「まずは女神を探すのだ。恩恵は君を強くする」
後ろからガシャガシャと音がする。ちらりと振り返ると全身甲冑の偉丈夫が見えた。彼の声は鎧兜の内側から。顔も見えなければ皮膚の露出も一切ない。当然の格好だ。だって彼はアステリオスさんなのだから。
彼はミノタウロスだ。ミノタウロスが大手を振って歩いていたら、人々は逃げ出すか狩ろうとするかのどちらかだろう。泡を吹いて気絶する人もいるかも。
いずれにしても素顔も素肌も見せるべきでは無い。
アステリオスさんは人類の敵になるつもりはない、と言っているけど、ミノタウロスがいきなり喋りだして無害宣言したところで、信じられる人はまずいないだろう。
「はい。恩恵欲しいです」
「うむ。だが、邪神には注意するべきだ。また、邪悪でなくとも油断はできない。神というのは
こうしていると誇り高い武人って感じしかしないけど、素顔は牛だ。角だってある。それと神様達に対してはかなり辛辣。理由を聞いたら「いけ好かない者が多い」と吐き捨てていた。過去になにかあったのだろうか?
さて、このアステリオスさん。
聞けばずっと僕を探していたのだという。
なんでも、僕は前世で決着をつけられなかった
「うーん、どんな神様が良いんでしょう……?」
「ヘルメスという神と、アポロンという神はやめておいた方が良い。自分が言えるのはそれだけだ」
「わかりました。ヘルメス様とアポロン様……もし会うことがあったら逃げますね」
「それが良い。奴等に関わるとろくなことがない──ろくなことがない」
噛み締めるように彼は繰り返した。どうやら本気で嫌悪しているようだけど、アステリオスさんの神嫌いはもしかしなくても御二方のせいでは? 何があったのか聞くと口を閉ざしてしまうから、僕が知る由はないんだけど……。
『オオオオオオオオッ!』
「とにかく女神を探すのだ。恩恵を手に入れ、力を高めること。それが君のやるべき事だ」
『ギャンッ!?』
野犬のモンスターが襲いかかってきて、流れるように真っ二つにされた。剣じゃなくて裏拳で。今、一撃で胴体がちぎれたんだけど、いくらなんでも強すぎない?
アステリオスさんは立ち止まると、絶命した怪物に歩み寄った。意外に丁寧な手つきで魔石を取り出し、これまた意外に上品にハンカチで体液を拭き取り、僕に手渡してきた。
「モンスターの魔石は放置してはいけない。そのほか、ドロップアイテムの置き忘れにも注意することが肝要だ」
「は、はい! 他のモンスターが魔石を食べると、強化されちゃうんですよね!」
「うむ。強化種が生まれる原因になる。多くの人間にとってそれは、回避すべき災厄であると言えるだろう」
アステリオスさんは物知りだ。顔と素肌を隠していると本当に冒険者みたい。本物の冒険者を見たことはないけどね……あくまでイメージっていうか、こんな感じなんだろうと思う。
「次の街には女神がいると良いのだが」
「思ったんですけど、どうして女神様にこだわるんですか?」
男神様でも恩恵の性能は変わらないはずだ。アステリオスさんが自分で言ってたことなのに、どうして彼は女神、女神と拘るのだろうか。
もしかして深い理由があるのだろうか。
興味本位で聞いてみると、彼はフーッと呆れたように溜め息をついた。
「オスとメスならメスが良いに決まっている。ベル、君はむさ苦しい汗まみれのオスと美しく母性に溢れたメス、どちらでも選べるとしたら、どうする?」
「女神様が良いです!」
「そうだ。それが答えだ」
答え、単純な理由だった。
普通に考えて僕も女神様が良いや。できれば落ち着きのある美人の……いやいや贅沢ばかり言っていると罰が当たる。神様は変な性格の御方が多いって話だし、マトモな御方に会えたらその時点でお願いするくらいじゃないと。いつまで経っても主神様が決まらないなんて事態は避けたい。僕は強くならなければいけないのだから。
「どこにいるんだろう、僕の運命の女神様」
「ベル、前方に草むらがある。探してみてはどうだろう」
「えーっと……やめときましょうよ。何か動いてますけど、あれ絶対モンスターですって」
四足歩行してるしアレが神様なわけあるか!
