作:ぴえんふー
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宴もたけなわ、とまではいかないものの、最高潮に達してた『豊穣の女主人』の来客数は厨房を出入りする従業員の動きと共に徐々に落ち着きを見せ始めている。
とは言っても、俺の所属が判明したことが少なからず客足に反映されてしまっているのだろう。
壁の砕けんばかりの賑わいは既になく、いるのは周囲の状況を把握できないくらい真っ赤に出来上がった客のみという始末。
かといって、俺へ視線を送ったかと思えば酒気で赤く染まった顔を青く反転させてせっせと店から去っていく客も少なくない。
売上的な意味でも一応は一人の客としてこの店に居座っている身としては、この状況は非常に気まずいのですぐにでも仕事に向かいたいところなのだが、だが。
「なのに待ってろ、とは一体どういうことなんでしょうか……」
そしてそれは一体いつまでなのか。
酔っ払いを追い払って一人で席に待っていた俺は給仕のエルフ――リューさんに今回手配してくれた協力者だと知った。
意外ではあったが、同時に納得もしていた。
この『豊穣の女主人』には一名を除いてどういう訳か手練れしかいない。
その中でもリューさんはあの女将に次いで選りすぐりと言えよう。このオラリオにおいては貴重すぎる協力者の存在を紹介してくれた『
だがそこで、この酒場の主より待ったがかかることになる。
「何やらシルさんが奥に連れて行かれてましたけど……」
手持ち無沙汰になったので手元のスプーンをくるくると回して遊ぼうとして……普通に行儀が悪いのでそっと皿の中にカウンターの上に置き直す。
今回の調査はあくまでギルドの報告にあった失踪事件の内容の一端を掴む為のもの。早急に取り組むべきか否か、それを判断するための情報収集でもあるのだ。
だからこそ別に急いでいるわけではないのだが……戦いとは常に位置と情報を変えていくもの。
後手に回っている以上、集めた情報を元に片っ端から現場に駆け付けねば何もかも遅いのだ。
『えー、断っちゃうんですかー? 私をナンパしたことは黙っておいてあげたのになー……ミアお母さーん』
『あぁん? ウチの売上を目減りさせたあげく即退散ってのは、随分ムシの良い話じゃないかい」
『……すみませんレンリさん。私は、無力だ』
もっとも、それを説明した所でシルさんと女将の言葉で黙らざるを得なかったが。
とはいえリューさんの準備もあるだろうから、待つこと自体は然したる問題ではない。
「……問題はないんです、が」
ちらり、と厨房に続く入り口へ視線を向ける。
今座っている場所は、この店で言うところのカウンターのど真ん中。ちょうどその陰だろうか。
俺の正体を酒場の客が口にして以降、茶毛の猫耳がぴこぴこと此方の様子を伺っている。
視線を逸らせばあちらから視線を感じ、それを辿れば引っ込める。その繰り返し。
当然、そんなザマで給仕としての仕事などまともに出来る筈もなく、このやり取りだけで何度厨房にいる女将の怒鳴り声を聞いたかわからない。
「なんなんですアレ……というかホントいつまで待てば良いんですか俺は」
「んー……それこそ神のみぞ知る、もといこの店の主人のみぞ知るってとこかしら。ちなみに言いつけを護らない客は例外なくブチ殺されるわ」
「顔面陥没の次の段階ってなんでしたっけ」
「安心して、死んだら財布は拾っといてあげる」
「そこはせめて骨拾っといてくれません?」
少々手薄になってきた店員の一人である黒毛の猫人――店員同士のやり取りを聞くにクロエと呼ばれてる彼女を適当に捕まえてそんなやり取りをする。
「ふぅん……フレイヤ・ファミリアの新進気鋭と噂の『
「何言っても罵倒にならないのが不思議ですね」
「ぶっちゃけこうして会話が成立してるのも奇跡だと感じてる」
「俺にも傷つく心くらいはあるんですよ?」
だがそこは暫定魔境であるここ『豊穣の女主人』の従業員の一人と言ったところだろうか。
さり気なく俺の近くに立っていたこともそうだが、此方の一挙手一投足を何気ない雑談の中にさり気なく、それでいて一つたりとも見逃さぬと言わんばかりに俺のことを見極めようとしているのが見て取れる。
