「あの、これ、お金です! どうかこれで許して下さい!」
少しだけ誇らしげなリオンさんの視線に見守れながら、何時もよりも形の良い焼き魚を食べていると、真後ろから唐突にそんな声をかけられた。誤解しか招かないような内容を、切羽詰まった様子でそれも店内に響き渡るような大声でだ。
「詐欺なら間に合ってます」
不思議に思いながら振り返ると、小柄な少年が真っ白な頭を下げて、俺にお金が詰まっているであろう小袋を差し出していた。少年の背後では、酒場の店員の一人であるシルさんが、人の悪い笑みをにっこりと浮かべて立っている。リオンさんの友人である薄鈍色の髪の彼女に俺は嫌われているので、このカウンター席に近寄って来るのは随分と珍しい。
「あ、えっと、すみませんすみませんすみませんすみません! 詐欺じゃなくて、僕、先週このお店で貴方にお金を立て替えてもらった、ベル・クラネルと申します! これはその時のお金で……!」
「クラネルさん、落ち着いて下さい。口と目つきの悪さは悪人のそれですが、彼は真っ当なヒューマンだ。いえ、真っ当ではないですが、落ち着いて話せば話は通じる」
顔を真っ青にして謝罪を繰り返すベル・クラネルと名乗った少年と、そんな慌てふためく彼に少しだけ微笑ましそうに声をかけるリオンさん。どちらかというと謝罪すべきはリオンさんの方だろう。
それにしても白兎みたいな少年だ。先週食べた兎の煮込み料理と、一緒に頂いた独特な火酒を思い出してしまう。あれはとても美味しかった。
「ひっ……! た、食べないでください!」
「は?」
「ひぃぃっ……!」
物騒な事を口走る少年に思わず呆けた声を出すと、その後ろで必死に笑いを堪えていたシルさんが我慢の限界といった様子で小さく吹き出していた。何となく事情は理解できた。つまりは、シルさんによってあること無いこと吹き込まれたということだろう。
「ほらほらベルさん、もっと真剣に謝らないとダメですよ! ニルスさん先週、『あの白兎、今度見つけたらまるごと食ってやる、ぐはははは』なんて言っていたんですから。今だってもうそんな目でベルさんの事見てます!」
「え、や、やっぱり僕、もうダメなんですか!?」
誰もそんな頭の悪い事を言った覚えはない。
* * *
散々ベル・クラネルをからかうついでに俺にも地味にダメージを与え、とても満足そうにしていたシルさん。そんな彼女がリオンさんに注意され、さらに酒場の女将さんであるミアさんにもサボりを怒鳴られ、半泣きで仕事に戻ってから数分。
シルさんに騙されていた事に気づいてようやく落ち着いた様子のベル・クラネルは、改めて自己紹介を終えて隣の席に座り直した状態で、ぺこりと頭を下げて来た。
「先週は本当にありがとうございました。おかげさまで僕、犯罪者にならずにすみました。だからせめて立て替えてもらったお金、返させて下さい」
受け取った小袋の中身を見てみると、案の定、一食分にしては随分と多い金額が詰まっている。
少年に小袋を強引に返しながら、俺も彼に頭を下げた。
「むしろうちのファミリアが申し訳ありませんでした。少なくともミノタウロスに君が殺されかけた事は、間違いなくうちの責任だ」
先週の一件、実はベル・クラネルがダンジョンの洗礼を受けた原因は、ロキ・ファミリアにあったと後から聞いた。
遠征から戻る途中に遭遇したモンスターの軍団をロキ・ファミリアが取り逃してしまった結果、モンスターは上層へ上層へと駆け上がって行ったらしい。その結果、ベル・クラネルが探索をしていた浅い階層にはいないはずのミノタウロスに、彼が襲われてしまう事態になったのだとか。
駆け出しの冒険者である彼がLv.2相当のミノタウロスに敵うはずもなく、無残にもその若い命をダンジョンで散らすその間際、あわやという所で同僚のアイズが間に合い、事なきを得た。
そしてその場に居合わせたベートが、その時のエピソードをこの酒場で笑い話として大声で語ったというのが先週の無銭飲食事件の真相らしい。
「いえ、アイズさんに助けて頂けたので、ロキ・ファミリアのせいだなんて……! それにあの狼人の人に言われた事も、全部本当のことなので……。悔しいですけど、あの言葉があったからこそ頑張れてる部分もあって、だからむしろ感謝しているくらいです!」
