rei

7,736 posts
Opens profile photo
rei
@rei10830349
ASD/ADHD診断済み マシュマロ:marshmallow-qa.com/rei10830349 サブ:
amazon.co.jp/hz/wishlist/ls…Joined November 2018

rei’s posts

ADHD人間の「先延ばし癖」と「気になる事があると頭いっぱいになる」特性が悪魔合体すると、タスクを先延ばしてしまうのに、先延ばしにしてる事が頭に引っ掛かり続けてソワソワして何にも手につかず、結果として成果は出てないし客観的にはダラダラしてるのに疲労感は蓄積されるという地獄が生まれる
部屋が汚かったり片付けや整理整頓が苦手な人間は、「ちゃんと収納されている物の方がいらないもので、その辺に放置されたように無造作に置かれている物の方が必要なもの」という逆転現象が起きるので、周囲から「何故そんな大事なものを失くした/そんなとこに置いたの?」と言われる羽目になりがちな
Twitterで誰かが「叩いてもいい」とされた瞬間に、ワッと群がって手加減なく石を投げられる光景を見てると、中世において「処刑は庶民にとって最高の娯楽だった」という歴史の記述が実感出来るし、同時に「法律は過剰な制裁から罪人を守る為に必要」と罪刑法定主義が唱えられ始めた背景がよく分かるな
コミュ障の人間関係は「友達が消えやすい」のもあるんだよな。これは相手と揉め易いとかではなく、友人が半径50m以内にいる時は良好な関係を築けるんだけど、「何か要件がないと連絡してはいけないと思ってる」「自発的連絡が苦手」特性により、進学/就職/転職等の度に人間関係が丸ごと×んでくというな
ADHD人間、やらなきゃいけないタスクが2つ以上あると、「早くやらなきゃ!早くどっち先やるか決めないと!」などと思いつつ、優先順位や時間配分を決めなきゃいけない=自由を奪われるストレスのあまり、精神衛生の為にスマホを弄ったり本を読んだりして寛ぎだすという自滅バグ持ちが多い気がするな。
自己肯定感の低いコミュ障は「誘う」が出来なくて、自分を無価値と思うあまり誘う事を「相手の時間やリソースを奪う行為」のように感じてしまうんだよな。それ故に相手へ好意が強まるほど「自分が相手に何らかのプラスを与えられない」事に罪悪感を覚えて誘えなくなり、関係が疎遠になってくというな。
コミュ障が人間と会話した後にやる、「あれを言っておけばよかった!」「あれは失礼じゃなかったかな?」みたいな1人脳内反省会は、フランス語で「L'esprit de l'escalier」、ドイツ語で「Treppenwitz」、英語で「Trepverter」と単語化されており、あれは全世界で共通したコミュ障の基本仕様らしいな。
「筋トレでメンヘラは救われる」と言っても三島由紀夫なる前例があるし、「創作活動でメンヘラは救われる」と言っても三島由紀夫なる前例があるし、「金持ちになればメンヘラは救われる」と言っても三島由紀夫なる前例があるし、「教養や哲学がメンヘラを救う」と言っても三島由紀夫なる前例があるな。
オタク、軽音アニメが流行ればギター始めるし、キャンプアニメが流行ればキャンプを始めるし、競馬ソシャゲが流行れば競馬を始めるんだけど、恋愛モノはずっと流行り続けてるのに特に恋愛する事はないという悲劇があるというな
30歳になって分かったのだけれど、30歳のおっさんは自然に出来るものではなく、ある程度気合い入れて「おっさんやるぞ!」しないと出来ないもんなんだよな。気を抜くと、すぐに自分の年齢を忘れてしまい「30歳の肉体に20歳の若者気分を宿して青春の感傷を引き摺る謎の生物」と化してしまうな。
