ここは秋田の美郷町ですか? 秋山高志 茨城県史の研究(1980年)の195 ページより 藤井玄信(名・忠貞) 岩根村(現在の茨城県水戸市) 原南陽(はらなんよう)の門人

Joined September 2021
grokで龍角散について語りかけてみたところ、「美郷町の龍角散が〜」とまるで中の人(美郷町の関係者たち)がいるみたいな怪しい会話になりました。 試しに違う話題をふったのに、龍角散と六郷は〜、龍角散と美郷町は〜と出たので笑えました。 歴史を捏造しないでください!
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この人も同様。 秋山高志 茨城県史の研究の195ページより 藤井玄信(名・忠貞) 岩根村(現在の水戸市) 原南陽の門人 かていやく第12号より 龍角散は藩医の処方ではない 幕府の医者の処方だ よその土地の薬を飲むなんて不見識でいかん その処方を明かしてもらって本家で作れ ↑これが真実。
15℃-6℃ ☁ 世界平和🌍🌏🌎🌿🕊️ お早うございます 昨日は、のどの痛みで激不調 炎症か 家族が、龍角散を買って来てくれました 💚感謝 📄龍角散 同社HPより 江戸中期 出羽国久保田藩の典医 ―藤井玄淵・玄信父子が 漢方に蘭方(西洋生薬)を加味して 家伝薬を創始 *薬名は、生薬の成分にちなむ→
今の秋田県の人たちの先祖は、国替えで来た佐竹一門がそうであるように、関東地方にルーツがあったりと、元々の出羽の人たちではないような説がありますね。 名字の本によると、それが関西だったり、紀州、北陸地方だったりと様々のようです。
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龍角散の本家 龍角散のふるさと などなど、間違った説明をしているのはその人の責任ですので、そちらの方にお問い合わせ願います。 おそらく、自分たちの思惑通りにならないと困る人がいるのだと推測されますが、藤井家は農家ではなく、藩の武士。何代目かが医者となったと伝わる。
久しぶりに。 龍角散の本家 龍角散のふるさと など、間違った説明をしているのはその人の責任ですので、そちらの方にお問い合わせ願います。 自分たちの思惑通りにならないと困る人がいるのだと推測されますが、藤井家は農家ではなく、藩の武士。何代目かが医者となったと伝わる。
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また出てきましたね。もう一度。 秋山高志 茨城県史の研究の195ページより 藤井玄信(名・忠貞) 岩根村(現在の水戸市) 原南陽の門人 かていやく第12号より 龍角散は藩医の処方ではない 幕府の医者の処方だ よその土地の薬を飲むなんて不見識でいかん その処方を明かしてもらって本家で作れ
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秋田には、江戸中期に秋田藩の典医をしてた藤井玄淵・玄信の父子が『龍角散』の原型を開発し、江戸末期に3代目藤井正亭治が『龍角散』の基礎を確立、そして明治初期に東京へ進出し『龍角散』の名前で一般販売を始めました ※ゴホン!といえば龍角散
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正亭治については江戸末期(嘉永年間)に藩から薬を扱う命を受けたとされ、現在の秋田市を本店とし、大仙市にも店を持っていたと伝わります。 この店については現在の大曲の信用金庫の近くとされます。 「明治4年創業」とは、東京府側の理屈なのでご注意ください。
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藤井玄信と名乗った江戸中期の久保田藩医は、水戸藩の原南陽の門人となり、龍角散の原型となる薬の処方を習いました。完成したのは1797年とされますので、東京がつけた「2代」とは別人となります。 玄淵にしても実際に何人いたのかは分かっておりません。
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以下の通りです 秋山高志 茨城県史の研究の195ページより 藤井玄信(名・忠貞) 岩根村(現在の水戸市) 原南陽の門人 かていやく第12号より 龍角散は藩医の処方ではない 幕府の医者の処方だ よその土地の薬を飲むなんて不見識でいかん その処方を明かしてもらって本家で作れ
Replying to @ginniro_no_hana
正亭治については江戸末期(嘉永年間)に藩から薬を扱う命を受けたとされ、現在の秋田市を本店とし、大仙市にも店を持っていたと伝わります。 この店については現在の大曲の信用金庫の近くとされます。 「明治4年創業」とは、東京府側の理屈なのでご注意ください。
Replying to @ginniro_no_hana
リプライ失礼致します。藤井玄信と名乗った江戸中期の久保田藩医は、水戸藩の原南陽の門人となり、龍角散の原型となる薬の処方を習いました。完成したのは1797年とされますので、東京がつけた「2代」とは別人となります。 玄淵にしても実際に何人いたのかは分かっておりません。
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後は、皆さんもお気づきの方も多いのではないかと思いますが、龍角散のエピソードがここまでおかしくなった訳は美郷町だけの責任ではありません。 秋田市や大仙市側にも問題となった人が沢山いる訳ですよ。 これが今回の答えです。 ネットだけ見ていても分かることは何もないのです。
