英雄の道標


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作:Sisui.S
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黒い神


 

絶望から数年が経った。

 

黒き終焉を見た僕には、止まることなど許されなかった。

絶え間ない戦いと鍛錬を繰り返し、己を高める日々。時には若き冒険者たちを導き、教える立場にも回った。

だが、それでも僕ひとりでは到底届かない。

 

癒術師だけでは、騎士だけでは足りない。

あの黒き絶望に立ち向かうには、英雄が足りない。

 

僅かながら同じ時を過ごした者たち他にもいた。

 

あの頃、彼らは「英雄」と呼ばれる者たちの足元にすら届いていなかった。

ずる賢い小人族(パゥルム)の戦略家。

彼の策謀は緻密で誰もが感嘆するものであったが、英雄たちの目には取るに足らない幼稚な計算に過ぎなかった。彼の動きはあっけなく見抜かれ、まるで子ども扱いされるように地に伏せられた。

 

美しく高潔な妖精族(エルフ)の魔導士。

彼女が紡ぐ魔法は、目を奪われるほどの荘厳さを持ちながら、その一撃は英雄たちには届かなかった。魔法を放つ間も与えられず、その優雅な姿は泥に塗れ、地に沈んだ。

 

頑固なドワーフの重戦士。

重厚な武器と防具を纏い、戦場では不動の壁のように仲間を守り続けたその姿。だが、英雄たちにとっては、それもまたただの遅鈍な的に過ぎなかった。圧倒的な力でその防具ごと弾き飛ばされ、地に伏した。

 

そして、猪人の巨漢。

彼の筋力は圧倒的で、誰もがその豪腕に恐怖した。だが、英雄たちの前ではただの鈍重な巨体でしかなかった。軽くいなされ、戯れるように叩き伏せられるたび、その誇り高き姿は見る影もなく崩れ去っていった。

 

彼らがどれだけ必死にもがいても、英雄たちには届かなかった。

そこにあったのは、越えられない絶対的な実力差。

英雄たちが放つ一撃は、彼らの誇りや信念を簡単に打ち砕いた。

 

――だからこそ、俺は信じていた。

 

泥を舐め続けた彼らだからこそ、英雄たちの背中を追い続けるだろうと。

英雄がいなくなった世界で、奮起して「光」を受け継ぐのは、彼らだと。

屈辱と絶望を知る彼らだからこそ、その苦しみを糧に、高みを目指すと信じていた。

 

彼らが次の英雄になる――そう思っていた。

 

ーーだが、現実は違った。

 

最強派閥(ゼウス・ヘラファミリア)が崩壊し、闇派閥(イヴィルス)が台頭したことで、彼らは変わってしまった。

かつて、胸に熱い情熱を抱き、無謀とも思える挑戦を繰り返していた若き冒険者たちは、もういない。

代わりにいるのは、冷静に計算し、損得を天秤にかけて行動する「成熟した大人」だ。

 

彼らは、闇派閥との対立や生き残りを優先するあまり、挑戦することをやめた。

かつて燃え盛っていた闘志は、現実主義と慎重さに飲み込まれた。

傷つき、失敗を恐れるがゆえに、かつての情熱は静かに消え去っていった。

 

最強派閥がいなくなった今、次代を切り開く者になると信じていた俺に、耐え難い失望を浴びせた。

あの日の屈辱を糧とするどころか、それを忘れたかのように、計算高く現状に甘んじている姿に怒りされ覚えた。

 

お前達は英雄たちの何を見ていたんだ。

何を学び、何を未来に繋げようとしていたはずだったんだ。あの泥を舐めていた日々はなんだったのか。

 

時間はもう残されていない。

 

あの黒き終焉が訪れるまでの猶予は、もはや僅かだ。

この数年で、深淵の兆しは確実に近づいている。

空を覆う黒雲、徐々に途絶えていく緑、荒廃する大地――それらは避けられぬ終末の予兆。

俺たちが足を止めた瞬間、それは確実に世界を飲み込むだろう。

 

英雄がいない今、あの黒き終焉に抗う術などどこにもない。

癒術師と騎士では到底及ばない現実に、次第に絶望が心を侵食していくのを感じていた。

 

――終わりは避けられない。

 

そんな声が心の奥底で囁き続ける。

戦い続け、力を磨いてきた僕ですら、この結論に抗えないのかと。

 

だが、彼女たちを見たとき、確かに感じた。

 

