薄闇はすっかり夜に変わっていた。
薄く空を張る灰色の雲が、明るく冴え渡るであろう白い月を覆い隠している。
月光を押し退け、都市を彩る魔石灯の光を主役としたメインストリート。
街の住民から都市外の人間と幅広く、多くの人々によってさざめいている。
そんな街の華やかな人気から遠ざかるように、俺とリューさんはその郊外を目指していた。
「レンリさん」
「……はい」
「完食、見事でした」
「全然見事じゃないです」
『豊穣の女主人』における顔合わせからしばらく。
心なしか疲労が乗った声で隣を歩くリューさんの言葉に応じる。
栄養食(仮)を摂取してから数十秒ほど意識を失っていたらしい俺は、未だに残留する味覚と内臓のダメージを実感しながら、どうにかこうして彼女と仕事にありつくことが出来ていた。
体調に関しては、正直あまり口にしたくない。
「『
「お陰でシルも怒られずに済みました。作るのであれ食べるのであれ、ミア母さんはお残しは許しませんので」
「誰であっても怒るべきでしょうアレは。暫定『生誕罪』」
「生まれること自体に罪はありません。料理であってもそれは同じです」
「その料理の一品に一発で気絶した俺はどんな顔すれば良いんですか」
「調理の腕に関してはともかく、シルのことを悪く言うのは許しませんよ」
「擁護になってないんですよ」
料理に関して一切触れない時点で色々お察しである。
この人もシルさんと浅からぬ関係があるようだが、アレを食すことが難行であるというのは共通認識らしい。
個人的にもあの食事会は、俺の中では『洗礼』とどっこいどっこいの苦行。
それを乗り越えたというのに、達成感はおろか歓喜なんて感じる筈もない。
ぐるぐるとお腹の中で唸るパフェの残滓が、その虚しさを冗長している始末。
『耐異常』だけでなく、
「まぁ、でも……料理の味に関してはともかく不器用なりに頑張ったみたいでしたので、それっぽくフォローはしておいてください。あの人、俺が気絶した事に関しては色々気にしてると思うので」
「……やはり、シルついて詳しいのですね」
「一年も交流してますから」
たった一年。されど一年。見えてくるものの一つや二つくらいある。
意外に善意のみで動くことがあったり、その善意が空回りした時に悲しむ人心があることとか。
何と言うか、超然と振る舞う癖にいちいち人間臭いところがある
「『まずい』とだけは言わないよう命を懸けていました」
「言ってるも同然なのでは……?」
「第一級冒険者とて時にはどうしようもない時があるんです」
「だから言ってるも同然なのでは……?」
世の中口にさえ、当事者さえいなければどうにかなるので問題はない。
具体的には、次やられたら訴訟も辞さないくらいには気にしていない。
それに味はともかく、秘めた栄養価はどうやら本物らしい。
リューさんも指摘していた睡眠不足が嘘の様に身体から吹き飛んでいる。
生命の息吹という命名は伊達では無かった。あとは味さえ、味さえ何とかしてくれれば。
そこではたと隣を歩くリューさんへ向き直る。
「改めて、ありがとうございます。俺の素性では、協力を拒否する冒険者が居ても不思議じゃありませんから」
「いえ、協力は惜しみません。それに――」
「――『
どこか強くなった語調に、改めてリューさんの姿を確認する。
腰まで届くフードのついた深緑のケープ。
エルフらしい清廉とした美しさを持っている顔は、同じく緑のマスクによって覆われている。
ショートパンツと腿まで伸びるロングブーツ。
腰に携えた長い木刀と二振りの小太刀からは、どちらも武装としては間違いなく業物である。
『鎧』という要素を排した戦闘衣は、回避と機動力に重きを置いた軽戦士特有のものであった。
……僅かに見える生足が色々な意味で目の毒だというのは、この際目を瞑っておくとしよう。
「……『闇派閥』と何か因縁が?」
「……少なくとも現在のオラリオにおける冒険者よりは、その手口と戦闘法への対処には心得があります。それ以上は言えない」
「いえ、十分です。ありがとうございます」
「……すみません」
「大丈夫ですよ。それに――俺も、縁がないわけじゃないですから」
むしろ協力者として申し分ない。
リューさんが纏う威容は、
『豊穣の女主人』の制服から一転し、明確な敵への備えを感じさせる姿。
明らかな完全武装に、この人には今回の件に対して仕事以上の想いがあるという言葉に嘘はないと判断するには十分過ぎると言えよう。
