原発事故から14年。「放射線による死者はゼロ」健康被害を科学的に検証すると #知り続ける
2011年3月、東日本大震災で福島第一原発事故が発生した。1号機、3号機、4号機の原子炉建屋で水素爆発が起こり、大量の放射性物質が大気中に放出された。未曽有の事態に被災地のみならず、日本中が大きな不安に陥り、首都圏でも放射性物質の影響を恐れた人が少なくなかった。だが、あれから14年、放射線を原因とする死者はゼロだという。あの事故での放射線による健康への影響はどれほどだったのか。福島での県民健康調査を担当するトップのほか、関係各所を取材した。(文・写真:ジャーナリスト・小川匡則/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
「放射線の線量は気にしていません」
2011年3月12日、福島第一原子力発電所の1号機の原子炉建屋で水素爆発が起きた。14日には3号機、15日には4号機でも同様に水素爆発が発生。大気中にはセシウムなど大量の放射性物質が放出された。 当時、飯舘村の役場職員をしていたAさんは、こう振り返る。 「(原発から北西の位置にある)飯舘村はほとんどが30キロ圏外です。事故発生当初は、(原発が立地する)浜通りの住民の避難先として受け入れる体制をつくっていました。それが3月21日になって、水道水を飲まないよう、呼びかけがありました。基準を超える放射性ヨウ素が検出されたというのです。そのときから『ここにも危険が及んでいるのか』と不安を感じるようになりました」 4月22日に村全域が計画的避難区域となり、村民の9割以上が福島市を中心に村外へと避難した。Aさんも福島市へと移って、生活することになった。 飯舘村の避難指示が帰還困難区域を除き解除されたのは2017年3月。震災前の人口は約6500人。現在、住民基本台帳上は約4500人の住民がいるが、実際に帰還した人は1200人弱にすぎないという。Aさんは現在も避難先の福島市に居住し続けており、飯舘村にある自宅には定期的に訪れる程度だという。
Aさんが帰還していないのは子どもの学校の関係であって、放射線の問題ではないと語る。 「生活圏はしっかりと除染されているからです。飯舘の人と話をしても、放射線の話題が出るのは『山奥で取れるキノコは線量が高いから食べられない』という程度。他の村民の方でも放射線の線量が気になって戻らないという人はごくわずかでしょう。大半が生活の利便性による理由だと思います。放射線の線量は気にしていません」 原発事故から14年。被災地でも放射線に対する不安は薄れている。それは、原発事故による放射線の影響が出ていないことが明らかになってきたことも理由の一つであろう。 重要なことは、放射線の被ばくによる死者は一人も出ていないということだ。