だから頭を上げて下さいと慌てるベル・クラネルは、本心から悔しそうにしている上に、本心から感謝しているように見える。
ベートの暴言の内容は把握していないが、何時ものような弱者への発破と言う名のただの暴言だろう。それを原動力に変えることが出来ている少年のことを、素直に凄いと思った。
「クラネル君は強いですね。あのゴミカス察して狼ちゃんに教えてやったら、真っ赤になりながら照れて喜びそうだわ」
「ゴ、ゴミカス……?」
顔を引き攣らせたクラネル君は、俺から距離を取るように仰け反り返っていた。
「クラネルさん。冒険者さんの口の悪さは気にしない方がいい。友人に対する照れ隠しのようなものです」
「店員さんは、嘘つきの友人さんの悪い癖が伝染ったんですか?」
堂々と嘘を吐くリオンさんは俺の指摘を無視しながら、カウンターに木皿を一枚置いた。
「本日のオススメの『厚切り牛肉の鉄板焼き』です」
木皿の上にはジュウジュウと音を立てる熱々の鉄板と、更にその上には巨大な肉の塊が乗っている。見た所は塩と黒胡椒のみで味付けされたシンプルな一品ではあるが、見た目と音、そして匂いだけでも食欲が唆られる。
「店員さん」
「はい、クラネルさんにも同じものを用意しています」
こくりと頷いたリオンさんは、クラネル君の前にも同じ一品を置いた。
「え、リュ、リューさん!? 僕、今日はこんな高価なもの食べるお金持って──」
「謝罪としてご馳走させて下さい。先週の食事代はうちのファミリアからの正式な謝罪で、これは俺個人からの謝罪として。クラネル君が死にそうな目に会ってる時、俺は呑気に寝てたから」
素早く壁にかけてあるメニューと分厚い肉を見比べて焦るクラネル君の言葉を遮って、冷めない内に食べてくれとクラネル君にナイフとフォークを手渡す。
未だにクラネル君は遠慮して何かゴニョゴニョと言っていたが、既に俺の興味はリオンさんがグラスに注いでくれた葡萄酒に移っていた。
ステーキに葡萄酒。最近は珍しそうなお酒だったり、料理との組み合わせを狙ってくるリオンさんにしては無難な選択だと、少しだけ不審に思う。
しかし特にそれ以上悩むこともなくお酒を口に含むと、渋い味わいと共に、葡萄とはまた異なる爽やかな風味が口内を満たす。
「あ、これ……」
「はい。葡萄酒に果実を漬け込みました。柑橘類の香りは、今日の一品によく合うはずです」
リオンさんの無表情ながらも自身に満ち溢れた口ぶり。
俺は鉄板の上で脂を跳ねさせる熱々の牛肉にナイフを入れ、口に運ぶ。想像以上に熱かったが、シンプルに味付けされたからこそ際立つ牛肉の旨味が口に広がり、そして葡萄酒の渋みと柑橘系の爽やかな香りがその旨味を何倍にも引き立てる。
「美味しいです」
短くそれだけ告げて、もう一口牛肉を口に頬張ろうとして、しかし先程のあまりの熱さを思い出して手を止める。
そしてリオンさんから葡萄酒の瓶をもらって彼女のグラスにもお酒を注いでから、ふと思い出して隣の席を見た。
ナイフとフォークを持ったまま硬直しながらも、しかし目の前の肉の塊を物欲しげに見つめているクラネル君。そんな少年のグラスにも、無言で葡萄酒を注いであげた。
目の前に置かれた肉と酒に意を決したかのように「ありがとうございます! ご馳走になります!」とお辞儀をして、そして勢い良く牛肉に齧り付いたクラネル君は、目を見開いて叫ぶ。
「やわらかい……! でも歯ごたえもあって、それより何よりお肉の旨味が凄くて美味しい! こんな美味しいもの、僕、久しぶりに食べました! じゃが丸くんと全然違う!」
唐突に牛肉とじゃが丸くんを比べ始めたクラネル君の頭は大丈夫かと心配になったが、クラネル君は団員が彼一人しかいない新興のファミリア所属だという話を神様から聞いたことを思い出した。
なるほど。つまり彼は普段何時も、安くて量が多いじゃが丸くんを主食にしているのだろう。俺も初めてこのお店で食事をした際に「残飯と全然違う」という普段の食事との比較をした直後にミアさんにぶん殴られた事があったなと、昔の事を思い出してしまった。