「現状の手がかりはコレです」
「……これは?」
懐から昼にフレイヤ様へ見せた手掛かり――
「今回の調査の発端となった手掛かりです。ギルドが発注したクエストにより調査に向かったレベル3、レベル2のパーティと思われる痕跡――大量の血痕と装備の一部と共に見つかったものです」
手渡し、歩きながらまじまじとその魔石を観察するリューさん。
何分、俺は冒険者として活動を始めてからの期間が長いとは言えない。
ギルドやホームにある資料を読み漁り、ファミリアからある程度の教導を受けたうえで下層、深層には何度か足を踏み入れた事はあるものの、その知見に経験が追いついていないのだ。
今回の依頼は、そういった俺の不足をどうにかする為のものでもあった。
「殺された冒険者は中層域における『闇派閥』の目撃情報に伴いギルドからのクエストと言う形で組まれた三、四名による他ファミリアの混成パーティでした。もっとも、『闇派閥』自体の活動は
「――――」
ひしりと、空気が張り詰めるのを感じ取る。
オラリオの中心部に近い華やかな建物から遠ざかり、人気が少なくなった狭く入り組んだ路地において、それは静止する水面に針を落とした様な揺らぎがそこにはあった。
どことなく鋭くなった隣のエルフの視線を見れば、その出所は火を見るよりも明らかだ。
「……リューさん?」
「……いえ、何でもありません。続きを」
なんでもない、と言うにはいささか物騒な気配を纏っているのは気のせいではないだろう。
とはいえそこは流石腕利きの冒険者と言ったところか。
殺気や気配を外部に漏らすことなく、声音にも変化は見られないところを見るに精神的には第一級冒険者にも劣らない。色々な部分で未熟な俺とは大違いだ。
あるいは、それだけ『闇派閥』との因縁が深いということなのか。
「話の続きですが、その過程で見つかったのが
「通常の魔石とは違う……一体モンスターの何なのでしょうか」
「詳細はギルドでも不明です。既存のモンスターの様に心臓として備わっていたものなのか、魔石に手を加えたものなのか……これ以前にも消息を絶ったパーティの探索と並行してこの魔石の出所を探っていたみたいでしたが――いずれもダンジョンから帰ってきませんでした」
俺の口にしたその言葉に、リューさんが目を見開いた。
「……全滅、ですか?」
「全滅です。情報はおろか、肉片一つすらも戻ってこなかった」
ただ冒険者が消息を絶っただけというのなら、よくあるダンジョン内での事故と言えるだろう。
他の冒険者が引き連れていた大量のモンスターを押し付けられたり、たまたまモンスターが大量発生するタイミングでその場所に訪れたり、『運が悪かった』と称するしかない事象がダンジョン内ではままある。
それこそが冒険者稼業が荒事と言われる所以だ。
もっとも、今回の問題は――同じ目的を持ち現場に向かった冒険者が一人残らず帰ってきていないという点にある。
「……下層から上がってきたモンスターの強化種の可能性は?」
「それも考えましたが、かの『血濡れのトロール』でも魔石の色はこんなではなかった。魔石の変異というよりは、
「そこで『
全く以てその通り。
全貌が見えない人死など俺のような冒険者はともかく、他の冒険者たちの探索の士気すら関わってくる可能性もなくはない。
だからこその今回の調査依頼だ。
消えた冒険者の行方と同時にその原因と、この『極彩色の魔石』の出所を探る。
そのために、ここ数日はその調査に当たっていたのだ。
「地上はあらかた調査し尽くしました。色々と予想外の出来事もありましたが……今度は都市の地下を調べます」
腰に備えたポーチより二つ折りになった羊皮紙をばさっと広げる。
紙面上には赤い丸と、一つを残してバツ印を記してある。
それは見る人が見ればわかる、オラリオの『ある場所』を記載した地図だった。
「……それは?」
「地下水路の場所を記したものです。中でもとりわけ古いものをマークし、水路の新設によって半ば放棄されていた箇所に絞り込みました。今目指しているのは、一番古い地下水路になります」
「……どうしてダンジョンに向かわないのです? ダンジョンの入り口はギルドが抑えている以上、犯人は未だダンジョン内に身を潜めている筈」
「地上で警備にあたっていた憲兵も同じタイミング、似た状況と痕跡を残していたとなればどうでしょう」
