ダンジョンの18階層。
天井の水晶から降り注ぐ煌々とした明かりに照らされた、広大な森林や湖畔、果てには一つの街まで抱える地上さながらの安全地帯。迷宮の楽園とも呼ばれるその階層にあるぼったくりの街と名高いリヴィラで、俺とリオンさんは先日ロキ・ファミリアの幹部たちが巻き込まれた事件の聞き込みを行っていた。
一週間と少し前、このリヴィラの街で殺人事件と、それに端を発する未知のモンスター食人花による襲撃事件が起こった。
殺されたのはオラリオの治安維持を担っている大派閥ガネーシャ・ファミリア所属のLv.4の男であり、彼が迷宮の30階層から持ち帰った緑色の宝玉を狙われての犯行だったと言う。
そして殺人事件の犯人は、第一級冒険者相当の実力を持つ正体不明の調教師と目される女性。
その殺人犯の女性は、緑色の宝玉をいち早く確保したロキ・ファミリアに対して、宝玉を奪還するためにモンスターを使役して街ごと襲撃するという暴挙に出た。
Lv.4の男の首をへし折り殺害し、Lv.5のアイズを圧倒し、Lv.6の団長とも正面からやり合ったという戦闘力。さらに安全地帯であるこの階層に大量の食人花を招き入れ、街を一斉に襲撃させた調教師としての破格の能力。そんなふざけた力を合わせ持った規格外の存在だからこそ成せた、埒外の襲撃事件だったようだ。
結局犯人は、ロキ・ファミリアが誇る幹部たちを相手取ってなお、しっかりと逃げおおせている。
また挙句の果てには、事件の発端であった緑色の宝玉は、食人花を別のモンスター、食人花の上に人間そっくりな上半身を生やした巨大なモンスターへと変貌させる力を持った意味のわからない代物であったとか。
一から十まで全て作り話と言われた方がまだ信じられるような、そんなふざけた異常事態の連続こそが一連の事件の概要だった。
地上に戻って来た団長から事件のあらましを聞かされると同時に、「表には把握されていない高位調教師、またはそれに類する何らかの力を持つ人物に心当たりはないか」と問われたが、裏社会に属していたとは言え所詮は下っ端であった俺にまともな情報はなく、結局のところ一応の収束を迎えた大事件には未だ多くの謎が残されたままである。
かくして団長から話を聞いた翌日、闇派閥の関与を半ば確信している俺はリオンさんと連れ立って、闇派閥という一点のみに絞って情報を集めるために事件現場である18階層へと赴くに至ったのだった。
が、18階層に来てから今日で五日。先日の事件と闇派閥の残党に関する情報は、全くと言って良い程集めることが出来ていない。
迷宮の24階層では、数日前からモンスターの大量発生という異常事態が起きていたのだ。
リヴィラの街に着いてすぐに、命からがら24階層から逃げて来た冒険者達に「逃げ遅れたパーティメンバーを救ってくれ」と頼まれた俺は、リオンさんにも協力してもらって昨日まで24階層で人命救助を続けていた。故にひたすら24階層と18階層を行ったり来たりしていただけで、本来の目的であるリヴィラの街での聞き込みなんて今日まで一度もやっていない。
更に言うと、24階層でほぼ使い果たしてしまったアイテムを補給するついでに行った情報収集の成果も、見事なまでにゼロだった。
「先程の回復薬で私の方も終わりです」
「じゃあ、昼食も兼ねて酒場にでも行きますか。そっちも報酬代わりに地上価格で食べさせてくれるって話しでしたし」
「食事ですか……」
隣を歩きながら歯切れ悪くそう呟いたリオンさんは、深緑色のロングケープについたフードを目深に被り、更に覆面で顔の下半分を隠している。俺とは違い過去の一件でギルドから冒険者資格を剥奪されたままの彼女は、本来であれば迷宮にいていい存在ではない。
しかし昔は長かった金色の髪を短く切って薄緑色に染めているし、堂々としていればバレはしないだろう。そもそも彼女の素顔はあまり知られていないのだし。とは言え、あえて反論する程ではない。
「気になるなら俺だけで行って来ますよ。食事は包んでもらうので、街の外で食べましょう」
