作:レベルの高い合格点をオールウェイズ
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『ダンジョン』と呼ばれる地下迷宮を保有し、その上に居を構える大都市、迷宮都市オラリオ。世界の中心とも称されるこの街ではヒューマン含めあらゆる種族の
カジノや劇場といった娯楽施設が集中している地区や、鍛冶屋や道具店といった冒険者に欠かせない地区などその区画ごとに特色は様々だ。共通していることと言えば、大勢の者が利用して連日人が絶えず賑わっているということだろうか。
しかし、そんなオラリオにも例外となる区画が一つだけ存在する。
賑わいなんて言葉とはかけ離れた、暗く、静かな区画が────
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とある日の夜、一人の女が街を歩いていた。
季節が冬ということもあり、女は肩が露出するような漆黒のドレスの上から更に黒いコートを羽織っている。夜の闇に溶けるようなその服装は、月の光を反射するように光る艷やかな灰色の髪をより引き立たせる。加えてその顔は男女問わず見惚れるほどに整っており、閑散としたこの住宅街には不釣り合いな程に美しい。
女が今歩いているのは、オラリオ南東に位置する住宅街────ダイダロス通り。迷宮街とも呼ばれるこの地域は度重なる区画整理で道や家は乱雑に存在しており、慣れている者でも案内印を無視するとたちまち迷ってしまうほどに複雑な造りになっている。加えて住人も少なく、住んでいたとしてもその殆どは貧困層に位置する者たちだ。
そんな街を夜遅くに一人の女が歩く。誰もが悪漢などに襲われる危険があると心配することだろう。しかしその女の名を聞けば、たちまち心配の対象は女から悪漢の方に移ると断言出来る。
【静寂】という二つ名を持つLv.7の実力者であり、他の追随を許さぬその圧倒的な戦闘の才能と強さから『才禍の怪物』と恐れられているその者は、世界で知らぬ者などいないほどに有名な冒険者なのだから。
「こんなところに酒場か......?」
道を歩いていた女は、『営業中』と書かれた看板を見上げ足を止めていた。女が今いる場所は路地裏と呼ぶほど狭まった場所では無いが、オラリオ中心街のストリートなどと比べれば遥かに狭い道だ。加えて、ここはダイダロス通りの中でも周囲から隔離されたかのように人が少ない区域。そんなところで営業中の食事処を発見するなど、胡散臭い以外の感想が出てこないのも当然というものだろう。
「
周囲の人間には冷徹であると思われている彼女は、それでも冒険者としての誇りを捨てた訳では無い。女は面倒臭そうにため息を吐いた後、周囲の建物よりも比較的新しく造られたであろう木造二階建てのその建物に近づき、金属製のドアノブを掴むと静かに押し開けた。
店内は外観よりもはるかに小綺麗な空間で、天井に吊るされた明かりが店内を淡く照らしている。それほど広いという訳ではなく、5つのカウンター席とテーブル席を含め30人入るかどうかといったところだろう。
ドア上に設置されたベルの音に耳を傾けながら、女はしばしこの空気に身を委ねていた。すると、カウンター奥に広がる厨房から階段を登るような音が聞こえてきた。警戒心を強め、音が聞こえる方向へと体を向ける。数秒後に厨房奥の階段から現れたのは一人の男だ。
黄金色に輝く金糸のような長髪を後ろで束ね、黒スーツを身に纏ったその男は、顔立ちや肢体の細さから一見すると女性に見えてしまうほどに中性的で美しい容姿をしている。事実、女もその者の性別の判断に迷っていた。しかし警戒する女を気にした素振りも見せず、男はおもむろに口を開く。
「いらっしゃいませ。おひとりでしょうか」
「.....は?」
「カウンター席でも宜しいですか?」
「おい待て、勝手に話を進めるな。そもそも貴様は何者だ」