ナイフとフォークが止まっている俺を不思議そうに眺めながら、クラネル君はきょとんと首を傾げていた。
「あの、食べないんですか?」
「彼は猫舌なだけです。クラネルさん、冒険者さんのことは気にせずに存分に味わって下さい」
上品に小さくもぐもぐと食べながらのリオンさんの説明に、クラネル君は納得したように何度か頷きつつ正面を向き直ろうとする。が、リオンさんが俺の皿から牛肉を切り分けて食べている事に気づき、不思議そうな視線を向けた。
「この店の料理、一人だと量が多いんで、店員さんは手伝ってくれてるんですよ」
そう説明して、程よく冷めて来た肉を口に頬張り、グラスの葡萄酒を再度煽る。リオンさんが前日から漬けてくれていたのであろう葡萄酒は、やはりとても美味しかった。
「そう言えば、リューさん。今日は本当にありがとうございました。あのナイフ、神様から頂いた大切なものだったので本当に助かりました」
「いえ、当然のことをしたまでです。それに犯人は……取り逃がしてしまったので」
クラネル君の唐突な感謝の言葉に、リオンさんは新鮮なサラダが入った皿を三つカウンターに置きながら、少しだけ言葉を濁した。早速サラダを頂きつつ、あまり聞かない方が良い話かと様子を伺うと、リオンさんからそっと視線を逸らされる。
彼女の様子には気づかなかったようで、クラネル君が少しだけ気恥ずかしそうに頭を掻きながら、今日の昼間にあった事なんですけどと説明してくれた。
クラネル君は自身の主要武器であるナイフを、ダンジョンからの帰りに落としてしまったのだという。
そしてそのナイフを拾い持ち去ろうとしていた小人族の男から、偶然買い出し中であったリオンさんがそのナイフを奪い返したということらしい。
ちなみにそのナイフは彼の所属ファミリアの主神から贈られたばかりの、大切な品だったのだとか。
聞く限りではリオンさんが気不味そうにする理由が分からず、不思議に思っていると、クラネル君が意を決したように「あの、ニルスさん!」と俺に問いかけて来た。
「ニルスさんは、アイズ・ヴァレンシュタインさんと仲が良かったりするんですか……?」
「アイズと? まあ同じファミリアだから……?」
仲が良いか、とはまた漠然とした質問だ。五年も同じ館で暮らしているし、一緒に訓練もするし、遠征では命を預けて戦うこともある。だが、アイズに限った話ではないが、ファミリアの同僚と仲が良いかと改めて問われると、どう答えるべきなのだろう。
「そういう意味じゃなくて、実はニルスさんが恋人だったり、ニルスさん以外でもアイズさんに恋人がいたりとかいなかったりとか、ご存じないかなと」
早口でそんな質問を重ねてきたクラネル君に、流石に察した。クラネル君は命を助けられたアイズに、惚れてしまったということなのだろう。十六歳という若さでLv.5の第一級冒険者に至った【剣姫】と称される実力者な上に、中身はともかく見た目は可憐な完璧超人だ。命を救われたという文脈を踏まえれば、クラネル君が一目惚れしてしまうのも何らおかしな話ではない。
「俺とアイズは同じファミリアの団員同士なだけですよ。アイズにそういう相手がいるって話も聞いたことはない。もしそんな相手がいるなら、拗らせ狼が発狂して面白いことになってるから、間違いない」
「そうなんですね、よかった……。ところでニルスさんって、ベート・ローガさんと仲が良いんですか?」
「いえ、別に。普通です」
心底ホッとした様子で、ついでとばかりに聞いて来たクラネル君に、淡々と返答する。
五年も同じ館で暮らしているし、一緒に訓練もするし、遠征では命を預けて戦うこともある。何なら昨日も、先日の祭りで都市に突如現れたきな臭い新種のモンスターの足跡を辿った先のオラリオの地下水道で、一緒に戦って来た。だが、そんなファミリアの同僚ではあるが、別に仲は良くない。断言できる。
「何かいいですよね、そういう友情って。僕、そういう相手がいなかったから、ちょっと憧れちゃうな」
「は? 頭の病気ですか?」
唐突に先程の返答がなかった前提で話を進めるクラネル君を心配していると、リオンさんに「店内で威嚇はやめなさい」と指で額を弾かれた。地味に痛い。
追加で出されたチーズと共に、
