お笑い芸人で笑わない人たち
お笑い芸人のコントを見ても心から笑うことはない、そういう人間はじつは私以外にも結構いるのではないだろうか?そしてじっさい、相当数いたので、我々の感覚を説明し、相互理解を目指して記事を書く。
なぜ漫才は笑えないか
他人を笑わせようと周到に用意し、舞台に立つ、その時点で、背後にある“作為”が透けて見え、シラけてしまい心から笑うことができない、これに尽きる。
私にとって、ユーモアとは与えられるものではなく、こちらから能動的に“見いだす”べきもので、要は一方通行であってほしい、そういう感覚が常にある。
もちろん、クスっと微笑が起こることはあるのだが、あくまでそれらは落語や笑点の延長上にある気がしていて、うまいとは思うも爆笑にいたることはまずない。とくに最近の漫才批評なども、往年の落語批評じみてきたな、と感じる。
この傾向を自覚した経緯
もともと、この記事を書こうと思ったのは2024年末のM-1(漫才コンテストみたいなやつ)のトレンドの最中のこと。私はいわゆる淫夢厨(ゲイポルノを視聴して笑うカス、インターネット生態系の底辺分解者)のフォロワーが多いのだが、彼らがまったくM-1に関心を示していないことに気づき、一般的なユーモアと、インターネット的ユーモアの差異について考えはじめるに至った。
そういう人間が心から笑えるもの
“ウケ”というものを一切狙っていない、素朴な人間の失敗、あるいは状況。私にとって、ユーモアというのは誰に示されるでもなく、こちらから見いだすもので、向こうから与えられた瞬間にユーモアの格が下がってしまう。ちょうど、執着を捨てようとした瞬間に、執着を捨てたいという執着が発生するがごとく、笑わせようとした瞬間にそれは笑えなくなる。
勘違いしないでほしいのは、漫才やコントが退屈だということではなく、生来の傾向としてそうなってしまっている、というただそれだけのことである。優劣はなく、逆張りをしているわけでもない。
インターネットミームのほとんどは、ウケを狙って作られたものではなく、演者やネタ元はだいたいの場合真剣だ。古くはガチムチパンツレスリング、淫夢、匿名掲示板のキショいコメントなど、他人を笑わせようと発信されたものではない。そしてこれらを加工するMAD職人のような連中も、クッソ雑に作っているほどよく、作後の喝采などどうでもよいという姿勢がハッキリしてるほうが笑える。
籠池のこれも、インターネット的ユーモアの好例だと言える。というより、ネット民が面白がるミームはだいたいこの傾向をもつ。
淫夢関連コンテンツを面白がる連中に対して、同性愛差別だとする意見もあろうが、淫夢厨の大半は、本記事で説明したような「笑わせようとする意図の無さ」を面白がっている。
もちろん、真面目な人を笑うことはイジメ的であり、不快感情を向けられるのも当然で、それゆえに社会的立場のある個人・企業は淫夢ネタを避け続けるわけだが、しかし、そういうものでしか笑えない連中は意外に多い、それだけははっきりと、真実を伝えておきたかった。おわり。
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コメント
5自分はどちらか片方の支持者でもなければアンチでもない、どちらでも笑えるタイプだと思っている。
ネットミーム的な笑いはテレビという老若男女が見るものではないニッチなことをやっている優越感、コンプラというフィルターで加工しなければならない作為的な笑いではなくイジってはいけないタブー(例:同性愛、宗教、某弁護士等)を笑いにするという背徳感が楽しいのかなと思ったり。
大変興味深く拝見させていただきました。
一つ疑問に感じたのですが、私は淫夢を好んで視聴しながら、ジャルジャルやロバートといった芸人も嗜んでいます。両者の共通点としてシュール・ナンセンスな笑いというジャンルの一致が存在するためと感じているのですが、ALISON様やフォロワーの淫夢厨様はジャンル問わず全ての芸人で笑えないのでしょうか。
また、お笑い芸人とは違うのですが、作為的にウケを狙うコンテンツとして「オモコロ」も大変好ましく感じています。これについても、インターネットミームを扱う・シュールな笑いであるという共通点や、淫夢厨とオモコロファンの層は一部重複しているという指摘を目にしたこともあり、切り離せない関係にあると感じているのですが、これについてもどのようにお考えか、非常に気になります。
中国人の若者の10人に1人は淫夢厨といわれてる。
どんな日本の芸人やアニメよりも人気なのはすごいこと
テレビは新聞やラジオを押し除けて台頭したけども、それをまた押し除けたのが「個々人が双方向に発信できる」インターネット。
何が起きたか?企業から採用されて平からディレクターにまでならなくても情報量の多いコンテンツをやりとりできるようになった。 「どこかの工場」&「プロと現場」でインスタントに作られる”笑”ではなく、周りの人間関係と生活で動的に見出すものが増えてきた。
gifや画像をXやらDiscordで送りつければ同年代の友達や、同じ属性の他国の誰かが共感したり、モディファイしたりしてまた誰かを笑わせてくれる。そういったコンテンツの切れ端や”核”はミームとしてやりとりされる...まさしく言外の言語のように!
これまでは「宗教の物語」や、「絵画/音楽/文章/建築」等の職人の技術がわかりやすい共有と継承の対象でしたがみんながそれをできるようになったのですごくタイムライン(変化)が早くなったんでしょうね
(追記)蛇足と資料をインスパイア記事としてまとめました。https://note.com/deft_duck5108/n/nd9321dba16be?sub_rt=share_sb