まるで普通の料理店のように案内をしようとする男に、思わず女は待ったをかける。男は首を傾げた後、不思議そうにしながらも軽く頭を下げた。
「アルト・シーズリア、しがない料理人です」
「......ではアルト、貴様
警戒するような目で見られることを不思議がっていたアルトは、女の質問を聞いてようやく得心がいったように数度頷いた。
「そうですね。我が主神は少々困った方ではありますが、私共々悪しき行いをしているというわけではないです」
「ふむ..........そうか、邪魔をしたな」
女は
あてが外れたかと店を出ようとする女に、今度はアルトから声がかかる。
「待ってください。せっかくですから何か食べていきませんか?」
「生憎だが、今は金を持っていない」
「ちょうど夕食を作ろうと思っていたところなので、お代はいりませんよ」
「..........そこまで言うなら頂くとするが、流石に無料という訳にはいくまい。金は、後日また持ってくるとしよう」
少しの間悩んだ女は、興味本位でアルトの誘いに乗ることにした。その返答に僅かに微笑んだアルトは、女に席を勧めた後に厨房へと向かう。壁にかけてあったエプロンを手に取り、それを身につけながら女へと一つの質問をした。
「そういえば、お名前を伺っていませんでしたね」
「アルフィアだ。呼び捨てで構わん」
「わかりました、アルフィア」
◇◇◇◇◇◇
エプロンを身につけたアルトは、まず初めに革手袋を外すと丁寧に手を洗い始める。次に清潔なタオルで手の水気を拭き取り、冷蔵庫から牛乳を取り出し円柱状の機械のようなものに入れボタンを押すと、奇妙な音を発しながら動き始めた。それを不思議に思ったアルフィアは、手慣れた様子で厨房を動き回るアルトへと声をかける。
「アルト、それはなんだ。魔道具か?」
「はい、私の自信作です」
アルト自身が制作したものと聞いて、驚いたアルフィアは目を見開いて魔道具からアルトへと目線を移す。只者ではないと思っていたが、"神秘"持ちはさすがに予想外だ。というのも、このオラリオで魔道具が制作出来る"神秘"の発展アビリティを持っている者は両手で数えられる程しか居ない。そんな貴重な人材がこんなところで料理店を営んでいるなど、誰が予想できるだろうか。
アルフィアは少し感心したようにアルトの背中を眺めるが、当の本人はそんな様子に気づくことも無く調理を続ける。
再び冷蔵庫へと近づいたアルトは、そこから野菜類と鶏もも肉を取り出した。まな板の上に並べられたのは、大量のじゃがいもや人参、玉ねぎたち。アルトはそれらを一般人では認識出来ぬだろう程の早さで次々と下処理を施していく。軽く洗ってから皮を剥き、それぞれに適した形に切るアルトの手際はまるで魔法でも使っているかのようにスムーズで、アルフィアは一切目を離すことなくその工程を眺めていた。特に野菜が高速で回転してスルスルと皮が剥かれていく様は、見ていて何とも気持ちが良い。
切り終わった野菜は金属製のボウルに入れ、水に浸してしばらく放置する。その間に、これまた大量の鶏もも肉を一口大に切っていく。それも終えると、今度は棚から寸胴30セルチ程の大鍋を取り出し、油を敷いてから火にかける。鍋の上に手をかざして鍋が温まったことを確認したアルトは、そこで肉を炒め始めた。パチパチと油が跳ねる音が、小気味良くアルフィアの耳を刺激する。
数分後に炒めた肉を器に取りだし、今度はアク抜きが終わった野菜を鍋へと入れていく。玉ねぎがしんなりしてきたところで、冷蔵庫から取り出された大きなバターが鍋へと放り込まれ、そのすぐ後に小麦粉も追加された。火を弱火にしたアルトは、小麦粉が焦げないように丁寧に具材を混ぜ合わせ、小麦粉が透明になったことを確認したら、今度は牛乳を数回に分けて鍋へと投入していく。
店内に充満していくバターや牛乳の匂いに、アルフィアの鼻は多幸感に包まれる。その時気を抜いてしまったことで、店内にくぅ〜とアルフィアの腹の音が響いた。思わず両手で腹を押え、頬をほんのりと赤く染めたアルフィアはチラリとアルトの顔を覗き見るが、アルトは調理に集中しているようで気づいた素振りは見られない。安心したアルフィアはひとつ咳払いをした後、再び調理を眺め始めた。