そう提案した俺に、リオンさんは大真面目な顔で言った。
「いえ、貴方と職場以外で食事をするのは初めての事だなと」
「それを言ったら、こうやって買い物するのも、一緒にダンジョンに潜ったのだって初めてですけどね」
「ああ……確かにそうだ」
小さく吹き出してしまった俺に小さく頷いて、口元は見えないがリオンさんも優しくふわりと笑った。
とても穏やかな時間だった。
リオンさんとこうやって何でもない会話を交わしながら歩くことが出来る日が来るなんて、今まで考えた事もなかった。
お互いに『豊穣の女主人』以外の場所で、今回だけは同じ客、同じ冒険者としての立場で食事をするのも悪くないと話しながら、酒場へと向かう。
だが二人とも当初の目的を、闇派閥の存在を忘れた訳ではなかった。忘れられるはずがなかった。
少しだけ仮初のごっこ遊びを楽しんで満足した後は、すぐに今後の動き方についての認識のすり合わせに移る。
「やはり、24階層を調べるべきでしょう」
「まあ、どう見ても無関係ではなさそうでしたしね」
俺達は昨日、粗方24階層を回り助けられる人達を助け終えた後、モンスター達の餌場である北部の食料庫に繋がる洞窟を、あるはずがない巨大な壁、それも脈動する生きているかのような緑の巨壁が塞いでいるのを発見していた。
時を同じくして現れた緑の肉壁と、オラリオとリヴィラを襲った食人花。その二つが無関係であるはずがない。
昨日は装備も体力も消耗していた状態だったため深追いせずに18階層に戻り、森の野営地で傷の治療と体力の回復を優先したが、装備を整えた今、後は栄養補給を済ませればもう何時でも出発できる準備は整っていた。
それにしても18階層に闇派閥の残党、ないしは協力関係にある何者かが潜伏していると思っての行動だったが、24階層で手がかりを見つけてしまうとは完全に想定外だった。
今朝までリオンさんに魔法で治療してもらっていた両手の具合を確かめながら、俺は隣を歩くリオンさんに少しだけ躊躇いながらも問い掛ける。
「昨日までと違って今は完全に足手まといですが、24階層まで護衛してもらってもいいですか? 最低でも偵察だけはしておきたいです」
「Lv.2相当の力が出せるなら足手まといにはならないでしょう。それに私が窮地に陥った際には、全アビリティのマイナス補正もなくなる。ならば問題はない」
スキル【正義詐称】の効果で通常の戦闘時にはレベルにして二段階程度戦闘能力が落ちる俺は、リオンさんに助けてもらわなければそもそも24階層に一人で到達できるかもあやしい実力しか無い。情けない話だ。
「おう、
少し落ち込む俺に、道の向こうから、人相の悪い眼帯の巨漢のヒューマンが昔の二つ名を呼びながら声を掛けて来た。リヴィラの住人である上級冒険者達を取りまとめる親玉にして街の顔役、ボールス・エルダーだった。
「俺の子分共もお前と連れの姉ちゃんに助けられたって聞いたぜ。いやー、ほんと世話になったな。強行軍だったって聞いてたが、元気そうでよかったぜ」
先日までは「女のお守り無しじゃリヴィラにも来れねえような雑魚
「そんな高速回転するなんて、ボールスさんは手首の調子が悪いようですけど、大丈夫ですか?」
「ああん?」
とりあえず挨拶を返すと威嚇を返されたが、それよりも本題だ。
「もしかして、まだ逃げ遅れていた人がいましたか? 俺を探してたようですが」
「ああ、いや、俺が把握してる限りはもう昨日までので全員だ。逃げられた奴らも、そうじゃねえ奴らもな。お前を探してたのは、ほら、急ぎの手紙を預かってんだ」
ガリガリと頭を掻くボールスさんは「ほらよ。お前のファミリアのいけ好かねえ狼人からだ」と言いながら、俺に手紙を渡して来た。
封を破り中の便箋に目を落とし、汚く書き綴られた文字を目で負う。ボルスさんの言う通り、ベートの手紙に違いなかった。
そして内容を把握すると同時、背中に刻まれた
「これ、何時間前の手紙ですか?」
「あ? だいたい一時間くらい前だ」
