少年が次に向かったのは、中心部からやや離れた比較的静かな場所にある古びたベンチであった。周囲を見ながら歩いていたところを見ると、場所を探しはしたが目的地として決めていたわけではなかったようだの。
ベンチに腰かけた少年は、ジャガ丸くんを食べようとして突如動きが止まった。何かあったのかと注視していれば、古びた民家の陰から子供が覗いているのに気付いたらしい。
「食べる?」
「いいの?」
少年が声をかけると、みすぼらしい姿の子供が三人出てきたが、どうするのかの。分け与えるのはわかっておるが、問題はその後にこそある。
「一緒に食べよう」
「うん!」
「やったー!」
少年は一つずつ3人に手渡すと一緒に食べ始め、残りの包みを最初に返事した一番年上と思われる少女に渡しながら問いかけた。
「家族か仲間かわからないけど、他にもいるんでしょ?」
「うん……」
「持ってってあげて。家族がいなくなったら……寂しいよ?」
少女は悩む。いくらなんでも都合が良すぎるからの。しかしだ、それでも縋りたくなる時もあるだろう。とはいえ、常識が邪魔をする。
「でも、こんなに貰っても返せないし……」
「何もいらないよ、俺がしたかっただけだから」
そういうと少年は立ち上がり、大通りへと戻り始める。母親を失った自分を投影したのだろうか。それを偽善ととるか慈悲ととるか。世のすべてを飢えから救えるほど少年の腕は広くない。それでも見てしまえば見捨てられない善性はひどく眩しく。
「私、アイリスっていいます! 名前を教えてください!」
「パーシアス、冒険者になる予定の只人だよ」
「ありがとうございます、パーシアスさん!」
「「ありがとう、お兄ちゃん!」」
一度だけ振り返った少年は笑顔で、彼女達にとって誰よりも輝いて見えたことだけは間違いなく、新たなか細い絆が結ばれた。
◇◆◇
露店で軽い食事を取った少年は、足早に大通りを戻っていく。このルートだとホームに着くのだが、要件はすべて済んだということか。そう考えながら少し遅れて戻った儂は、少年の行方を追う。
「戻ったか、爺」
「うむ。で、どこへ?」
「練武場だ」
マキシムを伴って向かったのは、練武場を見渡せる二階部分。階下には、準備運動を始める少年が見えた。
「素晴らしい柔軟性じゃの」
「ああ。生まれつきか、作り替えたかはわからんが」
関節という関節の可動域が広い。ありえない方向へも曲がる。あそこまで曲がる者は、僅かしかいないだろうというレベルでの。
「戦うための体か。どうも母親はスパルタだったらしいな」
柔軟から座位へ、あれは……。
「禅か?」
禅。極東出身者が行うことの多い精神鍛錬法。足を組んで瞑目し、呼吸を整える姿から間違いないだろう。おそらくは精神を鍛錬すると同時に心と身体を整えるといったところかの。それにしても少年の修練は手段が豊富で、どれも本人の可能性を広げる物ばかりとは恐れいる。
「武器戦闘といい、格闘といい、手あたり次第といいたかったんだが、そんな練度じゃねえ。生活に組み込まれて、すっかり体に馴染んでるって段階だろ?」
「見る限り、鍛えた母親も優秀な冒険者だったのだろう」
「LV2、らしいぜ」
おそらくは試練に恵まれず、極まってしまったLV2。それでもその経験は少年の中に生き続ける。
「なにも受け継がれるのは
「ああ。もしもその母親がウチを選んでくれてたら、ランクアップしなくても手放せねえ。新人教育にもってこいだしな、死人が減るのは確実だ」
「だが、引退したからこそ次代の育成ができたともいえる」
「だな」
しばしの間、瞑想する少年。不意にゆるりと立ち上がり始まったのは、無手の演武。その動きを見て思わず唸る。
「体重移動が上手いなんてもんじゃねえぞ。ルーキーとやった時も思ったが、よくもあの年であそこまでコントロールできるもんだ。しかも足腰が比較的強いときた」
「山育ちだからかの。母親はわかっていて、こう育てたとしか儂には思えんが」
「だが、天才型じゃねえな」
それに頷いて同意する。すべては積み上げた努力の結晶。身体を作り、基礎を延々積み上げ、技を知り、術と為す。
「見た瞬間、体に落とし込めるような天稟はない。だが才能はある、確実にだ」
「そもそも努力できること自体が才能よ。いつから始めたのかは気になるがの」
「4才だとよ、早熟すぎるだろ?」
ニヤリと笑うマキシムは余程気にいったらしい。同時に納得もする。生来の勘で動く野生児のマキシムとは対極の存在であり、古代の資質を持つ秀才で理論派。そこに不断の努力が加わったなら、一体どこまでの存在になるのか。
