「リオンちゃん」
その声にリューは振り返った。
「貴方は・・・・・・神エレン?」
とある街角。
覆面のエルフを見つけた男神は、うっすらと笑った。
「奇遇だね。また街の巡回かい? さすが正義の眷族だ」
「あらあら、どちら様ですか、こちらの男神様は? 神なのにいまいちぱっとしないので、感想に困ってしまいます」
リューを呼び止めた男神エレンに、輝夜は猫を被っているようでいて、辛辣な毒を吐いた。
夕時を前にした都市南区画。
リューは輝夜とライラとともに、見回りをしている最中だった。
「リオンがこの前会ったって言うの、例の胡散臭い神ってやつだろう? あの大した金もねえ貧乏神の」
「ひゅー! 初対面なのに辛辣ゥ! 一応神だからもうちょっと敬意をもってくれるとお兄さん嬉しいんだけどなー!」
派閥内で『所持金444ヴァリスの男神』の話題は拡散済みであり、小人族のライラの遠慮のない口振りも加わって、エレンは謎のテンションで泣き叫んだ。
その心境は、まさにうだつが上がらない神のそれである。
「神々の中でも
「あら、アストレア様のことをご存知なので?」
「勿論! アストレアといえば優しいお姉さん代表! 癖のある女神の中でも彼女だけは一点の汚れなき清廉の象徴さッ!」
小首を傾げる原夜に、エレンはだんだんと早口になっていた。
その声音には次第に熱がこもり始め、いつしか熱弁へと変貌していく。
「柔和かつ慈愛の塊、女神の中の女神! 膝枕されながらヨシヨシされたいランキング堂々の一位!!ーそうっ、アストレアは
しかし、言い切る直前で、エレンは何かに気づいたように言葉を切る。
顔には冷や汗。
「……おっと、これ以上言うと
あはははは。
場違いな笑い声が響く。
「ほとんど最後まで言ってんじゃねえか」
「品のない
「やっぱり辛辣ゥゥーーーッ!」
割と本気でドン引きである。そもそも敬愛している主神を母扱いする時点で死ねばいいと思っている。
神であろうと胸を抉ってくる鋭利な一撃に加え、汚物を見るような視線も添えられて、エレ ンは今度こそ滂沱の涙を流した。
そんなライラ達とエレンのやり取りに、傍から眺めていたリューは呆れていいのか戸惑えばいいのかわからない、そんな微妙な表情を浮かべた。
「何をどう指摘すればいいのか私にはわかりかねますが・・・・・神エレン、何かご用ですか?」
「いーや? フラフラ歩いてたらリオンちゃんを見かけたからさ、暇混しに話しかけただけ」
リューの問いに、ようやく立ち直ったエレンはさらっと答えた。
「神の暇潰しほど面倒なものはのうございますねぇ」という輝夜の嫌味にも肩を竦め、あっけらかんと唇を曲げてみせる。
「申し訳ありません、貴方が言った通り我々は巡回中です。失礼させてもらいます」
リューがそう断りを入れて、見回りを再開しようとすると、
「その巡回ってさぁ、いつまでやるの?」
そんな疑問を投げられた。
「………? どういう意味ですか?」
背中を向けかけていたリューは立ち止まり、振り返る。そこには変わらない、うだつの上がらない男神の笑みがあった。
「言葉通りさ。毎日、君達はこの都市のために無償の奉仕をしてる。じゃあ、君達が奉仕をしなくなる日って、いつ?」
「・・・・・無論、「悪」が消え去るまで。都市に真の平和が訪れた時、私達の警邏も必要なくなるでしょう」
「君達の『正義感』が枯れるまで、じゃないんだ?」
その神の問いに。
依然消えることのない、その神の笑みに。
リューはこの時、はっきりと、「不快感」を覚えた。
「……何が言いたいのですか?」
「見返りを求めない奉仕ってさぁ、きついんだよ。すごく。俺から言わせればすごく不健全で、歪。だから心配になっちゃって」
目付きを鋭くするリューにまるで気付いていないように、エレンは語り出す。
確かに子供を案じる声音で、うっすらとした軽薄な笑みを貼り付けたまま。
「君達が元気な今のうちは、いいかもしれない。でも、もし疲れ果ててしまった時、 本当に今と同じことが言える?」
「
その瞬間、ライラは違和感を覚えた。
(……なんだ?)