……結果は不本意極まりない評価をいただくことにはなったが。
「というか、あの人達だってマトモに会話くらいしますよ」
「へぇ、どんな?」
「うるせぇ死ね、ってよく言われます」
「それ会話になってる?」
なってない。
幹部を筆頭に言語能力は十二分に備わっているのだが、それを出力する人格部分に対人関係の構築において致命的な問題を抱えているだけで。
なので冗談を言っても、過剰火力の口撃による尊厳破壊と袋叩きで許してくれる度量はある。
……おかしいな。クロエさんの評価が妥当な気がしてきた。
「で、でも……会話がスムーズに進められるってやっぱり素晴らしいと実感してます」
「比較対象が比較対象なだけにツッコみづらいんだけど」
「それに、猫人の方が全員俺の知っている様な人物でないことも安心しました」
「……どういうこと?」
「……以前、うちの猫人の副団長に聞いてみたのですが」
口にした話題に、がたんとカウンターの陰が震える。
俺が放ったその単語にクロエさんも顔色をどこか冷徹な、どこか警戒したものへと変化したのをよそに俺はカウンターに隠れる猫人の観察を続ける。
ちょっとしたカマかけ。
引っ掛かれば御の字のでっかい釣り針。そして周囲には勘が鋭い強者が複数。
これだけ条件が揃えば、見えてくることくらいある。
猫人の女性。
今の副団長に対する反応。
フレイヤ・ファミリア。
そして、シル・フローヴァ。
成る程、と色々と納得した。
「……フレイヤ・ファミリアの過激派筆頭にして都市最速を誇る『
「猫人特有の方言というか、キャラ付けがあるでしょう? にゃにゃにゃ、みたいな」
「…………ん?」
「いや、だからにゃにゃにゃって」
「あ、別にそこに絶句してるわけじゃなく」
何やら眉間を揉み出したクロエさん。
「クロエさん?」
「あ~……いや……調子狂うなコイツ……ンンッ、それはキャラ付けじゃなくてどっちかっていうと訛りみたいなもんなんだけど……それが?」
「いや、あの人も語尾に『ニャ』とかつけてたんでしょうか、と」
「ぶふっ!?」
カウンターの裏で何やら動揺したように吹き出す猫人の声がする。
それとほぼ同時に、眼前の黒猫も目を見開いたかと思えば呆れたように溜息を零す始末。
なんとなく、空気が弛緩するのを感じ取った。
「……
そしてクロエさんの口調もどことなく感じていた棘が解れて、隙を許さなかった佇まいを崩してさり気なくそんな罵倒を飛ばしてきた。
だがそれはそれとして、俺を馬鹿呼ばわりは少しいただけない。
「苦渋の決断でした……会話のキッカケが欲しくて。彼にもそんな時代があったのかー、と」
「拗らせて致命的なミスを起こしてるやつニャ。導火線を糸口と勘違いする奴が馬鹿じゃなかったらなんなんニャ」
「うるせぇ死ねって言われてボコボコにされました」
「さっきの焼き直しどころかつづかなく爆破完了してんじゃねーか」
散々の言われようである。
何言っても今の返しと似たような言葉しか返ってこないと言えば、彼女にもこのヤケクソっぷりが伝わるだろうか。
「なーんか警戒するのも馬鹿らしくなっちゃったニャ……あーあ、とんだ取り越し苦労だニャ―、ただでさえ憂鬱な勤務時間が馬鹿一名の所為でより憂鬱に……詫びとして慰謝料を寄越すニャ」
「経費で落とす際にあなたの名前を使っても良いのなら」
「新手の処刑宣告はやめるニャ……まぁ猫の好奇心的に? 『
「命が惜しくないんですか……?」
「おミャーにだけは言われたくねぇ!」
まぁあの質問は我ながら馬鹿げてるとは思うが、アレは会話のキッカケになれば良い程度のものだったのでそれほど深い意味は無い。
で、それを態々開示した意図としては、『この酒場に害する気はないですよ』というちょっとした無害アピール程度のものである。
「そういうわけなんで、いい加減警戒を解いていただいても良いのでは?」
「いやいやいやいや……無害って言うか『異端』って評価が妥当だからね。今のキミ」
「……」
頃合いと判断してクロエさんを斥候代わりに俺への様子を少し距離を取った場所から伺っていた茶髪のヒューマンの女性――ルノアさんと呼ばれていた人物へそう声をかける。
だが当の彼女から指摘された内容には、事実なだけに閉口するしかなかった。
