作:レベルの高い合格点をオールウェイズ
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窓から差し込む陽の光で目を覚ます。
鏡の前で姉に寝癖のついた髪を整えて貰い、朝食を済ませた後は近所の友人たちと遊びに行く。午後は姉と共に商店を見て回り、その日の夕飯を決めたら夕日を眺めながら手を繋いで家へと帰る。
平凡で何の面白みもない、そんな退屈な毎日が今後も続くと私は信じて疑わなかった。
思えば、何か予兆が無い訳ではなかった。
隣町から日用品を売りに来る商隊の到着が遅れていたり、多くの家畜がその日は何処か落ち着かない様子だった。
たまにはそんなこともあるのだろうと私が楽観視していなければ、姉は今でも生きていられたのではないか。
そんなことは考えても無駄だと先生は言ったけれど。
タラレバだろうと、もう起こり得ない妄想だろうと。
私はその考えを捨てずにはいられないのだ。
それだけ私は、あの日何も出来ずにいた無力な己を呪っているということだろう。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ハァッハァッ......」
今や見る影もなくなった街並みを横目に、アルトはひたすらに石畳の上を駆ける。全身を真っ赤に染める血は自らのものではないため走ることに支障はないが、周囲の喧騒や飛来する瓦礫などを気にしている余裕はない。唯一気にかけていた姉だって、既にこの世からはいなくなってしまった。
『生きて』
姉が最期に残したこの一言が、朦朧とした意識の中でも未だ鮮明に脳内で呼びかけ続けている。僅かな期待を抱いて後ろを振り返っても、仏頂面でこちら窺う姉はもう二度と見ることは出来ない。拭っても拭っても流れ続ける涙を無視し、とうに限界を超えている体で街の出口を目指す。
暫く走り続けたアルトは、ようやく街の外へと繋がる門に辿り着いた。脚は力が入ってるのかどうかさえ分からないほどに疲弊しており、立ち止まるとガクガクと震え始める。心臓は激しく鼓動していて今にも破裂してしまいそうだ。アルトは数秒膝に手を置き息を整え、周囲の様子を窺おうと背後を振り返ると────
大口を開けてこちらに飛び込んで来るワイバーンが目の前に迫っていた。
ここで死んでしまうのか、もうそれでも良いかと半ば諦め、静かに目を閉じる。しかし、いつまで経ってもワイバーンの牙による痛みはやって来ない。不思議に思って目を開けると、そこには一人の女が立っていた。
「無事かな、少年?」
いつの間にか目の前に立っていた女は、血のように赤いロングヘアをたなびかせ、茶色のトランクバッグを肩にかけてこちらを見下ろしている。高い鼻に長いまつ毛、加えてシミひとつない白い肌。どれをとっても欠点など存在しないような完璧な存在に、アルトは絵本で読んだ天使の姿を幻視する。
その背に翼なんて生えておらず、無地の白シャツにジーパンというかなりラフな格好の女を眺めていたアルトの身体からは無意識の内に力が抜けていき、首の皮一枚繋がっていた意識もそこでプツリと途切れた。
ーーーーーーーーーー
小鳥の鳴き声で目が覚める。ベッドの上で仰向けに横たわっているアルトは、先程まで見ていた景色が夢なのでは無いかと思って体を起こそうとしたが、無理して動いたため身体中の骨や筋肉がこれ以上動くなと悲鳴をあげた。身体に走った痛みに呻いていると、アルトは自分に近づいて来る足音に気がついた。
「やっと起きたのね」
その声に意識を現実へと引き戻されたアルトは、姿勢はそのままに目線だけを動かして声の主を探す。するとベッドから少し離れた位置の椅子に、倒れる寸前に見た赤髪の女が座っていた。ここに来てようやく先程の出来事が現実だと確信したアルトは、僅かに期待していた甘い夢がガラガラと音を立てて崩れ落ちていく音を聞いた。絶望の表情を浮かべるアルトの様子にある程度の事情を察した女は、頭を優しく撫でてやる。