年上人間から「真面目で優しい良い子」と評されやすい人間は、往々にして「他人から嫌われないように自制する」能力が発達しただけなので、他人と距離が縮まるほどにボロが目立つようになるし、本人も色々溜め込むので、1度駄目になると反動で人間関係をリセットしたり、めっちゃ自堕落になるというな
男性が精神不安定な時に「大丈夫?おっぱい揉む?」が救いになるのは、オッパイ揉めるからではなく、「自分を心配してくれて、尚かつおっぱい揉む事を許してくれるほど自分を受け入れてくれる存在がいる」という事実そのものなんだよな。換言すれば男性は「おっぱい揉む?」と言われた時点で救われてる
陰キャの言う「僕は友達が少ない」は、本当に友達がいないというよりも、大抵は「自分は相手を友達と思いたいけど、相手は自分より親しそうな人間が沢山いる事を顧みるに、相手にとって自分は知人レベルかもしれないし、下手に言い切ると恥かいたり相手に迷惑かけるかも」的な拗らせを意味しているな。
1日8時間労働は元々「上限」なのに、いつの間にか「デフォルト」になったし、「働かざる者食うべからず」は元々レーニンの不労所得で飯を喰う資産家批判なのに、いつの間にか「ちゃんと労働しない/出来ない人間は飯食うな」という意味になったし、この世界は労働に対してあまりにも厳しいものがあるな
先延ばし癖のある人間には「嫌なタスクへの着手が難しい」タイプと、「何か気なるタスクがあるとそれを終えるまで何も手につかなくなる」タイプの2種類いるんだけど、その2つが合わさると「嫌なタスクを先延ばしにするも、それが頭に引っ掛かり続けて永遠に何も出来なくなる」生物が誕生するというな。
コミュ障が人間を誘えない理由は「話しかけられない」だけではなく、「断られたどうしよう?」「自分が誘うのは迷惑?」「気を遣わせてしまう?」「自分といても楽しくないのでは?」と様々な不安の重合なので、「気軽に声かけて」は解決にならないんだよな。コミュ障の根幹は人間関係の怯え癖というな
インターネット、昔は「リアルでは話せない本音や言説を吐き出せる場」だったけど、今は良いも悪いも道徳的に正しくない発言は即座に晒され叩かれるようになったので、逆にリアルが段々と「インターネットでは話せない本音や言説を吐き出せる場」になりつつある気がするな。
部屋が汚いタイプの人間、往々にして「少しでも"これぐらいいいや"と思って散らかし/汚してしまうと、そのまま際限なく自堕落して空間が駄目になっていく」という事を本人も自覚してるので、周囲に気を遣うパーソナリティの場合、逆に公共空間は滅茶苦茶奇麗に使うし規則は厳守する傾向にあるというな
人間がヤバくなる前兆として「疲弊から心身を回復させる営みが出来なくなる」というのがあるんだよな。具体的には「お風呂に入る」「飯を食べる」「少し身体を動かす」みたいな、「やっても絶対に後悔する事はない」営為が面倒になってきたら黄信号だな。
日本の採用は「即戦力になる新卒」を求めているので、「床上手の処女を求める童貞かよw」と揶揄されるけど、更に悪い事にこの童貞は「誘ったのは私だけど、なんで来たの?どうせお金目当でしょ?私の魅力説明して!他の人にも同じ事言ってない?私が本命?」と問い詰めてくるメンヘラでもあるんだよな
オタクが社会人になって疲労により新ジャンル/コンテンツを楽しめなくなり、それでもオタクを続けるべく昔見たアニメや既にクリアしたゲームなどの「既に自分の中で消化したコンテンツ」をやってヲタ成分を摂取する現象、噛む力が弱くなって流動食しか取れなくなった老人のような悲しみがあるな。
「真面目な良い子」として親に可愛がられる人間は、大体は「それが1番面倒がないから」を理由に規範や論理を内面化しているだけので、受験/就活辺りで「本当にやりたい事は?」と詰められても「楽をしたい」以外の気持ちが起きず、1度レールから外れると、そのまま際限無く低きに流れていくというな。