星屑の灯火――正義の使徒の存在が、微かに灯る希望を示していると。

未だ発展途上の正義の眷属たち。彼女たちは、迷いや恐れを見せながらも未来を見据え、彼女なりに前に進み続けていた。

その姿に可能性を見てしまった。

 

この世界にはもう後が無い。

 

どうか許して欲しい…君達を英雄の道へ導くことを。

 

◾︎

 

暗黒期――それは今もなお長きにわたりオラリオを蝕んでいる絶望の時代。闇派閥の台頭により、秩序は瓦解し、世界に恐怖と不信が満ちている。

最強派閥(ゼウス・ヘラファミリア)」が黒竜に敗れたのが8年前。当初に比べればこの街も随分と持ち直している。残された冒険者たちが最も合理的に闇派閥と戦い続けてきたからこその成果とも言えるだろう。

 

それでもなお、この街にかつての輝きはない。

 

「…街に活気がない。ここが世界の中心と謳われるオラリオといったい誰が信じるだろうか」

 

都市の中でありふれた街路を歩きながら、妖精族の冒険者リュー・リオンが静かに言葉を落とす。

リューはアストレア・ファミリアの一員として、仲間たちと共に都市の巡回を続けていた。

 

その言葉通り、街は閑散としていた。

かつて冒険者たちの喧騒と歓声で賑わっていたこの街路も、今では往来する人々の顔に活気はなく、暗い影が差している。確かに都市は持ち直している。だが、未だに人々の悲鳴が途絶えることはない。それが今のオラリオの現状だった。

 

「歯痒いか?」

 

リューの言葉を拾ったのは、彼女の隣を歩いていた正体不明の男――アゼルだった。

アゼルはいつの間にか自然とアストレア・ファミリアの中に溶け込み、日常の中に存在している。

 

彼は素性を語らず、あえて何かを隠しているわけでもない。ただ自然体のままで彼女たちの中にいる。

それがあまりに違和感なく、むしろ不気味に思えるほどだった。

 

さらに不可解なのは、彼が一切戦わないということだ。

巡回中に襲撃を受けることもあるが、アゼルはその場に居合わせながらも、決して戦いに加わることはない。

そもそも彼が戦えるのかどうかすらわからない。

 

それにもかかわらず、団長のアリーゼや副団長の輝夜はアゼルのことを非常に高く評価している。

2人によれば、冒険者になりたての頃、アゼルから指導を受けたことがあるらしい。だが、その中でさえも、彼がまともに戦った姿を見たことは一度もないという。

 

それでもなお、2人が揃って彼を称賛するほどなのだから、リューにはまったく理解できなかった。

どうして、戦ったこともない相手をそこまで高く評価できるのか。到底、参考に出来ない話である。

 

さらにアゼルは、言葉や些細な行動だけで、混乱した状況を収束させることもある。

その振る舞いは、あまりにも謎めいていて、リューには到底受け入れがたいものだった。

 

リューはそのことを快く思っていなかったが、敬愛する主神アストレア、団長のアリーゼ、さらには仲が悪いながらも実力を認める副団長の輝夜までもが、アゼルを受け入れている以上、表立って否定することはできなかった。

 

彼女は一瞬だけアゼルを横目で見た後、視線を前に戻し、迷いながら口を開く。

 

「…あなたには、この状況がどう見えている?」

 

リューがそう尋ねたのは、単なる好奇心からではなかった。

アゼルは自分よりも長くオラリオにいるようだった。いつからこの都市にいるのか、彼がオラリオ出身なのかさえ、リューにはわからない。

 

ただ一つ確かなのは、彼がこの荒廃した都市を長い間見続け、正義の眷属とも接してきたということ。

何を見てきたのか、何を感じているのか――戦わない彼だからこそ、別の視点があるのではないか。

 

リューはそれを知りたかった。戦う自分たちでは見えないものを、彼が見ているのではないかと思ったのだ。

 

アゼルはリューの問いに一瞬だけ足を止め、遠くを見つめるような目をした。

その瞳には、まるで全てを見透かしているかのような、静かな光が宿っていた――。

 

「賢く立ち回ってきた成果。そして光を継ぐことを忘れてしまった怠慢」

 

アゼルは独り言のようにぽつりと呟いた。

静謐さを纏いながらも、意志のこもったその言葉にリューは一瞬固まった。

 

しかし、「怠慢」という言葉が耳に入った瞬間、リューの胸に怒りが湧き上がる。

 

「我々のどこに怠慢があるというのだ!」

 