輝夜が苛立つこと自体は珍しくない。
だが――今日の彼女は違った。
その声音に滲む怒気。
わずかに揺れた視線。
まるで、エレンの存在が、彼女の中の何かを抉ったかのように。
(……妙に引っかかってやがるな)
ライラは横目で輝夜の表情を伺う。
普段の彼女なら、ただ冷ややかに切り捨てるだけだ。
どれほど見苦しい相手でも、どれほど胡散臭い話でも、余計な感情を挟むことなく、静かに突き放す。
だが、今の輝夜は違う。
言葉の端々に、無意識の棘が混じっている。
(なんでだ? こいつ、この神の何がそんなに気に食わない?)
その答えは、輝夜本人にしかわからない。
だがライラの勘は告げていた――これはただの苛立ちじゃない。もっと別の感情が絡んでる。
何かを思い出しているのか。
あるいは――エレンに何かを重ねているのか。
「まさか。俺は君達のことをすごいなぁと思ってるよ。いや本当に。俺には絶対できっこないことに、誇りさえもって臨んでるんだから」
抜身の刀のごとく冷たい視線を向ける輝夜に対しても、エレンの言葉に嘘はなかった。
「君達が儚く崩れ落ちた光景を目にした時………………とても悲しくて、そして禁断めいた興奮を抱くんだろうなぁ、って………………そう思う」
「「っ・・・・・・!」」
そして嘘を使わない上で、事実のみでリュー達の神経を逆撫でした。 超然とした絶対者の目。
天より人々を見下ろす超越存在の眼差し。
ありきたりの結末と世界の真実を語るような口振りに、リューと輝夜の表情に剣呑さが滲みはじめる。
「いい加減、不愉快になってきたぜ、神様。うちの武闘派はどっちも沸点が低い猛犬なんだ。噛みつかれる前にちょっかいかけんの、止めてくんね?」
そこで口を挟んだのは、ライラ。
小さな
「へぇ~……いいね、蛇の道も知ってそうな、その冷たい瞳。君みたいな子がいるから、正義の派閥も破綻せず回るんだろうな」
愉快げに目を細めるエレンに、ライラはさっさと背を向けた。
「いくぜ、リオン、輝夜。構うだけ手の平の上で転がされるだけだ。神の娯楽に付き合う義理はねえ」
「ごめん、ごめん。じゃあこれで最後にするよ。質問に答えてくれたら、ちょっと意地悪なお兄さんはここから消える。約束しよう」
無視を決め込んで相手にしないライラの姿勢に、エレンが慌てたように回り込む。
神の名に誓って、とでも言い出しそうなその姿に諦めを覚えながら、リューは用心深く尋ねた。
「……その質問とは?」
「『正義』って、なに?」
「俺はさ、今とても考えさせられてるんだ。下界が是とする『正義』って何なんだろうって。 全知零能の神の癖に、未だ下界へ提示できる絶対の「正義」ってやつに確信が持てない。まあ、それは俺がしょーもない事物を司ってるせいかもしれないけど」
それと同時に、神でさえ答えを選びかねる難解な問いでもあった。
「でも、だからこそ君達に聞いてみたいんだ。正義を司る女神、その眷族たる君達に」
「相手にすんな、リオン。神の気紛れだ」
ライラが取り合うなと呼びかけるが、
「言えないの? やっぱりわかってないのかな? 自分達が掲げているモノでさえ」
「……ッ!いいでしょう、その戯言に付き合います。答えなど、決まりきっているのだから」
わかりやすいエレンの挑発に、リューは真正面から受けて立った。
「ならば、『正義』とは?」
「無償に基づく善行。いついかなる時も、揺るがない唯一無二の価値」
それに対し、エルフの少女は言い放った。
「そして悪を斬り、悪を討つ。――それが私の『正義』だ」
風が吹く。
束の間の静寂が、神と子の間に横たわる。
