募りゆくもの
付き合っている高校生轟出
チャットじゃなくて、メールをしてほしい轟くんと、やりとりが募っていくことに嬉しさを覚えるようになる緑谷くん
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放課後の校舎裏。夕日が照らす中、轟くんと僕は向かい合っていた。真剣な彼の表情に、僕はなんだかドキドキしていた。まるで告白のシチュエーションみたいだ、なんて。思い上がったことも考えていた。
その時だった。僕の耳に、澄んだ、きらきらした宝石のような声が聞こえてきたのは。
「好きだ」
はっきりと聞こえた三文字。それに僕は、目を見開く。ざわっと風が吹いて、目の前に立っている友達だった人の顔が、髪で少し隠れる。それでも、隙間から、赤い顔が見えた。耳も赤くて、ぎゅっと結ばれた唇が強く、強くシワを作っていた。風が吹き抜けて、さあっと元の姿に戻る。それでも轟くんは真っ赤なままで、潤んだ瞳がこちらを真っ直ぐに見つめていた。ガラス玉のような瞳は、夕日を反射させてつるりと光っていた。
「緑谷。俺は、お前が好きだ」
轟くんは繰り返した。真っ赤な顔は夕日の光を弾き返すほどだった。しっかりと、鼓膜を一度一度と震わせる声は硬く緊張していて、彼の鼓動が聞こえてきそうだった。
彼の、一か八か、玉砕覚悟か、と思えるくらいまっすぐで真剣な顔に、僕は、全身の体温がぐわぁっと上がったのがわかった。心臓がドクドクドクと駆け出して、血流がまるでターボでもついたかのように勢いよく身体中を駆け巡ってくる。悲しいことなんて何も無いのに、むしろ、夢なんじゃないかと思うくらいなのに、目には自然に涙が浮かんだ。大粒のそれを見た轟くんはハッとした顔になった。そして、「緑谷、大丈夫か」と近づいてくる。僕が詰まった息を吸い込もうとすると、轟くんの指が僕の目の辺りにひたりとくっついた。冷たい。個性だ。すぐに分かった。僕の顔を覗き込んで、緊張の中に心配を織りまぜて、僕の目をただ冷やしてくれる。理由を無理に聞くこともない。君は優しいから。
「嬉しい」
僕は思わず、口からそんな言葉を零してしまう。ぎく、と轟くんの指が強ばった。轟くんは「え」と小さく聞き返す。聞こえない。聞きたい。聞かない方がいいかもしれない。いろんな感情が行き来しているのが、手に取ってわかった。
僕は、目元のひんやりとした轟くんの手を取った。ひや、と冷たくて、それでも心臓はドクドクと速まるばかりで、体中の熱は引かない。僕は、カラカラの口の中に残った、なけなしの唾液を飲み込んだ。そして、そっと轟くんの顔を見上げた。轟くんは僕の顔を見て、目を見開いた。切れ長の目が丸くなって、少し、子どもっぽい。きゅん、とした。
「僕も、轟くんが好き」
僕がはっきりと言うと、轟くんの目はもっと大きく見開かれた。前に「緑谷の目、大きくて零れ落ちそうだな」と口説くようなことを言っていたけど、その言葉をそのまま伝えてあげたいくらいだった。
「僕も、優しくて、かっこよくて、強くて――何よりも僕のこと大切にしてくれる轟くんが、大好きです。だから――」
恋人になってほしい。そう続けようとしたところで、轟くんに抱きしめられた。突然、強い力でぎゅうっと体を包まれ、僕は「ひゃ!?」と間抜けな声を上げてしまう。ぴったりとくっついた体はお互いの熱を伝えあって、じわじわとひとつに溶けていくようだった。それでも、僕の体に伝わってくる、轟くんのガッシリとした引き締まった体と、ドクドク、ドクドクと僕以上に速く鳴る鼓動に、僕らは二人で、想いがひとつに重なったのだということが分かった。
「ありがとう、好きだ、好きだ緑谷」
轟くんは繰り返した。泣いていた。抱きしめている轟くんは僕の肩口に顔を押し付けて、好きだ、好きだと何度も繰り返している。湿った鼻声と、じんわりと濡れていく肩口に、轟くんは泣いているんだと強く実感した。ヒーローだって泣くときゃ泣く。そう励ましてくれたことを思い出して、僕はきつく轟くんを抱き締め返した。僕も ぼろぼろと泣いて、轟くんに体を密着させた。夕日の力でとろけて、二人がひとつにならないか、なんて思ったりもしたけど、こうして想いが叶って泣いている轟くんの美しい涙を消したくないから、二人は二人のままがいいな、と思った。
「緑谷」