「……店に迷惑をかけるつもりは無かったんですけど。申し訳ない」
「なら店に来ないのがお互いの為でしょ。キミだってそれはわかってたんじゃない?」
うぐ、と内心ぐさりとそんな声を上げる。思った以上に明け透けにモノを言う人だ。
実際、
「すいません……どうしても、会わなきゃいけない人が居たので」
「……意外。典型的な女神第一主義のファミリアって聞いてたんだけど、キミみたいなのも居るのってアリなんだ」
「その辺りは世間で思われてる神物像と違って寛容ですよ、フレイヤ様は。集まる人間がことごとく強火の信奉者と化して……肝心の女神がその様子を『それもいっか』と思っちゃってるだけで」
「それが全ての元凶なんだけどね……」
全く以てその通り。
お陰で見事なまでにファミリアにおいては一部を除いて孤立してる。
加えてオラリオ中からもその方針故に『畏怖』『恐怖』と言った形で組織としても事実上孤立してしまっている始末なのだから、やっていられない。
――そんな状況を、自分こそ一番望んでいないと気づかないあの人にも。
「にしてもその感じ……もしかしてウチの女神に何かけしかけられたことが?」
「あー……それは、ね? 昔ちょこーっとヘマをして、キミの所の
……推定レベル4のこの人を一方的に追い回すことが出来る冒険者で、それが可能な小人族となれば答えは一つだろう。というか知り合い、同僚である。
この際詳細は省くが、俺自身鍛錬において何度命を落としかけたかわからないとだけ言っておくこととする。
「……俺が言うのもアレですけど、よく生きて帰れましたね」
「うーん……どちらかと言えば私がやらかした側だからさ、うん。あんま気にしないで」
「……気を付けて。あの人たち、身内であっても容赦なんて全くしませんから。ましてや外から来た冒険者なんて」
「なんだろう、その無駄に説得力のある忠告」
「実体験ですので」
だから眷属ですらない誰かの扱いに関しては言うまでもない。
それはそれとして一体何をしたんだろうか、この人は。
聞いてみたい気がしないでもないが、なんとなく地雷感があるのは俺の気の所為だろうか。
例えば、それがこの酒場で働くことになった遠因とか。
「まぁ、皆さん仮に女神が腹をブチ抜かれたらそれ以上に自分の腹をブチ抜く様な人達ですから。色んな意味で自分をかえりみない人なんで、強くない方がおかしいかと」
「キミは違うってこと? どうにも神様へのスタンスが決定的に違うみたいだけど」
「あー……その辺りは説明すると長くなるんですが……」
別に俺は他の眷属とスタンスは言うほど違ったものではない。
彼女の
敢えて言うのならそれだけの違いだろう。
……ただ、それをこの場で口にするのは憚れる。
ちらりちらりと厨房の奥へ消えたシルさんの姿を追い、ルノアさんはそんな俺に首を傾げてる。
警戒を解く意味でも話したいのは山々なのだが、今は状況が悪い。最悪聞かれた直後にどこからともなく現れた副団長に命令で轢き殺されたりしかねない。
あの人のことなので、気づいたら後ろで聞いているとかあってもおかしくないのが何とも。
「ふーん……ま、深くは聞かないよ。誰でも、踏み込まれたくない部分はあるだろうしね」
「ありがとうございます」
「……クロエの言った通り調子狂うなぁ、その感じ」
「そうニャ。私達が見てきたフレイヤ・ファミリアって言うのはこう、魔王顕現とか階層主出現とかそういう感じニャ」
「それを眷属本人の前で言うのはどうかと思うけど……まぁこの感じだったら問題ないか――ほら、見てた通りこの人なら大丈夫そうだよアーニャ。いい加減出てきたら?」
「……」
ルノアさんの一声で恐る恐るとカウンターの影から飛び出して来たのは、先程から此方の様子を伺っていた茶色の毛並みを持つ猫人の従業員。
呼ばれた名はアーニャ。
瞳の奥から感じ取れるのは少しの困惑と――恐怖だろうか。
じりじりと間合いを測る様に俺を見つめて近づいてくる様相は、取り繕わず言えば警戒を解かない猫そのもの。
その姿に、迷子に怯える子どもの姿を幻視する。
俺の彼女へのスタンスが決定した瞬間だった。
「……お、おい、白髪頭」
「はい、こちら白髪頭」
