開演直前、舞台袖からVTuberたちの掛け声が聞こえ、ファンが一斉にどよめいた。その声は遠隔地からマイクに載せたものではなく、この幕張メッセのホール会場から聞こえたものだったから。にじさんじのリアルライブに行き慣れたファンであれば、フェスの恒例行事として耳慣れたものだったかもしれない。しかし、今回聞こえたその声は「彼ら彼女らが現実の会場にいる」といった意味合い以上のものを持っていた。つまり「彼ら彼女らは、“海を越えて”この地に来た」のだと。
2月24日、英語圏VTuberグループにじさんじENのリアルライブ「7th Anniversary LIVE『OVERTURE』Daytime Stage」が開催された。出演したのは、Elira Pendora(エリーラ ペンドラ)、Rosemi Lovelock(ロゼミ ラブロック)、Enna Alouette(エナー アールウェット)、Ike Eveland(アイク イーヴランド)、Vox Akuma(ヴォックス アクマ)、Sonny Brisko(サニー ブリスコー)、Maria Marionette(マリア マリオネット)、Ren Zotto(レン ゾット)の8名。全員がこの日のための共通ステージ衣装で出演し、歌唱する。フラットに見れば「にじさんじ7周年記念の特別ライブの昼の部を、英語圏VTuberが担当した」という一行に収まる内容だが、このライブに至るまでの文脈は、そう簡単には収まらない。終演後、会場を後にするファンの行列からはすすり泣きが聞こえ、目元を赤く腫らしたまま友人と感想を語り合っている姿も少なくなかったのである。一体どういうことなのか、舞台で見た光景を振り返りながら、解説していく。
逆境の続いた「にじさんじEN」
にじさんじENにとって、日本国内でのグループライブはこれが初である。これまで海外のアニメイベントに出展しての2Dミニライブやオンラインライブが実施されたりしたことはあったが、観客のいる大型ホールに本人たちが登場しての本格のリアルライブ形式は、これが初である。この事実は、にじさんじENが誕生してから4年以上が経過していることを踏まえれば、その重みが分かるはずだ。にじさんじENは、これまで一度も観客ありのライブに、グループとして出演する機会がなかったのである。日本国内のにじさんじはリアルライブがすでに珍しいものでは無くなっているだけに、この違いは大きい。
なぜ、にじさんじENのリアルライブがこれまで実現できなかったのか? 様々な要因が考えられるが、最初のつまづきとなったのはコロナ禍である。2023年に初のARオンラインライブ「NIJISANJI EN AR LIVE “COLORS”」が企画され、にじさんじENメンバー複数名の3Dが初めてお披露目される機会になるかもしれないと、ファンの間で大きな注目を集めていた。しかし、コロナ禍でスケジュールの見通しが立たず中止。おそらく事前に予定されていたであろう、各VTuberが3D姿をお披露目する機会も失われてしまっていたのである。
そもそも、にじさんじEN所属のVTuberは、イギリスやアメリカ、オーストラリアなど世界各国で活動しているため、彼ら彼女らを集合させ、3D収録の準備をするのは非常に難しい。国外にVTuberライブ専用のスタジオなどはほとんど無いため、長期間の来日が必須となるからだ。
また、ARライブの中止後に、複数のVTuberが卒業や契約解除になったことも大きな要因のひとつだろう。裏側の事情がどのようなものだったかは計り知れないが、少なくとも運営側はVTuberの引退に伴って事前に準備していた3Dのコンテンツやイベントなども再調整を迫られたはずだ。そういった「すでに準備が進められているはずなのに日の目を見る機会を得られない」期間は、VTuber本人にとって、とても苦しい期間だったに違いない。さらに、相次いだ卒業や契約解除を受けて、過激なDramatuber(※英語圏でゴシップや裏話を過剰にドラマチックに仕立て上げるインフルエンサーを指す言葉)や悪質なネットユーザーの攻撃の対象になるといった事態も起きていた。そのことも、当人だけでなくファンの心を不安にさせる要因だったであろう。