しばらくしてアルトが落ち着いたことを確認してから、女はこれまでの経緯を話し始めた。
「少年、自分の名前はわかる?」
「.......アルト・シーズリアです」
「それじゃあアルト。三日前、君の街がワイバーンの群れに襲われた。ここまではいいかしら?」
「.......私は三日も眠っていたのですか?」
「そうなるわね。それと生存者についてだけど.......今のところ君以外は見つかっていないよ」
「そう、ですか」
それほど広くないこの街で三日経っても見つからないということは、アルト以外の者たちは皆死んでしまったと考えるのが自然だろう。予想通りの内容だったためショックは些か小さく、納得の気持ちが大きいが、それでも悲しみが無いわけではない。買い物先の八百屋の店主や隣家の老夫婦、よく遊んでいた同年代の友人たちも、姉と同じくもうこの世にはいない。
アルトは僅か8歳にして天涯孤独の身となってしまった。
「街の外に知り合いなんかはいないの?」
「わかりません......私には姉さんしかいませんでしたから」
「そっか」
女は平坦な声で返事をし、顔を俯かせるアルトの頭から手を離す。
「それじゃあ......これから君はどうする?」
「どう、する?」
「これから先どうやって生きていくか、ということよ。普通なら国の孤児院に入ったりするしかないのだろうけど、私はそこにもう1つだけ選択肢を増やしてあげられる」
女はアルトに向かって指を立て、ある1つの提案をした。
「アルト、私と一緒に来ない?」
「なぜ.....」
女とアルトはまだ出会って3日。しかもその殆どをアルトは寝て過ごしていたため、女とは会話すら数分しかしていない、いわば赤の他人。そんな人物からの提案に、アルトは驚きと警戒、そして自分でも気づかないほど僅かな期待を滲ませながら理由を問う。女は立てていた指をアルトの眼前に持って来て、その問いに答えた。
「君のその目よ」
「目?」
「そう。何もかも諦めたようなその目が、私は心底気に入らない。ましてや君みたいな子供がして良いものじゃない」
眉間にシワを寄せながらそう答えた女は、呆然とするアルトを他所に椅子から立ち上がり話し始めた。
「この世界では、ヒトの命は吹けば飛ぶように軽い。モンスターはもちろん、病や飢餓など命を脅かす存在で溢れている」
窓辺へと歩きながら女は続ける。
「でもヒトは弱者だからこそ力を合わせ、肩を寄せ合い懸命にその命を繋ごうとする。モンスターに打ち勝てるように力をつけ、二度と病に怯えぬように薬を作り、飢餓による死者を出さぬように隣人と手を結ぶ.....そうやって、ヒトはここまで成長してきた」
女は突然振り返ると、両手を広げながら晴々とした表情でアルトに語りかける。
「そんな無限の可能性が!この世界には溢れんばかりに満ちている!考えただけでもワクワクしてこない!?これ程面白いことを知らずにただ淡々と生きていくだけなんてもったいないと思わない!?」
女の熱量に圧倒されたアルトは何も言えずに話を聞いていたが、段々と胸が熱くなってくる。キラキラと目を輝かせている女は、顔を俯かせているアルトに再度問いかけた。
「それで、アルトはこれからどうする.......いえ、どうしたい?」
「わた、しは......」
脳裏をよぎるのは、自分を庇ってモンスターの牙に貫かれる寸前の姉の顔だ。その表情は、別れを惜しんだり、これから訪れるだろう死に怯えたりするものでは到底無かった。
────笑っていたのだ
アルトの姉は、自らに迫る死を目前にしながらも、弟の身を守れたことを心の底から喜んでいた。
産まれたときから常に一緒にいるアルトですら、姉があれほどの笑みを浮かべたところは見たことがない。なにせ、姉が住民たちから好かれていなかったのはその仏頂面が原因で、変にプライドが高かったため住民とのいざこざも絶えなかった。そんな姉を持つアルトに周囲の人たちは同情の視線を向けていたが、アルト自身は姉と生活することを微塵も苦には感じていなかった。