初対面の人間とは上手く話せるタイプのコミュ障は、往々にしてコミュ力を「悪印象を与え辛い当たり障りのないキャラを演じて無難に乗り切る」に全振りした遠距離戦特化タイプなので、日を追ったり顔を合わせたりして人間関係が近距離戦になっていくほど気まずくなり、最終的には逃亡や戦☓をしがちだな
オタクに対して「脱オタすればキモくなくなったり社交的になったり恋人も出来る」みたいに言ってくる人間、多分「動物を水に沈めればエラ呼吸を始めるはず」とか思ってそうだな。
「真面目」と「面倒臭がり屋」が合体すると、面倒臭がり屋だからタスクを締切直前まで投げるも、いざ着手すると真面目だから中途半端な妥協は出来ず/変なところで凝りだしてしまい、結果として満足な成果を出す事も、サボる事も、適当に終わらす事も出来ないという最悪の地獄が顕現するな。
インターネットでQOLを1番下げる行為は、間違いなく「嫌いな人間/集団/コンテンツを自分から見に行って、嫌なものを見つけて、嫌なのを確認する」事なんだけど、これはある意味で「期待通りの報酬を得られる」行為なので、常習化を招きやすいんだよな。人生には得てはいけない成功体験があるというな。
最近増えてきた、「イベントに行かなくなったし、アニメ/ゲームも追わなくなった。ヲタ友との交流も減り、流行とかも分からなくなった。もう自分はオタクではないかもしれないが、1般人とはメンタルが違い過ぎて辛い」みたいな社畜人間、2次元からも現実からも迫害されるハーフエルフのような存在だな
「オタク趣味やめて貯金すれば☓☓出来るよ!」というのは、その通りかもなんだけど、オタク止めたら辛い人生に耐えられなくなって心身がぶっ壊れてしまうので、オタクにとってオタク活動を辞めるのは生命維持装置を外すようなものなんだよな。
湯婆婆「フン。キモオタというのかい?オタク活動してるのかい?」 社壊人「今は仕事が忙しくて休日は家でグッタリで、もうアニメは追えず、ラノベも積んで、ゲームもしんどくなって…でも昔は」 湯婆婆「もうオタクとは言えないねぇ。今からお前の名前はキモだ。分かったら返事をするんだ、キモ!」
初対面の人間とは話せるタイプのコミュ障は、「素の自分を出さず、その場に迎合したロールを演じる」能力特化の存在なので、日を追う毎に相手とは気まずくなるし、心を開けないので友達と思える人間が少ないし、「××さんと仲良い?」と聞かれたら「相手はどう思ってるのかな?」とフリーズするというな
男性向けデオドラント業界が必死に、「男性は臭い!ストレス臭!加齢臭!スメハラ!女性に嫌われる!」と煽っても、オタク達はデオドラントに手を伸ばさなかったのに、「DEOCOで女子高生の匂いになれるぞ!」と話題になった瞬間、オタク達がデオドラントを購入し始めたの、まんま北風と太陽なんだよな
千と千尋の神隠しに出てくるカオナシ、小さい頃は「不気味」としか思わなかったけど、30歳非モテ童貞から見ると ・少し優しくされたら惚れる ・アッアッ… ・コミュニケーション手段が乏しい ・上手くいったルーチンをひたすら繰り返す ・他者からの拒絶を受容出来ない と非常に辛いものがあるな。
1人で抱え込んで無理して破滅する人間は「真面目で責任感強い」というより、「他人への不信感から援助希求出来ない」場合が多いんだよな。他人に説明する時の面倒さ/失望されるという恐怖と、苦しみを理解されない/助けて貰えないという諦観が、1人で抱え込み続けるという現状維持から動けなくさせるな
Twitter民、やたら電通案件を嫌い過ぎだけど、電通が無くなったら映画吹き替えで芸能人が使われる事も、クリエイター人間達がステマ漫画を同時UPする事も、靴で酒飲まされて新入社員が自☓する事も、契約結んで金渡しても広告出されなかった&閲覧数水増しで過大請求される事も無くなってしまうというな