激情にも近い声を上げたリューの瞳には、強い感情が宿っていた。

アゼルはその声に少し驚いたように目を開き、視線をリューに向けた。

 

「…あぁ、すまない」

 

アゼルは軽く息をつきながら、リューを静かに見つめる。

 

「たしかにお前はポンコツだが、今の言い方は良くなかった」

「怠慢という言葉は決して正義の使徒(アストレアファミリア)に向けたものではない。」

 

そう言いながらも、アゼルは少し間を置いて、視線を遠くに向けた。

 

「むしろお前達の正義の成果は、この上なく美しく尊いものだと思っている。だから期待せずにはいられない」

 

その言葉に、リューは一瞬固まった。

アゼルが普段の軽口とは違う、どこか深い意志を込めたように聞こえる言葉を口にしたからだ。

だが、「期待」という言葉が心に引っかかる。

 

なぜ彼が、自分たちに期待するのか――その理由も意味も、リューにはまるで理解できなかった。

ただ、その言葉が無性に重く、彼の視線に押されるように、言葉を返すことができなかった。

 

普段なら、「ポンコツ」などという揶揄に真っ先に反応してしまう自分が、今回はただ沈黙してしまった。

その事実が、自分でも信じられなかった。

 

アゼルの背中は、再び前を向き、街路を歩き始めていた。

彼の呟いた「怠慢」という言葉が何を指していたのか――リューには知る由もなかった。

そして、「期待」という言葉が何を意味するのかも。

だが、その言葉の余韻だけが胸の奥に重く残り続けていた。

 

その時だった。

 

「あ〰︎︎〰︎︎〰︎︎〰︎︎〰︎︎れ〰︎︎〰︎︎〰︎︎〰︎︎〰︎︎っ!!」

 

驚愕するリュー達の視界の奥から、情けない男の声が聞こえてきたのは。

 

「ははっ!いただきだぁ!」

「俺の全財産444ヴァリスがぁぁぁぁ!誰か取り返してぇぇぇぇんっ!」

 

荒々しい胴間声は、財布を奪った暴漢のもの。

そして今も響き渡る情けない悲鳴は、財布を奪われた神のものだった。

 

「行きます!アゼル」

 

リューがその場に駆け出そうとする。だが隣のアゼルは、彼女の勢いをよそに呑気な声を上げた。

 

「はぁ。あんなの放っておけよ」

 

その言葉にリューは目を鋭く光らせる。

 

「そんなことを言っている場合ではない!」

 

アゼルの言葉を一蹴し、リューはすでにその身を風のように変え、動き出していた。

 

街路には活気はないが、それでも人の往来は絶えない。

慣れた調子で雑踏をかわし、リューは素早く標的を追う。

暴漢の男は慌てて人混みに紛れようとしたが、リューの目を欺くことはできなかった。

 

風が舞う。

人の波を澱みなくすり抜け、リューの身体は時折壁を蹴って宙を舞い、さらに加速する。

一気に距離を縮め、彼女の影が暴漢の背中に迫った。

 

「止まりなさい!」

 

鋭い声が男を捕らえる。

 

「ち、ちくしょう!なんだよアイツ!よりにもよって冒険者かよ!」

 

男は堪らず悲鳴を上げる。

隙だらけの神から財布を奪えば楽勝だと思った矢先、雀の涙ほどの小金だったことが判明し、挙げ句、風のように迫ってくる冒険者に追われる羽目になるとは。

 

何とか振り切ろうと、男は通りの横道へ飛び込もうとする。

だが。

 

「ぐぇっ!?」

 

進路上に突如現れた人影に、見事に足をかけられて、転倒した。

 

「ダメだよ、悪いことしちゃ。お金は働いて、自分の手でもらわないと」

 

やはり、その少女は可憐だった。アリーゼが溌剌とした太陽のような明るさを持つなら、彼女が纏うのは春風のような穏やかさだ。その鈴ののような声音一つとっても、生来の優しさが滲み出ている。

 

「アーディ」

 

知己の登場にリューは目を見張った。

 

「そうだよ!品性方正で人懐こくてシャクティお姉ちゃんの妹でリオン達と同じLv.3のアーディ・ヴァルマだよ!じゃじゃーん」

「いったい誰に説明しているんですか、貴方は…」

 

ガネーシャ・ファミリアの一団員であるアーディは、都市の憲兵とは思えないほど朗らかな態度でリューに近づいてきた。

 