そんななかでも、にじさんじENのVTuberは着々と準備を進めていた。2024年4月14日には前年に中止となっていたARライブがオンライン配信でついに実現したのを皮切りに、これまで3D姿を披露していなかったメンバーが自身のチャンネルで次々とその姿を公開。普段の生配信では「いつか3Dになったら披露したいこと」といった話が交わされることもあったが、それがようやく実現しはじめたのである。
しかし、この時点でも未だリアルライブへの出演は遠い先の未来だと思っていたファンが少なくないはずだ。2024年7月6日にロサンゼルスのアニメエキスポで開催を予定されていたライブがオンライン配信のみに変更されたりと、まだまだ障壁が残っている状況だったからだ。
少なくともVTuber本人は今回のリアルライブの決定を聞いた際、最初は信じられなかったという。出演者のひとりのエリーラ ペンドラは運営公式のマガジンで下記のように語っていた。
エリーラ ペンドラ(以下、エリーラ):ENライバーって日本に行くときにしかマネージャーさんに会えないんですが、この「OVERTURE」の開催について伝えてもらったときはたまたま日本にいたんです。
ライブの話を聞いたときはもうすごくびっくりして震えちゃって……マネージャーさんの手を握りながら「本当ですか!? こんなステージをENでやってもいいんですか?」って10回ぐらい聞き返しちゃったと思います(笑)。本当にもう夢のようでした。
その日からずっと緊張しまくりでプレッシャーもあるんですけど、でもやっぱり喜びの方が100倍大きかったです。
引用元:https://magazine.anycolor.co.jp/articles/1677224353
彼ら彼女らにとっては、今回のライブが「逆境のなかで掴み取った最高の舞台」に見えていたはずだ。それだけに、メンバーのこのライブに賭ける気持ちは尋常なものではなかったのだ。
出せるものを全て出す 気迫が客席全体を包んだ舞台
あらためて「『OVERTURE』Daytime Stage」の話に移ろう。著者は幕張アリーナ現地で観覧したが、当日の開場前には海外から来日したファンの姿が目立っていた。しかし、日本ファンの数もかなり多く、開演前から日本語と英語の飛び交う空間となっていた。
著者の観測している範囲では、にじさんじENを応援するファンの熱量はかなり高く、Discordで生配信の内容を翻訳しながら英語の学習を続けているコミュニティがあったり、VTuber本人が在住する国まで旅行や留学をする人たちがいたりと、配信をきっかけに言語や文化を学びに行く層が少なくない。そのためか、開演前のアナウンスにも違和感なく返答を返す観客が多かったのは、とても印象に残っている。仮にリアルな海外アーティストの来日公演であったとしても、ここまで英語でのコミュニケーションが潤滑にできる空間はできあがらないように思う。
本番開始。出だしから全員が出演し、今回のイベント用の特別衣装をお披露目する。思えば、日本のにじさんじのライブではお馴染みのこの共通衣装も、彼ら彼女らにとっては初めてだったのだ。すでに、この時点で大きなものを達成できたようにも思えたが、衝撃だったのはその後の各メンバーのパフォーマンスだった。
気迫が違う。それが初めにくる感想だ。たしかに、どのメンバーも舞台で楽しそうにパフォーマンスをしているものの「このステージに全部入れる」という熱意が溢れ出ており、気圧されるような感覚さえあった。
ファンならご承知の通りだが、今回舞台に上がったにじさんじENメンバーの歌やダンスの実力は非常に高い。それはこれまで発表された楽曲や生配信を見ればすぐに分かる。分かっていたからこそ「舞台で見たい」という気持ちは、ファンの間でなおさら強くなっていたのだ。
メンバーはその気持ちに応えなければならないというプレッシャーとも戦っていたのだろうし、初めての観客を前にしてのライブへの緊張もあっただろう。だからこそ「絶対に成功させる」という想いが前面に出ていた。著者もこれまで数多くのVTuberのライブを見てきたが、ここまでの気迫を感じられたのは、正直初めてである。
著者が特に感慨深かったのは、エリーラ ペンドラのパフォーマンスだった。Eliraは、ENプロジェクト最初のメンバーであり、これまで長くグループを見守り、ときには重要な局面で自分の意見を真面目に発信することもあるような、にじさんじENの屋台骨を支える存在である。そんな彼女のオリジナル楽曲「sunbeams」のライブは、晴れやかな気持ちにさせる爽やかな曲調だが、ライブで歌詞の1フレーズずつを歌い上げる様は真剣そのもので、フィギュアスケートのジャンプを見つめるときのように目が離せなかった。