牛乳を全て入れ終わった後、最初に牛乳を入れておいた魔道具────遠心分離機から生クリームを取り出し、回すようにして鍋へと入れて弱火でじっくりと煮込んでいく。その間に小さめのオーブンへと丸パンを四つ入れ、ひねりを回す。鍋の方は塩で味を調え、コトコトと鍋のフタが揺れ始めたら完成だ。
◇◇◇◇◇◇
やっと出来たか早く寄越せ、などと言いたくなるがここは我慢。ガッツいていると思われたくないアルフィアは、椅子に深く座り直し、アルトが料理を皿によそっている姿を横目でチラリと確認する。
チン、というトースターの音がパンが焼けたことを知らせる。アルトは皿を二枚取りだし二つずつパンを乗せると、ひと皿をアルフィアの前に、もうひと皿はトレーの上に置く。その後すぐに、アルフィアの元に木のスプーンと料理が運ばれてきた。
「待たせしてしまって申し訳ありません。チキンクリームシチューになります」
皿によそわれているのは、誰もが一度は食べたことがあるノーマルタイプのホワイトシチュー。盛り付けによる見栄えは良いが、別に特別な具材を使っている訳でもないただのシチューなのに、何故か無性に空腹をそそられる。
シチューから目を奪われ心ここに在らずのアルフィアだったが、アルトから声がかかったことで意識が現実へと帰還する。
「私は同居人にこちらを届けなければいけないので、暫しここを離れます」
「あ、ああ。わかった」
アルフィアはシチューとパンの皿を乗せたトレーを持って厨房奥の階段へと去っていくアルトを呆然と見つめ、姿が完全に見えなくなったところでスプーンを握った。白い湯気が立ち昇り、見るからに熱そうなシチューへとスプーンを入れて持ち上げる。アルフィアは持ち上げたシチューを眺めてから数度息を吹きかけ、ようやく一口目を口に入れた。
「ッ!」
瞬間、アルフィアは時が止まったかのように動かなくなった。別に想像より熱くて驚いたというわけではない。その証拠に、彼女は最愛の妹の前でしか見せないような優しい笑みを浮かべている。料理を食べただけでこのように柔らかい表情を浮かべるなど、彼女を知る者たちが見たら卒倒ものだ。つまり今の状況は、それだけの衝撃がシチューによってアルフィアへともたらされたということに他ならない。
まろやかながらもしつこくないミルクとバターの味が、溶けた玉ねぎによってより繊細に感じられる。味付けが塩だけということが、ミルクの味に負けることなく野菜や肉から出る旨味を最大限感じられる要因だろうか。
一口目をじっくり味わったアルフィアは、次に具材にも手を伸ばした。
外側がシチューによって溶けながらも、中はホクホクとした食感の残るじゃがいも。
シチューに鮮やかな色合いを足す役割をこなしながら、その甘さで味に飽きを来させない人参。
スプーンで軽く触れると簡単にほぐれるほど柔らかく、しかし噛めば噛むほど旨味が出てくる心地良い食感の鶏もも肉。
アルフィアは食に疎いところがあるが、このシチューは今まで食べた料理の中でダントツに美味いと断言できる。
かなりの速さながらも、見惚れるほどに美しいマナーでシチューを食べ進めたアルフィアは、しばらくすると皿が空になったことに気づく。他の存在を忘れるほどに1つのことに夢中になるという自分らしくもない失態に思わずやってしまったと肩を落とすと、ここにいるはずのない男から声がかかった。
「お代わりもありますよ」
彼が戻ってきていたことに気づけないほど無心でシチューを食べていたと気づいたアルフィアは、羞恥によるいたたまれなさで思わず手が出てしまいそうになるが、そこはグッとこらえて代わりに皿を差し出す。
「山盛りだ」
「そこまで美味しそうに食べてもらえるのは、やはり料理人冥利に尽きますね。私からしたら非常に嬉しいことなので別に恥ずかしがらなくても────」