不思議そうにしながらもそう教えてくれたボールスさんに礼を言い、背後のリオンさんに小さく頷いて合図し、下層へと続く連絡路に向けて走り出す。
「リオンさん、ここで別れましょう。護衛は不要になりました」
走りながらそう断った俺の手からベートの手紙を奪い取ったリオンさんは、小さく溜息を吐く。
「緊急事態ですか」
「少なくとも、ベートはそう直感してるみたいですね」
手紙には走り書きで端的にこう綴られていた。
『24階層、食料庫。他ファミリアの奴らに同行してるアイズの救援に行く。お前も来い。助けが必要だ』
ベートからの救いを求める声に、背中のスキルが反応していた。全ての過程を置き去りにして、結果として正義を代行する事が可能になっている。なってしまっている。
救援対象が先日Lv.6に至ったアイズな上に、救いを求めているのがLv.5の実力を持つベート。一体どんな事が起きれば、深層でもない24階層でこのような状況になると言うのか。
本当に俺は、何時もタイミングが悪い。
リヴィラに到着したのも異常事態が発生した後だった。そして昨日の時点で問題の場所を特定していたと言うのに、さっきまで呑気に街を歩いた。何時も何時も、俺は肝心な時に肝心な場所にいない。
「悔やむ暇があれば、今は先を急ぐべきだ。少しでも遅れれば、置いて行きます」
歯を軋ませる俺に、別行動をお願いしたにも関わらず、リオンさんはそれだけ言って一歩俺より先を走り始めた。
その背中に、あの夜の正義の姿を幻視する。
あの夜、確かに俺を救った正義。何も救えなかった俺とは違い、一つの確かな正義を成した彼女の背中。
この街で救いを求める声を聞いて、正義を捨てたと言う彼女は、それでも正義を成した。
それは今回も変わらず、そこに救いを求める者がいれば、彼女は迷いながらもやはり手を差し伸べるのだろう。
今はその正義と共に在ることが、少しだけ心強かった。
背中の
* * *
レフィーヤ・ウィリディスは生粋の
それも都市最強派閥の一角であるロキ・ファミリアに所属し、Lv.3の身でありながらもその魔法の才能を見込まれ、オラリオ最強の魔導師リヴェリア・リヨス・アールヴの後継者として一軍の探索にも同行する、確かな実力を持つ冒険者でもある。
そんな彼女は迷宮の24階層の大空洞で、絶望の淵に立たされていた。
何だこれは? 何でこんな事になっている? そして何故自分は何も出来ないのだ?
絶望に染まった思考は、ただただ無意味に目の前の絶望を――正に今、雄叫びをあげて生まれ落ち行く数百を超える食人花の群れを見つめ、こんな状況に至った経緯を無意識に思い返してしまう。
敬愛するファミリアの先輩であるアイズ・ヴァレンシュタイン。クエストを受けて24階層の異変の調査に向かったという彼女の救援に行け。
その主神の命に従い、同じファミリアのベート・ローガと、そして協力関係にあるファミリアの女性と赴いた24階層では、想像以上の異常事態が発生していた。
アイズが入ったと思われる食料庫の洞窟は、気持ちが悪い生きた緑色の肉壁に覆われており、その中には大量に蠢く新種のモンスターである食人花が。
戦闘音が聞こえる奥の大空洞、モンスターの餌となる液体が染み出す30Mを超える赤水晶の大主柱が聳える空間に到着すれば、そこには大主柱に寄生した三輪の巨大な食人花と、天井や壁に垂れ下がる無数の食人花の蕾、そして、過去にオラリオを恐怖のどん底に陥れた闇派閥の残党達と、何年も前に死んだはずの闇派閥の幹部が、それも人とモンスターの
まともに事情も分からないままに、アイズと共にクエストに当たっていたヘルメス・ファミリアの冒険者達に協力して、どうにか闇派閥の残党を殲滅し怪人を追い詰めたかと思えば、別の場所でアイズと戦っていた先日のリヴィラの街の襲撃犯が合流。
さらに挙句の果てにはレヴィスと名乗った赤髪の襲撃犯は、仲間のはずの怪人の『魔石』を吸収して自身がより強力な怪人へと至った。そして、彼女の命令により大空洞の天井や壁面を覆う蕾たちは開花し、数百を超える食人花が邪悪な産声をあげたのだった。
はは。ありえない。何だ、それは?
