので向こうの房の窓の先のガラスが見え、そのガラスが虹色になっていた。なぜだろうか?向こうの房を掃除している志願作業者は大拘収容者にしては若く、40くらいに見えた。扉が閉じられ、2時に室内体操が終わると「検査済」のシールが貼られていた。さらに「新入3/4」というシールも貼られた。しばらくするとチャイムが鳴った。「生活のしおり」には2時まで午睡とあるが2時にしては遅い気がする。と同時にキンマの取り調べに呼ばれた。取り調べ室に行く途中の時計を見ると2時だったので「生活のしおり」はやはり正しかった。取り調べが終わると例によって調官の女が長文の調書を巻いて4時半を数分超えて部屋に迎えに来た刑務官が困っていた。房に戻ると夕食が既に冷めており回収も終わっていた。
3/5(水)
朝起きて小窓にペットボトルやお椀を並べていると担当が「もうちょっと後ろ」と言ってきた。私は作業していてそんなこと言われる筋合いないのだがハイと言うしかなかった。起訴されると休日は1日ラジオ鳴っているしウロウロしたり寝たりできるが平日は丸1日こうして壁に寄りかかって座っていなければならないのが3ヶ月続くので何万円も差し入れてもらって毎日雑誌を読み後で金を返したいと思ったが捕まりそうなのに現金を下ろしていなかった自分が悪い。確かにム所に入ると何年もいるので裁判までの3ヶ月だけ贅沢しても仕方ないが、私は初犯なので執行猶予の可能性も高く、それなら3ヶ月分の現金を持っておくべきだった。朝食が終わるとパンの袋、チーズの袋の回収および洗濯物3点を回収と放送された。ヘンプの付け方が分かったことでどんどん洗濯に出せるのが気持ちよかった。すぐにシャワー入浴準備の放送が流れた。同時に新聞を購入者に配っている。この間いきなり5点洗濯物が返され、うち靴下2点は釈逮前に出したものだかこの2点は洗濯されていないことに気づいた。斜め前の男が風呂に行く時シャツを少しめくり、腰まである立派な刺青が少し見えた。去年留置された船橋署では日本人はほぼ全員刺青をしていたがここは刺青なしの老人が多い。
連日の取り調べのためちり紙をもらうタイミングと爪切りのタイミングを逃すので爪は伸び放題で検事にも指摘され、ちり紙も麦めしのため毎朝ウンコするからもうあと4セットになってしまった。私が最初の20日で5kgもやせたのも考えてみれば麦めしで宿便が出たのだろう。
「新入3/4」と貼られていた向かいの房に「空室、検査済」のシールが外れ、「新入官本貸与中」のシールが貼られ、今ドアを開けて刑務官に「パンツ一丁になって風呂の準備しろ、寒かったらパンツ一丁でなくてもよい」と説明されていた。「新入官本貸与中」のシールは釈逮のエセ新入と本物の新入を区別するためのもののように思えた。
普段と違い後半組だったので服を半分脱いだ状態でずっと待たされた。願箋配布が先に始まってしまった。以前7日付けでコーヒー8点注文したが、10日付けでコーヒー8点また注文して来週毎日コーヒー2本飲むとかできるのだろうか?船橋留置所ではコーヒーなりその他のおかし週14点までだったのでコーヒーを1日2本飲んだが…。もっとも領置金が5000円しかないためそのようなことをしている余裕がない。現金差し入れを母に頼むのも起訴されてからにすべきである。しかし留置所にいる時よりはラジオが鳴っていなくても気分が良いのは毎日大量に支給されている茶にわずかなカフェインが入っているのかもしれない。あるいは留置所だと昼飯、夕食の1時間だけのラジオが昼過ぎと夜9時まで平日でも6時間近く流れているからかもしれない。また朝はレモン湯や紅茶のことも多いが今朝はコーヒーだった。缶コーヒーよりは遥かに薄いカフェイン濃度だが朝ラジオ鳴っていなくても平気なのはこのコーヒーのためだろう。精神病院でも昼2時半のコーヒーを毎日首を長くして待っていたし、船橋署でもコーヒー14本が届いてからQoLが爆上がりした。願箋は領置金が5000円しかないからちり紙だけもらった。シャワーに呼ばれる前に母からの野菜ジュースの差し入れが入った。この調子だとキンマの調べに呼ばれてシャワー入れない可能性も大だ。ついに配湯準備の放送が流れた。もうすぐ10時かもしれない。本当にシャワーより先に調べに呼ばれそうなのでシャツ1枚羽織った。普段耳にしない「手持ちの食後薬の交換」の放送が流れた。