アステリオスさんはたまに変なことを言う。やっぱりモンスターだから一般常識? に疎いところがあるのかもしれない。だけど彼との旅は思いのほか快適で、ガンガンモンスターを殺していくアステリオスさんは凄く格好良かった。
僕もいつか彼みたいに強くなって、熱い戦いを繰り広げてみたい。ううん、願うだけじゃなくて実際に努力していかないと! 僕はブンブンと首を振って歩く速度を上げた。
早いもので、故郷を出てきて半月が過ぎた。
素敵な女神様との出会いだけを楽しみに、僕は次の街へと急ぐのだった。
◆
出会った神様の数は十二。うち半分が『キミ男の娘ォ!』とかよくわからない単語を叫びながら、
神様というのは変態が多い。
お陰で恩恵は手に入らず、僕の身体能力は一般人のまま。迷宮都市オラリオに行けば神様は沢山いるらしいから、どうしても見つからない時は乗り込むしかないと思っている。さっさと行けば良いと思われるかもしれないけど、事はそう簡単ではなく、僕にはアステリオスさんがいる。
彼はモンスターだ。迷宮都市に入るにあたっては検閲があるので、そこでバレたらえらい騒ぎになること間違いなし。つまりアステリオスさんはオラリオに入ることはできないため、遅かれ早かれ別れの時がやって来るということだ。本人もそう話していた。
「強くなりたいのなら、オラリオに行かなければならない。個人的にも君には強くなってもらわなければ困るから、オラリオに行かせるつもりだ」
オラリオにはダンジョンがあって、ダンジョンのモンスターは地上の奴らと比べてとても強い。その強い奴らを倒せば経験値が沢山手に入るし、英雄と呼ばれるような人達としのぎを削ることで、これまた多くの経験値が手に入る。
強くなりたいならオラリオ一択だ。
ただ、今はもう唯一の家族とも呼べる人(牛)と別れるのは、正直、寂しかった。強くなりたい気持ちの方が強いから、オラリオには行くけどね。
「もう半年も経ってしまった。次の街に女神がいなければ、オラリオに向かうのだ、ベル」
「わかりました……仕方ないですよね」
いつまでも呑気に旅している場合ではない。僕は何にも、誰にも負けないくらい強くならなきゃいけないんだから。たとえ途中で死んだとしても。
次の街で運命の女神様に出会えなければ、その時点でオラリオに向かう。固く決心して古ぼけた街の門を潜ると、何やら良い匂いが漂ってきた。
「炊き出し……ですかね?」
「シャケだ。シャケの馥郁たる香りが漂っている」
「シャケ?」
「そうだ」
「いやあの、牛って魚とか……」
「私は血肉を糧とするモンスターだ。ならばシャケを食らうことに何の不調和がある?」
「なるほど……なるほど?」
ミノタウロスがシャケを好んでもおかしくはない……ないのか? まあアステリオスさんって雑食だし、思い返すと旅の途中ではよく魚を釣ろうとしていた。上手く釣れなくてイライラしてたけどね、アステリオスさん。
「僕、貰ってきますね!」
「宜しく頼む。特に油の乗ったジュシーなシャケが好ましい。この旅が始まって以来の大仕事だ。頼んだぞ、ベル」
この旅ってなんだったのだろうか。
首を傾げつつ僕は炊き出しに近付いた。それにしても街が不自然なほどボロボロだ。モンスターにやられた感じじゃないけど……泥があちこちに溜まってる?
(ここしばらく、雨は降ってないと思うんだけど……)
考察しつつ、ふと思う。
不自然といえば、旅が始まってからの僕はかなりおかしい。発狂気味だとかそういうことじゃなくて、思考能力とか話し方とかが、旅を始める前と後では明らかに変わったように感じている。
もっと子供っぽかったと思うんだよね、我ながら。
おじいちゃんとの死別で、覚醒的な何かを果たしたってことかもしれないけど、それにしても成長しすぎだよなあ……。
「あの、シャケを下さい。僕とあちらの彼の二人分……お願いできますか?」
とりあえず今はシャケを貰おう。
僕もお腹空いたし、と炊き出しに近づいて女性の背中に声をかける。どう見てもかなり年上のお姉さんだ。しかも凄くスタイルが良い。後ろ姿だけでもわかるしなやかさ。ドキドキしてその時を待っていると、その女性は胡桃色の髪を静かに揺らし、振り返った。
「あら、旅の御方……にしては幼いわね? 向こうの彼はお父さん……かしら? ……? ……!?」
「ほえっ、めがみしゃま?」
「うん? そうだけど、どうかしたの?」
その人物、いや
胡桃色のロングヘアーはとっても滑らか。純白の衣は神聖さを漂わせつつも、豊満な肢体を隠しきれてはいない。むしろ女性としての魅力を大いに引き立てていた。だって色々と形がわかるし、しなやかで柔らかそうで……お、大きい。
「……」
「二匹で良いの?」
「はっ……あ、はい。僕の分はどれでも良いんですけど、できればもう一匹はよく油の乗ったジュシーなシャケ……を?」
優しげに
声色が子守唄みたいで、これが……母性ってやつ?
