ACT3 ドクター・ストーンヘッド
「気分はどうかな、ノウゼン君」
「しわがれた声の、綺麗な死神が見える」
「口を医療用ホチキスで止めておくべきだったかな」
耐熱ビーカーに注いだ黒い液体——多分コーヒーを啜っているそいつは、白衣を着た老婆だった。
色のない視界ではわからなかったが、老女医の髪は極彩色のグラデーションカラーに染められるというド派手極まるもので、見ていてケミカルすぎるおばさんもいたものだとちょっと感心のような感情さえ抱いてしまう。
小麦色に焼けた肌、苦労が刻まれたようなシワに、左目にはアイパッチ型の義眼をしている。
元は相当な美人だったことが窺え、なんならその美貌は失われていない。
熟成された、
「ノウゼンです。俺についての素性は?」
「元日本国陸上自衛隊二等陸曹だったと。曹、という階級自体は今も残っている。なるほど、超古代からの習わしか。ベルナも言っただろうが、私ら以外にその話はするなよ」
病室という割には散らかっているそこは、老女医のラボらしい。
医者であり工学技術者でもあるのだろう、その人物の周りには医療器具と工具とが入り乱れ、高度な技術で作られたと見られる筋電義手がコードに繋がれ、モニターに数字が映し出されている。
俺はベッドに寝かされ、いろんなコードに繋がれていた。ひょっとしたらあの数字は、俺のものかもしれない。
「何か不利益が?」
「……超古代の知識は宝だ」
「俺はただの
「なら、それも含め言いふらしてみろ。最悪、解剖されるぞ、お前」
「……最悪の不利益ですね。わかりました、黙っておくようにします」
「ベルナがお前が寝てる最中に、例の卵……ポッドを処理しに行った。超高性能極微細爆薬でドカン、だ。ナノレベルの極微細爆薬を使う。……あの子に感謝するんだね」
俺は起きあがろうとした。全身を機械化すると言われていたことはしっかりと覚えていた。
上体を持ち上げる。サイボーグというからもっとカクカクするのかと思ったら、有機的にぬるりと起き上がった。
「俺の声が高く聞こえるのは、金属の体のせいか?」
「いや? 私が作った
「何ふざけたこと、」
視線を下に向けると、そこには大きな、豊かに実った胸。
それが黒いインナーに包まれており、俺は老女医を見て、彼女は「美しいだろう」と微笑んだ。
自分を見る。胸。胸だ。大胸筋でも、分厚い装甲でもない。
もう一度視界を老女医に向ける。彼女は光学式と思える、まさに未来という感じの非物理的キーボードをタップして、
「正確には両性具有だ。精巣は腐っていなかったから、金玉と竿はある。お得じゃないか」
「どこがだ! おい、男用の体はないのか!」
「なんでむさ苦しい体なんぞ作らねばならん。いいか、需要から生まれるのは精々が商品であって、作品ではないんだぞ」
「なんで俺があんたの美学に振り回されてんだ!」
「同意書には君のDNAが付着している。立派な血判なんだがなあ」
「くっそこのババア……」
コードを引っこ抜いていく。体自体は確かに機械——フルサイバネティクス、サイボーグ化している。
黒い金属パーツは、多分装甲。黒をメイン青と紫の差し色、胸と腹部は金属の皮膚のような質感の外皮で、触った感じは生きた組織に近い。
「女の胸に触ったことはないのかね」
「ノーコメントだ黙っててくれ。兵隊だからって気が長いとは限らんぞ」
「知ってる。むしろ君は理性的な方だな。私は強制的にシャットダウンしようとすら考えていた」
「そんなことできるんだな。掌の上で踊らされてる感覚だ」
老女医は何かを操作。電子音。
「強制コマンドを破棄した。おい、頼むから暴れるなよ。今はベルナがいないから私じゃ君には勝てんぞ。人間ならまだしも」
人間が相手なら元兵隊にも勝てるとかあんたはサラ・コナーか。なんならあの女戦士はサイボーグぶち壊しまくってたが。
それはそうと手は完全に機械の義手。なのに、感覚はしっかりフィードバックされていた。
「熱いものか冷たいものはあるか」
なんかこの老婆にはタメ口でいい気がしていて、相手も気にしていなかった。
「代用コーヒーなら。いま注いでやろう」
「……。……改めて、俺はノウゼン。ありがとう。助けてくれて」
「私は科学者である以前に医者だ。救える命は救っておきたい。……ストーンヘッド、という異名で通っている。本名は捨てた。無事目覚めてもらえて何よりだ」
「石頭、ね。確かにな」
そういえば日本語が通じている。
それはサイボーグの翻訳機能ではなく、おそらく、数十万年経っても言語が生き残った証拠だろう。実際、サイボーグ化前にベルナと双方向で会話ができていた。
生き延びた人類が空から降りてきた、とベルナは語っていた。
それはおそらく、あの頃実用化されていた月面都市やコロニーだろう。ランダム選出され「チケット」を手に入れた人間が、宇宙船やらマスドライバーで宇宙に上がっていったのを知っている。
それで、衛星や衛星軌道上に逃げていた人類が新天地に降りた際、たまたま日本だった地域に日本語圏の連中が降り立ち、文化圏を広げていったのだ。
あるいはその中には、地下挿入施設の人間も含まれていたかもしれない。
そしてこの老婆は、顔には鱗があり、腰からはファンタジーゲームのリザードマンめいた尻尾がある。
この時代の新人類なのだろうか。
俺は「どうぞ」と耐熱ビーカーに注がれた代用コーヒーを受け取り、一口啜った。
「機械の体なのに、熱い、って感覚がある。凄いな、あんたの技術は」
「褒めるな、知っていることだ。……感覚フィードバックは正常だな。よろしい。今はあれこれ壊されたくないからパワーに補正をかけているが、それに関しては睡眠中に教導教育プログラムを脳に送り込んでいたから、感覚的に出力は掴めるだろう」
「ベルナは特殊金属の外壁を素手でひっぺがしてた」
「アンドロイドやサイボーグの強みだ。弱点もあるがね。まず、メンテナンスフリーではない。放置すれば、どんなに長持ちな私の作品でも三年でガタは来る。つまり、何もしなければ三年の命というわけだ。定期的に私の元へ来るように」
そんなこと言ったら人間だって年一で健康診断してたり、人間ドックに行くだろ、と思ってしまった。
なんなら人間の方があれこれメンテナンスする。
「それからコストがかかる」
「あ、そうだ。この体はいくらするんだ」
「相場で言えば……そうだね、六〇〇万
「いくらくらいを指す通貨なのかわからん」
「日本円で言えば六億だ」
つまり一働貨=百円か。って、六億!?
