2000年代のネット文化の負の側面について語る
いつもMBTIや人生について記事を書いていますが、今日は、2000年代に青春を過ごした元若者として、当時のネット文化の良くなかった側面について振り返ってみたいと思います。ちなみにどちらかというと私は、あの頃のネット文化には否定的です。
女性叩き
個人的に2000年代のネット文化で一番酷かったと思うのは、女性叩きです。
2000年代の時代に、男が女を叩く書き込みがネット上に溢れすぎたことで、逆に今は「弱者男性」のような女が男を下に見る表現が増えているのだと思っています。時間差による復讐なのですよ、これは。(ちなみに最近流行の「おぢ」という言葉については、年寄りが相対的に増え、若者が減った事による世代間の一人あたりの人間的価値の差から生まれた言葉で、また別モノだと思っています)
今のルッキズムの流れも恐らく似たようなものではないかと思います。2000年代に「かわいいは正義」とか「ブスは○○」みたいな価値観をネット上で流行らせて、女性から容姿についてのあらゆる逃げ道を奪ったせいで、今度は女性から「それだったら男も女が好むようなイケメンであれよ」と求められるようになり、結果的に自分たちの首を絞めている気がするんですよね。昔、ネットで「女って容姿は良いけど、中身がないよな」みたいな書き込みを見かけたことがあるんですが、女性がそういう風に振る舞うことを良しとする風潮を作り上げたのは男側だと思うんですよね。
2000年代当時にネットで女性叩きをしていた人たちは、便所の落書きのつもり好き放題やっていたとしても、結果的に後世に悪い空気を生みだしたというのが個人的な意見です。言葉というのは扱い方次第で、救いにも呪いにもなるわけで。ネットに溢れている言葉の多くは呪いの言葉で、それらはデータとして残り続けます。そして、そういう呪いの言葉に毒された若者たちが、「容姿がよくないからもう死にたい」などと苦しむわけです。そういう空気を生みだした人たちは当然、みんな雲隠れして責任をとってくれません。自分はそういう人たちが「あの頃の自分たちは間違っていた」と言っているのを匿名の場ですら聞いたことがありません。なので代わりに私が言いたいと思います。2000年代のネット社会における女性叩きは醜悪で、卑怯な行為であったと。
リア充/非リア充
こういう二分法がはじまったのも、2000年代だと思っています。
この流れは現在、陽キャ/陰キャという言葉に置き換わっていますが、その意味は同じで、要するに「地位の高い人間と低い人間に選別したい」という本能的欲求なのだと思います。ちなみにそれ以前は、オタク/普通/不良という三分割するカテゴリはあっても、二分割するカテゴリはなかったように思います。
とはいえ、何でもカテゴリ分けしたがるのが人間の常だと思うので、まぁそれは良いと思うのですが、個人的にどうかと思うのが、ネットをよく使う層(つまり非リア充側)からこの区別が生まれたという事です。弱者の側から自らを分断してしまっているわけで。自分で分断する道を選ぶということは、リア充な人たちのライフスタイルよりもっと魅力的な文化をネット上に醸造して、少し後の世代の非リア充的な人たちが生きやすくなるような場所を生みださなければならなかったと思うのですが、その試みはニコ生主やyoutuber、オンラインサロンのような、一部の狭いコミュニティ内でしか成功しなかったように思います。その意味で、2000年代のこの言葉の発明は失敗だったと思うわけです。結果的に、陽キャ/陰キャのような現在まで続く二分法が市民権を得るきっかけになってしまいましたしね。「イケてない俺たち」というルサンチマンをこじらせるなら、その圧縮されたエネルギーで、何か新しい文化や場所を生み出さないといけなかった。けれど、それができなかったのが、私たちの世代だと思うのです。
以上の2点から、私は2000年代のネット文化は、どちらかというと負の側面が強かったと思っています。イマの若い世代の人たちは、私たち昔の世代の失敗を参考に、楽しく生きてください。


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