一瞬だけ過去に飛んでいた思考が現実に追いつき、絶望が一周回って空笑いが漏れる。本当に何なんだこの状況は。全てが全て、意味がわからない。
まさに今、群れを成して全方位より迫り来ようとしている食人花の大軍の前に、泣きそうになりながら無意識に逃げ出す。モンスターの群れに囲まれたこの大空洞に、逃げ場所などないと言うのに。
だが、こんな状況で足を止めて詠唱をするのは自殺行為だ。そして、その詠唱をしなければまともな戦力にならない純粋な後衛魔導士である自分は、完全な足手まといでしかない。だから意味がなくとも、レフィーヤは逃げる事しか出来なかった。
一人では何も出来ない自分が、心底憎い。そして無力感に打ちひしがれ逃げる事しか出来ない事実に、不甲斐無さ過ぎて泣いてしまいそうになる。
これが己の師であるリヴェリアであれば、結果は全く違っただろう。彼女であれば並行詠唱によって、逃げながらも詠唱を歌い切り、数百のモンスターを殲滅しきってみせただろう。だが、己は無力だった。このままでは、多くの者が死んでしまう。自分だって死ぬ。
逃げながらアイズの姿を探せば、離れた所にいた彼女は既に食人花とレヴィスの挟撃に晒されようとしていた。この場の最強戦力であるアイズに守ってもらい詠唱時間を確保できれば、どうにかこの絶望的な状況を覆すことが出来るのではないかという安易な希望は、すぐに打ち砕かれる。
「おいッ! お前等全員、すぐにうちのエルフを中心に集まれ!!」
次々に生まれ落ち行く食人花の咆哮で満たされる大空洞に、ベートの空を切り裂くような鋭い怒声が響き渡る。まともな思考が出来なかったが故に、反射的にベートが指差すのが自分だと気づき、その場に足を止める。
Lv.5の圧力が込められた事実上の強制力を伴う命令に、仲間たちも反射的にレフィーヤを見て、考えるよりも前に走り出していた。
混乱してどこか他人事のようにその様子を見ていたレフィーヤは、一瞬で己の前に移動してきたベートに胸ぐらを捕まれた、真正面から怒声を浴びせられる。
「俺はアイズの所に行く! あいつがやられたら終わりだ! だからここはお前が何とかしろ!!」
「は……? え、でも、私は――」
「御託はいい! お前がやらなきゃ、あいつ等は確実に死ぬ! だから黙ってやれ!」
反射的に返そうとした疑問と否定の言葉を、ベートは遮って叫ぶ。
「お前は雑魚だ! だがな、そのアホみてぇな魔力だけは認めてやる! だから今ここで、あのクソババアを超えろみせろ!!それでも、この俺にここまで言わせておいて、それでも無理だって諦めるんなら、吠えることすらしねぇんなら、自分で自分を雑魚と認めるんなら、お前に価値なんかねえよ! ここで絶望して泣きながら大人しく死ね」
都市最強の魔導師であるリヴェリアを超えろ。
偉大過ぎる師匠を超えろなどと、今まで誰も言わなかった。そんな荒唐無稽な事を、弱者を蛇蝎のごとく嫌って見下しているあのベートが、確かにはっきりと口に出した。認めていると、お前ならやれると、そう言った。
そして、それを無理だと否定している者は、今この場にはレフィーヤしかいないのだと、確かにそう言った。
頭にカッと血が上り、絶望を前に自身の無力さを嘆くことしかしなかった自分に、恥ずかしさが込み上げてくる。
掴まれていた胸ぐらを乱暴に離され、よろけそうになる。だが、座り込むことはしなかった。二本の足でしっかりと立ち、ベートを見る
真っ直ぐに瞳を見つめて来るベートに、失望されたくない。焚き付けられた最強への挑戦という熱意を、嘘だなんて思われたくない。
暗く重く落ちていた絶望の帳が晴れ、一気に思考がクリアになる。
「五分持たせろ。あの燃え滓野郎が洞窟に入った」
「……っ!」