轟くんは僕から少し体を離した。そして、僕の肩を掴む。轟くんの方が頭一つ分大きいから、見上げることになる。涙のあとが残ったままの、かっこいい顔を、僕はじいっと見つめた。夕日に照らされて、酷く美しくて、気を抜いたら魂を抜かれてしまいそうだった。それを許さないというように、轟くんはぐっと、肩を掴む手に力を込めた。
「俺の、恋人になってほしい」
轟くんは言った。直球だった。僕だって同じ言葉を掛けようとしていたのだから、地味だとかロマンチックさに欠けるとか、何か文句を言う筋合いはない。いや、そんなことは全く思わなかった。むしろ、お揃いだと胸が弾んだ。轟くんと、大好きな人と同じことを、同じ言葉で伝えようとしていたと知って、彼と自分が重なったことが嬉しくてたまらなかった。
「うん。こちらこそ、轟くんの恋人にしてください」
僕は言って、頭を下げた。ぼわぼわと顔中で熱が弾ける。どんな情けない顔になっているのだろう。でもしょうがない。だって、好きな人に告白されたんだから。僕は自分のことを考えないようにして、そろそろと顔を上げた。轟くんの顔もぼわぼわと真っ赤になっていて、イケメンだとか面がいいだとか言われている時よりも、ずっと素直で、ずっと優しくて、ずっと可愛らしい顔をしていた。
「……ありがとな。これから、よろしく」
轟くんは言って、肩からスルスルと手を下ろして、僕の手を握った。個性を使っているわけでもないのに、焼けるように熱くてびっくりした。それと同時に、じっとりと濡れていて、僕はパッと顔を上げて轟くんを見た。轟くんは真っ赤な顔のまま、目を少し逸らしていた。
「……はじめてだから、仕方ねぇだろ」
もしょもしょと轟くんは言う。子どもっぽい。可愛い。僕は自分の手もめらめらと燃えるように熱くなっていて、手汗でびしょびしょなのを棚に上げて、きゅんきゅんと胸を高鳴らせていた。「ぼくも、はじめて」と呟くと、轟くんは「緑谷の初めてになれて良かった」と穏やかに笑った。言い方が、なんか、恥ずかしい。僕はパッと顔を下げて、繋いだ手を見た。夕日じゃごまかせないくらい、僕らは真っ赤だった。
告白をし合って、両想いになった。そして、恋人になって、手を繋いだ。ハグもさっきした。この後、どうすればいいのだろう? 何気ない顔をして教室に戻って、寮に入る? なかなか難しいぞ。だってすでに顔は熱くて、頬は緩んでいるんだから。絶対みんなにバレちゃう。どうしよう。
「なあ、緑谷」
僕がそんな心配をフラフラとしていると、轟くんが凛とした声で言った。さっきまでの、照れていた時のような純朴さは少し後ろに下がって、伝えなくちゃという使命感が前に出ていた。僕は顔を上げて、真剣な顔をする轟くんに、「なに?」と答えた。轟くんは、僕の手をさらにぎゅっと強く握った。
「頼みがあるんだ」
真剣な顔。頼み? 僕は分からないまま、轟くんを見上げた。轟くんはゆっくりと瞬きをした。そして、一度大きな喉仏を動かしてから、口を開いた。僕はその言葉に、目を見開いた。
「ふわぁ」
僕は自分の部屋で伸びをした。恒例の勉強会は、轟くんが実家に帰るということで今日はなしだった。僕は一人で、部屋の中でコツコツと課題を行っていた。勉強自体は嫌いなわけじゃないから、そこまで苦労することはない。けれど、と僕は机の上に広がった、一人分の教科書やノート、問題集を見下ろした。
「一人でやるのって、大変だなあ……」
僕はため息をついた。課題がある日は、いつも轟くんが勉強会に誘ってくれていた。そして二人でどちらかの部屋に集まり、問題集をやったり、授業で分からなかったところを聞きあったりする。轟くんも成績がいいから、特別勉強に困っている様子はなく、たまに質問してくれる程度だ。あとは二人で課題をするだけ。
それだけでも、好きな人が一緒の部屋にいて、一緒に勉強しているというだけで何もかもが違う。課題の進みも心なしか速い気がするし、お互い休憩時間におしゃべりするだけでウキウキして、やる気も出てくる。それに、真剣な顔をして課題をしている轟くんは本当に格好よくて、うっとりしてしまう。よく僕はこっそり盗み見ている。
「って、変態じゃん!」
僕は自分の行動を思い出して頭を抱える。別に、更衣室で裸を覗くとかそんない、いやらしいことしてるわけじゃないんだからいいと思う。それに、轟くんがかっこよすぎるのがいけない。仕方ない。僕はしっちゃかめっちゃかな理論で自分を正当化しようとした。