僕は上擦った声でシャケを所望しつつ、ある確信を抱いていた。
この御方こそ僕の運命の女神様に違いない、と。
シャケの選定を始めた彼女を穴が空きそうなほど見つめ、僕は意を決して、切り出した。
「あっ、貴方の恩恵を、僕にください!」
「!? 身を乗り出したら危ないわよ!」
だが、彼女は承諾も拒否もせずに慌て出す。僕の両手からジューっと焼ける音がした。ギョッとして下を見ると、僕の手はいずれも鉄板に叩きつけられていて、シャケは散乱、すぐに灼熱の感触が来た。
「えっ、アーーーーーーーーーッッッッ!?」
「なっ、何をしているの! 水! 誰か水を持ってきて!」
のたうち回る僕は彼女によって拘束され、バケツに両手を突っ込まれた。それがまた痛くて地面を再びのたうち回り、羽交い締めにされてジタバタ。
最終的には絞め落とされた。女神様は凄い体術の使い手だったのだ。ちなみに水に浸したところで火傷が治るわけもなく、包帯でぐるぐる巻きにされて僕は泣いた。
◆
翌朝。
汚れた教会で一晩を過ごした僕の前に、女神様はやって来た。彼女は笑っていた。ただし美しい顔に影を作って。どうやってやってるのかはわからなかったけど、とにかくひたすらに圧を感じた。怖かった。
「落ち着いたようで何よりだけど、二度とあんなことはしないように」
「すみませんでした」
「包帯を勝手に外したのね」
「か、
「それならそれで、どうしてそのままにしておくの。火傷を甘く見てはいけません」
「ごめんなさい」
「それと、食べ物を粗末に扱っては駄目」
「申し訳ございませんでした」
縮こまる僕にダメ出しを連発する彼女の名前は、アストレア様。彼女はわけあって放浪中で、地滑りの被害を受けたこの街を支援していたらしい。
清く正しい正義を司る女神。
それがアストレア様だった。僕は謝り倒した後で彼女に恩恵をおねだりした。
「本当にすみませんでした……あの、僕、アストレア様の恩恵をっ」
「理由は?」
「えっ」
「眷族になりたい理由。欲しいと言われてはいどうぞ、というのは難しいわね。まずは理由が聞きたいのだけれど、話せるかしら?」
これが最後のチャンスだという位のつもりで、何がなんでも彼女の眷族になるんだと、力強く宣言した。
「強くなりたいんです! 何がなんでも、誰にも、何にも負けないくらいに強く! そのためには恩恵がないと駄目なんです! でも、誰でも良いなんてことあるわけなくて……あ、貴方が良いんです本当ですっ!」
アストレア様は優しい眼差しで僕が話し終わるのを待ってくれた。僕は胸を高鳴らせた。こんなに慈悲深く見守ってくれているのだから、きっと受け入れてくれるつもりなのだろうと。
「……そう。じゃあ、どうして強くなりたいの?」
「そ、それはっ、昔から世界が亡びる夢を見てて……それが凄く怖くてっ……ですね」
「……」
「漠然と強くなって、ならないといけないっては思ってたんですけど、おじいちゃんが殺されて、本気でやらなきゃって思って……け、決意をッ」
「……」
「死んでも強くなるって、誓ったんです!」
しかし、僕の期待感は喋る度に萎んでいった。しばらくは優しげだったアストレア様のお顔が、みるみるうちに厳しい表情に変わっていったからだ。
最後は苦し紛れに叫んだ僕に、彼女は言った。
「難しいわね。今の貴方には恩恵は与えられない」
「────」
僕は、膝から崩れ落ちた。
う、運命の女神様に……拒絶された。
恩恵が貰えないと確定したことと同じくらい、一目惚れした女神様に突き放されたのがショックで、僕はプルプル震えるだけの人形と化した。
「ベル、ひとつ教えてあげる。大切なことだから忘れないように。死んだらおしまいなの。そこから強くはなれないのよ?」
「……は、はひっ?」
そんな僕に彼女は歩み寄り、ポンと肩に手を置いた。なんだろう、縋り付きたいこの衝動。実行したら嫌われそうだし絶対できないけどっ。
力なく女神様のお顔を見仰ぐと、彼女はもう優しい微笑に戻っていた。少し期待してしまう。慈悲をかけてくれるんじゃないかって。
「あまり絶望しないでね。誰も見放すとは言っていないでしょう?」
「そ、それならっ」
「ええ、少し一緒に過ごしてみましょうか」
奇跡よ、起これ……強く強く願っていると、叶った!
僕の期待は爆発して歓喜に変わった。アストレア様は僕を見放してはいなかったのだ。まだ挽回のチャンスは残されていることを知り、何がなんでも認めてもらうことを心で誓った。
「この街の復興は目処がついたから、今日は久しぶりの休暇にするつもりだったの。丁度良いから、語らいながら
「それは何よりですしっ、嬉しいですありがとうございますっ!」
アストレア様の綺麗な手を握り締めて、咽び泣きながら御礼を述べた。久しぶりに手放しで喜ぶことが出来た幸せを噛み締めた。でも、この時の僕はまだ知らなかったのだ。この御方に手ほどきを受けるということが、どういうことなのかを。
何が起こったのかだけ説明すると、一方的に叩きのめされて最終的には気絶した。僕の攻撃は一度も彼女にあたらなかった。受け止められるどころかひらりと躱され、カウンターを叩き込まれてはゴロゴロと地面を転がる。その繰り返し。
「もう少し頑張れないものかしら? 私、まだ1
「……ぜっ、ぜぇぜぇぜぇ……げほっ!?」
これはオラリオに住み始めてから知ることになるんだけど、アストレア様は天界時代、バリバリの