言いきって見せたリューの言葉を、エレンはよく噛むように受け止め、何度も浅く頷いて、こめかみを指で数回叩いた。
「ふぅむ・・・・・・なるほど。つまり善意こそが下界の住人の根源であり、『巨悪』ならぬ『巨正』をもって世を正そうというわけだ」
そして、唇でもって三日月を描く。
「善意を押し売り、暴力をもって制す――力づくの『正義』だ」
かっっ、と。
リューの体に熱が昇る。
言葉が頭に直接焼き付けられるような、嫌悪感にも似た感覚。
「そんなことは言っていない! 巨悪に立ち向かうには相応の力を求められる! でなければ 何も守れないし、救えない!」
「おっと、ごめんよ。馬鹿にしてるわけじゃないんだ。君の言ってることはきっと間違っては いないし、それくらい単純な方がちょうどいいと俺も思う。哲学や倫理で小難しく丸め込んでも、万人には届かない」
身を乗り出すリューに、エレンは両手を上げる。
謝意を覗かせながら、しかし消えることのない笑みが、正義の覚悟を示すエルフを今も嗤っ ている。
そう、錯覚してしまう。
「ただ・・・・・「悪」が同じ論法を展開した時、どうなるのか。興味が湧いたよ」
その言葉が落ちた瞬間、空気が微かに揺れた。
ライラは反射的に視線を向ける。
――輝夜の指が、刀の柄にかかっていた。
(……は?)
一拍遅れて、背筋を冷たいものが走る。
「おい、待て」
咄嗟に声を上げたが、違和感が確信に変わる。
輝夜は、こちらに一切意識を向けていなかった。
「こいつも曲がりなりにも神なんだ。手なんか出すんじゃねえ」
だが、その警告はまるで届かない。
握られた指に、力がこもる。
わずかに鞘が鳴り、空気が張り詰めた。
ライラは唾を飲んだ。
いつもなら冷静なはずの輝夜が、感情をあらわにしている。それこそ、問答をしたリューよりも…
怒気とも違う、苛立ちとも言い難い――何かが、彼女の中で渦巻いているのが分かる。
ライラはエレンを見やる。
軽薄な笑み。
飄々とした態度。
胡散臭さの塊のような神。
(……まあ、確かに気に食わねえのは分かる)
だが、そんな理由で輝夜がここまで剣呑になるだろうか?
何かが違う。
エレンに向けるその目には、嫌悪が滲んでいた。
ライラの眉が僅かに寄る。
エレンの何かが、「輝夜の中の何か」と妙に噛み合ってしまった。
それが何なのかは分からない。
ただ、彼女の反応を見るに――どうにも、触れられたくないものだったのは確かだ。
「おい、輝夜」
低めに抑えた声で呼びかける。
肩に手をかける寸前、輝夜の唇が僅かに動いた。
「貴様は……何だ!?」
静寂を裂くような、強い声。
エレンは軽薄そうな笑みを浮かべ、ほんの僅かに肩を竦める。
「ごめんって。君たちの気に触れたなら悪かったよ」
だが、その目は相変わらず飄々としたままだった。
まるで何も考えていないような、あるいは全てを把握しているかのような――どちらとも取れる、曖昧な表情。
「そのような戯言を聞きたいのではない」
ピリ、と。
空気が張り詰める。
「なんだって言われてもねぇ……」
エレンは指でこめかみをトントンと叩きながら、ひとつ息をついた。
「実はなんと、自分で言うのも悲しくなるくらいのモブ神なんだよ〜。眷属も1人しかいないしね」
その言葉に、輝夜の苛立ちはさらに募る。
指先が柄を強く握り込み、爪が食い込むほどに力がこもる。
鋭い視線を突き刺すように送りながら、ついに刀を――
「待てっての!」
ライラがすかさず腕を伸ばし、柄を掴む。
同時に、リューの目が僅かに見開かれた。
(――炎?)