その時だった。ブーッ、ブーッ、という低いバイブ音が、スマホから鳴り響いた。
「わわっ!?」
僕は椅子から落ちそうになるのを堪えながら、放置していたスマホを取り上げる。そして、ロック画面を開いた。轟くんと二人で撮った写真だ。会いたいな、と思いかけて、いやいや今はスマホに来た通知が優先! と僕は画面を見た。そこには、ポップアップが出ていた。
「一件のメールを受信しました」
その言葉に、僕の心臓がドクンッと跳ねる。僕は滑りそうになる手を必死に抑えながら、そのポップアップをタップした。すると、メールアプリに飛ばされる。いつもみんなが使うメッセージアプリじゃない。轟くんがエンデヴァーからのメッセージを既読無視するあれじゃない。正真正銘、正式な文書を送ったりする時と同じ、メールだ。
その中に、「from 轟焦凍」という文字があった。僕はドキドキしながら、そのメールをタップする。メールの件名は「遅くに悪い」だった。
「緑谷、遅くに悪ぃな。体調崩してねぇか? オーバーワークもしてねぇか? 今日の課題大変だったよな。二人でやりたかった。
今日、実家に帰ったら緑谷の話になった。お母さんも姉さんも、緑谷に会いたいって言ってた。緑谷はカツ丼好きだって伝えたら、今度作るから絶対に来て欲しいって言ってた。姉さんはそば打ちもできるくらい料理が上手いんだ。自慢の姉さんだ。
空いてる日があったら、教えてくれ。うちで過ごそう。
疲れてるだろうし、返信はなくていい。おやすみ」
今日の轟くんからのメッセージは、意外と長かった。というか、轟くんは元々お母さんと手紙でやり取りをしていたから、字で書くほうがすらすら言葉が出てきやすいのかもしれない。僕は何度も轟くんのメッセージを読み直す。僕の心配もきっちりしてくれるところが、優しいんだよなあ。お家に呼んでくれるなんて、嬉しいけど緊張しちゃう。恋人ですって伝えるのかな? 恥ずかしくって真っ赤になったまま過ごすことになりそう。冬美さん、そば打ちできるんだ。すごい。僕はメッセージを一つ一つ拾い上げて、くるくると思考をかき混ぜた。
僕は、轟くんの最後の言葉を無視して、「返信」のボタンを押した。するとメールの件名が、「Re:遅くに悪い」に変わる。Re。僕らが繋がっている証拠みたいで、嬉しい。
「こんばんは、轟くん。忙しい中連絡してくれてありがとう。
心配しなくても、オーバーワークはしてないよ。それよりも課題にかかり切りだったな。僕も、轟くんと一緒にできたら捗ったのに、なんて思っちゃった。また勉強会しようね。
お家のことも、教えてくれてありがとう。恋人の家に行って、お母さんやお姉さんにご挨拶するの、楽しみだけど緊張するな。カツ丼楽しみにしてるけど、手打ちのそばも食べてみたいな。
轟くんも疲れてるだろうし、返信はいらないよ。おやすみ。また明日。」
僕はそう打ち込んで、内容を読み返す。変なことは書いてない、はず。そう思って、送信ボタンを押した。ドキドキ、ドキドキと心臓が高鳴る。なんのこともない、ただの雑談なのに。このボタンひとつで轟くんに想いが飛んでいくのかと思うと、緊張してしまう。とはいえ、送信ボタンは押されてしまったので、メールは僕の手元から離れていく。すると、一秒の間の後、画面がぱっと切り替わった。轟くんのメールの画面に戻った。
「ふぅ……」
僕は息をついた。そして、轟くんのメールを見直す。チャットルームでなら、ぽんぽんと会話をするように話を進めていけるけど、メールだとそうはいかない。しっかりと書くことを考えて、過不足なく記載して、ボタンを押して相手の元に飛ばしていく。こんな経験をしたのは、いつぶりだろう。気づけばチャットアプリが台頭していて、僕らは自然にそれを使っていた。メールも使っていたはずなのに、いつから使わなくなったのだろう。
「わわっ!?」
そんなことをぼんやり考えていると、また、スマホが震えた。僕は慌ててロック画面を見て、メールの受信を確認した。タップしてアプリに飛ぶと、「轟焦凍」くんから、「Re; Re; 遅くに悪い」という件名のメッセージが届いていた。
「返信いらない、って言ってたのに、送って悪い。オーバーワークしてないなら、いい。俺にとって緑谷のことは何より大切だから、緑谷にも緑谷を大切にしてほしい。課題も、明日は一緒にやろう。
お母さんと姉さんに、緑谷が家に来るの前向きに考えてるって伝えた。二人とも喜んでた。盛大にパーティーしようって姉さんが張り切ってる。その時は楽しもう。