「果実を漬ける前の葡萄酒です。私が余計な手を加える前の味も是非味わって下さい」
と、新たなグラスに別の瓶から葡萄酒が注がれた。葡萄酒の良し悪しが分かる程良い舌をしていないが、それでも流石はリオンさんが選んだお酒だけあって、美味であることは間違いなかった。
「えっと、リューさんとニルスさんもとても仲が良いですよね? 実は昔、一緒のファミリアで冒険者をやっていたとかだったり……」
少しだけ居心地が悪そうに苦笑しながらそう呟いたクラネル君に、俺とリオンさんは思わず顔を見合わせてしまう。
そんな俺達の様子にクラネル君はハッとしたように口を押さえ「すみません、詮索するつもりとかじゃなくてっ!」と謝罪してきた。
申し訳なさそうに謝罪するクラネル君は、本当に人間が出来ている。と言うより、擦れておらず純粋だ。
別に隠している事ではないので、正直に俺はクラネル君に答えた。
「店員さんにとって俺は、ただの敵だったんですよ。だから彼女の仲間だったなんてそんな失礼な事を言うのは、冗談でもダメですよ。まあ、店員さんに限らず、オラリオ全体の敵だった闇派閥の一員な上に、最後にはその闇派閥を裏切って壊滅させたから、表も裏も含めて全員から敵視されている嫌われ者ですが。クラネル君も、ロキ・ファミリアの事を調べたのなら、噂くらいは聞いたでしょう。蝙蝠野郎とか卑怯者のピエロとか」
「えっと……はい。すみません」
正直に答えた上でまたしても謝罪して来るクラネル君。そんなに気にすることはないと声をかけようとしたが、それよりも早くリオンさんが声を発した。
「昔は敵でしたが、今はそうではありません。経緯はどうあれ、今の彼は……《正義》を成すただの冒険者です。クラネルさんがどのような噂を聞いたかは分かりませんが、彼は善人だ」
「正義を成してるんじゃなくて、詐称してるだけですけどね。スキルに刻まれてるんですから、店員さんが否定してもそれは覆らない」
俺は《正義》ではない。だけど俺が騙っている《正義》は本物だ。背中に刻まれた
先週もリオンさんと少し言い争いになった、彼女からもらった大切な俺の生きる意味。一方で、彼女曰くの呪い。この話題になると、リオンさんとは何時も平行線だ。
「ス、スキル、良いですね! 僕にも早く発現しないかなあ! ま、魔法も早く使えるようになりたいし、何かアドバイス頂けませんか!?」
剣呑な空気に耐えきれなくなったのか、クラネル君が焦りながら早口でそんな事を言ってきた。クラネル君は本当に人間が出来た少年だ。
だが、空気を変えるためという目的があったとは言え、Lv.4の第二級冒険者のスキルや魔法、冒険自体に興味があった事も事実なのだろう。是非とも語れる範囲で俺と俺の冒険を語ってくれとせがんで来たクラネル君に、正直に俺の事を話して聞かせると、最終的には葬式のような空気になっていた。
まあ、語れる範囲という制約がつくと、仕方がない。
俺がロキ・ファミリアに所属する際の条件として、ギルドを通してオラリオ全体に公開されたスキルと魔法には、彼が思い描いているような華々しい能力もなければ、戦況を覆す事ができるような力もない。
スキル【正義詐称】。通常戦闘における全能力超マイナス補正。与えたダメージと同等の痛みを受ける。代償として、憧れた正義を騙り代行する権利と義務を得る。
魔法【イデア】。使用条件付き変身魔法。使用条件が何なのか分からず、一度も使えたことがない魔法。
『憧れた正義を騙り代行する権利と義務を得る』という俺にとっての重要な免罪符と、あの夜、確かに実在した《正義》を神聖文字が保証してくれること以外、スキルは人ともモンスターともまともに戦闘できなくなるだけのものだ。魔法に至っては元々保持していたもう一つの魔法を食いつぶしたくせに、まったく発動できないだけの邪魔な魔法である。
期待に目を輝かせていたクラネル君が、何と言うか少しだけ哀れみの視線を向けてくるのも仕方がないのだろう。
語り終えた俺に何とか言葉を返そうとするが、しかし一向に言葉が思いつかない様子のクラネル君に、リオンさんが助け舟を出す。彼女が小さく笑っていたのを、俺は見逃していない。