シャワーから戻ると一昨日ヘンプがないから1枚だけ出した官衣のステテコが戻ってきていた。もうすぐ官衣は全て洗濯に出し終え、また釈逮されない限り今後暖かい私服でム所まで回せる。ついにラジオが始まった。もう11時過ぎで今日は調べはないのかもしれない。すぐに母からの差し入れの食料品が入った。朝のパン以外にこの時間帯は前日16時から19時間絶食なので腹ぺこで昼飯前なのにすぐパクついた。朝のパンを除くと20時間絶食、昼飯、4時間後夕食という非常に偏った食事時間である。コーヒーはないがハイチュウを差し入れられたので糖分で頭がスッキリするかと思いパクついた。刑務所では糖分がないため皆甘いものが無性に欲しくなるという。拘置所もシャバのカップ麺やおかしが入るのは未決のうちで、受刑者になると確か食べ物は基本入らなかった気がする。これを書いているうちに11時45分のチャイムが鳴った。朝の飲み物がコーヒーというだけで明らかに気分がスッキリし普段より時間が経つのが早い。室内体操のチャイムが流れた。ようやく室内体操は平日だと1時、チャイムが2時で午睡終了だと学んだ。室内体操、ストレッチングは15分は放送され、1時になるとラジオからハイテンションな音楽鳴り出した。確かに平日調べがないと時間が長く感じるが、12時~14時に午睡していれば座っているのはイベントの多い午前および夕方2時間なのでそこまで苦ではない。いちばん辛いのは昼飯後の4時間だが、うち2時間をラジオ聴きながら午睡(横になる)してかつコーヒー飲めば全く辛くないだろう。夕食後の布団敷いて良くなるまでの1時間半は全く苦ではないし、ウロウロしても水を飲むふりなどしていれば怒られない。
配湯の時キャリーバッグの上に服を置くなと指摘された。石鹸、洗剤の交換を放送された。小窓は「食器口」と言うらしい。午後ある時からいきなり刑務官達の動きが再開してラジオが中断するのは午睡が終わるからだとようやく理解した。休日は3時50分点検4時夕食であるが、平日は4時15分頃夕食で5時点検である。5時過ぎにラジオが再開する。平日のラジオは昼飯直前~午睡終了までの2時間と5時過ぎから就寝9時までの4時間であり、ほぼ横になって良い時間と被っていることになる。休日は丸1日ラジオがかかっていてかつ横になって良いため、拘置所においてラジオと仮就寝はリンクしている。また午睡や夕食後ウロウロして怒られた記憶はほぼないため(夕食後は担当が退勤するからでもあるが)、横になって良い時間は勝手に立っていてもある程度大目に見るのだろう。食べ物は母が差し入れてくれるので金の差し入れで必要なのは6月上旬に裁判として約12週間、コーヒー代1万円と筆記具、ノート、歯磨き粉、歯ブラシなどの代金だけだから1万3-4000円あれば十分であり、5000円あるので母親に頼む差し入れは1万円で十分である。
但し刑務所に入ると意外と金を使うと言われている(特に冬場)。しかしキンマが私の冬服を押収してそれが刑務所と同じ法務省管轄の拘置所に入ったし、裁判前に刑務所の分も差し入れしてもらうのは現実的でないからム所で使う分はム所へ行った時に頼むしかない。保釈してもらってラスト1週間だけ父の家へ行き、その時銀行から40万下ろして札束を持ってム所へ入るのもありかもしれない。領置金の上限は超えないだろう。50万円と冬服を持ってム所に入れば懲役4年として1ヶ月1万円近く使える。ム所はコーヒーなど入らないが、新聞5000円、あと毎週1000円本1冊買える。4年入ると「ム所ボケ」が怖いので新聞は取りたいところである。シャバでは新聞など絶対読まないが。東京の家の整理をしなければならないためどうせ保釈金は帰ってくるなら親が出してくれるなら保釈してもらう必要がある。合法ドラッグ屋をしていたため大量の資材があるが可能なら全て奈良の実家に送ってそこへ置いておきたい。押収されたCBD、CBGだけでも100万円近くしたものである。だが東京の家はかなり汚れているため必ずクリーニング代を請求される。最悪の場合仮想通貨の一部を現金化して支払い、4年入るなら現金50万円はム所へ持ち込みたい。新聞だけでも4年間で24万円必要であり、それに生活必需品(下着など)を足すと30万円は超える。