【疾風】が、死んだらしい。
秋も終わりの頃、
最期は自分を討ち取りに来た冒険者たちを
知り合いですらない私が言えることではないが、誰かを助けるために自分の身を顧みず行動するのは『彼女』らしいと思った。
しかし、どうしても悔しかった。虚しかった。
『彼女』には生きていてほしかった。
目に焼き付いたあの光景を瞼の裏に浮かべる。
そこに映るのは振り返る覆面の乱入者。闇の中の光。
あれから8年経った。
当時少女だった『彼女』も大人になるには十分な時間だ。
どんな人生を送ったのか──せめて心安らぐ瞬間はあったのか──気になった。
ついに、ありし日の『正義の派閥』最後の一人まで居なくなってしまった。
私ですら、ここまで衝撃に打ちのめされている。
私には想像することしかできなかった。
翌日、その日の予定を急遽変更した私はまず花屋を探し、次に冒険者墓地へ足を運んだ。
私がそこを後にしたのは、しばらく経った後だった。
少しでも元気を出すために、とびきり美味しいあの店で昼食をとることにした。
注文を取るなり小走りで去っていくヒューマンの店員の背中を見る。
店は、なんだか妙な雰囲気だった。
まるで
そういえば、と店内を見渡す。
エルフの店員も、茶色の毛の
唯一(唯二?)見分けのつくようになってきた店員が居ないことが少し残念だった。
休みか。もしかしたら辞めてしまったのかもしれない。
…花の咲くような笑顔を見せてくれた店員もいた気がするけど…どの店員だったっけ?もう2年も前のことだから忘れてしまったようだ。
店主は怖い顔で調理場に陣取っている。
だめだ、せっかく元気を出そうと美味しい食事を楽しみに来たのに、このままでは余計に気分が滅入る。なにか景気のいい事でも考えようと努める。
やがて、都市外で聞いた話を思い起こした。
【フレイヤ・ファミリア】に半年ちょっとでLv.4にまで上がったすごい冒険者【
それでも1年に1回でも昇華すれば異例の
だから半年程度で3回も昇華が起こるなんてそんな馬鹿な話があるか、と思っていたが、この都市に到着してからもそれを否定する話は一つも聞かないので、どうやら本当らしい。
すごいことだ。
このままいけば、いったいどこまで強くなるのだろう?
彼の所属する派閥には都市最強の【
さらにさらにその先へ行き、誰も行き着いたことのない高みまで昇華すれば、10年以上前に無残に散ったという人類の悲願も、ついに果たされるかもしれない。
そんな事起こるわけないよなあとも考えつつ、都合のいい妄想を止めずに自分の心を慰め続ける。
やがて黒い毛の
相変わらず、この店の料理は美味しかった。
おかげで心身にすこし活力が戻った。
食事を終えた私は、店を出た。
やっと頭を商いに向けることができた私は、今後の予定を練り直す。
明日から本格的に動き出すために何件かの取引先に顔を出すことを決め、夜になるまで都市内を駆け回った。
──
熱く燃えるようだった体が治まり、朦朧としていた意識が復活する。
なんだ?何が起きた?
身を起こすと、夕食を食べに来た商人向けの店で
周囲の客も、店員さえも、私と同じように床や
そして、おや?と思った。
多くの人が目を見開き、頭を抱え出した。
やがて、誰かが叫んだ。
美の神に惑わされた!