「クラネルさん、そろそろ夜も遅い。明日もダンジョンに行くのであれば、もう身体を休めた方が良いでしょう。……あの小さな犬人のサポーターの少女に迷惑をかけるのも、よくない」
「あ、そ、そうですね! お二人とも今日は本当にありがとうございました! ご飯もお酒も、とっても美味しかったです! 僕、絶対にもっと強くなってたくさんお金を稼げるようになるので、その時は絶対にお返しさせて下さい!」
リオンさんの言葉にわたわたと頷いて感謝の言葉を述べて立ち上がり、何度も何度もこちらを振り返ってはまた頭を下げながら店の出口に向かって行くクラネル君。気持ちが良いくらい真っ直ぐな少年の背中に、俺はお節介かもしれないと思いつつも、声をかけた。
「アイズに伝言があれば伝えるけど、どうする?」
「……いえ! ちゃんと自分で感謝を伝えたいので、大丈夫です!」
ほんの少しだけ考えて、しかし迷いなくそう笑って、クラネル君は酒場の外へと出て行った。
* * *
クラネル君が帰りしばらく経ち、夜も深まり周囲の客が少なくなった頃、何時ものようにリオンさんに近況を報告する。
唯一何時もと少しだけ違う点は、良くない報告があることだった。
先日開催された年に一回の怪物祭という、ギルド企画の、観客の前でモンスターを調教する一大祭典。その祭りで見世物にされるはずだったモンスター達が事故で逃げ出し、オラリオは一時騒然となった。
その事件自体は、まだいい。
問題は逃げ出したモンスターと同時にオラリオの各所に出現した、『食人花』と呼称されることになった極彩色の新種のモンスターの存在だ。
誰も見たことがない未知の危険なモンスターが、都市を管理しているギルドや大手ファミリアに気づかれること無く、オラリオに出現した。
そして、無限にモンスターが湧き出るダンジョンの蓋として機能しているこの都市の存在意義をも揺るがしてしまうその事件は、悪意を持つ何者かの手引によって引き起こされた可能性が非常に高い。
言い方を変えれば、一歩間違えれば暗黒期の再来、都市と世界の崩壊に繋がりかねない、正真正銘の大事件だった。
そして昨日、その食人花の出現ルートを突き止めるために調査した旧式の地下水路にも、まだ食人花は潜んでいた。しかし結局、犯人の手がかりは掴めていない状態である。
だが、かつて下っ端の下っ端だったとは言え、奴らの一員であった俺は、直感的に理解していた。
この事件には、おそらく闇派閥の残党も関与している。
そして直接的に言葉にせずとも、かつて闇派閥を壊滅させた張本人であるリオンさんも同じ結論に至ったようだった。
「残党か……」
苦々しげに色々な言葉を飲み込み、リオンさんは俺の報告にそれだけ小さく呟いた。
やはりリオンさんには告げない方がよかったかもしれないと後悔したが、それを告げないのはフェアではないし、闇派閥の残党に明確な恨みを持たれているリオンさんに情報を伝えないのはそれはそれで危険だ。
「とは言え、まだ確証はありません。動こうにも情報もない。何か分かり次第また情報共有します」
そう締めくくって、しばらく無言のまま、二人でチーズや塩漬け肉をつまみに数本の葡萄酒を飲み干す。
せっかくのリオンさんとの食事であったが、闇派閥の話題から後は、まともに味わうこともせずに気分を紛らわせるためだけに酒を流し込んでいたような状態だった。
とは言え、酔いが深まるにつれて、徐々にとりとめもない会話もぽつりぽつりと増えてくる。
話題は自然と、先程まで一緒に食事をしていたクラネル君の事が多くなった。
どうやらシルさんがクラネル君に惚れているようで、リオンさんは「クラネルさんは、シルの伴侶となる予定の人」などとかなり色々と過程をすっ飛ばした事を言っていたが、シルさんにとっては残念な話だが今のクラネル君にそのような予定はないだろう。
「それにして最後の挨拶もそうでしたが、やはり彼は律儀で真っ直ぐなヒューマンですね」
そして、分かっているのか分かっていないのか、リオンさんがぽつりとそんな事を言ってきた。
「律儀と言えばそうでしょうが、あれはまた別でしょう」
アイズの事を聞いてきた時のクラネル君の様子を思い出し、思わず苦笑する俺に、リオンさんは不思議そうに首を傾げた。