不審な情報発信源を特定するためのコツは、その発信者よりも、その仲間や取り巻きを怪しめということでした。 「その先にいるのは?」 ↑なんてネタを何度もやっていましたが、これがヒントでした。
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当方が「grok 3がスパイウェアだ!」とポストすると、開発チームが困るんだよとの答えでした。 それ以降は 美郷町の町おこしのために話を盛ったフシがありなどと分析し、中立なAIになった訳ですが、そもそもネット上にある情報から抜き出しても偏りがある訳で、公平ではないですよね。
後は個人の研究家が〜という言葉がありましたが、六郷町史の小西さん自体がそれにあたります。 AIが美郷町と東京龍角散が盛んに宣伝している説だけを取り、そちらが正しいと主張するのは非常に危険です。 そこで「お前はスパイか!」と言ったところ、慌てて、美郷町に寄りすぎましたと出ました。
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後は個人の研究家が〜という言葉がありましたが、六郷町史の小西さん自体がそれにあたります。 AIが美郷町と東京龍角散が盛んに宣伝している説だけを取り、そちらが正しいと主張するのは非常に危険です。 そこで「お前はスパイか!」と言ったところ、慌てて、美郷町に寄りすぎましたと出ました。
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当家が出羽(秋田県)入りした経緯も諸説(所説)ありまして、本によっても違う模様。 よって今現在、美郷町が熱心にやっている龍角散は、六郷東根の家で〜とやられましても非常に迷惑なのです。 美郷町側の報告を見ていても、自分たちに都合の良いことしか見えていないのが気になります。
grok 3が龍角散公式は〜と熱弁していましたが、六郷出身という説自体が六郷町史によるものであり、他にも説は沢山ある訳で。 大曲説を採用している丸山浩一さんの家系研究協議会と秋田市、佐竹商店街は友好関係にあったことなどが一時期無視されていました。
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grok 3が龍角散公式は〜と熱弁していましたが、六郷出身という説自体が六郷町史によるものであり、他にも説は沢山ある訳で。 大曲説を採用している丸山浩一さんの家系研究協議会と秋田市、佐竹商店街は友好関係にあったことなどが一時期無視されていました。
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ネットだけ見ていますと、主にノーザンハピネッツや美郷町の町長が「六郷出身の〜」というのが目立ちますが、その一方、当家に六郷東根の藤井という親戚はおりません。 秋田県は藤井姓が多いものの、当家と関係がある、かは別問題なのです。 六郷東根で米作りしている龍角散の縁者は春霞家です。
ネットだけ見ていますと、主にノーザンハピネッツや美郷町の町長が「六郷出身の〜」というのが目立ちますが、その一方、当家に六郷東根の藤井という親戚はおりません。 秋田県は藤井姓が多いものの、当家と関係がある、かは別問題なのです。 六郷東根で米作りしている龍角散の縁者は春霞家です。
だから繰り返し、ネットたけ見ても無駄だとポストしていたのですがね。 有名なアカウントの情報だから〜 みんながそう言ってるから〜 ↑違います。 歴史において、多数決の原理は通用しません。 龍角散の本当の歴史に興味をお持ちの皆様は、図書館、資料館、公文書館などで調べてみましょう。
かていやく(2代得三郎の発言)、水戸から見た話(茨城県に残る伝承、秋山高志さんの著書など)、秋田市関連の本、大曲市史、名字を研究する会(丸山浩一)の著書などを教えれば、ちゃんと学習し、こんな説もあるよと展開していました。 ネット上にあるのは、美郷町発信関連だから偏るんでしょうね。
かていやく(2代得三郎の発言)、水戸から見た話(茨城県に残る伝承、秋山高志さんの著書など)、秋田市関連の本、大曲市史、名字を研究する会(丸山浩一)の著書などを教えれば、ちゃんと学習し、こんな説もあるよと展開していました。 ネット上にあるのは、美郷町発信関連だから偏るんでしょうね。
grok 3もかなり学習していました。 数日前の龍角散は美郷町の〜が、六郷と龍角散は〜って展開していたのはなんだったのでしょうか? まるで、東京龍角散、美郷町の関係者、一部の仙北市の関係者、わらび座さんの取り巻きの方々が中の人のような日がありました。
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grok 3もかなり学習していました。 数日前の龍角散は美郷町の〜が、六郷と龍角散は〜って展開していたのはなんだったのでしょうか? まるで、東京龍角散、美郷町の関係者、一部の仙北市の関係者、わらび座さんの取り巻きの方々が中の人のような日がありました。
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美郷町との関係の間違いです。またまたすみません。 新しいスマホになれません。