「六億……? そんな金ないぞ。言った通り、俺はいわゆる「戦う人」であって、財産になる知識だってない」
「六〇〇万、な。間違えるな、勘繰られて解剖されるぞ」
「ああ、そうだった。……なるほど、そういう下心があったわけだ」
「君たちは戦えるが、私は無理だ。喧嘩の才能ってのが本当にない。だから、技術と頭脳で生き延びるというわけだ。
上げて落とすとはこのこと——と言いたいが、まあ言ってることはそうだ。この先生は慈善家ではないのだし、実際、先立つものがなきゃ食っていけない。綺麗事で腹が膨らむなら自衛隊なんかいらないしな。
「わかった。実入のいい仕事は何かないか。言っとくが、体は売らないぞ」
「まともな子で良かったよ。実直な子だね、好きだよそういう子は。まあ……ベルナにも世話になってるし、ちょっきり百万働貨だ。悪いがこれ以上引くと苦しくなる」
一億円。——構わない。破格すぎる割引だ。なんだかんだでこの先生はいい人なんだろう。
やってやる。体は女だか男だかわからん有様にされたが(骨盤周り外は完全に女なのだろう。顔はまだ見てないので知らないが)、俺は俺だ。つまり、日本国男児、ノウゼンだ。
「しっかり払う。神様ってのは別段、どうとも思っちゃいないから……あんたとベルナに誓うよ」
「言質はとったよ。……実入のいい仕事ならやっぱり「
「ああ。この時代の銃器には触れたことはないが、扱い方を覚えるのは得意だ。基礎設計の部分は、人体工学を考えれば大きく変わってるとは思いづらい」
「その根拠は」
「このラボの設備もベルナが乗ってたジープも、俺が見てすぐにそれと理解できた。それが根拠だ」
「なるほど、洞察力はあるようだ」
馬鹿に喧嘩屋はつとまらない。
自衛隊なんてのは、結局、突き詰めれば喧嘩屋だ。
俺はあの組織を誇る一方、疑問視する部分もあった。ただそれが顕在化して除隊する前にあのバケモノが湧いただけで、やめられなくなったし、俺も守るものがあったから必死こいて戦っただけだ。
俺は隅にある鏡を覗き込んだ。
青い髪の綺麗な顔の女が映っている。
顔の左右には、分割されたバイザーらしきパーツ。右目はアイパッチ型の義眼が取り付けられており、下唇はあるのだが、肝心の皮膚が薄く透け、歯——というか、骨格が剥き出しだ。
感覚的には確かに俺はしゃべっている一方、声には独特な骨伝導マイク的な響きがあり、おそらくは咽喉マイクのようなもので発声していると思えた。その単語に追従し、口の周りの筋肉が動く仕組みらしい。
「絶縁性の冷却液の中に、億単位の量子ビットをもったナノマシンでお前の脳を構築している。その外装は超アダマン合金で守られているが、頭は守れよ。最悪体が爆散しても、首から上があれば治せる」
「元の脳は?」
「ナノマシンが脳構造を模倣する過程で破壊されてる。それに伴い、肉体も焼却した。腐敗が酷くてな。過去のお前は死んだんだ」
そう——いう、ことか。
俺は記憶を引き継いだ別人? いいや、仮にそうだとしても、死んだ過去の己と決別するのなら、その時点で俺はある種、一つの生まれ変わりを果たしている。
多くを失い、あまりにも変わり果てた未来で、俺は目覚めた。
ゼロからの、
「ゼロだ」
「?」
「俺の名前は、ゼロ・ノウゼンだ。それが、新しい俺だ」
ストーンヘッド先生はニヤリと笑い、「そうだね、前向きに行こうか、ゼロ」と、そう言った。
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