「恩人に自らの言葉で感謝を伝えたいと言うのが、律儀ではないと?」
「あ、リオンさんは鈍感純情ポンコツエルフさんでしたね。高度なお話をしてしまって申し訳ありませんでした」
「表に出ろ、アズライト。その席で泣き顔を晒していた頃を思い出す準備はできているか? 道化の顔にも涙はよく似合いそうだ」
「は? 今更そんな昔の、しかも一回限りのこと持ち出すなよ。つーかその頃あんただってポンコツポンコツ言われて凹んで半泣きだっただろうが。ああ、自爆テロか?」
急に喧嘩を売って来たポンコツエルフに反射的に言い返し席を立ち上がった瞬間、キッチンの奥から凄まじい速度で飛んできたフライパンに血の気が引いて顔が引き攣る。
同じく顔を真っ青にしたリオンさんが寸前で首を逸らし回避したフライパンを、どうにか左手で掴んで事なきを得る。とんでもなく受け止めた手が痛いが、避けた方が結果的に痛くなることを知っているので最適解ではあった。
「……あんた達、騒いだら分かってんだろうね?」
ミアさんの一周回って不気味な程静かな言葉に、前科と壮絶な折檻の経験がある俺とリオンさんは、無言で何度も何度も頷くしか出来なかった。
お互いに毒物等を一定量無効化する《耐異常》の発展アビリティを持つ身。一瞬ではあるが意識が戦闘のそれに切り替わった結果、アルコールの毒素が急速に分解され酔いが冷めてしまった。結果、何となく気不味い静寂が訪れる。
ふと、リオンさんとクラネル君の帰り際のやり取りを思い出した。後で聞こうと想って忘れていたのだ。
「さっき、クラネル君のサポーターが犬人の女の子って言ってましったっけ? で、ナイフを拾ったのが──」
「二人共、もう、飲みすぎですよ!」
無理やり話題を切り替えようとした俺の言葉を遮り、大量の空の食器を運ぶシルさんの「私怒ってます」と言わんばかりの声が響く。
「何があったのか知りませんけど、昔みたいな殺伐とした空気は、私もう嫌ですからね。あ、でもニルスさんのその気持ち悪い丁寧な言葉遣いは気持ち悪くて嫌いなので、そこだけは昔に戻ってもらっても大丈夫です」
「苦情は児童虐待がライフワークのどこぞのエルフの王族の方に直接お願いします」
シルさんの暴言をスルーして、小さく溜息を吐く。闇派閥の話題でお互いに殺気立っていたので、嬉しい乱入であった。
だがそれはそれとして、何時もと違い一言目が暴言でなかった分、二言目に気持ち悪いと二度重ねてくる律儀さは、ある意味尊敬に値する性格の悪さである。流石だ。
「シル。言葉が綺麗な事は良いことです」
「うーん。まあ、私には関係ないから、ニルスさんがどれだけ残念でも、リューがいいならいいけど……。でも、可哀想……」
「そう言えばシルさんはクラネル君の気を引こうと必死と聞きましたが、アプローチが終わってるので残念な結果になりそうですね。あれ? もしかして手作り弁当って、実は最初からクラネル君を毒殺する目的だったりします? クラネル君、可哀想に」
「……〜〜っ!」
ぱくぱくと口を開くが、何も言い返せずに真っ赤になって震えるシルさん。
周囲で聞き耳を立てていた他の店員さん達も「その通りにゃ」「本当に反省しろ」「もう、味見、いや……」「ありがとう、【
リオンさんが溜息を吐くのが聞こえたが、冗談抜きでわざとやっているとしか思えない、クソ不味い劇物のような料理を渡されているらしいクラネル君は救われるので、俺の指摘は悪くない。
「ニ、ニルスさんだって、自分は安泰みたいな顔してますけど、余裕ぶってられるのも今のうちだけかもしれませんよ?」
今日も善行を積めたと満足して葡萄酒を味わっていると、半泣きのシルさんがそんな事を言って来た。何の話だ。
「今日リューは、ベルさんに手を握られたんですよ! しかもベルさんはどこかの誰かさんと違ってリューに叩かれてませんでした! 流石は私が見込んだベルさんです。この調子だとリューだってベルさんにコロッと落とされちゃうに決まってます! ふふーん、残念でしたね、ニルスさん!」
顔を真っ赤にした状態で子供のように「やーい、ざまあみろです」なんて言ってくるシルさん。
「……」
今度は俺が黙る番だった。
あれ? え?