「やった後悔より、やらない後悔のほうが大きい」と言うけれど、俺的にはその2つが合わさった「本当はやりたく無かったのに周囲に忖度してやった結果、本当にやりたかった事がやれなくなった後悔」が1番デカい精神的負債になってくるな。
自己肯定感の低い人間が対人関係を築くと、脳に叩き込まれた「調子にのると傷付くぞ」という学習により、ある時から「嫌われる/振られる/失望されること前提に振る舞う」ようになるんだよな。いつか来る破滅の時に備えて保険をかけようと相手の好意を拒絶する事で、自ら破滅を招いてしまうというな。
飲み会で「彼女いないって本当ですか?☓☓さん、お洒落に気を遣えば絶対にモテますよ!」と絡んできた女性に対して、「それは違います。例えば俺がお洒落になったとして、貴方は俺と付き合えますか?」と返して、「えっ、それは、すみません」と完全論破した事あるけど、人生で最も虚しい勝利だったな
“1度にまとまった金は使えない/使わないけど、日常的に少額の金を浪費する事には無頓着で、トータルではまとまった金を出すより高くついてしまう”という貧乏人間にありがちな経済活動の罠、個人的には「ディアゴスティーニ型貧困」と呼んでるな。
自己肯定感が低い人間は自己評価を高めるべく、他者から評価を得ようとするけど、自己肯定感は「自分は賞賛されてる!」ではなく、「自分は褒められはしなくとも存在してていいんだ!」と思える事なので、それは渇きを癒やそうと塩水を飲んでるに等しく、1瞬満たされても直ぐ虚無は襲ってくるというな
「最近オタクコンテンツに触れても楽しくなくなった」という時に、まず疑うべきは「疲労」で、今まで楽しめたものが楽しめなくなった時は、単に疲れてる可能性が大なんだよな。それ故に、この時に「自分はもうオタクじゃない」と判断してグッズ等を処分すると、正常に戻った時に後悔するので注意が必要
親や教師に「真面目で良い子」と評されやすい人間は、要するに「自分の欲求云々とかよりも面倒事になるリスクを背負いたくない」という怠惰な人間でもあるので、いざ成人して自由が与えられると「楽したい」以外の意思や価値観を持ち合わせない人間になりがちだな。
インターネットで、誰かの失態/スキャンダル/マナー違反を発見した途端にワッと群がって、感情や悪意を剥き出しにして石を投げる人間達を見てると、良いも悪いも「公開処刑は庶民にとって最高の娯楽だった」という歴史の話がとてもよく理解出来るな。Twitterは21世紀の三条河原。
ADHDの先延ばし癖で、あまり語られないけど致命的なリスクとして「期限がないタスクには永遠に着手出来ない」問題があるんだよな。具体的には部屋の片付けがそれであり、しかも時間が経つ毎にタスクがしんどくなっていくので、結果として部屋が「散らかってるのがデフォルト状態」になりがちというな。
社会不適合人間の「忙しい」は往々にして予定が詰まっているというよりは、「気合を入れなきゃ出来ないタスクが入っている為、その前後に精神統一する時間が必要」というパターンが多いんだよな。社会適合人間と比して社会的な行動に必要なMP量が多い為、1日の「ターン数」に莫大な差が出るというな。
「今が楽しければ良い!」みたいな生き方してたオタクが、歳をとって若いオタクと話が合わなくなり、心身の衰えで新コンテンツを消化したり現場に行く事も出来なくなる1方、周囲は結婚し子供が産まれ別ステージに行き、気付けば世界に1人ポツンと取り残される。。。そんな怪談があちこちで頻発してるな
先延ばし癖の酷い人間は、往々にして「遊ぶ」のは好きだけど「遊びに行く」のは嫌いという状態になりやすいんだよな。遊ぶこと自体は好きだけど、「これから遊びに行かなくてならない」という外出準備したり時間を気にしたりする状況が苦手過ぎ、行く前には面倒臭さと必死に戦う羽目に陥ってるというな