何故なら、アルトは知っていた。
どれだけプライドが高く愚痴ばかり言っていようとも、姉はアルトに対しての文句だけは一度たりとも口にしなかった。アルトを叱ることはあっても、怒ることは決してなかった。
朝から晩まで働き詰めで、一日の中でおよそ休憩と呼べる時間は朝晩の食事の時間と夕方の買い出しの時間のみ。年頃の女子なら喉から手が出るほど欲しいだろうドレスやアクセサリーなどには見向きもせず、布の切れ端で手作りしたツギハギの質素な服を着て、稼いだ金のほぼ全てをアルトのために使った。自分のことなど一切顧みない姉の姿を心配したアルトは何度も止めようとしたが、その度に軽くあしらわれて話を逸らされる。そんな姉は、ついにその命すらアルトのために散らした。
自分なんかのために何故それほど自らを犠牲に出来たのか。
アルトにはそれがわからない。大切にされていた自覚はあった。しかし、そこまで深く愛されていたのかと問われると、少し答えを躊躇ってしまう。
アルトが知る由もないが、彼女は両親が流行り病で死に、これから弟を養っていかなければならないとなった6年前に一つの誓いを立てた。
『自分の何を犠牲にしてでも、弟を立派な人間に育て上げる』
この誓いを胸に、睡眠や娯楽の時間を削って汗水垂らして必死に働き、家に帰って家事もこなす。辛い、辞めたいと思うことは数え切れないほどあっただろう。しかし、普通の者だったら耐えられないだろうこの苦行を何年もこなしていながら、女が自分の運命を呪うことはついぞなかった。
弟の幸せが、自分の幸せ。
そう迷いなく断言できるほどに、女はアルトのことを愛していた。しかし、生来の不器用さから女がアルトにこのことを告げることはなかった。『愛している』の一言さえ、アルトに直接告げたことはない。
故に、今のアルトに姉の真意はわからない。しかし、姉がいたから今の自分がいるという事実だけは変わらない。そのことを再確認したアルトは、瞳に浮かべた涙を乱暴に拭うと女の目を正面から見据えた。
「今の私には金銭の類はもちろん、学もなければ力もない。でも一つだけ.......姉が救ってくれたこの命だけは、確かにここにある。私はこの命を使って何かを成し遂げたい」
「その成し遂げたい事っていうのはどんな────」
「わかりません」
質問を遮るように食い気味に答えられた女はずっこけそうになったが、アルトは気にした素振りを見せない。今の彼の目に映るのは、先程までは欠片も考えていなかった"明日への希望"のみだ。
「わからないなら学ぶ、何も無いなら探す.......そうやっていけば、こんな私にも出来ることがきっと見つかると思うのです」
そう言ってアルトは胸に手を当て、改めて女の目を見て語りかける。
「実際に目で見て耳で聞いて、私は成すべきことを見つけたい。そして、私が生きていてよかったと────姉が私を救ったことは確かに意味のあることだったのだと、この世界に証明したい。だから、お願いします。私を貴女について行かせてください」
女は体を起こして頭を下げるアルトの姿に笑顔を浮かべ、
「その返事を待ってたわ。でも一から全部手伝うわけじゃないから、身の回りの事なんかは自分でするのよ」
もちろんだと大きく頷くアルト。むしろそれくらいは自分でやらなければ申し訳がたたない。何か恩返し出来ることはないだろうかと悩んでいたところ、アルトは一つ重要なことをを思い出した。
「そういえば、貴女の名前を聞いてませんでした」
「私、自分の名前好きじゃないの。だから君の好きに呼んでいいわ」
「なら......."先生"と」
「ん!それじゃあ貴方の身体が治り次第出発するから、早く治しなさいよー」
手をヒラヒラと振りながら部屋を出て行く先生を見送り、アルトは少しでも早く体力が回復するよう再び眠りについた。
ーーーーーーーーーー