「おミャーはそれで良いのか……」
横合いから飛んできたクロエさんのツッコミを流しつつ、改めてアーニャさんと向き直る。
「良ければ名前を聞かせて貰えませんか?」
「……アーニャ」
「ではアーニャさん。何か俺に、聞きたいことがあるんでしょう?」
視線を見下ろすのではなく真っ直ぐに、同じ高さへ合わせるように心がける。
可能な限り柔らかく、穏やかに。
それこそ、今日の昼頃相手にした迷子の女の子と話したみたいに。
「……」
だがそれでも、此方に対する怯えと警戒を必要以上に切り捨てられない辺り、どうやらあの『兄妹』の軋轢によって生まれた壁とは想像以上に厚いらしい。
だから、こっちから少しだけ踏み込む。
「あなたの出自は、誰かから聞いたわけでもありません。ですが、ある程度察しはついています」
「ッ……おミャーは、言わないのニャ。ミャーのことを、捨てられた愚図って」
「言いませんよ――だってあなたはこうして、俺の前に出てきたんだから」
俺が誰か。アーニャさん自身の事情。俺がそれを認識しているが故の発言だろう。
その恐怖は、想像に難くない。
それがどれだけ勇気のいることかなど、俺のような人間に測れるものじゃない。
それを愚かだなんて、頼まれたって言うもんか。
「……何が目的でこの店に来たのニャ。もしリューやシルに手を出そうって言うのなら、ミャーがただじゃ置かないニャ」
「ちょ、ちょっとアーニャ……! 何もそんな喧嘩腰に――」
「いえ、大丈夫ですよルノアさん。うちのファミリアの素行は知っているでしょう? であれば、彼女の反応は普通です。それに――」
『家族』の一人に、自分の『居場所』に他者が土足で踏み入ろうというのだ。
しかもそれが女神至上主義で、女神の神意であればどんな強硬手段でも用いて、気紛れに周囲を踏み荒らしていく眷属の一人であるというのなら、その反応は至極真っ当と言えよう。
そんな理不尽、逆の立場であったら俺もそれを許すことはないだろう。
そして何より――。
「――『家族』が危険かもしれないってなったら、簡単には退けないよな」
せっかく出来た居場所を壊される痛みは、よく知っているつもりだから。
「……仕事を請け負う人間として最低限の守秘義務があるので詳細は言えません。ですので敢えて言うのならば、俺は戦力の一人としてリューさんを必要としている」
「……リューとはどこかで会ったことがあるのニャ?」
「いえ、信頼の足る人物から紹介されたことが始まりです――けどリューさんは、初対面の俺の体調を気遣ってくれました」
「……リューは、ちょっとポンコツだけど、優しいやつニャ」
「はい。だから俺は、彼女個人として見ても信頼に足る人物であると判断しました」
その言葉に、アーニャさんは何も言わない。
じっ、と琥珀色の瞳で俺自身を見据えている。
遠くから俺とアーニャさんの様子を伺っているクロエさんとルノアさんからも、特に何かを言ってくる気配もない。
酒場だというのにどこか静かにすら感じるこの場のやり取りは、微塵の嘘も許さないと言外に伝えられている気がした。
「だからどうか、あなたの同僚の力を借りることを――ファミリアにおける俺の先輩として、許していただけませんか」
「……ミャーが、先輩?」
「はい、先輩です」
その言葉に、ぽかんとするアーニャさん。
俺がフレイヤ様の眷属として所属し活動を始めたのは一年と少し。
であれば副団長と兄妹とされる彼女が俺より眷属として先輩であることは明白。
「正直俺自身、ファミリアの方針に思う所がないわけじゃありません。こうしてあの
この人の事情に深入りするつもりはない。
だが、己が強くなる為によしとしたあの『洗礼』が、結果として本当の家族を引き裂くことになってしまっているのならば。
同じ眷属として、掛けられる言葉の一つや二つはある。
「ですが、あなたは生きています。生きているのなら、また会うことが出来る」
「……!」
「家族はどれだけ離れても一緒に居ます。優しかった兄、厳しかった兄。アーニャさんはどちらが彼の本音かわからないでしょうが、どちらも紛れもない彼です。だからあなたは――その姿を、忘れないであげてください」
深入り出来ない俺が副団長から感じた、苛烈なまでに家族へ向ける想い。