一瞬、エレンの前に小さな火種が揺らいだように見えた。
だが、次の瞬間には消えていて、まるで見間違いかのように影も形もない。
リューがその違和感に思考を巡らせる間に――
「輝夜、お前までカッとなってどうすんだよ」
ライラが短く息を吐き、半ば呆れたように言った。
「こいつがイラつくのは分かるけどなぁ、神相手に刀抜くなんざ、うちらの流儀じゃねぇだろ?」
押さえ込むように柄を叩き、じとりとした目で睨む。
「……それとも何か? こいつ、ただの神様じゃねぇとでも?」
低く囁いた言葉に、輝夜の指がピクリと動く。
刀を抜く直前まで高まっていた気配が、わずかに鈍る。
ライラはそれを逃さなかった。
「ほら、深呼吸してみろよ。あたしまで殺気に当てられんのは御免だね」
わざとらしく肩をすくめる。
しばしの静寂。
やがて、輝夜は小さく息を吐き――握っていた柄から手を離した。
輝夜が刀から手を離したのを確認すると、エレンは軽く肩をすくめ、飄々とした笑みを浮かべた。
「いやぁ、助かったよ。止めてくれてありがとね」
まるで他人事のような、軽い口調。
「……勘違いすんなよ」
ライラがすかさず言い返した。
「てめぇのためにやったわけじゃねぇ。こっちが神殺しなんて大罪を背負うのは御免だからな」
あくまで自分たちの流儀のため――
それだけを強調するように、ライラは睨みつける。
「ほら、リオン、輝夜。今度こそ行くぞ」
一度引き締めた空気を断ち切るように、ライラは踵を返す。
リューも、輝夜もそれに続こうとした、その時――
「……君は、“愛しい人”とでも俺を重ねてしまったのかな?」
エレンの言葉が、静かに響いた。
輝夜の足が止まる。
「……っ」
後ろを振り向きはしなかったが、その肩がわずかに強張るのが、リューの目にもはっきりと分かった。
「なるほど……そうか。そういうことか」
エレンはまるで全てを見透かしたかのように、小さく笑う。
「道理で、あんな目を向けられるわけだ」
確信を込めた言葉。
それは問いではなく、ただの確認。
リューは静かに息を吐き、横目で輝夜を見た。
彼女はなおも無言のまま、刀を握っていた手をぎゅっと握りしめている。
リューは目を伏せる。
エレンの言葉が、輝夜の内側の何かを抉ったのは明らかだった。
だが、それが何なのか、彼にはわからない。
そしてそれを理解しようとすることすら、今はできなかった。
リューは静かに息を吐き、歩き出す。
足を進めるたび、思考もまた前へ進むかと思いきや、そうはならなかった。
ふと、無意識に足を止める。
気づけば、振り返っていた。
エレンは、まだそこにいた。
相変わらず、何もかも見透かしたような、どこか飄々とした笑みを浮かべたまま。
リューと視線が交わる。
「やっぱり君は高潔だ」
エレンは、まるで独り言のように呟いた。
「やっぱり君に決めたよ」
何の前触れもなく放たれた言葉。
考えがまとまらないまま、ただ、その言葉だけが心に落ちる。
リューは何も言わず、再び背を向けた。
エレンは、そんな彼らの後ろ姿を見送りながら、変わらぬ笑みを浮かべる。
そして、一行は完全にその場を後にした。
しばしの沈黙。
足音だけが響く中、リューはぼんやりとしたまま、静かに息を吐いた。
そして、ぽつりと呟く。
「……何なのですか、あの神は」
その問いに、誰もすぐには答えられなかった。