「五月蝿い」
開き直ったアルフィアに、アルトは薄く微笑みながら自らの考えを述べようとする。しかしその発言によって彼女の頬は更に赤く染まり、言い終える前に罵倒によって言葉は遮られた。普通に考えれば理不尽極まりないことだが、当の本人は魔法を使わなかっただけありがたいと思え、などと鼻を鳴らしている。
アルトはそんな彼女の返答に肩をすくめ、再び盛り付けたシチューを先ほどまでは無かったペッパーミルと共にアルフィアの前に置いた。
「黒胡椒をかけると味わいに更に深みが出ますよ」
アルフィアは言われた通りに少量の胡椒をかけ、一口食べてみる。すると、先ほどまでは感じなかったツンとした辛みが口内に広がった。辛み自体はあまり強いものではないが、その少しの刺激がシチューの旨味を更に引き立たせる。
二口目を食べようと再びスプーンをシチューにつけるが、ここでパンの存在を思い出したアルフィアは、今まで触れすらしなかった丸パンへと手を伸ばす。数分の時間は経ったが未だパンは温かいままで、一口大にちぎったパンを、まずは何も付けずに口に入れた。パリッという音と、噛むと感じられるモチモチとした食感が何とも心地良い。何もつけていないため味は小麦によるものだけだが、その繊細な味はそのまま食べていても十分に美味だと思える。
「美味いな.....どこの店のものだ?」
「私の手作りです」
「なるほど.....」
シチューは無理でも、このパンだけなら
少し残念そうにするアルフィアに気づいたアルトは、その原因におおよその当たりをつけ一つの提案をした。
「良ければ、幾つか持ち帰りますか?」
「良いのか?」
「はい。そのパンなら幾つも常備してあるので、好きなだけ持っていって構いません」
「........ありがたい。必ず金は持ってくる」
「まあ、あまり気にしないでください」
特段金に困っていないアルトは料金については一切気にしていないが、アルフィア自身が申し訳ないと感じているなら受け取った方が良いと判断し、後日渡してきたら素直に受け取ろうと心に決めた。
持ち帰りのパンに目処がたったアルフィアは再び食事に意識を向ける。シチューにパンを付けて食べると、そのまま食べるのとはまた違った味わいがある。シチューに付けたパンはどちらの味もマッチしていて非常に美味しく、普通に食べるよりも腹にたまる。
アルフィアはそのまま料理を食べ進め、ようやくスプーンを置いた頃には、シチューを3杯とパンを6個も食べ終えていた。
椅子の背もたれに寄りかかり、天井を見上げて大きく息を吐いたアルフィアを横目に、アルトは空になった皿を片付けている。
アルトが皿や調理器具などを洗い終えた頃には、アルフィアもちょうど良い具合に食後の余韻を楽しみ終えていた。
「パンは幾つ持ち帰りますか?」
「2つ........いや、4つ貰おう」
要望通り4つの丸パンを紙袋に入れたアルトは、その袋をアルフィアに手渡す。袋を受け取ったアルフィアはあまり長居するのも迷惑だと考え、店を出ようと席を立った。
「では、私はもう帰るとしよう。代金を払いにまたここに来たいのだが、いつ頃なら都合が良い」
「夕方頃からこの時間までなら基本的に毎日店は開けているので、そちらの都合のいい日で構いません。それと、次来る時も是非また何か食べて行ってください。もし宜しければ、そのパンを渡す人と共に」
アルフィアはアルトの提案に微笑みを浮かべ、一度大きく頷いた。
「そうだな.........なら、次はあの子と二人で来るとしよう」
「はい。またの来店をお待ちしてます」
ドアを開いて去っていくアルフィアを、アルトは頭を下げて見送った。
外に出ると周囲の景色や気配の無さも相まって、アルフィアはこの数時間の出来事がまるで幻であったかのように思えた。しかし後ろを振り返ると、確かにそこには今までいた店がある。
アルフィアはここ数年久しく感じていなかった程の多幸感にその身を包まれながら、店に入る前よりも僅かに軽くなった足を