何度も悪い。明日も授業あるから、早く寝るんだぞ。おやすみ、また明日。」
轟くんからはそんなメッセージが届いた。なんだか轟くん家の中で僕の訪問が一大イベントみたいになっちゃってるのが恥ずかしい。そんなに力を入れなくとも……と言いたいところだったけど、前にインターンの間にお邪魔した時もたくさんの料理を作ってたし、お姉さんはおもてなししたがりなのかもしれない。
僕はまたメールを見返す。課題も、明日は一緒にやろう。その一言を見つけて、僕は何度も読み返した。そして、最後の心遣いに溢れた優しい言葉も見つめ直す。
「ふへへ」
僕はへにゃんと笑ってしまう。チャットなら一瞬で終わるやり取り。それがメールだと、たっぷりあたたかい時間を提供してくれるような気がした。チャットじゃ流れる些細な挨拶も、何度も読み返して、轟くんのことを想像する。僕はまた、返信ボタンを押す。タイトルは、「Re ; Re ; Re;遅くに悪い」に変わった。
「いろいろありがとう。僕も、轟くんの家に行くの楽しみだよって、ご家族に伝えておいてほしいな。
何度もごめんね。今度こそ、本当におやすみ。また明日ね!」
僕はそれだけ打って、送信した。僕の手を離れた、些細なメッセージ。それを、轟くんはどう受け取るかな。僕はドキドキしながら、スマホを充電器に繋いだ。気づけば日付は変わっていたし、課題もトレーニングも終えて、お風呂なんかも入ってきたから、あとは寝るだけだ。僕はベッドに横になって、メールのタイトルの、Reの数を数えて、目を閉じた。
今夜は満月だった。別に周期を調べているとか、わざわざ満月だから外に出てきたとか、そういうことではない。たまたま、トレーニングをしようと外に出て、いつもの寮の陰に行こうとしたところで、煌々と光る、白い真ん丸に気がついた。
「すごいなあ」
僕は思わず、目を見開いたまま見上げた。個性が残り火だけになってから、トレーニングの回数やメニューも少し減らしていたし、個性の影響を受けないなら器具を使った方がやりやすいはず、と部屋の中でトレーニングすることが多かった。クラスメイトもなんだか過保護になって、トレーニングしようとすると、「どこに行くんだ! 何をするんだ!」と追いかけてくるようになった。まあ、なんというか、優しいなって思う。
だから、こんなに綺麗な満月を見たのは久しぶりだった。消灯時間のこともあるし、ただ寮の外をぶらぶらすることも基本的にはないから、月を見たのは本当に久しぶりだった。しかも、こんなくっきりと空に輪郭を写した満月を見るなんて。平安時代の偉い人が、満月が欠けていないようにこの世は全て自分のものだと和歌を詠んだらしいけど、こんなに綺麗なものを見たら、何か和歌でも詠みたくなるのは自然のかもしれない。感嘆の息を吐くのと同じなのだろう。
僕は思わず、スマホを取り出した。そして、カメラを起動して、月に向ける。目で見た美しさが、レンズを通すと少し無機質に変わる。それが悔しいけど、彼には彼の生活リズムがあるし、今日は課題もないから早く寝てしまうはずだ。だから、せめて写真だけでも、少し目視の美しさが欠けても、こんなに綺麗なものを見たよと伝えたかった。
カシャリ、とシャッターが鳴る。確認すると、紺色の空を背景に、真ん丸な月が中心に映っていた。うん、これなら満月だって分かるだろう。僕はそれを保存して、チャット――ではなく、メールアプリを開いた。宛先は、「轟焦凍」くんだ。
タイトルは何にしようか。僕は少し迷った。ただ、満月が綺麗だったことを伝えるためだけのメールだ。僕はうーんと少し悩んで、そのまんまでいいかと「月が綺麗だよ」とタイトルに入れた。
「こんばんは。寝てたらごめんね。
トレーニングのために外に出たら、凄く綺麗な満月が見えたよ! 明るくて、夜じゃないみたい。
これを伝えたかっただけだから、返信はいらないよ。おやすみ!」
僕はそうメッセージを打って、画像を添付をタップする。そこに、さっき撮り立ての月の写真を選択する。そして、画像のアップロードが完了しました、と文字が出てきたのを確認して、送信ボタンを押す。