社会学者カール・レーフラーの調査によれば、成人式や同窓会を忌避する人間は ・ドッジボールでは避ける専門 ・現代文の成績は無勉でも良好 ・基本真面目だが人が見てないところでは自堕落気味 ・少数の友人とは会話出来るが、大人数の他者とは会話出来ない のような傾向が有意に見られたという。
自己肯定感は「自分は優れた人間だ!」と思うことではなく、「自分は優れてなくても生きてていいんだ!」と思うことなので、自己肯定感の低さを他者からの承認で補おうとすれば、「もっと他者から認められる人間にならなければ!」とプライドが高くなり、そして高くなるほど自己肯定感が下がっていくな
自称コミュ障の中には1見社交的なように見える人間もいるけど、その手のタイプは往々にして「陽キャが持っているであろう対人関係を処理するGPUが不全なので、CPUで必死に演算し疑似再現してる」状態なので、終わった後はぐったりするし、コミュ充には意味不明なタイミングで固まったりしがちというな
29歳童貞が女性にLINE送ろうとして分かったのだけれど、「下心を極力感じられないように気楽感を出そうとする」と必ず「おじさんLINE」みたいな感じになるな。おじさんLINEのあの独特のフレンドリーさは隠した下心から、独特のウザさはおじさんの「ビビリ」から来ることを身を持って思い知らされてるな
ADHDの言う「忙しい」は、大体は時間が無いというよりも「些細な用事でも精神的には1大ミッションと捉えてしまう」というのが実態な気がするんだよな。何気ない用事でも先送り癖で面倒に感じてしまい、ダラダラ中でも焦燥感だけは無駄にあって集中出来ず、結果メンタルは「忙しい」状態になるというな
☓声優がどんどん結婚していく △自分がいつまでもオタクをやっている ○就職以降、人生のライフステージ変化(結婚/育児/出世など)が乏しく、生活が同じことの繰り返しになってるので時間に対する体感が鈍麻しており、時が経ってるのを認識出来なくなっている
1人で問題を抱え込んでしまうタイプの人間は、真面目とか責任感が強いというよりも「社会/人間に強い不信感を抱いてる」というのがある気がするんだよな。自分の困難を他の人間に話せば、無能認定され蔑視されるという恐怖や、他人に助力を求めても無駄だろうという諦観が、人間を頑なにさせているとな
人間が絶対やってはいけないのが「暗い気分の時に重大な決断を下すこと」で、人間は負の感情に襲われてる時は思考力/判断力が鈍っていくし視野も狭くなるから、考えれば考えるほど深みにハマり、極端/異様な発想に囚われてしまうんだよな。当然そういう状況で辿り着いた決断は100%間違っているわけでな
コミュ障は、知らない相手とは上手く話せない人見知りとは逆に、知らない相手とは上手く話せるが、距離が縮まる程にギクシャクしてくんだよな。良いも悪いも「万人から嫌われぬよう自分を取繕う能力」が高く、初対面で好印象を与えられるが故に、それからは好感度が下り坂1直線になってしまうというな
急にバックレたり人間関係リセットする人間の特徴は、「愚痴や不平不満が多い」ことではなく「愚痴や不平不満を1切言わない」ことなんだよな。この手のタイプは弱音を吐かないのではなく吐けない生物で、内側の鬱屈を表に出さないからこそ弱っていき、外からはタフなのに急に折れたよう見えるというな
「赤ワインを飲む人間は長生きだ。赤ワインは健康にいい!」→「実は金持ちほど赤ワインを飲むだけ」式の擬似相関に、「朝御飯と成績」「ジャンクフードと犯罪」に続いて「音楽と成績」が加わったけど、これらが毎回「実家の太さは人生の豊かさ」という結論に回収されてくの、本当に厳しいものがあるな