「や!リオン。今日も綺麗で可愛いね。相変わらずいい匂いもするし……ねえ、抱きついてもいい?」

 

その言葉に、リューの顔が一気に赤く染まる。

 

「話を聞いてください!」

 

半端にツッコミを入れるリューに、アーディは楽しそうに笑っている。

そんなやり取りの最中、ゆっくりと歩いてきたアゼルが合流した。

 

「アーディか。奇遇だな」

 

その声に気づいたアーディが、ぱっと顔を輝かせる。

 

「アゼル!久しぶり!」

 

勢いよくアゼルに抱きつこうとするアーディ。しかし――。

 

「痛ァー!なんで避けるの!」

 

アゼルは一歩身をかわし、軽やかにアーディの動きをいなしていた。

 

「飛びついてきたら普通避けるだろ」

「抱き止めてくれるのがかっこいい男の子だよ!」

「他でやれ」

 

アーディは唇を尖らせてふてくされるが、すぐに笑顔を取り戻す。

 

「ほんと久しぶりだね、アゼル!」

 

アーディの瞳には懐かしさと喜びが滲んでた。

 

「そうか?数日ぶりだろ」

「もう1年ぶりくらいだよ!?」

 

アーディは肩を大げさに落とし、嘆くように続けた。

 

「いつもいなくなるんだから!まったく……もう少し話に付き合ってよ!」

 

二人のやり取りを見ていたリューは、ふと首を傾げた。

(この二人、ずいぶん親しげですね……?)

 

「お前が大げさなだけだろ」アゼルは呆れたように言いながら、リューの視線を察したのか、軽く付け加えた。

 

「この元気っ子とは長い付き合いだからな」

「そうそう!私とアゼルは幼なじみなんだから!」

 

アーディは胸を張るように言い、リューに向けて得意げに笑みを浮かべる。

 

「まあ、それは後でいいだろ」

 

アゼルは転倒している男に視線を向けながら言った。

 

「あれをどうするつもりだ?」

「あ、そうだったね!」

 

アーディは慌てて気を取り直し、柔らかな笑顔で男に歩み寄った。

 

「さて、おじさん。盗んだものは返してね」

「ぐぅぅぅ…」

 

派手に転倒した暴漢は汚い呻き声を上げて上体を起こすところだった。

 

「…あー、くそっ!もう詰んだ、詰んだ俺の人生!さっさと牢屋にぶち込みやがれ、ちくしょう!」

 

地べたに足と手を投げ出した体勢で喚き出す暴漢は声を荒らげて続けた。

 

「おめえ等みてえな強い連中にはわかんねーだろうな! こんな惨めな真似をして、食い扶持稼ぐ浮浪者のことなんかよぉ! 仕事場も奪われれば店も開けねえ! いつもいつも事件事件 で、どこもかしこも余裕がねえ!!!」

「そんなに今の時代に文句があるんなら、強くなればいいだろ」

 

アゼルが何事もないように淡々と言い放つ。その一言に、リューが目を丸くしながらすかさず口を挟んだ。

 

「ややこしくなるから、あなたは黙っていてください」

 

アーディは笑いを堪えるようにしながら軽く手を振る。

 

「続けて」

 

暴漢はアゼルを睨みつけながら、再び声を荒げた。

 

「職に溢れたヤツなんて、ごまんといるんだ! それもこれも、お前ら冒険者がさっさと悪党どもを追いやらねえからだ!」

 

彼の話に耳を貸していたリューは、ほんの少しだけ目を伏せた。

 

――治安の悪化が、白かった者さえ黒に染めてしまう。

 

「そうさ!俺みたいなヤツがいるのは、全部お前らのせいだ!俺は被害者だ!」

 

その言葉にアゼルは、「すげえ開き直り」と小さな声でぽつりと呟く。

その瞬間、「静かにしてください」とリューが軽くアゼルを小突く。

アゼルは肩をすくめるだけで、それ以上は何も言わなかった。

 

「それが貴方の言い分?」

「えっ…」

「でも、悪いことは悪いことだよね? 貴方が奪われた分だけ何かを奪えば、誰かが貴方と同じ思いをしちゃうよ?」

 

そのアーディの声は、咎めてはいなかった。

責めてもいなかった。

ただただ普通に、尋ね返していた。

 

「今の貴方が、貴方みたいな人を作り出しちゃうかもしれない。私達が力をつくす前に」

「そ、それは・・・・・・」

 

詰め寄られているわけではないにもかかわらず、暴漢の男が言葉に詰まる。

 