それから数日後、アルトは女と共に姉の墓前にやって来ていた。周りには他の住人たちの墓も点在しているおり、街のそばの丘上に建てられたその墓たちは、既に崩壊した街や近くの川などの周囲を見渡せるように工夫が施されていた。
しばらく手を合わせていたアルトはおもむろに立ち上がると、背後で待っていた女の元に歩み寄る。それに気づいた女は、咥えていたタバコの火を消してから携帯灰皿にしまった。
「葉巻.....ですか?似合いますね」
「あ〜、タバコって言うのよ。手持ちが少ないからたまにしか吸わないんだけどね」
タバコをしまった女は片手に持っていた花束をアルトの姉の墓前に備え、数秒手を合わせてから立ち上がった。
「.....ありがとうございます」
「まあ、たった一人の弟さんを預かるんだから最後に挨拶ぐらいはね」
「花束のこともそうですが、私を連れて行ってくれることや他の人達の墓作りをしてくれたことも含めてのお礼です.....改めて、ありがとうございます」
「あーあー、もう辛気臭いのは無し無し!そんなことより早く出発するわよ。次の街に着かなきゃご飯食べられないんだから」
そうして、未来に向かって歩む一人の少年と、その少年とたまたま出会った放浪人兼魔法使いの女は街を去って行った。その後二人がどうなったかは、当人たち以外に知る者はいない。未だ旅を続けているか、はたまた何処かで野垂れ死んだか........
ただ、こんな辺境の地の墓たちが未だ清潔な状態を保っているということは、定期的に掃除をしに来る者がいるということなのだろう。果たしてそれは、見知らぬ墓を掃除しに来る何処ぞの物好きか、或いは────
ーーーーーーーーーー
「し、死んでしまう.....」
ある日の夕暮れ時、一柱の女神がオラリオ東部の路地裏を彷徨っていた。
3日前に地上へと下りてきたこの女神は、下り立ったその日に天界から路銀代わりに持ってきていた宝石をうっかり落とし、無一文の浮浪者と成り果てた。
この3日で口にしたものは運良く空から降ってきた雨水のみ。不憫に思った住人が食料を渡そうとしてくれたことはあったが、女神としてのプライドが許さず一切受け取ろうとしなかった。
しかしそんな状態がいつまでも続くわけもなく、ついに女神はその場に座り込んでしまった。
「本当にそろそろまずい......他の神に頼る?いや、ダメよ私。こんな情けないところを友神に見せるわけにはいかないわ......」
「────大丈夫ですか?」
下界の子供たちの手を掴むことも、天界にいた頃から付き合いのある友に頼ることもできない女神がもうダメかと諦めようとしたその時、突然頭上から声をかけられる。見に覚えのない女神は、警戒しながらもその顔をゆっくりと上げた。
そこにいたのは、およそ下界で生まれ育ったとは思えない美貌を持つ中性的な子ども。恐らく少年だと思われるその子どもは、壁を背もたれに座り込む女神を心配そうに見つめている。思わず思考が止まり、口をぽかんと開けて見つめてしまうが、少年も女神の顔を見たことで、自分が声をかけたのは神だったということに気づいて驚いている。
二人がしばらく見つめ合っていると、ぐぅ~という大きな音が路地裏に響いた。
音の出どころである女神は顔を赤くして俯いてしまい、その仕草で事情を察した少年はついさっき露店で買ったばかりのパンを女神に差し出す。
「良ければどうぞ食べてください」
「ほ、施しは受けないわ.....!」
震えた声で拒否する女神に少年は困ったように笑い、顎に手を当てしばらく悩むと名案が浮かんだのか、顔をほころばせて女神に語りかけた。
「このパンを貴女にあげます。その代価として、貴女は私に恩恵を刻んでください。もちろん、悪しきことに力は使わないとここに誓いましょう」
「恩恵.....?」
「ええ、そうです。もし宜しければ、私を貴女のファミリアに入れてくれませんか?」
そうすれば、施しになどなりはしないでしょう?
そう言って少年は微笑み、女神は迷うことなく差し伸べられた手を掴んだ。
後に女神は語る。
あれ完全に立場逆だったわよね、と────