人間、メンタルが本当にヤバイ時は「いつ破綻するか?」という不安に耐えられず、むしろ積極的に物事を破綻させ、ある種の安心を得ようとするバグが起きるんだよな。所謂「試し行動」が典型だけど、その状態の人間が真に欲しいのは「まだ大丈夫」という希望ではなく、「もう駄目」という絶望だというな
TLに流れてくる言及が全て自分の事を指してるように思えたり、「最近、自分は嫌な性格になってる」と思ったり、他の人間の嫌なところがめにつくようになったら、それは「貴方は疲れて精神的余裕が無くなり神経剥き出しの状態になってるから早く休め」のサインな。
怠惰な人間が絶対やってはいけないのが「ギリギリ間に合った」を繰り返す事で、限界までダラダラする人間はギリギリ経験を「これぐらいなら大丈夫」として、更にギリギリを目指すようになるんだよな。8月31日に宿題を1気に終わらせた人間は「31日にやれば間に合うから」と麻痺し、やがて破滅する法則な
ADHD、普段は衝動性が強くてアイディアもポンポン思い浮かぶのに、いざ家に帰って自由な時間が出来ると先延ばし癖で寝る時間限界までダラダラしてしまうので、実質その特性をダラダラしながらアイディアをポンポン投稿出来るTwitterぐらいにしか活かせないというバグがあるな。
社会学者カール・レーフラーによれば、Twitterに入り浸る人間はドッジボールでは「避ける専門」であり、現代文は無勉強でも出来て、教科書より資料集を読み込み、運動神経は悪いのに持久走はまあまあで、小さい頃は真面目と言われたのに大学ぐらいで自堕落になってしまうetcといった特徴があるという。
ADHDの人間は、「入って後悔した事はない」と分かっているにも関わらず風呂に入るのを先延ばししてしまう1方で、「やれば必ず後悔する」と分かっているにも関わらず予定までの少し空いた時間にTwitter/読書/調べ物/ゲームをやり始めてしまうというバグがあるな。
ADHDの「気になる事があると集中出来ない」と「乗り気がしないタスクは先延ばしてしまう」が合体すると、必須タスクの「早くやらないと!」という焦燥に脳を占有されるほど、それと向き合うのが怖くて更に先延ばしてしまい、最終的に手遅れが確定して逆にホッとするという奇異な状況が生まれがちだな。
人間は怒られるほど無気力になる傾向があって、怒られると極端な話「行動する事のリスクが増大して、何もしない方がアドに思える」ようになるんだよな。しかし、その手の人間は傍目には「怒られてこなかったから自主性がない」と判断されて叱責を呼びやすいので、日を追う毎に更に無気力になるというな
「大人しくて優しい」と言われがちな人間は、往々にして「嫌なことを嫌と言うと面倒になりそうだから、限界まで我慢してでも面倒を避ける」という人間なので、いざ嫌が許容値を超えると、もう後先考えるのも面倒になって、「もうこれで終わってもいい。だからありったけを」と怒髪天を衝いて怒り狂うな
自己肯定感が低い人間は、自分を卑下する事で「俺は自分の至らなさを自覚してるので、大目に見て下さい」みたいな保険を張ろうとするんだけど、これやると「こいつは俺達と同等になる気がなさそうだし、尊重しなくても問題無し」と見られてしまい、特にやらかさなくても自然と難しい立場になっていくな
子供の頃に辛い経験した人間は辛さに強くなるどころか、些細な事でも敏感に反応してしまったり、それを想起させる物事に過剰な恐れを感じたりで、逆に弱くなってしまうあげく、周囲からは「辛い経験してこなかったから耐性がない」と判断されるので、辛い経験は基本的に避けるに越した事はないんだよな
ADHDは何故本命タスクを先延ばしして別のタスクに取り掛かってしまうのか?私はその謎に迫るべくインターネットを始めたところ、たまたま目にした/ふと思い付いた別の情報が気になり始めてしまい、気が付けば謎を解明出来ぬまま3時間が経過し、ブラウザのタブ数は2桁に達しようとしていた。