迫力という観点でいえば、アイク イーヴランドのパフォーマンスも言及せずにはいられない。柔らかい歌声と、鋭いデスボイスを両方巧みに歌いこなせるのが、彼の特徴だが、そのデスボイスがホール全体に響き渡った際は鳥肌が立つほど凄まじいものだった。圧倒的な歌唱力はもちろんなのだが「観客全員を圧倒する」という気合がにじみ出ていて、聴き終わった際、放心してしまったことを覚えている。これが初めての大舞台でのライブとは思えない、異常なまでの完成度だった。
他にも、高クオリティなオリジナル楽曲をはじめて現実の舞台で披露したレン ゾット、パワフルな歌声で会場を沸かしていたエナー アールウェット、黄色い歓声を浴びながら流暢なラップを披露していたサニー ブリスコー、とにかくキュートさを前面に押し出していたロゼミ ラブロック、完成度の高いダンスでアイドルを体現していたマリア マリオネット、独特のコミカルな動きを見せつつ自分の世界観を表現していたヴォックス アクマなど……1人ひとりを掘り下げると枚挙にいとまがない。ただ、どのパフォーマンスも、彼ら彼女らのこれまで辿ってきた歩みをイメージさせるようなものとなっており、文脈を深く辿ってきたファンであるほど、気持ちの整理がつかないものだったはずだ。
最後のシーンについても書いておかなくてはならない。終幕後、アンコールを経て、ふたたびメンバーが登場し、順番に挨拶をはじめる。
ロゼミ ラブロックの順番になり、彼女が話し始めたところから舞台に変化が起きた。「自分に自信がなくて……正直ここにいていいとも思わなくて。でも、この舞台にいるみんな素晴らしくて」とコメントしている間に感極まったのか、すすり泣きはじめてしまったのだ。続くエリーラ ペンドラも「泣かないように頑張るね」と宣言しながらも「この1ヶ月間、みんなと一緒にいて、みんなが練習しているのを見て、みんながこのライブのために全力を尽くしているのを見てきて……」といっている間に涙声に。さらに、アイク イーヴランドは「僕はもう泣いているんだけど」とこぼしながら「小さなころから、いっぱいさみしいこと、悲しいこともあって……でも、これまでの僕があきらめなくて、ほんとにほんとにうれしい……」と話し、肩を震わせて号泣。隣にいたヴォックス アクマが彼の肩を抱くと、メンバー全員が身を寄せ合って抱き合うことに。客席からも温かい拍手が続いていた。
ヴォックス アクマは最後に「3人も泣いているのを見て、私も泣くべきかなと思ったのですが、泣きません」と話しながら「私が歌を始めたのは最近のことで、歌は大好きですが、ここにいるメンバーにとっては歌やダンス、ステージでのパフォーマンスは、人生そのものです。夢見てきた全てです。私が泣いていないのは、今朝から今日が素晴らしい日になるだろうと確信していたからです」とコメントし、メンバーや観客への感謝の気持ちを伝えていた。
たしかに、今回のパフォーマンスは「1ヶ月の共同練習の成果」などといった浅はかな見方をしてはいけない。VTuberとしてデビューする前からずっと地道に研鑽を重ねてきたその結果のすべてとして捉えた方が良いだろう。少なくとも著者はそれだけのものを見させられたと感じられたし、観客席のファンもそう感じたに違いない。
もちろん、今回のライブによって、にじさんじENのこれまでの歩みが美談として完結したわけではない。現状のにじさんじENは、すこしずつ環境が改善され、夢を実現できる環境が整いつつあるものの、多数の課題もある。日本以外での収録環境がないこと。海外の法的な事情で、英語圏発の楽曲の使用の難易度が非常に高いこと。メンバーと運営の密接なコミュニケーションに多数のハードルがあること。海外ユーザーの激しい誹謗中傷への対応などなど……外側から見ただけでも問題は山積している印象だ。
それでも彼ら彼女らなら、このまま進んでくれると信じたい。これはあくまで「OVERTURE」。序曲に過ぎない。ここから、彼ら彼女らの本番なのだ。「にじさんじ WORLD TOUR 2025 Singin’ in the Rainbow!」の開催が告知されたこともあり、今後さまざまなステージで、にじさんじENメンバーの姿を見られることになるだろう。今回の涙が次に繋がることに、今は期待したい。