そんなレフィーヤに背を向け、ただ一言だけ告げたベートは、迫り来る食人花の群れへと雄叫びを上げながら突っ込んで行った。
入れ替わるように、食人花の群れに襲われながらも次々と駆け寄って来る十数名の冒険者たち。ベートの思惑を全てを理解したレフィーヤはそんな彼らに向かって、熱に浮かされたままの状態で、しかし希望と確かな覚悟を持って叫んだ。
「皆さん、私を守って下さい! 今から短文詠唱の魔法であの大岩の隙間まで道を切り開いて、あの場所で籠城します!」
「ろ、籠城って、そんなの今の状態じゃあジリ貧に――」
一時的に籠城しても、すぐに数百を超える食人花に物量で圧し殺されるだけだと反論する冒険者の言葉を遮り、レフィーヤは確信を持って再度叫んだ。
「五分です! 五分だけ耐えればいいんです! それで、ロキ・ファミリアの救援が来てくれます!」
* * *
レフィーヤの作戦は成功していた。
三方を大岩に囲まれた空間へと逃げ込んだ即席のパーティは、地形に守られる事でほぼ正面からのみに限定された食人花の襲撃に、ぎりぎりの所で持ち堪えることが出来ていた。
数名の前衛が食人花の猛攻をその身を楯にして防ぎ、その間に後衛が詠唱した短文詠唱の攻撃魔法で十数体を一気に殲滅する。そして同類の屍を踏み越え襲い来る新たな食人花の群れが到着するまでの、その僅かな時間で前衛を入れ替え、また次の攻撃魔法までの詠唱時間を稼ぐ。
たったの五分。されど五分。幾度ローテーションを回したか、まともに数える余裕がある冒険者はこの場にいなかった。
食人花の成体はLv.4でも手こずる強力なモンスターだが、襲い来る食人花は蕾の状態から無理に開花されたばかりの小型であることが幸いし、大半がLv.3の即席パーティでもどうにか猛攻を凌げている。
しかし、たかだか十数名のLv.3の冒険者達の集団と、数百を超えるモンスターの集団。
圧倒的な覆しようのない戦略差に、徐々に綻びが生まれてくる。当然の帰結だった。
「あ……」
誰かの、絶望に満ちたそんな声が、嫌にはっきりと響いた。
小型の食人花を掻き分け、突如出現した成体の食人花。それから伸びた触手が前衛を努めていた獣人族の男の足を絡め取り、そして呆気ないほどあっさりと男は宙吊りにされる。
前衛の壁が、決壊した。
一人が抜けた出来た前衛の隙間から一体の小型の食人花が陣形の中に入り込み、治療を受けていた冒険者達へと花弁の奥の口内に並ぶ牙が突き立てられる。
「ぜ、前衛のカバーを……っ!」
ヘルメス・ファミリアの団長の指示が響いた時には、既にもう遅かった。
次々と何体もの食人花が雪崩込み、崩壊した陣形のあちこちで冒険者達の悲鳴が上がり――そして、突如、食人花が燃え上がった。
レフィーヤは見ていた。
冒険者達を捕食せんと牙を突き立てた五体の食人花を切り裂いた、赤く発光する巨大な刃が閃いたのを。
そして遅れて、燃え尽きた炭のような灰色の髪をした目つきの悪い青年が、陣形の中に立っていた事に気付いた。
「ニルスさん……!」
感極まって泣きそうな声で、かつて【
「――遅くなってすみません。だけど、助けに来た」
そんな彼女にニルスは、徐々に赤から黒へと変色する巨大な槍を地面に突き立て、淡々とそう返した。
ふと、レフィーヤは食人花の追撃が来ないことに気づく。
慌てて視線を穴が空いた前衛に向ければ、その奥に、真っすぐ延びる二対の炎の壁に守られた道が出来ていた。
まるで海のように密集した食人花の群れを分断する炎の壁は、目を凝らしてよく見れば、燃え盛り朽ち果てる間際の大量の食人花で構成されている。
そしてその炎の壁を乗り越え、未だ塞がっていない前衛の穴へと群がる食人花達を数匹まとめて束のように蹴散らしているのは、まるで踊るかのように深緑色のロングケープを翻して木刀を振るう一人の