従って50万円の持ち込みは全く変ではないしむしろ雑誌など読むならそれが標準であろう。確かム所ではちり紙も官物はろくに支給されず、痔になりたくないなら自弁で買う必要があり、ちり紙を賭けてギャンブルしている者がいると聞いたこともある。矯正施設で歯医者にかかるとただ抜かれるだけと言うので歯磨きを嫌という程してしまい、官物の歯ブラシはすぐダメになるし、歯磨き粉の消費も早い。石鹸もそうだし考えてみるとネット情報の通りム所は何かと金がかかる。4年なら50万円は入れるべきである。かつての刑務所、拘置所はほぼ共同室であったため新聞や雑誌を購読すると神扱いと聞いたが今はどんどん個室化が進んでいるため「読み物」は自分で買わねばならず、特にム所ぼけ対策の新聞が皆大きな出費であるはずだ。ちなみに刑務所は留置所、拘置所と違い個室でも必ず「テレビ」があり、夜の2時間とか限られた時間であるがテレビを見られる。しかしそれでけではム所ぼけは避けられず、テレビ+新聞が4年だと必須だろう。スマホが登場した時のこと、Twitterが登場した時の社会の変化を考えると7年打たれるとテレビ+新聞でも多少のム所ぼけは避けられない。値上げもあるから7年だと新聞代だけで50万円かかる。00年代、10年代、そして20年~25年の社会の変化を考えると7年打たれると年齢的にも大きく老化するし、色々と厳しい感がある。懲役がネタになるのは4年までだろう。
東京の家を解約するタイミングであるが、荷物は保釈中に奈良へ送るとしても「執行猶予」の可能性が高い。その場合家を解約すると困るため修繕費として請求されそうな40万円程度を親に渡して判決を見て実刑だった場合のみ親に解約してもらう必要がある。
なんなら合法ドラッグ関係の資材は半分廃棄し、貴重品だけ奈良へ持ち込み、実刑の場合残りの資材を親に捨てさせて解約というのがより現実的である。東京の家には合法ドラッグの資材以外たいした荷物はないため資材を半分捨てて残り半分を目立たない場所に隠し置いておいて実刑なら誰かに捨てさせるというのが現実的に取り得る唯一の手段だろう。どうせ資材を捨てるだけだから、狭い部屋に資材が山積みなのも修繕費を請求されるのも黙って「実刑なら解約してくれ」とだけ言ってム所に逃げ込む?のも一手かもしれない。この場合執行猶予ならそのままの状態で帰宅できる。また親に40万円渡す必要もない。
4時にはまだ早い気がするが早くも夕食の準備を緑の服の志願作業者達が始めた。
検事は起訴する検事と裁判で求刑〇〇と言う検事は別で、今の検事は起訴or不起訴を決めるだけである。その検事が「処分は決まってない」と言い私に合法屋を辞めるようしつこく念押しするということはまだ不起訴もありうるのかもしれない。理論上否認しているのだからそれが真実と立証されれば不起訴となる。キンマの女も「起訴されたらヤバい!」と煽ってきたり、私がム所へ行かない前提で色々話してくるのでやはり否認している以上それが立証されれば不起訴と皆思っているのだろう。調べがダルいから黙秘しようかなと言う度ニヤニヤされるのも、黙秘すると否認の立証から遠ざかり起訴の可能性が高まるからで、逆に言えば不起訴の可能性を念頭に置いているということである。なお15,16日が土日であり18日勾留期限であるため、余罪による再逮がなければ起訴or不起訴の決定は金曜14日である。今日調べがなかったのであと5回ほどの調べで全ての材料を揃えてキンマの女が検事に提出、検事がおそらく13日に判断し、14日に言い渡すのだろう。なお書類でチラと見た記憶ではこの女は密輸専門で、税関の男もマトリ12年、税関へは勉強のため一時的にいるだけである。1年半でマトリに戻ると言う。マトリは7割が薬学部卒なのである程度高学歴で、私服なので調官の女もおしゃれな服装をしており取り調べもいかにも「女子」感を出してきて気が緩んだ被疑者が何かつい喋ってしまうのを期待する手口だった。このような手口は警察ではありえず(そもそも男性の被疑者を若い女性が担当することがないと思われる)、「〇〇工業」のような偽装した制服をわざわざ製造して着ている者がいたり、コンビニめしやペットボトルや色々出てくるしお薬手帳や着替えや財布まで押収して拘置所に入れるので予算が潤沢なのがありありと分かり、噂で聞いた「隣の部屋を借りて監視する」というのも本当にやることがあると言ってもいた。