チャットだったら、ぽんと人差し指で叩くだけでメッセージも写真も送れる。それに、なんの緊張感もなかった。けれど、彼とメールをするようになって、メッセージを読み返すようになったし、画像も何度も眺めるようになった。送信ボタンを押す時は例外なくドキドキするし、返信はいらない、なんて送りながらも、返信が来るまでソワソワしてしまう。何度もスマホを確認して、トレーニングにさあ取り掛かろう、という踏ん切りが付かなかった。
すると、ブブッとスマホが震えた。僕は慌てて、画面に齧り付く。メールの受信を知らせるバイブレーションだと気づいて、すぐメールアプリを開いた。送り主は「轟焦凍」くん。タイトルは、「Re;月が綺麗だよ」。
「告白されたかと思って、舞い上がっちまった。
本当に綺麗な月だな。すげえ。」
「へ?」
轟くんからのメッセージを読んで、僕は目をぱちぱちさせてしまう。月が綺麗だと言ってくれているのは嬉しい。でも、告白? 僕そんなこと打ったっけ? 好きだよ、とは打ってないけど……。すると、またスマホが鳴った。Reの数がひとつ増えたメールが来る。
「月が綺麗ですねって、あなたが好きですって意味なんだろ。」
轟くんからのメッセージは、それひとつだった。僕はそれを見て、ハッと気づく。メールのタイトルに、ばっちりそう入れていたじゃないか。かあっと顔が熱くなって、自分の無自覚な行動に羞恥で燃えそうになった。体をくねくねさせて熱を発散しようとしても上手くいかない。僕はもう、ええいままよ、とメールの返信ボタンを押す。Reがまた増えて、僕らの会話が重なっていく。
「そうだよ。月が綺麗だよ。ねえ、会いに来て。」
僕はそれだけを打って、送信した。ボタンを押す時は目をぎゅっと瞑って、もうどうにでもなれの心境だった。だって、この気持ちは嘘じゃない。月は綺麗。それも本当。轟くんと一緒に見たい。それも本当。ついメールを送ってしまうほど、僕の中に轟くんが大きくなっている。それも、本当。僕らは恋人。それも、真実だ。
「緑谷」
すると、声が聞こえた。ハッと顔を上げて振り返ると、息を切らせた轟くんがそこにいた。寝間着のジャージのまま、髪の毛を乱して、胸を上下させて呼吸するその姿に、僕はかああと顔を熱くさせる。僕はスマホをぎゅっと握ったまま、轟くんを凝視していた。
「お前、大胆すぎ」
轟くんはそう言って、真剣な眼で僕を見る。目は潤んでいて、ギラギラしていた。オオカミ男、なんて言葉を思い出すくらいだ。そうなるように仕向けたのは、僕だ。
「だって……綺麗だったから」
僕が言うと、轟くんは僕を抱きしめた。ぎゅうっと、きつく、それでいて壊さないように慎重に抱きしめる。漂ってくるボディソープの香りの中に、爽やかで少し甘い香りがあった。轟くんの匂いだ。僕は自ら体をすり寄せて、ぎゅうっと体を押し付けた。轟くんは「お」と一言声を上げて、さらにきつく抱き締めてくる。そんな僕らを、白い光が照らしている。星も蹴散らすような眩い月の光が、僕らの輪郭をはっきりと照らしていた。月が綺麗。本当に綺麗だった。
もう、トレーニングのことは僕の頭の中から抜けていた。僕は抱きしめられながら、轟くんにくるまったまま、そっとスマホを弄った。たった一言だけ打ち込んで、Reを増やす。すると、轟くんのスマホが鳴いた。僕は轟くんを見上げた。僕の視線の意味に気づいたのか、轟くんはポケットからスマホを取り出す。そして、僕からのメッセージを見て、目を見開く。
「っ、お前ってやつは……」
轟くんは耳まで真っ赤になって、顔を覆う。僕も体も顔もどこもかしこも熱くて、でも逃げたくなくて、轟くんにくっついた。月の怜悧な輝きの下、真っ赤な心臓ふたつがバクバクと重なって鳴り響いてきた。
「お風呂、入ってきたから」
僕が囁くと、轟くんはゴクリと喉を鳴らした。大きな喉仏が上下して、彼は僕の額にキスをする。僕が「ひゃ」と声を上げると、轟くんは僕の手を引っ張って寮の中に入っていく。エレベーターのボタンは、もちろん五を押していた。
メールフォルダに溜まっていく、僕らのReの数々。その一番上に、「今日は轟くんと夜を過ごしたい」という僕のメッセージがあった。
お風呂から上がって、部屋に戻ろうとしたところで、一階の共有スペースに人が集まっているのが見えた。轟くんとの勉強会までにはまだまだ時間があるし、賑やかなみんなが何の話をしているのか気になって、僕は「みんな、何してるの?」と問いかけた。
「おー緑谷!」
「デクくんやっほー!」
クラスメイトは突然現れた僕にも嫌な顔ひとつせず、迎え入れてくれる。ソファの空いているところに座らせてくれて、仲間に入れてくれた。
