私がフェミニストである理由
会社の男性たちと飲み会の中で、一生ずっとこの会社にいるとは思わないです。違う仕事もしてみたいかも。と話すと、どんな仕事がいいの?と聞かれたので「日本って生きづらいじゃないですか。お金にならなくても、この社会構造を変えられるようなことしてみたいです。」と答えた。聞いていた30代の男性は少し驚いた顔をした後、それは、壮大な夢だね。と言った。
わたしは大学時代、とても仲の良い女子グループに所属していた。学科が同じで、毎日授業で会って、いろんな経験や感情を共有した。学業に努めるという同じ目標を持ち、同じ時期に留学もして、みんな試行錯誤しながら就活をして大学を卒業した。
社会人になってしばらくして、わたしはその友人たちから離れた。
気付いたら、グループ内の話題が「はやく結婚したい」「同棲した方がいいかな」「ママになりたい」「自宅を建てるには」そんな話ばかりになっていった。息が詰まるような居心地の悪さだった。
どうして?という気持ちが1番だった。
社会人になったばかりで、まだ仕事も覚えていないし。これから仕事も楽しんでお金を稼げるようになれば好きなこともいっぱいできる。みんな大好きだった海外旅行だってLCC使ってゲストハウスに泊まるような学生の節約旅じゃなくて、ちゃんとお金をかけた旅行にたくさん行けるよ。と思っていたところだったから。ついこの間まで一緒に、同じ未来を見て勉強していた(ように思えていた)大好きな友人たちが、急に別世界の人間のように見えた。まるで全く知らない宗教団体にひとりで放り込まれたような。
どうしてそんなに早く結婚したいのだろう。どうしてそんなに早く子どもが欲しいんだろう。わたしには共感できないことだらけ。わたしが壊れてしまいそうで、関係を絶った。
母親は、よくヒステリックを起こしていた。決まって父親と言い合いになった時だ。そういうときわたしと弟はああ、始まったかと違う部屋に逃げて、嵐が過ぎるまで息を潜めていた。そこそこ日常的だったので当時あまりそんなことは思っていなかったが、両親の仲は悪い方だったんだろう。
わたしは幼い頃からいろいろ習い事をさせてもらえた。ピアノに習字、テニス、中学受験の塾。中1で15万くらいするギターを買うのも許してもらえた。中学受験期は毎日塾に入り浸った。塾が終わる22時にはすぐ食べられるおにぎりを用意して、母親が車で迎えに来てくれた。家から離れたテニススクールに通うのも、毎週土曜日に習字に通うのも。記憶している限り、夕食が手抜きだった印象はない。家事も近所付き合いも中学受験ママも、母親は完璧なくらいしっかりこなしていた。
父親と別居し、一人暮らしをするようになった母親はあの頃と違って見える。あの頃より、自由になった。冷蔵庫の中は食材がギッチギチに詰まっていて何が入っているのかよくわからない。キッチンの流しで歯磨きする。職場の人の愚痴も次から次に出てくる。姉(わたしの叔母)の言うことはなんでも信じる。しんどいと言って旅行を断る。わたしも大人になったから分かったのかもしれない。母親は完璧でもなんでもなく、ごく普通の人だ。きっとすごくすごく努力して、「母親」になろうとしていたんだ。
きっとわたしの母親も、社会から求められる「母親」というジェンダーロールに応えただけ。結婚したら、母親になったら、子どもには習い事させて、良い学校に行けるように塾に通わせなきゃ。お友達がいつ来てもいいように家の中は綺麗にしておかなきゃ。そう信じて努力していたんだろう。今のわたしがそうであるように、母親にも体調が悪い時とかどうしても何もしたくない時とか、絶対にあったはずなのに。
悪しきジェンダーロールの被害者はいったい、この国にどれだけいるのだろう。
女性だから、という理由で何かを諦めたこと。母親だから、という理由で自分より誰かを優先させたこと。同じように、男性だからという理由で本当の自分を抑え込んだこと。やりたくもないことをやらされたこと。現代の日本を生きる人なら、誰しも一度は思い当たるのではないだろうか。もしかしたら、自覚していないかもしれないが。
フェミニスト・フェミニズムという言葉を知って、わたしは少しばかりの希望を持てた。この記事には収まりきらない、わたしが抱えているゴチャゴチャ絡まった気持ちに名前を付けてあげられたようで。
この日本社会は、人があちこちで死んでいくくらい、とても複雑にゆがんでいて残酷だ。ジェンダーギャップ指数が最底辺であることを、世界から数字ではっきりと突きつけられていても、現状を疑わない。変えようとしない。そう簡単に変えられるものでもない。
フェミニストとTwitterを検索すると、アンチフェミニストの声がたくさん目に入ってくる。悲しい。確かに、一部のフェミニストを名乗る人が差別的になってしまっている現実もあるかもしれない。でも本来の、辞書的な意味でのフェミニズムはただ性差別を無くしたいのだ。性別を理由に、そこにあるはずの選択肢がなくなっていいわけがない。誰かを攻撃するものではなく、もっと普遍的で、人が人として生きやすい社会を理想としているだけ。これを読むあなたのことも、救いたい。
こんな絶望的な日本が、女性も国のトップになれるようなフラットな人権意識を持ち、先進的な国に生まれ変わるには、さて何年かかるだろうか。下手すると50年、100年くらいかかるかもしれない。果てしない道のり。
日本のフェミニスト、少なくともわたしはずっと前から日本には絶望している。どうしようもねえ。日本を出て、足枷も保障も全部投げ捨てて、外国で暮らす選択もありだけど、それでも微かに残る母国への期待でこうやって頭の中を言葉にしている。
わたしの声が誰かに届き、悪しき固定概念の再生産がいつか終わり、誰も取りこぼさない新しい価値観が育ちますように。
そのためにわたしはもっともっと学び、発信したい。


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