「レフィーヤ、それにアスフィさん。負傷者の治療を。俺はもう行きます」
「彼女も来てくれたのですか。であれば、私達はここで防御に徹した方がいいですね」
レフィーヤが反応する前に、ヘルメス・ファミリア団長のアスフィ・アル・アンドロメダがそう返答した。
彼女の言葉に無言で頷き、彼はただ一言唱え、そして走り出す。
「【
瞬間、膨大な熱が肌を打つ。
1.5Mを超える長大な柄と、それと同じ長さを持つ長大な刃を持つ奇妙な形状の槍。石突から伸びた黒く長い鎖以外は、全てが一繋がりの黒色の金属のみで構成されたその奇妙な槍が、彼の手を中心に徐々に赤く輝いて行く。
ニルス・アズライトが保有する超短文詠唱魔法が、彼の両手諸共、槍を赤熱した凶器へと変貌させた。
そして一人舞う妖精の元へと駆けつけた彼は、長大な槍を振り回し、襲い来る食人花達を切り裂くと同時に火達磨へと変えて行く。
「……っ、私達も早く応援に!」
「ここにいた方が良いでしょう。出ていけば、あの二人に巻き込まれかねません」
思わず駆け出そうとしたレフィーヤの肩を掴み、アスフィが小さく首を横に振る。
戸惑うレフィーヤに、アスフィは「ああ」と納得したように頷いた。
「
「暗黒期って……もしかしてあの人、例の酒場の?」
先程まで必死の形相で生死を賭けた戦いをしていたとは思えないほど落ち着き払って、そう語るアスフィ。もう窮地を脱したと言わんばかりの様子に、特定条件化におけるニルスの強さと、かつて【疾風】と呼ばれていた冒険者の噂は知っているが、だからと言ってそんな呑気な事を言っている場合ではないだろうと、レフィーヤは繰り広げられている戦闘に眼を向ける。
しかしそんなレフィーヤの心配は無用とばかりに、彼と彼女は次々と食人花を葬り去って行く。
「【
追加詠唱を叫んだニルスの手から、炎が吹き出す。同時に更なる高熱に晒された槍が、赤を通り越して橙色に発光する。
周囲の空気を歪める程加熱された槍を、彼は敵の群れに向かって投擲して進路上の敵をまとめて焼き貫いたかと思えば、石突から伸びた鎖を強引に振り回すことで、更にその炎を拡散させて行く。
あれほど乱暴な戦い方を、敵どころか味方すらも須らく全て焼き尽くしてしまうような無茶苦茶な戦い方をするニルスを、レフィーヤは知らない。
「【――今は遠き森の空。無窮の夜天に鏤む無限の星々】」
一方で彼と共に戦うエルフの女性は、全てを灰燼へと帰すかのように荒れ狂う彼の存在などまるで意に介さず、疾風の如く動き回り木刀で敵を殲滅しながら、朗々と歌う。
「並行詠唱!?」
その戦闘技術は驚異的だった。
前衛で敵を打払いながら長文詠唱の高威力の魔法を歌い切る、迎撃機能を備えた移動砲台。魔導師の理想形。下手をすれば都市最強の魔導師である己の師よりも優れた並行詠唱の技術を魅せる
何なんだ、あれは。何であんな存在が、酒場のウェイトレスなんてやっているのだ。
「【愚かな我が声に応じ、今一度星火の加護を。汝を見捨てし者に光の慈悲を】」
もはや美しさすら感じる
「【
武器を失った事などまるで気にした様子すら無く詠唱を叫び重ね、彼は素手のまま食人花の群れへと突き進み、勢い良く燃え上がる両手の十指を鉤爪とし、敵を引き千切り握り潰し、そして尽くを消し炭へと変えて行く。
「今の彼でも、条件が揃えばここまでの火力は出せるのですね」
ぽつりと呟くアスフィの視線の先では、ニルスの両手の炎が徐々に白く染まって行っていた。
超短文詠唱魔法【アグニ】。
その魔法は己の手と武器に炎熱を纏わせて敵を燃やし尽す、発現している現象通りの炎熱属性の付与魔法――
