長々と書いた愚痴・健常者は神なのか
我々障害者は、量としては健常者ほどに努力できない。身体的もしくは精神的な制約、あるいは両方があるからである。では障害者は努力してないかというとそうではない。あらゆる怒りや悲しみや挫折を抱えながら、あらゆる苦労をしている。しかし、なぜそれらが認められず、何なら全無視、全否定されることが多々あるのだろうか。
我々はそもそも人間である。人間である以上、ヒューマンエラーや失敗が生じかねない。あるいはAIでも誤りが生じることがある。結局、完全に誤りを犯さない物など存在しないし、なんなら、人間は失敗したことからも学び成長する。人間なので努力だけではどうしようもないことがある。
しかし、最近の多くの日本人は失敗しないことを最大の美徳とし、失敗すれば袋叩きにする。それが、障害者が相手となると、まさに地獄絵図である。彼らの努力や苦労は、我々とは違い完璧であり失敗しない、すなわち神であるはずの叩く側にとっては存在しないのである。たとえ試験を通過しようと客観的に認められようと、そんなこともお構いなしである。そして障害があるとわかれば、これだから障害者はダメだなどと言われるのである。そして努力してきたことも存在を否定される。
そんな神たちが失敗しても自分で自分を叩くことはしない。何たる傲慢だろうか。そんな神たちが何かに困ったところで、助けを求める道理があるだろうか。万が一あったとして、助けても、また人の失敗を叩くのではないか。しかし、いざ自分が叩かれたら、自分が人を先に叩いたことは棚上げにして、誹謗中傷だと騒ぐ。これもまた傲慢である。
残念ながら、健常者には、人の努力や苦労を否定し失敗は絶対に許さないし何なら名誉毀損などをして人権を侵害する人たちが少なからず見受けられる。そんな神たちでも明日交通事故にあって自身が障害者であることを認知できないくらいに体が壊れるかもしれないし、何なら、精神疾患にかかることはメンタルの強さと関係ないので、例えば何か大事な物を失ってうつ病になるかもしれない。それくらいの想像力もないことくらいは自覚したらどうだろうか。
別に健常者の全員がそのような愚かな神だとは思わないが、無責任至上主義、無知至上主義は甚だ迷惑である。