また毎日調べに来るから「千葉県警はほとんど取り調べなかった」と愚痴ると「所轄の刑事は他にも色々事件を抱えているからだろう」と言われた。逆に言えばキンマの密輸チームは少なくとも私を勾留している期間は私のスマホの分析や取り調べに集中しているということであり、ものすごい資源の浪費であると私はあきれてしまった。私は極めて複雑な人生を歩んでおり何が理由で何をしたという全体像を把握している者はゼロであり今後現れる見込みもないが、キンマの密輸チームはすぐ記憶から抜けるとは言えその全体像を一時的に誰よりも把握しており何もかも洗いざらい調べ尽くされている。しかもこれはスマホを押収される前からであり、税関の男の口ぶりでは税関でよほど綿密な捜査をして全ての資料をキンマの密輸係?のような人達に提出してそのチームはそのチームで私について何もかも勉強したということらしい。私の場合取り調べで嘘をつく必要がほぼないためあまり問題にならないが、違法薬物の押し(売人)がこれをやられると余罪が無限に積み上がり一生刑務所から出て来れないのでは?と感じた。表に出た分を機械的に捜査する所轄(県警)と違い、特定の1人が悪人かそうでないか完全に洗い出し、悪人であれば数十年刑務所から出て来れないようにし、そうでないなら綿密な調査の上正しく執行猶予、不起訴にする「最後の審判」的な機関だと感じた。例えば、調官はメモしたり調書をタイプしながら取り調べしているため聞きたいことを聞くのはわずかで取り調べ時間の大半は雑談している。一見ふつうの雑談をしているがチョコチョコ罠を張って否認をやめさせ一発実刑に持っていく言質を取ろうとする。前回の20日のラストの取り調べでは調書を巻かず上がったので「私が"違法と認識していた"と言うと調書巻くつもりだったのか?」と言うと笑いながらその通りだと言った。これは否認が戦略的なものでなく本当に違法の認識なければスルーできるが、もしも実は違法の認識があって嘘をついていたら非常に恐ろしい取り調べである。実際に私は本当に違法の認識がなかったのにありとあらゆるところに罠を張られ徹底的に何もかも調べてくるので取り調べが恐ろしく回を重ねるごとに気が重くなっている。所轄と違ってこれはもし違法と分かってやっていたら8割方逃げられないと思った。完黙したところで十分な状況証拠を揃えて起訴、有罪には持って行ける。否認するにはキンマが持ってきた材料と質問に最低限回答し、否認を立証していかなければならないが、本当に高卒以降の人生何もかも調べようとするから実際は違法の認識があるとかだったらキンマの調べに最低限回答し続けるというのは不可能である。例えば趣味も把握しなければならないそうで、私のスマホを調べ尽くしても趣味らしい趣味が見つからなかったと2回趣味、暇な時間何をしているかを聞かれた。音楽を聴いていると答えてもより具体的に聞き返してくるので、嘘をついて適当なストーリー作って否認は不可能で、否認を立証するために最低限質問に回答したり雑談に応じていると結局真実を突き止められ、もし嘘をついていたらそこで黙秘せざるを得なくなり、するとその周辺を徹底的に調べられ状況証拠を検事に提出されるからバレバレとなり起訴、有罪という訳である。最初の検事調べの前日「戦略とかあるんですかぁ?」と笑いながら聞かれたが圧倒的手数で攻めるから戦略で逃げることはできないということだろう。また雑談は本当に関係ないことが5割で、私が東京北部は下品に見られていると税関の男に語っていると調官が「池袋もですか?」と2回聞いてきて、池袋の腐女子も東京北部のイメージを悪くしていると言うとニヤニヤ笑っていた。また民間刑務所が従来の刑務所より良いという話を税関の男としているといきなり「国立大と私大のようだ」と私大が国立より優れてる点を調官が挙げてきた。私は国立落ちて私大行って中退したので当然科目数を理由にこれを否定すると「〇大は東京では早慶より下に見られているのではないか?」と〇大理学部の特色入試や文系に2次社会ないとかを理由?に調官が被害妄想ぶちかましてきたので丁寧にこれを否定するとそこで調べが終わった。また麻薬をまとめた海外のwikiを私が紹介するとそれを全部印刷して何日か持ってきたり全く無意味なことをしている。こういったやり取りの中でチョコチョコ罠を張られ、もし嘘をついていたらどんどん真実に誘導される。