「大したことじゃねーんだけど、この番組面白くてさあ」
言ったのは上鳴くんだった。番組? とテレビに視線を向けると、「不正解です!」と司会者に突きつけられて「嘘だろ~!」と芸能人が突っ伏してダメージを受けている場面が映っていた。これだけじゃ何か分からない。僕は首を捻った。
「年代別流行クイズだよ」
と言ったのは尾白くんだった。「それぞれの年代で流行ってたものをランキング形式で出して、他の年代の人達が何が流行ってたのか当てる、みたいな……よくあるクイズ番組かな」と彼は説明してくれた。分かりやすい。「なるほど、ありがとう」と言うと彼は笑った。
テレビを見直すと、「次の問題に正解すれば、金一封です!」とアナウンサーが満面の笑みで言った。するとスタジオも、おおー! と盛り上がる。ソファにいたクラスメイト達も「太っ腹~!」「私も金一封欲しい~!」と野次を飛ばしている。こういう明るいところがあるからみんなでテレビを見るのが楽しいんだよな、と思う。
「今は、チャットを使ってのメッセージのやり取りが普通ですが……こちらの年代では、何を使っていたでしょう!」
アナウンサーは問題を出した。こちらの年代、というのは僕らよりふた周り半くらい年上の世代だった。当てられた芸能人はまだ十代で「え~わかんない~」と頭を抱えている。クラスメイトたちもうーん? と悩んでいるようだ。
「この頃はもうケータイあったよね?」
「そうね。スマホも開発自体は進んでいたはずよ」
「えーでもケータイとか簡単な答えなことあるぅ?」
「あえて簡単にして引っ掛けるつもりかもよ」
「どうだろうなあ……」
みんな口々に言う。僕もそれを見ながら、うーんと悩んだ。ケータイは確かにあったけど、もっと違う機器があったような……なんだっけ、名前分からないなあ……僕がウンウン唸っていると、「タイムアップです!」とアナウンサーがテレビの中で高らかに宣言した。
「それでは、お答えいただきましょう! この答えは~!?」
その時、ブブッと僕のスマホが震えた。クラスメイトはテレビに夢中で、特に気にしている様子はなかった。邪魔にならなくてよかった、と思ってスマホを見ると、メールの着信を知らせるポップアップが出ていた。ドキン、と僕の胸が跳ねる。
「なんだよぉ! CMかよ!」
「引き延ばしはんたーい!」
そのうちに、どうやらテレビはCMに移ってしまったらしい。クラスメイトはブーブーとブーイングをしている。「早く答え知りたいよ~」と麗日さんはブンブンと手を振っていた。僕はそんなクラスメイトをよそに、そっとスマホに意識を向けた。メールアプリを開くと、送信主は「轟焦凍」くん、タイトルは「Re;Re;Re;勉強会について」だった。僕が部屋に戻ってから行ったメールのやり取りに、新しいメッセージが追加されたらしい。部屋に着いてからすぐ、勉強会がしたいと送り、轟くんから俺もと返事があり、轟くんの部屋でこの時間から、というメッセージがあった。それに、分かった、楽しみにしてるね! と送ったのが最後だった。そこに、新たにメッセージが来たのだ。
何かあったのだろうか。僕がハラハラしながらメッセージを開くのと同時に、「お答えを、どうぞ!」とアナウンサーの声が聞こえてきた。どうやら、CMが開けたらしい。クラスメイトも静かになって画面を見守っている。その静寂がさらに僕の心臓をバクバクと鳴らした。
「メール!」
画面の中で、十代の芸能人がフリップを出して叫んだ。自信満々なその答えに、アナウンサーは「残念! 不正解です!」とバッサリ切り捨てた。芸能人は「まじかよー!」と突っ伏す。
「メールなわけないじゃーん、結構最近だよ~」
「うーん、でも最近はほとんどメッセージアプリやない? メール使わんし」
「確かに。メールなんて授業関連以外、最後にいつ使ったかなあ」
クラスメイトはやいのやいのと意見を述べている。その場から静寂が消えて、僕は少しほっとした。みんなの明るさのおかげで、轟くんからのメールも、何気なく読める気がした。僕は、とんとタップしてメールを開いた。
「準備、早く終わった。今からすぐに勉強会できるぞ。」
轟くんからのメッセージは、短かった。けれど、早く僕と勉強会がしたいってことがよく伝わって、僕の顔がじわっと熱くなる。早く終わった、って言ってるけど、早く終わらせてくれたのだとしたら。そんな期待が胸を突き上げる。メールの文面なんてなんの飾り気もない文字なのに、轟くんの言葉が聞こえてきそうだった。