それを皮切りに、多くの者が叫んだ。
なんてことをしてくれた!信じていたのに!【
そこで私も思い至った。
そうだ、【
でも、私は彼のことを【フレイヤ・ファミリア】の一員だと
何だこれは。
自分が自分で信じられない。
とても気持ち悪い。何だ、これは。
考えるのが苦痛になって思考を止めた私の脳裏に、薄鈍色の髪の店員の花咲く笑顔が思い出された。
街中が怒りとどよめきに包まれる中、私は震える足で宿泊先に戻り、着替えもせずに眠った。
次の日には、私はなんとか持ち直した。
その後何日も街は騒がしかったが、私は都市外から持ち込んだ商品の納品を済ませたり、仕入れに関わる商談や今後の商機につながるかもしれない相手との付き合いを重ねて忙しく過ごした。
やがて、【フレイヤ・ファミリア】と『派閥連合』の
都市内に住んでいてもたまにしか見られない
しかも今回は最強級の派閥である【フレイヤ・ファミリア】が全てを賭して参加するのだ。
これは流石に見逃せないと私は
早めに来たはずだが
その後も続々と観戦者は増えてゆく。
赤髪の少女と、彼女を迎える数人の少女たち。
彼女たちはもう居ない。
彼女たちがあのとき待っていたであろう『彼女』も、もう居ない。
胸に迫る言いようのない悔しさを無視しようと努めながら、時計の針が中天を指すのを待ちかねる。
開始時間直前になると、頭上に巨大な鏡が出現し、現地の様子を伝え始めた。
――
当初湧いた
先ほどからずっと【フレイヤ・ファミリア】の一方的な優勢が続いている。
『派閥連合』はもうひと押しで確実に、決定的に崩れる。
黒衣のダークエルフが、下した戦場を後にして次の獲物を屠りに行こうとする。
そこに、
突然、上方から謎の人物が降り立つ。
どこから現れたのか。まさか空から?疑問に答えてくれる者はいない。
乱入者はフード付きケープをまとっており顔は見えない。
フードから覗く細長い耳に加え、奥に光る鋭い眼差しが『鏡』に写ったとき、何故か身震いした。
短い言葉の応酬ののち、二人は斬り合いをはじめた。間もなく黒の剣がフードをはぎ取る。
金色の髪と空色の虹彩が現れる。
誰だアレはァァと実況ががなり立て、周囲の人々も誰だ誰だとどよめく。
私の脳裏に一瞬、瞼の裏の『彼女』が過った。
――まさか。あの髪は、あの目は──
いやいや、と自分の想念を否定しにかかる。
金髪と青っぽい目を持つ人物はよくいるだろう、ただの感傷に引っ張られて都合のいいことばかり考えたって詮無いことだ、と自分に言い聞かせる。
でも──
胸に仄かな期待が芽生えるのを止められなかった。
その間も二人の打ち合いは止まらない。
様々な角度で、遠近で、戦う姿や表情が映し出される。
すると、その『顔』に見覚えがあることに気づいた。
鏡に映る彼女をよくよく見る。
あの店のエルフの店員によく似ている。
あの顔は忘れられない。
路地裏で死ぬ思いをしながら睨みつけられ、その後店で冷や汗を流しながら盗み見たあの顔。
2年も経てば髪は伸びる。
髪の色は違うが……はて。
私の中で、鏡、酒場、そして瞼の裏の3人のエルフが重なりかけていた。
だが、決め手はない。
やがて、鏡の中に映る彼女は詠唱を開始した。
耳を疑う。――今、【アストレア】と言わなかったか。
そう思っても、
私は知る由もなかったが、その他の詠唱文一つ一つにも記憶の蓋を叩かれ反応する者たちが都市のそこここに居た。
やがて詠唱は終わり、魔法が発動された。
【アガリス・アルヴェシンス】!
