【兵庫県知事選における「怪文書」比較】
立花孝志氏やその支持者は、岸口文書や増山文書を内部通報に類する真実相当性が高いと評価する一方で、元西播磨県民局長文書(いか局長文書)を噂話を集めただけの怪文書と断じている。では、その実態はどうであろうか?
まず、岸口文書と増山文書とに共通しているのは、日時の確定が殆どなされていないことだ。そもそも、ニュースソースに殆ど言及されておらず、「結論的」なことだけが断片的に記載されているだけなので、日時が明らかにできるはずがない。
次に顕著なのは、いきなり陰謀論的な断定がなされているということ。「印象操作」「彼らの最終的な狙い」「緊密な仲は有名」「結託」「画策」「虚偽・捏造可能な」「強力な人事権」「脅し」「圧力」(以上岸口文書)、「わいせつ画像」「不倫日記」「斎藤政権転覆」「クーデターを画策、実行した資料が存在するすることが判明」「東(ママ)播磨県民局で行われたとの情報がある」など、いずれも悪意が感じられる、後に立花氏が演説の際に頻繁に口にしたキーワードが多数盛り込まれている。
そして、これが最も重要なのだが、これらキーワードについての論拠の提示や論証は全くなされていない。
一方「局長文書」は、全7項目に渡って、その殆どにおいて日付が明記された論拠が提示されている(画像はコメント欄)。「〜との話がある」「かも知れない」「思われる」と言った伝聞であることが示唆される文言や、「聞いて呆れる」「恫喝」「機嫌取りに勤しんでいる」と言った主観的で批判的な言葉も少なからずあるが、これらは必ずと言って良いほど具体的な背景や日時を明言した事例とともに書かれている。
だからと言って、局長文書が全て真正の内容であり、岸口文書や増山文書に書かれたことは全て怪文書的なものだと断言するものでもない。ただ、少なくとも局長文書に関してはその事実関係が綿密に調査される一方で、岸口・増山文書については何ら事実に基づいた論証はされていない。
局長文書が怪文書だと主張するのなら、「真実相当性」がより劣るとしか考えられない岸口・増山文書も怪文書と主張すべきだし、後者が真正で、前者は怪文書だと主張できる論理的な理由は何一つ、無い。