僕は、返信ボタンを押す。すると、Reがまた増えた。そこに、「僕も準備終わったよ。今一階で皆とテレビ見てた。今から行くね。」
僕はそう打って、ぐっと送信ボタンを押し込んだ。メールでのやり取りにも慣れて、轟くんとのメッセージを眺めるのもすっかり癖になってしまったのに、まだ緊張する癖は抜けない。恋愛初心者だからしょうがないよね。僕は送信したことでまた赤くなった顔を冷やそうと、手で頬を抑える。
「おやおや? どうしたのかな緑谷?」
しかしそれを、芦戸さんに見られてしまった。ニヤニヤとした彼女の顔に、僕は「えっ」と体を飛び跳ねさせてしまう。彼女につられたのか、その場にいるクラスメイトたちは一斉に僕を見る。
「そんなに真っ赤になってスマホ見てぇ……さては! 恋だ!」
そう言って芦戸さんは僕に飛びかかった。僕は突然のことに「うわっ!?」と悲鳴を上げて、無様にもソファから転げ落ちてしまった。麗日さんが「デクくん大丈夫!?」とギリギリ個性で地面に激突しないようにしてくれたけど、手から滑り落ちて飛んで行ったスマホは、瀬呂くんにキャッチされてしまった。芦戸さんは「瀬呂ナイスぅ!」と言って僕のスマホを覗き込んだ。轟くんとのメールが映っている画面を。
「へ? メール?」
それを見た芦戸さんは、目を点にする。スマホを持っている瀬呂くんも「メールの画面だ」とぽかんとしている。メール、という言葉に、クラスメイトたちはどれどれと僕のスマホを覗いてくる。そして口々に「メールだ」「轟とメールしてる……」と言った。僕が固まっているのを見て、瀬呂くんは「わり、悪ノリしすぎた。返すわ」と渡してくれた。芦戸さんもみんなも、「勝手に画面見てごめん」とちゃんと謝ってくれた。僕は「大丈夫だよ」と答えた。見られて困るものでもないし。
「緑谷と轟、メールでやり取りしてるの?」
聞いてきたのは、芦戸さんだった。僕は「うん」と頷く。「毎回?」と追加で聞かれたので、それにも頷いておく。
「今までチャットじゃなかったっけ? わざわざメールに変えたの?」
聞いてきたのは、尾白くんだった。僕は「そうだよ」と正直に答える。すると、聞いてきた彼だけじゃなくて、他のみんなもキョトンとした顔をしていた。
「なんでメール? チャットの方がラグ少ないし、気軽じゃない? わざわざメールに変えるって、何かあったの?」
聞いてきたのは芦戸さんだ。僕はその質問に、「え、えと」と言葉につまる。轟くんと約束をした。けれど、轟くんはお願いをしてきただけだ。僕に告白してくれたあの日、お互いの気持ちを確かめあって両想いの恋人だとわかった日。これからのやり取りは全部メールでやりたいと僕に打ち明けてきただけで、理由は言っていない。僕は轟くんと恋人になれるのが嬉しくて、チャットじゃなくて、轟くんとだけメールをできるのが特別に思えて嬉しくて、深く考えずにメールを続けていた。僕はどう答えたものかとまごまごしてしまう。クラスメイトはきょとんとしたまま僕の答えを待っていた。
「緑谷」
すると、第三者の声が入ってきた。僕の肩がビクッと跳ね上がる。クラスメイトたちの視線も、声の方に向く。ちょうど今、話題になっていた人物の登場に、「轟!」「轟くん!」と声が飛んでいく。轟くんはクラスメイトに「おお」と手を振って、それからまっすぐ僕の方に向かってきた。
「わりぃ、我慢できずに来ちまった。今から行けるか?」
轟くんは僕の顔を覗き込んで言う。かっこいい顔が近づいて、僕の顔がぶわわっと熱くなる。テレビも真剣に見ていたわけじゃないし、わざわざ轟くんが迎えに来てくれたのだから断る理由はない。僕は「う、うん、大丈夫、勉強会、しよ」とカタコトになりながら言った。轟くんはそんな僕を見て「可愛い」と頭を撫でてきた。ドキドキが止まらない。
「ねえねえ、轟!」
僕が轟くんに心奪われていると、芦戸さんが声を上げた。轟くんは「どうした?」ときょとんとした、さっきまでのクラスメイトのような顔をして首を傾げた。
「なんで緑谷とメールでやり取りしてるの? チャットの方がいろいろと楽だし良くない?」
さっきの疑問を、芦戸さんは轟くんにぶつけた。確かに、彼女の言う通りだ。轟くんのことが好きで、両想いで恋人になれて嬉しくてスルーしてしまっていた僕も気になっていたので、ちらっと芦戸さんに同調するように視線を轟くんに向けた。轟くんは一瞬目をぱちぱちさせてから、「ああ」と息を吐いた。