こんな薄っぺらい言葉に、希望なんてものは持てない。
二人の軋轢は根深い。
これで修復される様な関係であれば、最初から絶縁状態になどなっていないのだ。
家族ならまた会える、などアーニャさんが味わった仕打ちを知らない今の俺では、それこそ虫の良すぎる理想論で彼女の心へ安易に踏み入る無礼者に過ぎないだろう。
だが、それでも。
この兄妹がいつの日か元の家族に戻れると――俺は信じたい。
「……おミャー、名前はなんて言うのニャ」
「アルノ。アルノ・レンリ」
――これが俺なりに示せる、この人への誠意。
これで駄目だったら、大人しく諦めるとしよう。
信頼に足り得なかったとしたらそれは、紛れもない俺の未熟であり、部外者たる俺を拒絶する権利がアーニャという女性には存在するのだから。
そしてその答えは――綻んだ表情を見せる彼女の姿を見るに、前向きに捉えても問題がなさそうであった。
「……むっふふふ! そういうことなら、おミャーはこれからミャーの後輩、もとい舎弟ニャ! よってアルノ、この後の締め作業をお前に託す!!」
「あ、それはお断りさせていただきます」
「なんでニャーっ!?」
「いや、俺はこの後仕事がありますし……っていうか、俺とクロエさんのやり取りを見ていたのならわかる筈では? 俺にこの後予定があるくらい」
「……? そんなこと言ってたかニャ?」
……もしかしてこの人、とクロエさんとルノアさんに視線を向ける。
返ってきたのはこれ見よがしの溜息だけだった。
「見ての通り」
「ただのアホだニャ」
「……なるほど」
「納得してんじゃねーニャー!!」
ぐいぐい、と今にも頭に噛り付かんばかりに俺の髪を引っ張るアーニャさん。
なにやら後輩としての態度がなってないとか、忙しいのは勘弁して欲しいのだとか喚き散らしているのを適当にいなしていると――びしり、と頭上のアーニャさんが硬直するのがわかった。
厨房から顔を出す巨躯。腕まくりした紺色の制服にエプロンを纏う姿はまさしくキッチンの主そのものだが、纏う威風はただの飲食店の店長と言うにはあまりにもかけ離れている。
ミア、と彼女達に呼ばれるこの酒場の女将であった。
「聞き耳を立てた形で悪いが、話は聞かせて貰ったよ」
「か、母ちゃん……こ、こいつはやっぱそんなに悪いやつじゃなかったのニャ。だからそんなに怒らないであげても――」
「聞いてたって言ったのが聞こえなかったのかい。少なくともお前よりもわかってるつもりだよアーニャ。それよりも厨房の裏で洗い物が溜まってる。さっさと片付けてきな」
「……わ、わかったニャ」
「ルノア、クロエ、アンタらもだ。最後の客が帰り次第店じまいにするから、締め作業に入っちまいな」
「「はーい」」
ずこずこと、三人組が酒場の奥へ消える。
先ほどまであった警戒の色はもう無い。そして今は俺とミアさんの二人だけ。
酒の香りと、客の喧騒が残響する店内。
カウンター越しに俺を見下ろす女傑の姿に、感じることの出来ない静かさがこの身に沁みた。
「みんな、いい人たちですね」
「そうかい」
口にした感想に、素っ気なく返される。
だがそこに嫌味はない。
誇らしいような、当然だろうという自負が伝わってくる強い、優しい母親らしい笑みがそこには浮かんでいる。
たとえ、そこに血の繋がりがなくとも。人に言えない様な事情を抱えていたとしても。
本当に、自慢の娘なのだと想っていることが伝わる笑顔だった。
「……ミアさん、従業員の皆さんが大切なら、別に俺への協力などしなくとも良い」
「……」
「危ないところに連れて行こうとしているのは事実です。だから、あなたは
「義理立てなんて面倒なことするかい。かといってアンタに情けを与えた訳でもない――そのうえで、アタシからは何も言わないよ」
だから、とミアさんは俺に向き直る。
「最初に聞いた時はいつもの気紛れかと身構えたもんだが……お前さんと話して気が変わったよ」
その真っ直ぐな視線に指に力が入る。
ミアさんの正体には既に行きついてる。この人も俺がそう認識していると理解しているだろう。
彼女はニッと笑みを浮かべた。
「赤の他人でしかないアーニャに向かい合おうとしたアンタを、信じてやることにした」