3/6(木)
朝起きると新入の人が寝坊したらしく「朝やでー!」「起床ー!」と大声で何度も刑務官に声をかけられていた。ここで調べを受けているのはマトリに逮捕された人だけで他は既に起訴され裁判待ちだからリラックスしているのかもしれない。朝食後洗濯回収3点を出した。持ち込みの汚い私服をこれで全て1回は出し切った。ここで風呂に呼ばれ、願箋を配られ日用品の願箋をもらいペンのインクが切れたのでペンを借りた。またちり紙をもらった。するとすぐにキンマの取り調べに呼ばれた。帰ってから母の差し入れが入り願箋にノートをマークし、月曜ボールペン替芯が入るまで最後の日記を貸与ペンで書いている。取り調べは今日は資料を見せる日と言われ色々な私の薬物購入履歴などを見せられた。昨日調べがなかったが調官の女は昨日大変忙しくここ数日の記憶があまりないと言っていた。昼飯を配る時に願箋を回収されペンは回収されなかった。平日なので1時に「室内体操」が放送され、続いて午睡のラジオが流れた。取り調べの前に午睡終了の2時のチャイムが鳴りラジオが終わった。午後の調べで押収物を拘置所に還付する、税関の調書はこれで終わりと言われた。上前をはねるだけのヤクザ、半グレは捕まらないため私の収益はキンマの逮捕者では近年稀に見るスケールで、私が空で分子モデルをささっと書いたり見せられた分子モデルに補助線を引いて詳細を補足したり英語のメールを一瞬で読んで調官の質問に翻訳して答えたりしたのもこれまで摘発した合法屋には誰1人いなかったらしい。過去の仕入れの履歴と違法化の時期を全て突き合わせて全て合法の時期に販売していたと分かり、もし違法の時期に販売していたら顧客データに残っている全員のお宅訪問へ行き、それも所轄ではなくキンマが直接出向くのにと悔しがっていた。またキンマの女はものすごく勉強させられたと言っており、税関の男も「この人は取り調べのためものすごく勉強した」と言っていた。また税関で止まっていた大量の合法ドラッグの任意放棄書にサインをした。もちろん今回逮捕の原因となった間違って購入した違法も任意放棄書にサインした。またマトリは非常に待遇が悪い、徹夜当たり前なのに超過勤務手当込みで30代で年収560万円程度で、大阪府警のほうが給料的には良いし大阪府外への転勤はない、一方キンマはみな薬剤師免許持っているから街中のドラッグストアで働いた方が転勤ないし時給換算すると良いという理由で最初の3年で半分辞めるという。警察、刑務官同様かなり体育会系の職場であるが最近は薬学部卒かつ体育会系のハイスペ人間はマトリにならないため体育会系の新卒は激減しており調官の女のような公安調査庁に落ちたから同じ公安系だから来たみたいなオタク系が増えているという。またやっていることは警察や税関と同じで薬学部で学んだ知識は全く要らないし、実際薬学部卒でなくてもなれるという。税関の男も柔道部だから大阪府警になろうとしたがキンマに受かったから若かりし頃の過ちで「デカイ事件を扱いたい」などの理由でキンマに入ってしまい今になって思えば大卒の政令市とか税関(税関の男は2年でマトリに帰らなくてはならない)にすれば結婚もできたし確実に良かったと言っていた。しかし高卒の県警、大阪府警は課長などのポストに比べて母数が大きいので課長などの管理職はマトリのほうがずっとなりやすいから階級は警察より上になるので生涯収入でなら警察より安いとは言いきれないとも言っていた。また国家公務員だからなり手に困らず安く使い倒されているというキャリア官僚同様の原理も働いているのではないかと言っていた。男性はマトリになると結婚が困難になるが、調官の女はこの仕事のためなら死んでも良いと言っていた。実際調官の女は取り調べ初日の初めの少しのやり取りで気迫の違いが伝わってきた。この日あからさまに調官の女は私に冷たく、全く興味無い風でノロノロ調書をタイプし、結局4時半に間に合わず「明日調書見せる」と言って上がりになった。いきなり冷淡になったりここ数日の記憶がないと言って私についての記憶が急に抜けはじめた理由は次の日分かることになる。
3/7(金)