そこで、アーディはにっこりと笑った。

 

「だからさ、誓って?」

「は?」

「もう二度と、悪事に手を染めないって。約束してくれたら、今回は見逃してあげる」

 

呆けた表情を浮かべる男と同様、リューは驚愕を顔に貼り付ける。

 

「なっ・・・・・・! アーディ、それは駄目だ!」

「然るべき報いを受けさせなければ、周囲に示しがつかない!その時々の状況の裁き方を変えては秩序が乱れます!」

「うーん、私は情状酌量の余地があると思ったけど。嘘はついてないみたいだし。勿論、ひったくりは悪いことだけど…」

 

身を乗り出して訴えるリューを前にしても、アーディはちっとも調子を変えない。

どころか、けろっと微笑んでみせる。

 

「ほら、私達が取り押さえたから、被害は出てない。おじさん以外は誰も不幸にはなってないよ」

 

それに対して感情をあらわにリューが言う。

 

「それでも罪を犯したことに変わりありません!アーディ、あなたは都市の憲――」

 

リューが言い終える前に、アゼルが口を挟んだ。

 

「堅いな」

 

心底面倒臭そうな雰囲気の中に玩具を弄るような童心が垣間見えた状態で言葉を放つ。

 

「お前の言う通り秩序は大事だ」

「何も間違ってはいない。むしろ模範的と言ってもいいだろう」

 

アゼルは淡々と言葉を落とした。

 

「だがそれに盲目的でありすぎるのもな…」

 

リューが鋭い視線を向けるのをよそに、アゼルは軽い口調で続ける。

 

「たまには視野を広げて見てみるのも悪くない。例えばこのおっさんのこともおっさんの立場になって考えることだ」

 

その言葉に、リューが何か言い返そうとしたが、アーディが間に入った。

 

「そうそう!今の時代は息苦しくて厳しいのかもしれない。だからこそそんな人達に歩みを寄りたいんだ」

 

アーディは笑顔を浮かべながらリューを軽く手で制す。

 

「それに、こうして話を聞いてあげるだけでも、何かが変わるかもしれないでしょ?」

 

リューは困惑したようにアーディとアゼルを交互に見つめた。

二人の言葉には一理あるかもしれない――

 

そう考えるうちに、頭の整理が追いつかなくなっていた。

 

リューが動揺し、言葉に窮していると、アゼルが手をひらひらと振りながら軽く口を開いた。

 

「ほら、行った行った」

 

男は戸惑いながらもアゼルを見上げ、ぼそりと呟く。

 

「い、いいのかよ……」

 

アゼルは肩をすくめ、淡々と答えた。

 

「憲兵様が見逃すと言ったんだ。2度目はないだろうが」

 

アーディも微笑みを浮かべながら頷く。

 

「そういうこと。次は本当に牢屋行きだからね」

 

その言葉に男はしぶしぶ立ち上がり、よろよろとその場を立ち去る。

だが、去り際に振り返り、小声で悪態をついた。

 

「ふざけんな、バーカ」

 

リューはその言葉を耳にしながらも、呆然と立ち尽くしていた。

彼女の中では納得のいかない思いが渦巻いていたが、アゼルとアーディのペースでことが進んでしまい、口を挟む余地もなかった。

 

「これでは……」

 

リューの声は小さく、続きの言葉を紡ぐことができない。

正義を信じる彼女にとって、この一連のやり取りは釈然としないものであり、心の奥にわだかまりを残していた。

 

「赦す正義…お前には不満か?」

 

アゼルの軽い問いに、リューは一瞬戸惑ったように顔を上げる

 

「…わ、わたしは…」

 

リューはアゼルに応えるだけの返答を持ち合わせていなかった。動揺は声にならず、開いては閉じかける唇を持て余しているとー。

 

乾いた拍手の音が静かな街路に響き渡る。

 

その瞬間、アゼルが小さく舌打ちをした。

 

「……」

 

アーディとリューが反射的に振り返ると、そこには拍手を送っている神の姿があった。

 

「すごいねぇ、正義の冒険者は」

 

「いやぁ、急に後ろからタックルされてさぁ~。びっくりしちゃったよ」

 

夕日の光を浴び、影が石畳の上に伸びている。

言ってはなんだが、軟弱そうな神だ。

目は細く、口に浮かんでいるのは気弱そうな笑み。男にしては量が多い黒髪はまったくまとまりがなく、あちこちに飛び跳ねている。

まりがなく、あちこちに飛び跳ねている。

 

