<再考察>マルちゃん「赤いきつね」CM 油揚げの「うるおい」「柔らかさ」と「女性らしい」映像世界
黒く細いよりも白くもちもち
さて、ようやく本丸の「揚げ」に攻め入る準備が整った。なぜ緑のたぬきではなく赤いきつねだったのかという問いは、なぜそばではなくうどんでなければならなかったのか、なぜ天ぷらではなく油揚げでなければならなかったのかという二つの問いに置き換えることができる。答えは明白である。うるおいと柔らかさを基調とする女性的な世界観を完成させるには、天ぷらの硬さではなく油揚げの柔らかさ、天ぷらの「サクっ」ではなく油揚げの「じゅわっ」が必要だったからである(ショット7)【図10】。もちろん、うどんよりもそばのほうがより女性らしい雰囲気の醸成に寄与する。(少なくともこのCMが描こうとしている世界においては)やはり細く黒みを帯びたそば麺よりも、白さともちもち感を備えたうどん麺の方が女性に似つかわしい。 つゆと湯気、氷水に女性の涙といった道具立ては、各種音響や寒色と暖色の配分などの細部へのこだわりに支えられ、うるおいと柔らかさを基調とする統一感のある映像世界の構築に向かっている。白くて太くてもちもちしたうどんのイメージもそれを後押ししてくれるだろう。ひらがなとカタカナのみで名付けられた「おうちドラマ編」と漢字のみの「放課後先生編」という文字情報も、もちろんそのような方向づけに加担している。乾燥した天ぷらの武骨な硬さは、せっかく築き上げた世界に亀裂を生じさせかねない(つゆを吸ってふにゃふにゃになったとしても所与のイメージは拭い去れない)。女性らしい映像世界を完成させるには、滴り落ちるほどのつゆを含んだ黄金色の油揚げがぜひとも必要だったのである(ショット16)【図11】。 注1=田中眞澄編『全日記 小津安二郎』フィルムアート社、1993年、354ページ。 注2=加藤幹郎「メロドラマは泣き顔を要請する ジョーン・フォンテインへのオマージュ」(『映画のメロドラマ的想像力』フィルムアート社、1988年、36〜53ページ)の表現および議論を参照した。 注3=したがって作り手が男性か女性かということはほとんど関係ない。上野千鶴子による次の議論も参照されたい。「広告に氾濫している性的メッセージは、誰が誰を引きつけるためなのか? もちろん、女が男を性的に引きつけるためである。その理由はいくつかある。まず第一に、広告の作り手たちが、広告の受け手を男だと見なしていることがあげられる。男から男への、女を媒介にした欲望のメッセージ――これが広告の実態なのである。(中略)では、女性をターゲットに狙った商品の広告にさえ、女性の性的アピールが多く用いられるのはなぜなのだろうか。それは、女性が女性を見るときには、男の色めがねをかけて見るからである。これが広告に性的メッセージがあふれていることの、第二の、そして最大の理由である」(上野千鶴子『セクシィ・ギャルの大研究 女の読み方・読まれ方・読ませ方』岩波現代文庫、2009年、88〜89ページ) 【図1〜11】赤いきつね 緑のたぬきウェブCM 「ひとりのよると赤緑」 おうちドラマ編、maruchanchannel(@maruchanchannel、YouTube)、最終閲覧日2025年2月27日、 https://youtu.be/UKSyu8gZ_rs?si=x5Ojeh0gq9VxIL7P
映画研究者・批評家 伊藤弘了
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