最初のシャワーに呼ばれ、またバラバラの房の者4人であった。その他20日勾留で釈逮された時同様の流れであった。しかし万一10日延長がなく10日釈放だとしても今日はまだ釈逮から9日目で、釈放は明日のはずである。コーヒー8袋がついに届いて29日ぶりのカフェインを取ったこともあり浮き足立って平日なのにずっとウロウロして担当に注意された。「FIRE
GOLD微糖」は缶コーヒーでは金色だが袋コーヒーも金色で矯正施設内に8袋並べた様は矯正施設なのに贅沢してる感がありスマホがあれば写真取るのにと写真を取れないことが本当に悔しかった。去年船橋署で3週間目に入りコーヒー届いて15日ぶりにコーヒー飲んだ時もそうであったが久々のカフェインのため心バクがものすごかった。手汗が出て本当に落ち着かなかった。
担当が差し入れの野菜ジュースを食器口から私に渡すと、差し入れ受け取りの指印をする紙に前釈逮された時と同じ「本日終了」の印刷があった。そして「荷物まとめろ」と言われた。謎であるがここでは荷物まとめろと言われればそうするしかなく、釈放と言われると嫌でも出ていくしかない。明日は休みだから釈放が1日前倒しになるのかもしれない。釈逮の時と違い石鹸や官衣やタオルもキャリーバッグに詰め込むように言われた。再逮はなく本当に釈放のようであるが、いきなりすぎるため納得いかなかった。釈放準備室へ行くとキンマが拘置所へ還付したという押収物は還付されていなかった。また釈放理由は不起訴や起訴猶予ではなく前回と同じ「勾留不必要」であった。従って余罪による再逮か、在宅捜査かとも思った。しかし前回と同じドアへ行くとその先にはキンマの面々はおらず、そのまま刑務官にさらに先へと案内された。この時本当に釈放であるとようやく確信が持てた。大阪拘置所の門まで誘導されると、キンマの男性、調官の女、税関の男が私の押収物らしき荷物を持っており、刑務官が門の横の詰所のおばさんに開けてくれと言ってそこで釈放と言われた。税関の男は再逮はなく本当に釈放だからついてきてくれと言ってついていくと、「釈放屋」と書かれたのれんが見えた。嫌な名前のお店だなと思わずつぶやくと毎日母が差し入れてくれる差し入れ受け取りの指印をする紙に書かれてある差し入れ屋の店名もすぐに見えた。このお店は差し入れ屋であるから「旦那が釈放されますように」のような意味で釈放屋という看板も掲げていると分かった。
その隣の駐車場で押収物還付の手続きをすると言われ車の中で税関の男はササッと押収物を返してくれ、書類にサインした。調官の女は取り調べ中は私に理解あるそぶりで話していたが今回はかなり厳しく合法屋辞めるよう詰めてきて脅しもされた。キンマの押収物は100万円近くしたCBD、CBGは本鑑定すると言われ還付されず、それ以外を還付された。最寄り駅は都島駅だと言われ、スマホの電池が十分残っていたのでgoogle mapで調べれば行き方はわかると言うとそこで解放された。調官の女は可愛く取り調べしていたのに私が釈放となるといきなり冷たくなったが、私も解放されると挨拶も振り向きもせずスタスタその場を立ち去ったので人間そんなもんかと思った。
とにかく荷物が重いので都島駅につくと駅のゴミ箱に要らないものは全部ぶち込んで2袋をひと袋にまとめ、コインロッカーに預けて天六まで1駅乗って天六で飯食ったり酒飲んだりコーヒー飲んだりタバコ吸ったりSNSにキンマに30日勾留されて釈放された旨呟いたりして一息ついた。天六をブラブラしすぎて、帰りの新幹線では静岡あたりでスマホの電源が切れてしまった。手持ち無沙汰になり連結部へ行って外をボーッと眺めていると西に富士山がちょこっと見えた。しばらくすると伊豆、箱根となりトンネルと山村が連続した。トンネルと山村の連続がなくなって隣県神奈川へ入ったと分かりようやく日常に帰ってきた気がした。しばらく湘南の田舎の景色を眺めていると「新横浜駅まで13分」と日本語と英語のアナウンスが流れ、座席に戻るとすぐにビルが林立する東京近郊の風景になった。

画像
還付された押収物と7日に届いたコーヒー8袋のうち4袋

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マトリに30日勾留された話|永田
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