その言葉が示すところは、とどのつまりそういうこと
合格、ということだろう。
「元団長――かの『
「はっ、アンタも知っているだろうが、ウチの娘は高くつくよ?」
「最善を尽くします」
空気が弛緩する。
流石に俺もそろそろ仕事をしに行かなければなるまい。リューさんへの説明と戦力確認もしておきたいし。
しかしカウンターから腰を持ち上げようとした、その瞬間。
どたどた、と先の静かさから一転して何やら騒がしさが聞こえてくるかと思いきや――アーニャさんが厨房の入り口から跳躍してフェードイン。
「お、おお、おいおい! 白髪頭! じゃなくてアルノ!」
「はいこちら白髪頭」
何やら顔色のよろしくないアーニャさんが気になりつつも、詰め寄る彼女にそう応対する。
「こ、ここはミャー達がくい止める! 命が惜しかったら逃げるんニャ!」
「敵襲ですか」
「敵、……敵……? じゃニャいけど、地獄への道は珍味にうんたらかんたらみたいな状況でっ、……と、とにかくヤバいんだニャー!!!」
「はい?」
突然何を言い出すのか、理解が追い付かない頭は意味を持たない返事を吐き出した。
こちらに飛び込む様に駆け付けたアーニャさんの表情は必死で、それどころか顔を先ほどより蒼くしているまである。
敵による
「お、おいアーニャ! おミャーだけ逃げるだなんて卑怯――よ、良かったまだ居たニャー!!」
「えーっと、アルノだっけ!? アンタ珍味とか好きっ!? 好きだよねっ!? ねっ!!??」
「はい???」
先程から漏れなく従業員の会話が錯乱している。
比較的マトモなのを気取っていた二人までもがそのような言動を取るとなると
共通しているのは、何やら俺の身柄に執着していることだろうか。
……なんだろう、イヤな予感がする。
具体的には『
「――お話は終わりましたかー?」
「「「ヒィィィッ!!???」」」
一転して人身御供みたくなった眼前のみょうちきりんな事態に思考を巡らせていると、厨房の奥から声がかかった。
その出所はこれまで姿を消していたシルさんのもの。悲鳴は他三名によるもの。
猫人らしく全身の毛を総毛立たせたアーニャさんとクロエさんの姿が、どういうわけか俺にどうしようもなく『危機感』を煽った。
「アルノさん、デザート食べてなかったですよね!」
「え? いや、俺はこれから動くんでそこまでは――」
「ですので、作ってみました!」
「聞いてないし……」
つまりは拒否権が無いということ。
ただ、飯を喰うだけなら問題はない。
何せフレイヤ・ファミリアにおける『洗礼』の一環により飯を吐いてでも食わなければならない状況が続いていたのだ。そのため、量を喰うことには慣れている。
ましてやデザート。
デザートと言うくらいなんだからきっと菓子の類なのだろう。
甘いものか、苦いものかはわからないが口にするもの全てがおかず級の栄養量を誇るファミリアの食事に比べればデザートなど本当に可愛いもの。
その時は、そう思っていた。
「じゃあはいコレ――自信作のデザートです!」
――――シルさんが
「……………………は?」
それは、デザート――そう形容するには暴挙としか言いようのない見た目をしていた。
クリーム系のパフェのつもりなのだろう。
なのに色は全体的に毒々しい紫色。
菓子なのにどうしてか選出されているタコ足っぽいナニカ。
ベリー系の果実と共に添えられた魚の頭。
濃い紫の瘴気を放ちながら鎮座するそのデザート(仮)は、まごうことない現実として目の前に存在していた。
「……………………は?」
「二度目の絶句……!」
「第一級冒険者すら戦慄させるというのか!? シルの料理は!?」
「や、やっべ、ルノア、ミャーなんか気分が、うぷっ――」
「おいぃぃぃ!? アーニャがなにやら貰いかけてるんですどぉ!? 一応まだ営業中だから! クロエ、バケツ持ってこいバケツ!」
情報が、完結しない。
理解という永遠の思考を強制させられているかのような、そんな感覚。
パニクりかけてる現場に意識を割く余裕すらなく、頭は目の前のゲテモノへの情報処理に専念させられていた。
ごとん、と置かれた中々の重量があるであろうソレに震えを覚えつつ、どういうわけか笑顔で此方を見つめ続けているシルさんへの追及を急いだ。