自傷型儀式魔法。それがステイタスに刻まれた【アグニ】の正しい特性だった。
彼に発現したそれは、魔力で己の体内を流れる血潮に火を灯すことで高熱を発生させ、そして自らの身体を焚べることで、概念としての炎をこの世に顕現させる魔法。己を贄として炎を生み出すだけの魔法が、結果的にその炎熱で敵を燃やし尽くしているだけの、現在地上において唯一彼のみに発現しているとされる自傷を大前提とした魔法であった。
そして自傷型魔法の名を冠する【アグニ】は、その名に相応しい特性を持つ。
両手に生み出された炎熱は、痛みを負えば負う程に熱が高まり、傷を負えば流れ出た血を喰らい炎は輝きを増し、そうして強まった炎熱はまた己を傷つける。魔法を解除するか命が尽きるまで、自傷と火力強化の循環は無限に繰り返される。
さらに【灰被残火】という、救いを求める声に応じて火力を微増させるスキルの効果によって、誰かを救うために誰かを焼き払う時、彼の炎は勢いを増す。
挙句の果てに彼は【正義詐称】という敵を傷つけた際に同等の痛みを受けるという自罰的なスキルを発現させておきながら、あろうことか独善的に受けたその痛みすらを魔法の特性によって相手を焼き殺す火力へと変換している。
それらのスキルと魔法による循環機構によって、彼が纏う熱量は無限に加速度的に高まり続ける。
故にかつて【業火】と呼ばれ恐れられたその男は、戦えば戦う程、敵を殺せば殺す程に死に近づき、結果として周囲を巻き込むその炎は超長文詠唱級の攻撃魔法をも凌ぐ程に強くなる。
正直に言って、人間性を疑ってしまう。
神の恩恵によって発現するステイタスとは、その人物の歩んで来た軌跡と在り方、そして願いを形にしたものだ。
であれば、そうであればあれは――正義を詐称するあの男は一体何だというのだと、レフィーヤは無意識の内に恐怖し、哀れんでしまう。
救いを求める声があれば自らを犠牲に火を灯し、自分で傷つけた遍く全ての者の痛みを勝手に分かち合い共感し、その痛みを炎の糧としてたった今痛みを分かち合った者達を燃やし殺し尽す。
何をしたって悲劇にも、ましてや喜劇にもならない、本当に哀れなだけの
「【来れ、さすらう風、流浪の旅人。空を渡り荒野を駆け、何物よりも疾く走れ】」
響き渡る、美しい
そして舞いを止めた彼女の元に、自他の命を等しく贄として焚べ、今や白く輝く燃え盛った炎、それも魔力で無理やり凝縮されたそれを灯した彼が寄り添う。
「【星屑の光を宿し敵を討て】!!」
「【炎よ、全てを天へと還せ】!!」
最後の詠唱を終えた彼女はその場で跳躍し、彼は両腕を交差し食人花を睨む。
そして二人は、魔法を解き放った。
「【ルミノス・ウィンド】!!」
「【アグニ】!!」
上空から解き放たれた緑風を纏った無数の大光玉が旋回しながら敵を薙ぎ払い、同時に地上で両腕から解き放たれた炎が敵を燃やし尽くす。
そして旋回する風が炎を巻き取り更に燃え上がらせ、数百を超える食人花を飲み込み、大空洞は火の海と化した。
疾風が吹き荒れ、業火が猛り狂う。
それは壮絶な光景だった。
そんな目の前の光景に、五年前、闇派閥が完全に壊滅を迎えたその日、都市の一部が全焼全壊したという話をレフィーヤは思い出した。
闇派閥と癒着していた疑いのあるファミリア、商会、ギルド職員の尽くを全て殺し尽くし、最終的には隠れ潜んでいた数名の闇派閥のLv.5を超える実力者ごと闇派閥の残存戦力をほぼ全て壊滅させたのは、当時Lv.4であった【疾風】とLv.2でしかなかった【業火】の二人だったという。
その逸話はニルス・アズライトの経歴として、ロキ・ファミリアで密かに語り継がれている。
入団当時にその話を聞いたレフィーヤは、所詮は尾ひれの付いたただの噂話だと思っていた。
