ACT2 選択
「……ふぅっ……ぅ」
なんなんだ、さっきから、暑い。痛みがじわっと、手足——両手と右足からじわじわ滲んで、体が暑くて熱くてたまらない。
先ほどベルナと名乗ったアンドロイドの女が、前を睨みつつ、
「頑張ってください、すぐです。体が熱っぽいのは免疫細胞が戦っている証拠です、負けないで」
「わかってる、……俺だって自衛官だ。自分に起きてることくらい」
そうだ、わかっている。非常にまずい状態だということくらい。何か、入ってはならないものが這いずっているのだ。それを落とさないと、俺の命は失われると考えていい。
「……何か、大きめの刃物と、ワイヤーはないか。できれば、頑丈な、枕木がわりに噛めるもの。腕が……まずい」
ベルナはわずかに迷ったようだが、すぐに車を停めた。俺の言わんとすることを察して、彼女はあえて「私がやります」と言って、俺を担いでジープから出してきた簡易担架に載せた。清潔なシートは、消毒液の匂いがする。
そしてその辺からへし折って、手の内蔵バーナーで軽く炙って雑に雑菌消毒したそれを噛ませた。枕木代わりだ。ここは野戦病院ですらない。文句は言えないし、いう気もない。とにかく舌を噛まずに済めばいいので、充分だった。
そして、ワイヤーで肩口を緊縛し、山刀をぞろりと鞘から抜く。
自分で言い出したことだ、今更震えるな。玉まで腐ったわけじゃ、ねえだろ。
腕一本で済むのなら安い。アンドロイドが存在する時代なんだ、義手くらい、つけてもらえる。そう言い聞かせる。
なにか冗談でも言わないと、お互い気まずい気がし、俺は、半笑いのブサイクな顔で言った。
「麻酔は?」
「ありません。
「数十万年の寝起きにゃ最高の気付けだな。……やってくれ」俺も皮肉なんてやめ、覚悟を決める。
ベルナは躊躇わず、お互いに足踏みする行為を断ち切るように思い切りよく山刀を振り下ろした。俺の右腕が、二の腕から先が落ちる。
バギバギッと木を噛み砕き、かろうじて舌は傷つけず済んだが、奥歯を噛み砕いた。
「んぅ——っ〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!!」
悲鳴が——上げられない。痛い、というより、凄まじく熱い。畜生、寝て起きて数十万年経ってて、三十分もしないうちにこれか。
つくづく、俺は運がいいクソ野郎だ。最高の人生、生きてる実感をこんなに感じたのは初めてだ、馬鹿野郎が。
今ので、目を覚まして目に入れるこの世界が現実のものだと、強く実感する。
「俺は、っ、はあっ……はぁ……生きてるん……だな」
生き延びてしまった。というべきかもしれない。
上官も、部下も、同輩も——あの時代に置き去りにして。俺だけが。無様に……半分、腐ったような体で。
「強いですね」
「なわけあるか、水分がないから出ないだけで、漏らしてもおかしくない。くそいてえ」
「止血したらすぐに医者に会わせます。信頼できる医者です」
「なんだ、その、変な節回しは。病院じゃないのか? 信頼できない医者ってのがいるのか? はっきり言え」
「その方は闇医者ですからね。まあ……言葉は選びますよ」
冗談だろ。そんな怪しいのに俺はかかるってのか。
などという間に、慣れているのかベルナは止血。包帯で乱雑に結び、とにかく大きな血管を締め上げるという程度の応急処置だが、現状それ以外にできることがないし、俺が治療する立場でもそうしただろう。俺は衛生科ではないしな。ただの普通科だったし。
「一つ、いいですか」
「簡潔に頼む」
「超古代人であることは決して口外しないでください。厄介ごとになります。なので外で遭難した、痛みで朦朧として何も言えない、その態度を一貫してください」
「わかった」
自衛官を含め、世界中の軍人——「戦う人」には、「何故を問うな」という不文律がある。
とにかく俺たちは、「正しいから正しい」、「余計なことは聞くな」、「だから軍人君は銃を持って命令に従い、忠実に戦え」——と、そう鍛えられる。それが、俺たちの原則で、必要なマインドだ。
疑問を持った人間は、引き金を引けなくなる。
なので、俺個人の感情と切り離すことで、そこに疑問を持たず、従うという選択に迷いを持つことなく、従えた。
ベルナが悪人であれば別だが、いやでもわかる。この女は、人間とかアンドロイドとか関係なく、気の毒なくらいの根明だ。
意識が落ちているのがわかる。それを繋ぎ止める楔となったのは、怒りだった。全てを奪い、そして、荒らし回っておきながら呆気なく消えているあの怪物共。
この手で、引き裂いて臓物を引っ張り出してやりたいと何度も思い、そして俺はとうとうその腕を失った。
失血、そして、精神的な——異常な環境へのストレス。色覚異常と、言語の異常。俺は、自分でも言葉にならない奇妙な音の連なりを吐き出し始め、座席でのたうつ。
これ以上は危険と判断したベルナがスタンガンを取り出し、俺の首筋に押し当てる。タタタタタッと電磁のはぜる音がして、俺の意識は半ば強制的にシャットアウトされた。
×
何かに照らされている気がして、それを自覚すると、意識が少しずつ戻ってくるのを感じた。最初に戻ったのは、聴覚だった。
「右足も腐敗しているな。左腕もだ。右目は失明で済んでいるが、これは運がいいな。脳までやられていたらと思うと、自分でもぞっとするよ」
「助かりそうですか?」
「私をなんだと思っている。脳は綺麗だし、幸い、精巣も無事だ。サイボーグになっても子孫をのこしていけるぞ」
ベルナの声と、しわがれた老婆の声。
色のない視界に、白衣(色はわからんが、形状からしてそうだ)の老婆と、そしてスピーカーが見えた。ベルナはここにはいないらしい。
ハロゲンランプの陰影で、判然としない老婆は死神のようにも思え、俺は少し恐怖を感じた。
「起きていたか。ちょうどいい。答えてくれ。死にたいなら、右に目を向けろ。生きたければ、この施術同意書を睨め。それで意思決定とする。なお、施術は全身の機械化を意味するのでよく考えるように——とはいえ、そう悠長にはしておれんがね。
どうする、ノウゼン君」
「しに、たく。……ない。っ、しにたく、ねえ……ぇっ」
俺は泣きながら同意書を睨み、今にも溢れて落ちそうな腐りかけの左手で、紙を引っ掻く。腐った血が、べちゃりとへばりついた。
「血判だな。ありがとう、同意も得られた。……任せろ、私の最高の作品に変えてみせる。麻酔をするぞ、リラックスしたまえ」
そう言われ、俺の意識は暗い、暗い闇の底へと再び誘われていくのだった。
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