「とはいえ勘が無いわけでもなかったしの」
「そりゃそうだ、そもそもそんな半端な育て方はしてねえだろうよ。母親に会ったことはねえが、アイツの動きからいっても信頼できる」
まったく惜しい人物を亡くしたものよ。そして、そんな存在に気づけなかった自分を恥じた。
「9年前か、ランク上げに躍起になってた頃だな」
「他に目を向ける余裕がなかったなど、ただの言い訳にすぎぬだろう。マキシムはともかく儂にとってはな」
無手の演武が終わると、少年は走りだす。流しているようで、全力ではないの。
「持久力が目的だな。速さは求めてねえ」
「うむ、次から次へと手を変え品を変え鍛錬する。毎度違う目標をもって行うことで、持続させるといったとこかの」
さて、次は何をするか。そう思いながら注視していると、走り終えて小休止を挟んだ後、地面に棍を突き刺した。そして、それを中心に見据え盾を構えた彼は、摺り足で素早く位置を変え続ける。
「いい動きじゃ」
「ああ、機動力のある盾使い。それも成長期前ときた。最終的にどれだけデカい盾を構えて、あの動きができるか気になるな」
動く、動く、ひたすらに動く。一所に留まらず、棍に当たることなく位置を変る様は、まさに移動する要塞。今は小さな盾だとしても、未来が容易に想像できるほど凄まじい。
「問題は攻撃かの?」
「あいつはカウンターが上手い。なら当然攻撃もできるだろ。あそこまで仕込んだ母親が、半端な育て方をすると思うか?」
瞬間、ブレる棍。初めて見る自主的な攻撃。
「回避に移動、攻撃の複合じゃな」
「位置を変えるもよし、動きながらカウンターを取るもよし。なんなら盾で攻撃もできるんだぜ、アイツは」
動かぬ的だからこそ少年自身動いておる。相手が動くならばカウンターを狙えばよい。隙があればそこも突く。あとはそのレベルを引き上げ続けるだけでも完成するであろう。そんな未来予想図を描きながら儂は願う。母親を亡くした優しくも歪な少年が、幸せになれますようにと。
◇◆◇
夕食後、マキシムと意見の擦り合わせを始める。話題は勿論、パーシアス少年だ。
「で、ロイマンのおっさんの見立ては?」
「一人にしてはいけない、だそうじゃ」
「だろうな」
そういうとマキシムは腕を組み、考える。
伝言を見たロイマンは眷属に手紙を渡し、先程儂の元に届いた。それを見るに多くの冒険者を見てきたが、その中でも極端に若く意欲に溢れている。目標に向けて一歩ずつ着実に進めるため、必要な行動を取捨選択できるうえに、先見の明すら持ち合わせていると。
「ただ」
「ああ、色々と歪なガキになっちまってる」
これは母親を亡くした弊害だろう。それまで冒険者となるためだけに努力してきたとは思えない。幼いながらも母親を守りたいと、そう願ってきたはずだ。それが無残にも砕け散った。
「とはいえ今日見た限りは、とても優しい子だったぞ。心根は善性に溢れておる」
「何があった?」
儂は見たままを告げる。店主の恩には恩で応え、人当たりはよく話術も巧み。幼子に笑いかける姿は兄弟のようであり、困窮する家族に食料を与える姿は父のようでもあった。
「そして、鍛錬に励む姿は修練の鬼か?」
「それは否定せん。なにか新たな目標でもできればいいのだが」
「それは冒険者になってから考えても遅くはないだろ? とりあえずどこかのファミリアに所属すれば家族ができる。それで少しはマシになるはずだ」
確かにの。問題はそれがどこになるか、だが。
「フレイヤは駄目じゃな」
「当たり前だ。最悪でもロキだろ? ヘラも駄目だろうな、擦れちまう」
まるで兄弟のようじゃの。こんなマキシムは珍しく、微笑ましいな。
「能力的にはウチでこそ輝くと俺は思うぜ、あいつが育てば前衛の死傷率も確実に下がるだろうさ。ルーキー達の刺激にもなるしな。それがなくてもアイツは強者だ、拒む理由がねえ」
「ロイマンには、うちのファミリアが第一候補に見えたとか。儂が午前中見た限り、選ばない理由の心当たりもない」
「なら、決まりか?」
「うむ。しかしな、もし眷属になったとて、マキシムが面倒を見れば軋轢を生むぞ?」
腕を組んだマキシムが唸りながら考え込むと、捻りだした答えが。
「今悩んでもしかたねえ、決まってからでいいだろ?」
まったくもって困った男よ。だが、そういう男だからこそ、ついてくる者もいる。
「結局は成り行きかの」
そういった儂に、マキシムは威勢よく応えたのだった。