だが、目の前の光景はどうだ。あれだけいた食人花は、巻き起こった炎の嵐で全滅している。
かつて【業火】と恐れられ、そして一時期は【正義の味方】と囃されたが今は【道化】と蔑まれる彼。
ギルドから限られたファミリアにのみ公開された昔の彼のスキルが本当なら、彼の瞬間最大火力は今よりも昔の方が高かったはずだ。
視線の先では、肘より下が完全に炭化しているニルス・アズライトが、ぐらりとその身体を揺らす。
そして踏み止まる事をせずにそのまま倒れ込もうとする彼を、深緑色のケープで全身を覆った
頭を覆っていたフードがふわりと外れ、
そんな
「……貴方は、いつもやりすぎだ」
小さく呟かれた、哀しそうな彼女の声が、風に溶けて消えた。
* * *
その日、迷宮の24階層食料庫で発生した異常事態は、洞窟が完全に崩落することで終わりを迎えた。
アイズ・ヴァレンシュタインとベート・ローガによって追い込まれた怪人レヴィスは撤退を選択し、そして洞窟を支えていた赤水晶の大主柱を壊すことで、戦場そのものをも破壊して逃走するという常識外れの手段を取ったのだ。
闇派閥の残党達は全て死に絶え、怪人も逃走を成功させた。
一方で事件に関与した冒険者達は、決して少なくはない損害を受けた。
ヘルメス・ファミリアの団長以下十三名の団員達。
ロキ・ファミリアの幹部三名と、幹部候補一名。
そして、その他のファミリア所属の冒険者二名。
重傷者数名、軽症者多数。しかし奇跡的に死者だけは一人も出なかった事は幸いだったと、各ファミリアの主神達はほっと胸を撫で下ろすことになる。
一連の異常事態の真相は洞窟の崩落と共に闇の中へと消え、傷ついた冒険者たちはそれでも生きて地上へと生還を果たす。それが事件の顛末であった。
そして、未曾有の大事件――かつてオラリオに暗黒期を齎した闇派閥の残党が再び動き始め、モンスターと人の混合種なる怪人という未知の存在が出現し、迷宮の中層に大規模なモンスターの生産拠点が築かれていたという未曾有の大事件は、表向きには公表されることはなく、ギルドと一部のファミリアにのみ限定的に情報が流されるに留まった。
世間に公表するには情報が足りず、また現段階での公表は余計に恐怖を煽るだけだろうという、ギルドの決定による情報規制がなされた結果だった。
だが、平時であれば噂好きの神々がどこからとも無く嗅ぎ付けて、良くも悪くも面白おかしく尾ひれが付いて真実に到達できない程度の情報に薄められて語られるのがオラリオの常である。
しかし、そんなセンセーショナルであるはずの話題は、結局オラリオに広がることはなった。
代わりにたった一つの、しかし圧倒的な話題が都市中どころか世界中を席巻したからだ。
フレイヤ・ファミリア団長オッタル。
都市最強の冒険者の――Lv.8到達という偉業。
人々も神々も等しく、時代を背負う英雄の誕生に歓喜の叫喚を捧げた。
そしてその裏側では、時を同じくしてロキ・ファミリア所属の
* * *
【登場人物】
ニルス・アズライト
年齢:18歳
所属:ロキ・ファミリア
種族:ヒューマン
二つ名:【
Lv.4 最終ステイタス
力:S982 耐久:S999 器用:A892 敏捷:B752 魔力:S999
炎熱:C 耐異常:G 鉤爪:I
《魔法》
【イデア】
・使用条件付き変身魔法
【アグニ】
・自傷型儀式魔法
・自身の肉体を代償に火を灯す
・痛みを熱に、傷を炎に変換する
《スキル》
【正義詐称】
・通常戦闘における全能力超マイナス補正
・与えたダメージと同等の痛みを受ける
・代償として、憧れた正義を騙り代行する権利と義務を得る
【灰被残火】
・焚べる心が尽きた果ての残り火
・救いを求める声に応じて火力微増強