そして前髪の一部が脱色したかのように、灰の色を帯びていた。

見るからに、覇気のない男神だった。

 

「大丈夫ですか、神様? お怪我は?」

「掠り傷一つないよ、可愛い女の子。サイフを取り戻してくれて、ありがとね」

 

アーディから財布正確には金貨が詰まった小袋を受け取って、その補物は名乗った。

 

「俺の名前はエレン。君達は? そっちの子は、さっき【ガネーシャ・ファミリア】って聞こえたけど…」

「…リオンと名乗らせてもらっています。【アストレア・ファミリア】です」

 

リューが簡潔に答えると、エレンは続けて視線をアゼルに向けた。

 

「そこの、プルプルしちゃってる君は?」

 

エレンの言葉に、アーディとリューもアゼルを見た。

アゼルは何かをこらえるように肩を震わせている。

 

「アゼル……ハジメマシテ」

 

辛うじてカタコトのようにそう答えるアゼル。

その反応を見たエレンもまた、肩を震わせて小さく笑い始めた。

 

二人の様子が妙に似ていることに、アーディとリューは首を傾げた。

 

「どうしたの?」

 

アーディが尋ねるが、エレンは肩を揺らしながら答える。

 

「いやぁ、実に愉快なことがあってね。プクク……」

「気にしないでくれ」

 

アゼルも短く答え、話題を流そうとする。

 

そして、ひと呼吸置いてから、エレンが口を開いた。

 

「……なるほど、なーるほど。まさに正義の使者だったわけだ。いいね。実にいい。この俺たちの出会いは」

「お前、この流れで無理があるぞ」

「いいじゃないか」

「……? 何を言っているのですか?」

 

深々と感じ入るように呟かれる言葉に、リューが眉を怪訝な形にした。

すると、エレンはおどけたように両手を広げ、肩をすくめて見せた。

 

「なに、君達に助けてもらって良かったっていう話さ。繰り返すけど、ああ、見事だ。本当にお見事」

 

なんてことなさそうに、神の語りは続く。

 

「何がお見事って、みんなが「正義」を探してるってこと。単なる勧善懲悪じゃない落としど ころ、感動しちゃったよ。…特にエルフの君、面白いなぁ」

「…私が?」

「ああ。潔癖で高潔。しかし未だ確たる答えはなく。まるで雛鳥だ。正しく在りたいと願う心は誰よりも純粋なのに」

 

神なのに、どこか神らしくない矛盾を抱えるエレンの声音は、下界の住人の耳を引き寄せる独特の響きを持っていた。

 

「こんな時代だからこそ、君がどう考え、どう染まるのか。そしてどんな『答え』を出すのか……」

 

エレンはわざと間を空け、リューの顔を覗き込むように言葉を続ける。

 

「………………ああ、興味がありまくりだよ」

 

その言葉に、リューは思わず身を引いた。

その目には、純粋な興味――いや、それだけではない何か得体の知れないものが宿っていた。

 

そんなやり取りを横で見ていたアゼルが、愉快そうに口を開く。

 

「気味が悪いな。こういう変態からは離れるのが1番だぞ」

 

その一言に、場の空気がわずかに揺らぐ。

 

「あ、やめて、本気で傷つくからやめて!俺そこら辺の変態神とは違うからぁん!」

「神様ってみんなそう言いますよね!」

「ぐふぅー イイ笑顔で腹を抉るコークスクリュー・ブロー! ボーイッシュ元気っ子だと思ってたけど、さては天然だな!」

 

満面の笑みを浮かべるアーディが揺るがない客観的事実を述べる。美少女の容赦ない指摘にエレンは衝撃に打ちのめされた挙げ句、体をくの字に折って深手を負った。

 

先程までの雰囲気を霧散させ、情けない声を轟かせる姿は、リューも肩透かしを食らうほど だった。

 

「おっと、もうこんな時間か」

 

エレンはふと立ち上がり、軽く片手を上げて3人に向き直る。

 

「もっと君たちと騒ぎたかったけど、そろそろ行かせてもらうよ。用事もあるしね」

 

そう言って、気ままな態度で3人の横を通り過ぎていく。

 

その瞬間、エレンが小さな声で、アゼルにだけ聞こえるように何かを呟いた。

 

 

その一言に、アゼルの目がわずかに細められる。

 

エレンは振り返ることなく、軽やかな足取りで去っていった。

 

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