「なんですかこれ」
「デザートですよ」
「なにやら胞子みたいな毒々しい煙を呼吸してるみたいに噴き出してるんですが」
「名づけて『滋養パフェ~生命の息吹を添えて~』です」
「生命の息吹ってこんな禍々しい暗黒物質を表現する言葉でしたっけ」
「それにリューから聞くにアルノさんは明らかな睡眠不足。なら必要な栄養は摂らないと。ナマモノは鮮度が大事って聞くでしょう」
「明らかに素材がまだ生きてるんですが」
あとナマモノと言わなかったか今。
パフェのつもりなんだろうが、何やら頂点のクリームっぽいナニカにチェリーみたく添えた透明の玉がぎょろっとこっちを見た。ひょっとしてコレ目玉か。目玉なのか。なんでこっち見てんだ。
――――残したらコロス。というか早くコロシテ。
そんな拷問の果てに命を落とした囚人の様な哀れみと呪詛を否が応でも感じ取る。
「……レンリさん」
「リュー……さん……?」
そして今度は厨房から、エプロンと髪飾りを解いたリューさんが死体と言わんばかりの表情を以て重い足取りで顔を出す。
俺の名前を呼んで、どこか諦めたかのようにミアさんへ視線をやった。
「……ミア母さん、厨房の処理を終えました」
「そうかい……危険物は生ごみに捨ててないだろうね」
「抜かりなく」
「なら、いい」
よくはない。
なんなんだ今の会話は。
今の本当に調理の後始末の話なんなんだろうか。
人の胃袋に入るものに、どうして危険物という単語が出てくるのか。
それがこの如何にも俺が食わなければならないという謎の状況も相まって何ひとつ理解が追い付かない。
だが、そんな俺のことは置いてけぼりに、リューさんがゆらりとこっちへと歩み寄ってくる。
その姿は、見間違えようもなくゲッソリとしていた。
「……レンリさん。シルは度重なる軌道修正による鬱憤により、正体不明の圧力を纏っている」
「見ればわかります」
「笑っているのに、怒っている様にすら見える」
「少なくとも心から笑っていないのは確かですよ」
「取れる手段は一つ――意識を強く持つこと」
「つまりノープランと!?」
そしてはたと気づき、この酒場の主であり人気店であろうこの店における厨房の最強戦力であるミアさんへ向き直る。
いつから此処の厨房は兵器開発工場と化したのかと。
「ミアさん、あなたなら止められる筈だ……どうして?」
「無論一緒に監修し作っていたさ……最初の方は」
「最後の方も監修してください」
「少しあの場を離れたらこのザマだったのさ」
「なんで」
「爆発しなかっただけで御の字ってところだね」
「さっきからなんでっ!?」
「アルノさん? 食べるんですか、食べないんですか?」
「ぐぅッッッ……!!!!」
背後から肩に置かれた手にひゅっ、と呼吸が乱れ脂汗が滲んだ。
顕著な筈の女性の手は、第一級の冒険者であろう俺に不動を強制させる圧力を否が応でも伝わってくる。
「シルさん、さ、さっき鶏のシチューを食べてお腹が――」
「食べるんですか、食べないんですか?」
「ぐぅぅぅぅぅぅッッッ!!!!??」
あ、駄目だ。
喰わなきゃ喰わないで後で色々と面倒なことになる奴だコレ――!
「み、水を用意しろォ!」
「っ!? どうする気ですか!」
「『耐異常』でゴリ押します!! 対
「無茶だレンリさん! たとえ第一級冒険者の『耐異常』と言えどシルの料理は――」
「アルノ、リュー」
「――レンリさん!! シルが飲まずにやれと!!!」
「無抵抗でこの劇物を胃袋で受け止めろと!?」
リューさんまで俺を見捨てたんだが!?
というかこの状況、覚えがあり過ぎる――っ!
「ええい、結局普段ファミリアでやっていることと変わらないということかっ――ッ!」
「あ、やっぱそうなんだ……」
「見るからに貧乏くじを引かされる損な性格をしてるからニャ……」
孤立無援。からの集中砲火。
故に――やるしかっ! ないっ!
「それじゃアルノさん、召し上がれ♪」
銀髪の少女が浮かべた表情はまさしく暗黒微笑。
引き下がることは、眷属の一人として逃れられない。
「う――――うおおおおおおおおおおああああああああぁぁああぁああああああああぁああ!?」
直後――目の前が真っ暗になった。