鏡の中の彼女が手足と得物に炎をまとう。
いつか見た、赤髪の少女がまとうあの炎を。
瞬間、頭の中に電流が走った。
明確な根拠などはない。あくまで想像の産物に過ぎないそれは、私にとって何にも代えがたく信じたいことでもあった。
私は目を大きく見開いた。
【ァ…】と言葉にならない声が喉を震わせた。
そう、【アストレア・ファミリア】。正義の派閥。
都市に住む人々も――いや、都市に住む彼らこそ、正義の眷族たちを忘れることはなかったのだ。
私はこの都市に住んでいないし、彼女たちとの関わりなんて無いも同然だ。
あくまで一方的に彼女たちの一人に救われ、正義の行いの結果を享受し、感謝の念を抱いているに過ぎない。なのにいま、そんな私でさえ胸がいっぱいだ。
一度は絶えてしまったと思われた正義の意志が、一人の仲間に受け継がれている。
直接私を救ってくれた存在が、一度は死んだと聞かされた存在が今――鏡を通して目の前にいる。
衝撃に打ちのめされたまま、私は
とはいえ、『彼女』が黒衣のダークエルフを下したあと、別の戦場で見覚えのある茶色の毛の猫人たちや大柄なドワーフが参戦する頃には頭が一杯になって、実際のところよく覚えていないけれど。
おかげで2、3日は仕事にならなかった。
そんなこんなで急遽できてしまった休日の昼下がり、
【アストレア・ファミリア】は今この都市に存在しない。
彼女はこれからどうするのだろう。
都市を去るのだろうか。
都市に残るとしたら、また命を狙われるのではないか。
私にはわからない。
ただ、彼女に幸あれと願った。
祈るしか、私にできる事はない。
やっと都市が通常の毎日に戻り始めた。
派閥対戦から数日経った夜、思いがけず長引いた用を済ませた私は、遅い夕食を取ろうと料理のうまい例の店を目指す。
しかし店の前には『本日貸切』の札がかかっていた。
残念だ。
私は空きっ腹を抱えて店に背を向ける。
この周辺で他に夕食を食べられる店は――と、私の頭の中の地図を参照する。大して多くない脳内候補の中から一番近くにある店を選出し、そちらへ向かう。
道中、声が聞こえてきた。
――私を貴方の【ファミリア】に入れてほしい
聞き覚えのある声だ。
目をやると、二人の人物が向かい合っていた。
それ以上は暗くてわからない。
その二人は人の気配(私の事だ)が近づいたからか他の理由があるのか、それ以上話をすることなく例の店の方向へ歩きだした。
つまり、たった今私が来た方へ。
すれ違う間際、道に面した建物の魔石灯に照らされて二人の容貌がわかった。
一人は【
もう一人は――
『彼女』だった。
思いがけない遭遇に心臓が飛び出すかと思った。
自分が挙動不審になっていないことを祈りつつ、そのまま歩き続けた。
なんとか別の店で遅い夕食にありつき、宿泊先に戻った私は
彼女は【アストレア・ファミリア】から【ヘスティア・ファミリア】へ
いや、まだそうなると決まったわけではないが。彼女の申し出を【ヘスティア・ファミリア】が受け入れるかはわからない。
だが、
正義の派閥から巣立つことに少し寂しい気がしないでもなかったが、『彼女』が決めたことだ。
それに、あの頃の『正義の派閥』の意志は彼女の中に受け継がれ、生きている。
別の派閥に移ったとてそれが消えるとは考えられない。
ただ彼女の進む先に幸あれと思った。
2日経った。
都市を出発する準備をあらかた整え、最後に街の空気を満喫しようと歩いていると、目前を横切る少年が羊皮紙を落とした。
拾いながら声をかける。
振り向いた少年は白髪に
【
あっすいませんっと言って手を伸ばす少年に羊皮紙を渡すとき、思いがけずその記載内容が目に入った。
『【ファミリア】眷属加除申告書』
『追加』の欄にチェックが入っており、別の欄には人物名らしき記載がある。
『■■■・アストレア』
一瞬で全てを読むような芸当は私には出来ない。
他にも
ただ、人物名と思しき文字列の後半、つまりファミリーネームに『アストレア』と書かれていたのは確かだった。
少年を見送ってから、私はしばしそこを動かず、考えていた。
事実を整理する。
『瞼の裏の彼女』は【アストレア・ファミリア】だ。
『鏡の中の彼女』は【ヘスティア・ファミリア】に加わることを希望していた。
【ヘスティア・ファミリア】は眷属が一人増えた。
その人物の(少なくとも申告上の)ファミリーネームは『アストレア』だ。
以上は事実の羅列である。
ここから先の、私の頭に浮かんでいる事柄は、単なる想像に過ぎない。
だが、その想像はこれ以上なく真実味を帯びているように私には思えた。
確かにできることなどない。
だが、私の頭に浮かんだ想像が正しければ、感謝の対象の所属する派閥へ一方的に礼、もとい支援する方法が―― 一度はできなくなっていたあの方法が――復活したことになる。
やがて私は白髪の少年が去っていったのと同じ方向へ足を向けた。
ギルド本部。
私は久方ぶりの『献金』手続きをしていた。
対象は【ヘスティア・ファミリア】。
私の自由になる金額は、初めてこの手続きをした幼い頃とは比べ物にならないほど増えていた。
メッセージを添える。
『 』
そして、私は都市を発った。