「メールの方が、たくさん残るだろ」
轟くんは言う。その言葉の意味がすぐには分からず、その場はしんとする。轟くんはしばらく口を緩やかに結んで、瞬きをしていた。じっと考え込むような仕草に、みんな黙って彼の言葉を待っていた。
「確かにチャットの方が楽だし、即時性もある。いろんな機能があるのも知ってる。でも、チャットは流れていっちまう。どこかへ、大切な言葉が押し流されちまう。メールの方が一つ一つ、タイトルをつけて残せるだろ。手紙みてぇに」
轟くんは言う。その言葉に、反論の声は上がらなかった。確かに、僕のメールフォルダには、轟くんとのやり取りがひとつ残らず残っていた。押し流されることもなく、勝手に消去されることもなく。この時はこの話をしたんだ、とか、この時はこう連絡したかったんだ、とか、その時の自分の影を残したまま。
「それに、返信がずっと重なるの、すげぇ嬉しいんだ。ひとつずつ、その会話に気持ちが乗っかるみてぇで……返信マークが着く度に、同じこと考えてるって、また思うから」
僕は、スマホのメールフォルダを見た。轟くんが言う通り、ひとつのメールに何個も返信が着いていた。タイトルのReは、十個を超えているのもあった。でも、それらは決して無駄なものじゃない。決して、ただの記号じゃない。二人で重ねた会話がじっくりと地層のように重なって、Reに変換され、思い出としてフォルダにそっと置かれる。Reの数が多いほど、たくさんの会話が絡まって、鼓動が跳ねる。
「だから、俺は緑谷に告白した時、メールでやり取りしてぇってお願いしたんだ」
轟くんはそう言って、僕のスマホを見つめた。色んなアプリが入って、いろんな機能がついて。いくらでもコミュニケーションのしようがあるそれの、最も原始的と言ってもいいくらいのメッセージアプリを使いたいと、轟くんは言った。そっちの方が、想いが募るからと。
「そういうわけだから。俺たち勉強会してくるな」
轟くんはそう言って、話は終わりだと言わんばかりに、僕をひょいと抱き上げた。いわゆる、お姫様抱っこだ。僕は「ひえ!?」と上擦った声を上げるが、轟くんは「みんなおやすみ」と声を掛けてスタスタとエレベーターに進んでいく。さすが轟くん、僕を抱えても体幹が全くブレない……じゃなくて!
「えええええええ!?」
ソファの方から、絶叫が聞こえた。
「轟と緑谷付き合ってんの!?」
「やっと!? やっとかよ!?」
「お姫様抱っこ! お姫様抱っこだよ麗日!」
「王子様や……! 紛うことなき王子様や!」
「轟ちゃん、彼氏力が高いわ」
「まさかこんなところで知るとは……」
「大ニュースだろこんなん!」
エレベーターが来てドアが閉まるまでの間に、そんな叫びが聞こえてきていた。そこで僕は、そうだ僕と轟くんが付き合ってるのはまだ誰にも言ってないんだった! と気づいた。
「ばかっ、轟くんのばか!」
僕は足をじたばたさせる。しかし轟くんはビクともしない。すごい体幹だ……じゃなくて! 恥ずかしいよ!
「いいだろ。自慢したくて仕方なかったんだ」
轟くんはそう言って、むっと口を尖らせた。末っ子っぽいとこ出てる! 可愛い! 僕はたまらなくなって顔を手で抑えた。
「緑谷は? 嫌だったか?」
轟くんは僕の顔を覗き込んでくる。僕はもう反論できなかった。
「……メールを送る度ドキドキしてるんだから、もう今更だよ……」
僕が言うと、轟くんはパッと顔を明るくさせた。そして、眩いものを見るように目を細めて、「俺も、緑谷にメール送る時緊張するぞ」と笑った。僕らは結局、似たもの同士のようだ。僕は拗ねるつもりだったのに、ふにゃ、と表情を緩めてしまった。轟くんが好きだ。改めて、そう思った。
「これからも、たくさん積み上げていこうな」
轟くんがそう言った時、エレベーターが止まった。ドアが開いて、しんとした廊下が待っていた。轟くんは、迷いなく踏み出して、僕を抱えて頬ずりをする。
「……うん」
これから、どれくらいReが伸びるだろうか。そんなことを考えながら、僕は轟くんの頬ずりを受け入れた。いたずら心で頬にむちゅっとキスをすると、轟くんは赤くなって「み、みどりや」とドギマギしていた。
ああもう、好きだな。この顔を写真に撮って、メールに添付して送りたい。僕は強くそう思った。