エルフは種族的に、近しい者以外との素肌での接触を嫌う傾向にある。特にそれが顕著なリオンさんは、シルさん以外と接触すると自動的に反撃する危険な人種じゃなかったのか? 特に男相手だと、恩恵なしの人間なら下手したら死ぬレベルの暴力が確約されているはずだったのでは?
ということは、何か? もしかしてリオンさんはクラネル君に惚れてるとかそういう話なのか? は?
「シル、あれは違います。そもそもクラネルさんはシルの伴侶になる人だ。だから間違っても私がクラネルさんとそのような関係になることはありません。そもそも何故その話に冒険者さんが出てくるのですか。彼こそ本当に無関係だ」
困惑するリオンさん。そんな彼女の様子にシルさん嬉々として、してやったりと言った様子で俺ににやにやと笑いかける。
「あれれれー? ニルスさんは無関係なんですって! そっかー、無関係かー。確かに無関係ですよね? あははは、残念でしたねえ?」
「……」
「無視はよくないですよー? ニルスさーん、聞いてますかー? 何時もみたいに気持ち悪い丁寧な口調で何か返答して下さいよー」
「……」
実際俺には無関係なので、ひたすら煽り続けるシルさんに言い返そうにも、何も言葉が出てこない。
何だろう。唐突に恩人の、それも憧れた正義の担い手のそんな話を聞かされても、感情が追いつかない。とにかく複雑な心境だ。
それに何となく、無関係という言葉にショックを受けている気もする。確かにまあ、恋愛事情なのか何なのかよく分からないが、ともかくリオンさんのそういう話は俺には関係ない。関係ないが、何か、こうアレだ。とりあえず手段を選ばずにシルさんを黙らせればいいのだろうか。
「別に……まあ、リオンさんが幸せならいいんじゃないですか。その時にはシルさんはもれなく不幸になってそうですが」
「あれれれ? 何か怒ってます? それともショックを受けてます? よく分かりませんけど、ごめんなさい、気づかないうちに私、ニルスさんのこと傷つけちゃったみたいで。あ、私、そろそろ仕事あるので失礼しますけど、ニルスさんはゆっくりして行ってくださいね!まあ、できるものならですけど!」
どうにか言葉を絞り出した俺に、シルさんは完全勝利と言った様子で笑い、うきうきとスキップしながら店の奥に消えて行った。そのまま現世から消えろ。
そんなシルさんを不思議そうに見送ったリオンさんは、俺に言った。
「よく分かりませんが、喧嘩はよくない。シルにも後で言っておきます。だから怒りを鎮めてください。いや、落ち込んいる? のかもしれませんが……」
「……」
いや、別に落ち込んではいないが。
最後にシルさんという邪魔が入ったが、こうして今週の借金返済も無事に終わりを迎えた。
今日も美味しい食事とお酒に大変満足だ。来週からも頑張ろう。
* * *
【とうじょうじんぶつ】
ニルス・アズライト
・かつて持っていた汎用性が高い魔法のせいで便利に使い潰されていた元闇派閥のパシリ系主人公
・ロキ・ファミリア入団後に教育ママに物理的に口の悪さを矯正された三下。なお代償として、教育ママの口は悪くなった。
・正義を詐称する冒険者さん
リュー・リオン
・純情鈍感ポンコツヒロイン
・本日のお酒は「果実漬けの葡萄酒」
・正義を捨てた元冒険者さん
ベル・クラネル
・第二話のカウンター席への飛入り客
・駆け出し冒険者君
・主人公の脳を破壊しに来る原作主人公
アイズ・ヴァレンシュタイン
・話題にされた人その1
・主人公の同僚兼友人の中身はともかく見た目は可憐な完璧超人
・主人公のことを「変な人」と思っている。主人公も「変な人」と思っている。
シル・フローヴァ
・ポンコツエルフの友人の嘘付き店員さん
・主人公を素直に嫌っている。主人公も素直に嫌っている。喧嘩友達と言われると、互いに苦笑する程度には仲が良い。
・かつて主人公を一時期ヒロインさんから遠ざけていたことがある
店員さん一同
・被害者
ミア・グランド
・つよい
・本日のオススメの一品は「厚切り牛肉の鉄板焼き」