「……!」
リューさんが息を呑む声が聞こえる。
現状をより正確に思い浮かべたのだろう。
加えて実際に『闇派閥』と対峙してきた、となればその想像は俺には埒外のものだ。
何せそれは――敵が地上にモンスターを放つ手段を備えているという事実の示唆に他ならない。
「頭が痛くなってきますね……」
「ええ、まったく」
ダンジョンより発生するモンスターたちの蓋として機能する『バベル』。
地上にモンスターも居ないわけじゃないが、それはオラリオの冒険者からしてみればはっきり言ってその大半は太古に外へ進出したもののみで、脅威と言えるものじゃない。
それだけダンジョン産のモンスターとは特別なのだ。
もっとも、例外が無いわけじゃない。
オラリオには『
だがその逆。
つまりは『敵』がダンジョン産のモンスターを地上へ持ち出し、付き従えているというのならば事態は急を要するものとなる。
結果として、事態は原因の究明と共に都市の防衛という意味も兼ね、地上とダンジョンの探査の優先順位が逆転するのはある意味で必然と言えた。
「っと、着きました。此処です」
狭い路地の歩みがいよいよ終わりを告げる。
眼前にあるのは薄汚れた器材が乱雑に置かれた石造りの小屋だ。
耳を澄まして、冒険者としての感覚を全開まで広げれば、その先には水流の気配が遠くで反響している。
「……ここに『闇派閥』がいると?」
「その可能性を検証するための調査です。地上と他の箇所は調べ尽くしたので、此処にも居なければいよいよダンジョンに向かいます」
「都市中をしらみつぶしですか」
「六徹目ですので」
「だからシルがあのような
「アレが慈悲ならもう何人か死体が出来上がってますよ」
会話もそこそこに、ぎぃと古ぼけた扉を押し開ける。
開けて見えたのは空っぽの個室と、地下へ続く階段のみ。
足場は暗く、灯りなど皆無に等しい。
すっ、とリューさんへ手を差し出した。
「……」
「……なにか?」
「……どうして私に手を?」
「? 何って、こんな暗いところに女性を呼ぶのですから男としてとうぜ――あ」
間の抜けた声が思わず口から零れる。
つい、女神と街や都市外を散策する際のいつもの癖が出てきてしまった。
首を傾げたリューさんの反応は至極当然の反応と言えよう。
何せこれは、彼女を侮辱していると捉えられても仕方がないと言えるのだから。
「失礼しました。エルフの貴方にこんな……しかも腕の立つ冒険者だというのに」
差し出した手をすぐに引っ込めて、即座に謝罪を口にする。
男の意地など言い訳にはなるまい。
そんなものでどこぞの馬の骨かもしれぬ俺と共に戦場に立つ覚悟を抱いて此処に居る彼女の誇りや強さを甘んじることは許されぬ行為だ。
何より彼女はエルフ。
彼、彼女らの種族は気を許した相手にしか肌の接触は控えると聞いている。
女性へ最低限尽くすべきマナーのつもりが、全て裏目に出てしまった。
ならば甘んじて、罵倒や叱責を受け入れるしかあるまい。
「…………」
…………?
だがそんなものは一言たりとも飛んでこない。
それどころか、無知蒙昧な俺の見識が正しければ、リューさんは別種の驚きを抱いているようにすら感じる。
「……レンリさんは、関わりを持った女性全てにこのようなことを?」
「……? いいえ、そんな軟派なことは……しいて言うなら……」
「言うなら?」
「……リューさんだから? でしょうか?」
他に良いようがない。
今日会ったばかりの女性に何を言ってるんだと思うが、口から出た所感は紛れもない本音だ。
お人好しという言い方はあまり好きじゃないが、こうして都市においても危険物一歩手前の俺との関わりを持ったうえ、こうした荒事に付き合ってくれる彼女を他になんと評したものか。
であれば言葉でなく行動で、誠意と感謝を示すしかないだろうと思ったまで。
「……」
「……」
せ、せめて何か言ってくれやしないだろうか。
この沈黙は男としても一人の人間としても居心地が良いとは言えない。
「リューさん、やはり気分を害して?」
「……いえ、私もそういった扱いには慣れていなかったので、少々驚いただけです」
「いえ、落ち度は俺にあります。次からは時と場面を考えるようにしますので」
「そういうことではないのですが」
リューさんへの謝罪もそこそこに、小屋に設けられた階段を下っていく。
……さり気なく、俺が暗がりの先頭に立つことは忘れない。